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千里の場合、住戸の6割を40u〜50u台の公的賃貸集合住宅が占めていたため、当初は、ライフステージが進めば住民は入れ替わっていくだろう…というのが開発者の目算でした。しかし実際はそうならなかったわけです。 家が多少狭くても、抜群の環境、広い公園と道路、交通も便利、おまけに万博で一躍有名になり、「外国みたい」と感嘆され、「陸の孤島」は10年足らずで「あこがれの千里」に変身してしまいました。 それと(これはきちんとした検証が必要ですが)1970年代の大阪は革新府政が続き、地価は著しく高騰したのに公的住宅の家賃は政策的に低く抑えられたことも、「おトク感」を増したと思われます。1980年前後に府営住宅と一部の公団住宅では増築が行われ、定住化を決定づけたとも言われています。 そして「同じ世代ばかり」の住民構成は固定化しました。1973年11月には、オイルショックを受け、「トイレットペーパー騒動」が千里ニュータウンから全国に波及しました。これは「新しい町で住民の絆が弱かったからパニックが起きた」のでは決してなく、むしろ逆だったと僕は考えています。「同じ世代ばかりだったから団結心が強く、情報の回りが速かったから」ではないか?(こちらにも私の経験談と考察を…) 千里の住民は高度成長期に全国から大阪へ出てきた人たちが多く、出身地は実に多彩でした。にもかかわらず住民がバラバラにならなかったのは「世代が同じ」という強い共通点があったからです。高度成長期・人口増加期のシステムでは、「世代が同じ人間はまとめる」やり方は効率的でスピードも上がりました。マーケティングでも「世代で切る」方法は長い間主流でした。 これって「大学の部室みたいな町」と考えると、わかりやすいんじゃないかと思います。 決定的な権威者がいなくて、近い年齢の人間ばかりが集まっているから、万事話が早い。盛り上がりやすくて、シガラミがなくて、すごく楽しい。だからよけいに引っ越したくない。だけど少し引いて見ると、異世代を受け入れる多様性に欠けているし、どこか内輪的…。良くも悪くも「千里ニュータウン人気質」を考えると、まったく万年大学生みたいだと、今さらながらに気がつきます。 さて楽しく暮らしてきた万年大学生たちも70歳前後になり、いくらなんでもこのままでは町の活力が減っていく…ということに気がつき始めました。子世代も多くは出て行きました。さあ、どーする? ここで一つ前向きなことを言うと、都市部で同じ世代ばかりが多いという特徴は実に「プレ団塊」的であり、千里ニュータウンの第一世代(65-75歳前後)の暮らし方、生きがいの見つけ方を観察すれば、全国の団塊層に大きなヒントになるのではないか、ということです。 千里ニュータウンはいま、住民が思っている以上に全国から再び注目されています。それは単に「ニュータウン問題」の枠を超えて、社会を変える年齢集団の兆しを、ジャーナリストや研究者たちが嗅ぎ取っているからではないでしょうか。 |
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そ〜なんですよねぇ。。 |
いつも読んでおります 2008/02/25 13:28 |
自治会、ほんとうにおつかれさまです!所得による「強者」「弱者」と、昔からいて顔がきくかどうか?の「強者」「弱者」は必ずしも一致しないような気がしますが(タテヨコで4グループできるのか?)、何にせよバラバラにならないために、間に立つ人間は苦労が絶えません…今の40代って、仕事場でも団塊世代と団塊ジュニアに挟まれたりしてるんですよね…トホホ。世の中全体がそうなのであれば、時には仏のごとく、時には阿修羅のごとく、この巡り合わせも修業のうちだと達観して、放り出さないでやってくしかないですねえ。住民を小分けにしてったら、結局どのグループも行き詰まる感じがします。僕もブログがんばります…。 |
okkun 2008/02/25 14:14 |
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