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遠いところへ行った友達に

2008/04/20 19:57
画像土曜日は昨冬に早世した青中の同級生を偲ぶ会がありました。彼女は絵描きで、「型絵染め」や「刷り絵」と言われる手法を使って季節によりそう草花を美しい作品にしていましたが、病に斃れたのです。

青山台のモダンなUR(公団)の一室でとても日本的な絵を描いていたのですが、自然を身近に感じる感性はニュータウンが育てたものだったでしょうか。

青中の同級生が20人あまり、首都圏など遠くからも集まりました。卒業から33年…当時と住所が変わっていないのは1割以下、ニュータウン内で転居している人を合わせても2〜3割、親がまだニュータウンに住んでいたり、自分もニュータウン周辺に住んでいるなど何らかの「縁」が残っている人を入れて半分、残り半分は、今はニュータウンと縁が切れている…といった比率でしょうか。33年でそれだけの移動は多いと見るか、少ないと見るか…。

僕らの世代は千里ニュータウンの中で一番多かった子供世代より少し上になりますから、同級生の動向を見ていると、ニュータウン第二世代のボリュームゾーンがこれからどう動いていくかをある程度察することができます。

明るい会にしようとしばし話に花を咲かせたのですが、故人の話や昔の思い出はもちろん、団地建替、親の介護・看取り、遠近両用コンタクト、子供の受験、孫ができた同級生…そんなことが話題になりました(一方で孫ができる話をしている時に、独身ってのはなんだか座りが悪かったりします…)。気がつくと、これから建替が進む団地のどの棟にも、誰か同級生が住んでいたような気がします。ベランダからは隣の棟の家が全部見えて、誰の家では晩ご飯は何時ごろか、そんなことも皆お互いに知っている関係でした。

先生も来られました。先生は今で言う「団塊の世代」ズバリで、同僚の先生はとにかく同世代ばっかりだったと。なんでも皆でやって、わけもなく熱くて、カタチができていない新設校でも面白かったと。1970年代前半の青山台中学校は、そういう学校でした。

「高齢化した親ともう一度同居してニュータウンに帰りたいけれど千里は物件が少ないし高いから…」という話も複数の同級生から出ました。こういう話を聞くと、団地建替が一刻も早く滞らずに進むことを願いたい気持ちになります。人が町に住み続けるためには、郷愁だけを語っているわけにはいきません。

全体の1割もいない、昔と同じ住所に住んでいる同級生の一人としては、千里ニュータウンの変化をしっかり見届けて、遠くへ行った友達が帰ってきたときや空の上から見たときにガッカリしないような町であるように、少しでも何かできることをやろうと。

絵描きの故人には足元にも及ばない「絵」ですが、公民館に咲く「花蘇芳」の画像を、この記事には添えることにします。花言葉は「豊かな生涯」。
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町を守る心(1943年3月25日・神戸魚崎)

2008/01/17 02:23
画像
彩都の連載中ですがきょうは1月17日ですので…。

私の母の実家は神戸魚崎(うおざき)にあり、13年前の阪神大震災で全壊しました。(私自身も芦屋で震度7を体験しました。)叔父・叔母はからくも助かり、春先ごろだったでしょうか、ダンボールいっぱいの古い写真を千里まで持ってきました。「瓦礫の下から引っ張り出したんだけど仮設住宅に置く場所もないから…」ただどさっと埃だらけのダンボールに詰め込まれた大量の古い写真…。そーっと出して見てみると明治中ごろから昭和40年ごろまでの写真がごちゃごちゃに入っていました。震災の前の年に亡くなった祖父と、万博の年に亡くなった祖母が取っていたもののようです。預かってはみたものの…貴重な内容であることは察せられたものの、どうしたらいいのか…。なすすべもなく歳月がたちました。やがてパソコンが普及してきて、とにかくこれは全部データにしようと思い立ったのが2000年ごろ。数年かけて2000枚あまりをスキャナで読み込み、傷みを修整し、慎重に「似たもの集め」をして年代順を推定し…親戚の中で一番古いことを知っていた長女の母に聞き取りを始めましたが、母は体調を崩し、半分ぐらいの話を聞いたところで2005年に時間切れとなってしまいました。

この写真は戦争中の昭和18年春、阪神魚崎駅の南西、住吉川のほとりで撮られた記念写真です。写真の裏にはっきりと撮影日が刻印されていました。町内会の消防訓練のようですね。たくさんの写真の中でもさすがに戦時中のものは少ないのですが、これは珍しくしっかりとした用紙に焼き付けられた大判の写真です。戦争が始まって1年4ヵ月、まだ物資の困窮はきわまっていなかったのでしょうか。私の祖母も防空頭巾をかぶって写っています(後列右から6人目)。

魚崎は空襲で焼けた部分もあり、震災では大きな被害を出しましたが、この写真を見て思うのは、どんな運命に巻き込まれても人々は自分の町を守ろうと尽くしてきたということです。戦時色を強く感じさせる写真ですが、「お国のため」というよりは、自分たちが暮らしている町を自分たちで守りたい、という意志を僕は強く感じます。

その気持ちがあれば…その気持ちだけが…町を何度でもよみがえらせるのだと、母が育った魚崎の町の人たちに…瓦礫の下から出てきたこの写真に僕は教えられるのです。
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「ひがしまち街角広場」という空間

2007/09/16 02:02
画像こちらは新千里東町の近隣センターにやってきました。藤白台一丁目交差点から徒歩20分ぐらい。

この一角にひがしまち街角広場というコミュニティ・コーナーがあるのをご存知ですか?なんて説明したらいいのか?…空き店舗を利用した一見喫茶コーナー…いれたてのコーヒーが一杯100円で飲めます…。でもそれだけじゃなくて、夜はNPOやグループの活動拠点になったり(ニュータウンの自作絵葉書売ってるのもその一環!)、ニュータウンやまちづくりの勉強をしている学生が情報を求めて遠く東京からもやってきたり、学校帰りの子供が「おばちゃん水ちょうだい!」と駆け込んできたり、高齢の方が散歩に来たり…まあ異世代ごちゃごちゃの不思議空間です。東町は千里中央を擁することもあって建替も千里ニュータウンで一番進んでいるのですが、前からの住民と新しい人が出会う場にもなっているようです。

この空間、最初は国土交通省の「歩いて暮らせるまちづくり」の実験の一環ってことで始まったようですが、期間終了後も「この空間は絶対必要だから」と関係者ががんばって住民の自主運営に代わり、補助金なしでもう6年目…。実は「まちづくり」の分野では全国的に有名な事例になっていて、検索で入れてみたらわかります…。

「有名な場所!」と思って行くと、あまりにゆるゆるの雰囲気で拍子抜けすること間違いなしですが、何度も行ってボーッと座ってると、この「ナンデモアリ無目的空間」がすごく心地良くて、「ああ、昔の近隣センターってこうだったなあ…」と「味」がわかってきます。用もないのに立ち寄りたくなる場所が、町には必要なんですよね。2階には右のリンク覧にある「千里・住まいの学校」も事務所をオープンしました。

こんな空間が藤白台にもあれば…!と思うのですが(他の町にもあれば!と思う人は大勢いるようですが)、自主運営する「人のノウハウ」は簡単にマネできない…というのがまた一致した見解のようです。キーマンは赤井直(あかい・すなお)さんという、東町のことなら何でも知ってる元気な女性です。(象の写真を撮った方です。)

もし関心があれば、藤白台から歩いて行ってみれば…?いい運動になりますよ。月−土曜日のみ(日祝は休み)で、10時から16時までです。
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また逢う日まで…

2007/07/01 00:39
画像2月末〜3月はじめにレポートした佐竹台の公社住宅建替の第2期工事区画が、いま取り壊しの真最中です。

この団地群は阪急電車が新千里山(現・南千里)までだったころ、千里山からの竹林を抜けてパッと未来都市ニュータウンが開け、新しい終着駅に着いた電車を出迎えてくれた団地でもありました。いま、電車の中から取り壊しの様子がうかがえます。

この区画に住んでいた方は、ある方は他の町へ、またある方は第1期(後方)の建替区画に移り住み…少しずつそうやって高層化しながら移転を進め、最後に余剰地を生み出して民間に売る…という手法は藤白台ほかでいま計画されているのと同じ手法です。この第2期ができたら、南側の第3期の方がここに移ってきます。

…と、この区画をウロウロしていたら、ここにお住まいのOさんにばったり出会いました。「藤白台はあとからやるぶん、よ〜く観察して佐竹台よりええの作ってや!」と激励の言葉をいただきました。60代で前向きな姿勢、頭が下がります。

40年以上なじんだ団地はいったん姿を消しますが、新しい建物ができて、また逢う日まで…。いつも未来を見てきたニュータウン住民に「いい未来」がありますように。
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ここでしか救えない命

2007/05/22 01:43
画像藤白台五丁目にある国立循環器病センターは、循環器では日本でも唯一の特定機能病院ですから、日本中はもちろん、海外からも難しい病気を持った患者さんがやってきます。きょうの朝日新聞のサイトに、イラク人のお子さんを2名、治療のために受け入れたとの記事が出ていました。

戦争が続く遠い外国から藤白台へ…長期入院は国勢調査でも病院が住所として扱われ、ですから無事退院して帰国されるまでは、この2人の子供も藤白台五丁目の住民です。手術の成功を心から祈り、静かに見守りたいと思います。外国で暮らす不安が、少しでもやわらげられますように…。
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たんぽぽのじゅうたん

2007/05/11 13:46
画像団地の間にも、いっぱい緑がある千里ニュータウン…たんぽぽものびのびと咲いてます。

これはセイヨウタンポポなのかカンサイタンポポなのか…?僕は見分け方がわからないのが残念!

ちなみにニュータウンからは少し離れていますが、JR吹田駅の近く、錦通商店街に「カフェたんぽぽ」というコミュニティスペースがあります。最近ブログを始められ、「孫つきor介護つき還暦直前、市民活動大好きバーバ3人」を名乗るメンバーは元気いっぱい!ネーミングの心は「踏まれても負けない」だそうです。
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春の遠足

2007/04/18 01:54
画像去年の12/11付でも芋掘りの情報をいただいた四丁目のNさんから、また楽しそうな写真とコメント(青字)をいただきました。

菜の花畑で、ハイ、チーズ!!

藤白台小学校の元気な児童達と一緒に、生駒に行きました。オタマジャクシ、サンショウウオ、カブトムシの幼虫6ひき、親指サイズの大ナメクジ、土筆の大群生、メダカ、カスミサンショウウオの卵、アカガエルなどなど見つけたり、捕まえたり。親も子供も大喜びでした。そして最後に菜の花畑の前でハイ、チーズ!場所は違っても、何かとても懐かしい風景に思えるのです。

昔の藤白台にも、こんな黄色の背高泡立ち草が咲き誇る中、走り回っていたことがありましたね。藤白台は今でもとても自然に恵まれていることを、誇りに思います。今も昔も、子供は自然たっぷりの中で育てたいのです。


Nさん、ありがとうございました。こんな楽しいシーンがありましたら、どうぞ右下の「メッセージを送る」でご一報ください。

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北千里は燃えていた−天皇杯

2007/01/02 03:08
画像元旦の千里NTはまだ町もひっそりしていましたが、そこだけやたらと熱気が集まっていたのが北千里駅前のサッカー天皇杯パブリック・ビューイング!(昔で言う「街頭テレビ」ね…)

ディオス北千里は万博競技場をホームグラウンドとするガンバ大阪を、地元商店街としてずっと応援してるんですよね。結果は惜しくも…で、用意していたクス玉も割られませんでしたが、若い家族連れを中心に大勢集まっていました。

実はサッカーだけでなくスポーツ全般に弱い私の感想は…「なんだ、高齢化千里オールドタウンなんて言ってるけど、ちゃんと若い人を集める仕掛けを作ったら若い人が出てくるじゃん!」という、ガンバの熱烈なファンにはまことに焦点のズレた感想だったのでした。

千里NTは65歳以上高齢化率が26%なのですが、残り74%は64歳以下というわけだし、北千里界隈にけっこうある大学や高校に通ってくる人は「住民」のデータには入らないわけだから、若い人が楽しめる「仕掛け」を作ることがいかに大切かってことですねえ…。

どうも最近の日本は若い人のほうがマイノリティーみたいになっちゃってる気配が濃厚で…「若い熱気がムンムン」というシーンを久しぶりに見たら、なんだかおじいさんみたいな感想になってしまいました。
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自宅で芋掘り!

2006/12/11 00:34
画像きょうは四丁目のNさんからご提供いただいた「自宅で芋掘り9家族大集合!」の写真をお届けします。

いや〜楽しそうですね。以下Nさんからのコメント(青字)もいただきました。

掘ります、掘ります、芋はどこじゃ。子も親も、必死です。大きい芋が見つかるたびに、子供も誇らしげな顔になり、親も頬がゆるみます。

終わったあとは一家族一品の持ち寄りpartyで、親も子もみんな満腹になったとか…。

子供の数が減少し、かつ子供の遊びが変わることで、子供同士のふれあいの形態も変わりつつあります。そんな中で、「良い子供はいい地域の中で育ててもらう。良い地域とは良い親や子同士のふれあいから始まる」ということを、信念にしたい。親も、子育てと仕事の中で本当に余裕のない中からも、参加してくれていると思います。

ニュータウンのことを研究している大学の先生が「人は家に住むのではなく、町に住むのではないか?」とおっしゃってたのですが、こういうことかもしれないなあ…。

Nさん、情報提供ありがとうございました。こんな楽しいシーンがありましたら、どうぞ右下の「メッセージを送る」でご一報ください。
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