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アラウンド・藤白台
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日本で最初のニュータウン、大阪・千里ニュータウンと、日本&世界のニュータウンを一緒に探索しましょう!
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霧のニュータウン

2016/11/20 11:19
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朝起きたら窓の外が雪!?…いいえ、霧でした。こんな景色と暮らせることを感謝しないとね。
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「千里ニュータウン秘宝展」@南千里(-11/27)

2016/10/14 03:22
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大変ささやかな展示ではありますが、「ニュータウンらしさ」をぎゅっと集めた企画に協力していますのでご案内します。場所は千里ニュータウン情報館。南千里駅改札を出て左に徒歩30秒!
・今回初めて、バスオール3代が南千里に集合します。(全国でもたぶんここだけ…)
・初公開!こないだまで山田駅前にあったD棟の美しい住棟番号!
・万博当時の珍しい阪急電車の表示類(9年ぶりに揃い踏み)
今週末、10月15日(土)と、11月12日(土)は私も展示解説いたします。
両日、14時からと15時からの2回ずつ!

情報館、けっこう貴重な資料がつまってるのですが、使い回しがきくように簡素に作りすぎて(っていうか予算もつかず)、いい場所にあるのにもったいないことになってます!少しでも価値を再認識していただければと。ここがなくなったら、千里ニュータウンの情報、ちりぢりばらばらになっちゃいますよ〜!そうなったら取り返しつかないです。

協力いただいた吹田市立博物館、sさんと、予算もないので目立たねばいかんと考えたこんなタイトルを通していただいた吹田市の皆さんに感謝します。…って、僕のほうが吹田市に協力してるんだった!
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帰ってきたときガッカリしない町に(ブログ10周年)

2016/08/14 13:10
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最近は年に数回しか更新せず、それも「お知らせ」がほとんど…になっている枯れた味わいの当「アラ藤」ですが、昨日、開設から10周年となりました!

2006年から2016年へ。この間、藤白台は大きく変わりました。なんといっても大きいのは団地(集合住宅)の建替が進んだことです。北半分の公社住宅800戸は、OPH(公社のモダンな名前)約500戸と、民間分譲マンション約500戸に生まれ変わり、10年以上かかった建替は最後の分譲入居がこの秋に終わります。

南半分の府営住宅は北半分とほぼ同数の建替がまだ続いていて、あと5年以上はかかりそうです。1,000戸以上の(人が暮らしている)住宅を造り直すという、まさに「大プロジェクト」ですが、この間、私も自治会やら何やらでもみくちゃになりながら、とにかく藤白台、ニュータウンが「いい形で続いていくこと」を考えてきました。さすがにこれだけの新規住宅を供給すると、明らかに「若い家族」が増えてきました。藤白台を楽しんでほしいなあと思います。

きのうはちょうど、地元の公立中学校(って一つしかないけど…)の学年同窓会でした。忘れないようにオリンピックの年にやることになっているのです。卒業から41年、ばらばらに散っていった同級生もちらほら戻ってくるようになりました。僕らはこの町に育てられて、帰ってくる場所があるのは幸せなことだと思います。それは「あたりまえのこと」じゃないんです。

町は生きているかぎり、姿を変えていく。同級生だって「アラ〜若いわ〜変わらないわ〜」「いやいやそっちこそ!」なんて言ってても変わらないってことはありません。それはお互いさまで誤魔化してるだけです。でも、再会したとき、ガッカリしないようではいたいというか、「変わったけど本質は変わらないな」っていうのが理想的なんじゃないでしょうか?僕は藤白台やニュータウンが「今に生きる」ために変化を恐れず、でも本質は変わってなくて、本質を守るためには外形は変わってもいいんじゃないか…と思います。時代はどうしたって、変わるんですから。

「今すぐみんな帰っておいで!」っていうのは無理だとしても、せめて帰ってきたときにガッカリしない町であるように、これからもいろいろやっていきたいなと思います。あ、本も書いてますからね。だいたい75%ぐらいは書けた感じ…。早くしなくちゃ、10年なんてあっという間ですね。(8年前にすでに宣言しているじゃないか…汗)

写真は今年新装なった、ふじのき公園の「すべり台」です。このタイプの「ジントギ」(人造大理石)って、今は職人さんが少なくて造るのが難しいらしいですが、ひびが入っていたものを50年前と同じ工法で一から新調し直していただけました!自転車やボードなどで危険な滑り下りができないように、黄色のバーがつきました。地域の愛着が届いたようです。遊びに来てくださいね!
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自分の町を知るということ

2016/04/04 02:52
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3月末で藤白台小学校の校長先生が定年退職されました。開校以来51年間で何代目の校長先生になるのでしょうか。2014年の「藤白台まちびらき50年」で小学校と自治会のつながりがずいぶんできて以来、僕は卒業生で50年間の変化を知ってて今も藤白台に住んでいるために何度か小学校に呼ばれて話をする機会をいただきました。

校長先生には、印象的な言葉をいただきました。子供たちは、自分の町を通じて社会への信頼を獲得するというのです。自分の町が安心できる場所であれば、子供は自信を持って社会にはばたいていける。だから自分の町をよく知っていることはとても大切なんです…という言葉に背中を押されて、藤白台のこと、千里のこと、自分の仕事の話などもしました。そうなんです、自分の町が信頼できなかったら、その向こう側にあるばくぜんとした「社会」が大丈夫だと思えるわけないんですよね。だから大人は町内でケンカなんかしちゃいかんのです。

子供はさすがに(大人と違って)、まるでスポンジのように僕の話を吸収してくれて、あとで渡された感想を読むとあまりにも克明に話の内容を受け止めているので(母校だと思うとますます)ドキドキ引き締まる思いがしました。

3月31日の晩も、遅くまで職員室のあかりがついていました。春休みでも先生にはいっぱいやることがあるのです。3月31日の夜までがんばる人に、新年度がいい1年でありますように。先生、ありがとうございました。

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北千里はどこへ行くのか

2016/02/29 02:46
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まったく気まぐれな更新ですが、今年に入ってから北千里駅前(北地区センター)の変化が激しくなっています。

まず、マクドナルドが閉店しました。小さな変形スペースでよくもっているなあと思っていましたが、ずいぶん昔からあり、ここで学校帰りにおしゃべりした人も多いのではないでしょうか。つぎに、1月末で田村書店が店を閉めてしまいました。最初からあった駸々堂が2000年に倒産したあとを引き継いで最初は3階に開店し、そのあと1階におりてきてかなり大きな面積を取り、専門店の中ではコア的な存在だったのですが、突如閉店。書店はネット化の影響が大きく、そういえば僕もいつのまにか北千里で本を買うことが減っていましたが、経営がきつかったのでしょうか。千里中央や南千里の田村書店は閉めていません。あれあれと思っているうちに、こんどは2月末で、1967年以来あったピーコックが、コーヨーに看板を変えることになりました。イオン傘下に入ってから北千里駅前にはイオン系列の店が2つあることになり、どうなるのかと思っていましたが…。コーヨーは少し高級路線らしいので、イオン本体とは住み分けをはかっていくのでしょうか。

なじみのある看板がつぎつぎと変わって、さびしいというか、北千里どうなるのか?という思いです。

北千里駅前は1967年の駅開業から順次お店が増えて、1994年にはビブレができたり専門店街を一部建て替えたり大幅にリニューアルしましたが、以来はや20年あまり…。再度テコ入れの時期に来ています。

北千里から商圏が重なっていた箕面、茨木、山田、万博方面にもいまでは大きなモールがたくさんできて、このあたりはオーバーストア状態。かつては北千里に出ていた箕面市東部の人たちも今は分散してしまって、北千里三地区(古江台、藤白台、青山台)と小野原の人たちが来るぐらいに商圏は縮小しているのではないでしょうか。小野原にもずいぶん店が増えました。それに、いつのまにかネット+宅配で買物することが増えたという社会全体の変化もばかになりません。つまりもう北千里の利用者は増えない。そのなかでどうしっかり地元に愛されていくか、ということです。

今やるべきリニューアルは、もう建物やお店を増やすことではなく、物販よりサービスに軸足を移して、人のにぎわいを改札に近い場所に寄せてコンパクトに使いやすくすることじゃないかと思います。府は所有する不動産を処分したいようですが、ずいぶん端のほうにある市のコミュニティ施設(公民館、図書館)を1番館に移したらどうなのでしょうか。10年以内に耐震補強をしていますから、これはまだ使えるでしょう。建替で若い住民を増やそうとしているのに、駅前保育がないのも次世代への視点を欠いていると思います。

新しく看板を出す店にはしっかりやってほしいし、できれば本屋にはまた改札近くにどこかがいい店を出してほしい…。大学を複数抱えて、駅前の路面に本屋がない駅なんて、それは地元の努力不足でしょう。

※(2016/3/17追記)「看板を変える」は間違いで、「事業会社を(イオンマーケットから光洋に)承継するけれどお店のブランドは変わらない」ようです。光洋もイオンの子会社なので、グループ内での事業再編です。3日間営業を止めるとまで予告されていたので勘違いしましたが、まだピーコックの看板のままでやっています!「株式会社光洋の運営するピーコックストア」になったということです。ただ他店舗では徐々にピーコックストアからKOHYOに看板も変わっていっているようなので、北千里もいつまでピーコックのままかはわかりません。お詫びして補足します。
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「千里キャンドルロード2015」、無事終了しました。

2015/11/09 02:22
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千里ニュータウンの人口にちなんだ90,000本のキャンドル。行っても行っても行っても行ってもキャンドルの海!このスケール感を、とても僕の写真でお伝えすることはできません。(ほんとに伊丹発の飛行機で上から見たいぐらい!)千里キャンドルロード2015、11月7日、無事終了しました。(お天気も何とかもちました…なんと4年連続、翌日は雨!)「千里ニュータウンまちびらき50年」のイベントの1つとして始まって、今年は4年目。今年はとりわけ大勢の方に来ていただいて、千里の名物イベントとして輪が広がっているのを感じます。(公式サイトは→こちら

広い公園があるからできる、1,000名以上の方がボランティアが来てくださるからできる、豊中・吹田両市の職員や、協賛金を出してくださる皆さんの支えがあるからできる、アイデアと実行力のある市民が1年間かけて知恵と汗を出し合うからできる、これはまさに「千里ニュータウンならでは」のイベントなんです。4時間キャンドルをともしてさっと跡形もなく消えるあたりも、「万博の町」千里らしいです。

「ニュータウンはいまやオールドタウンでもう終わったもの…」とかいう論調がたまに見受けられますが、そんなこと言ったり書いたりしてる連中に「これを見てから言え!(書け!)」と言いたいです。人の思いが集まらなければ、こんなことできっこありません。これはまさに「千里への愛」の表現でしょう。

僕もスタッフの一員として、来てくださった皆さん、支えてくださった皆さんに心から感謝を申しあげます。だんだん来る人が増えている「千里キャンドルロード」、来年はどうなるでしょう?90,000本の根拠になっている千里ニュータウンの人口も、この秋の統計更新では10万人を超えてしまうかもしれません…(汗)
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「千里キャンドルロード2015」は今週土曜(11/7)!

2015/11/03 22:11
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4年目になった千里キャンドルロード!今年は千里中央・セルシー広場から、ずううっと遊歩道(東町のこぼれび通り)をつたって千里中央公園まで!メイン会場は千里中央公園。あわせて90,000本のキャンドルが千里の夜を照らします。点灯時間帯は16:00〜20:00ごろ。「見るだけじゃなくて手伝いたい!」という方は、当日受付OKですので本部テントまでお越しください(保険をかけるので氏名登録は必ず必要です)。朝から消灯後の片づけまで、来られる時間にお越しください。やることはたくさんあります!

公式サイトは→こちらです!

皆が参加して盛り上げるのが千里らしい千里キャンドルロード。本部テントでお待ちしていま〜す。
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「アイデアいっぱい!千里の一戸建て」展@千里ニュータウン情報館

2015/10/17 16:34
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南千里駅改札から徒歩30秒の千里ニュータウンプラザ内に「千里ニュータウン情報館」があるのをご存じでしょうか?ニュータウンに関する資料を集めている市の施設で、けっこう珍しいものあるんですが、こちらではただいま秋の特別展示「アイデアいっぱい!千里の一戸建て」をやっています。
約6,000戸ある千里ニュータウンの一戸建て。高齢化してるとか空き家の問題とかいろいろ言われますが、ハイレベルに計画されたまちなみに、それぞれ素敵なアイデアの宝庫でもあります。その実例をご紹介しつつ、まちなみ設計のセオリーとか、開発から半世紀どんなふうに変わってきたのかとか、分譲当時のパンフレットや初期のプレハブハウスの模型や…お気軽にお越しください。千里の暮らしの「エッセンス」がわかるかも?
9:00-17:30。11月29日まで。入場無料。11月21日には「アフタヌーントーク おしゃれに楽しむ千里の戸建ライフ」もありますよ!
(この展示は、僕も関わっている「情報館ファンクラブ」が市から委託を受けて企画運営しています。)
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ふじのき公園の大すべり台にうれしいお知らせ

2015/06/08 00:30
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大変気まぐれな更新でまことに申し訳ありませんが、ふじのき公園の大すべり台にうれしいお知らせ!藤白台で育った子供なら誰でも知ってる、この「一度に15人でも並んですべれるすべり台」ですが、設置以来ほぼ半世紀を経て、少なくとも2001年の時点ではタテに大きなひびが入っていて(コンクリで応急措置がしてあります。そこだけザラザラしてる)、ほかの住区の同様のすべり台は撤去されたところもある中、心配していましたが「大すべり台のまま」改修されることになりました。

吹田市の管理課は当初、一人づつ滑れるすべり台への更新を打診してきたようですが、自治会では現状を保った状態での更新を希望。このすべり台、「ジントギ」と言っていま同じものを作り直すとおカネもかかるようなんですが、たまたま自治会の集会室に50周年で展示したこのすべり台の昔の写真(子供が大勢で滑ってたころの…)が貼ってあり、「これを見たら狭くしていいとは言えませんわ」と方針を再考してくださったとのことです。うれしー!

工事車両をどこから入れるかとか、これから具体策を検討するとのことなので実際には秋ごろの工事になりそうですが、あー!よかったー!

建替でこれから越してくる子供にも遊んでほしいなあ。長く藤白台で暮らしてる家族にとっても、親が遊んだ同じすべり台で子供も遊べるというのは、ニュータウンにとって大切な物語になるんじゃないでしょうか?

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「写真で見る藤白台の50年」(12/7・一日限り!)

2014/12/06 21:41
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わが町・藤白台が総力を挙げてお届けする「藤白台まちびらき50年記念フェスタ」。(詳細はこちら!)送迎バスまで出す力の入れようで、いよいよあす、12月7日(日)に行われますが、ロビーでは「写真で見る藤白台の50年」も同時開催されます。展示作業おわった〜!あとは皆さんの来場を待つばかり…。この機会に各方面にお願いして集めた「めずらしい・なつかしい・見たことない」写真のかずかず!一日限りの開催ですから、ぜひお越しください。藤白台50年の写真はこちらにも集めていますが、諸般の事情でコレクションがやや異なります。大判で、皆で見るとまた楽しいですよ〜!

万博公園からお借りした「なつかしの万博写真展」も同時開催。藤白台は万博公園の隣町ですからね…。選挙の際も藤白台の投票所は毎回、「千里万博公園」のほとんどを含むことになっています。

…というオタク話はさておき、お待ちしていま〜す!

12月7日(日) 10:00開場 10:30-16:30
千里金蘭大学 佐藤記念講堂

(藤白台五丁目・アクセスは→こちら
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藤白台まちびらき50年

2014/12/06 02:29
藤白台は、前回の東京五輪や新幹線開通と同じ1964年の5月22日、一丁目の府営住宅に人が入ってから今年で50年となりました。(その年の10月18日には僕も越してきました。)その翌年、1965年春には藤白台小学校も開校しました。今年は「地域と学校の50周年」を記念して、いろいろな関連事業が行われています!この機会に「藤白台のホームページ」もスタートしましたし(「中の人」の一人は私です…)、11月29日には小学校の50周年記念式典もありました(心がこもった、すばらしいプログラムでした)。

そしてこの日曜、12月7日!地域の50年記念フェスタが、にぎにぎしく千里金蘭大学佐藤記念講堂で行われます!みなさん、来て来て〜!1400人も入る会場、誰でも予約なしで来られます!(クルマでは来ないでね)
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プログラム、アクセスなどの情報まとめはこちら。なつかしい「50年の写真」のパネル展もあります!

ホームページ上のギャラリーも、順次充実中。これからも活発な藤白台でありますように…。
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「千里ニュータウン情報館」をご存じですか?

2014/11/18 02:52
千里ニュータウンがずっと活気ある町であってほしいとこんなブログを書いている僕ですが、千里ニュータウンのことがかなりまとめてわかる「千里ニュータウン情報館」をご存じですか?阪急南千里駅の改札からなんと歩いて30秒!(改札を出て左)「千里ニュータウンプラザ」の建物に入って、改札と同じフロアの左奥にあります。

ここでは通常展示のほかに春と秋、特別展示を行っていますが、ただいま僕も参加している「情報館ファンクラブ」が公募でお手伝いして「ニュータウンを元気にした50のアイデア」をやっています!千里から27、千里以外から23、僕が全国を訪ねて集めてきた事例も多数!
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11月24日(祝)には、泉北、西神、明舞のニュータウン(大規模団地)からも集まっていただき、「関西ニュータウン人縁卓会議」をここでやります!
●2014年11月24日(月・祝)13:30〜16:30 ●千里ニュータウン情報館
申込不要・入場無料

千里や、千里以外のニュータウンで、いまどんなことが課題になって、どんなアイデアが実行されているのか…?そこで暮らしてる人がレポートするんだから、これは「最前線」の話ですね。皆さんのお越しをお待ちしています。展示も11月30日までやっていますから、24日は行けないやという方も、ぜひどうぞ。来られたら入口の訪問者リストにお名前を書いていただければ。情報館の利用者人数にカウントされ、それは運営にプラスになります。チラシは、こちら
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「千里キャンドルロード2014」は今週土曜(11/8)!

2014/11/06 17:10
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千里ニュータウンの人口にちなんだ90,000本のキャンドルを公園にともす千里キャンドルロード!今年もやりますよ〜。今年は千里南公園!(去年と違うので気をつけてね)点灯時間帯は16:00〜20:00ごろです。僕も微力ながらお手伝い…。見るだけじゃなくて「キャンドルを並べたい!」「つけたい!」という方はできるだけ点灯時間帯の前に、千里南公園北東側の円形広場テントにお越しください。いきなり来ても、大丈夫よ(ボランティア保険の関係があるので氏名は必ずテントで登録してください)。

公式サイトは→こちらです!

一緒に千里ニュータウンをもりあげて、忘れられない思い出を作りましょう!(それがニュータウンのスピリット)

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「藤白台のホームページ」ができました。

2014/10/05 14:52
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「夢の超特急」が開通し、1度目の東京オリンピックが開催されたメモリアルな1964年。藤白台は「まちびらき」されました。(「まちびらき」っていうのは、最初の入居者を迎えたってこと!ニュータウン開発前の藤白台は人家は一軒もなく、山田村の人たちの田畑や竹林、雑木林があるのみでした。)藤白台に最初に入居したのは、記録によると一丁目の府営住宅の人たちだったようです。1964年5月22日のことでした。千里ニュータウン全体のまちびらきから約1年半後に、もう藤白台はスタートしたのです。

それから50年!藤白台まちびらき50年を迎えるにあたって、「藤白台のホームページ」を始めることになりました。ええ…提案しちゃったんですよ…「飲んで食って終わり」じゃなくて、ずっと使っていけるおカネの使い方があったほうがいいと思ったから…。ただいまご覧になっている「アラウンド・藤白台」は私の個人的オタク的ブログですが、「藤白台のホームページ」は公式と言いますか…50周年委員会や連合自治会、各種団体などで使っていく「地域のホームページ」です。

いろんな年齢の人に使ってほしいので、名前もベタに「藤白台のホームページ」としました。押すところが出たり消えたり伸びたり縮んだりすると高齢者はわかりにくいから、最新のタブレット風デザインじゃなくて、オーソドックスな作りにしてもらいました。(でもスマホやケータイでも見られますよ〜ん。)

さて「アラ藤」のほうも更新できてないのにこちらもちゃんと回せるのか…?ということがチョー心配ではありますが、協力していただける方も名乗り出ていただいて、とにかくやっていこうと思います!

「藤白台の日常」が知りたい方は、「藤白台のホームページ」のほうも、どうぞよろしく。12月7日には、誰でも参加できる「記念フェスタ」も千里金蘭大学の佐藤記念講堂でありますよ!
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梅雨の晴れ間

2014/06/08 22:50
画像唐突ではありますが、なんでもない府営住宅の情景!…と思っていたら、皆さんご存じのとおり藤白台の「団地」はどんどん建替が進んでいます。

…が、この写真に写っているB13棟の退去は、4年後、2018年頃になりそうだそうです(手前のアジサイの一角は今年のアジサイが最後かな〜。こちらのほうを先に壊して、そこに建てた新棟に坂の上の人たちがおりてくるダンドリ)。藤白台が団地建替の話題で騒がしくなってきたのは2006年頃で(当該住民への説明はその前からしていたようです)、それからもう8年…。しかし全部終わるのは、まだ6年以上かかるでしょう。トータルでは15年以上気が長い計画です。

古い団地がなつかしい人にはまだゆっくり余韻を楽しめそうですが!…とか言ってると、5年も10年もすぐにたってしまいそうです。
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雨の高蔵寺

2014/05/12 01:35
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このブログ、すっかり間欠泉のようなブログになってしまいましたが、私の千里における「ニュータウン活動」と、あちこちのニュータウン訪問はえんえんと続いています…。

写真は、GWに行った名古屋近郊の高蔵寺ニュータウン。この日はたまたま雨でしたが、歳月が育てた街路樹の新緑が雨のアスファルトに映えて、すばらしい迫力でした。人工と自然の調和は、ニュータウンの大きなみどころですね。高蔵寺は千里よりやや遅れぐらいのタイミングで開発された高度経済成長期を代表するニュータウンのひとつで、規模もけっこう大きいのです(千里の2/3ぐらい)。

僕のニュータウンめぐりも、思えば2006年の高蔵寺から始まったのでした。あれからもう8年もたっちゃったのか!
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ニュータウンのルーツの話をします!(2/22・土)

2014/02/21 03:20
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ブログを全然更新しないじゃないか…という間にも、私の「ニュータウン活動」は日夜続いていたのでした。実は昨年8月、建築の人たちにくっついて世界のニュータウンのルーツの「聖地」、ロンドン郊外のレッチワース田園都市にも行ってきたのでした。

なかなかまとまってご報告する機会がありませんでしたが、千里を考えて行動するネットワーク「千里市民フォーラム」のちょっと大きな集まりで、お話をすることになりました。2月22日・土曜日。14時から。場所は千里中央「コラボ」2階の集会場です。(詳しくはこちら!

千里が好きな人が集まる場で、そのあとは皆で「千里で何ができるか?」を意見交換したり、飛び入り歓迎の懇親会もありますので、ぜひお越しください!懇親会はワリカンですが、フォーラムは無料、予約もいりません。
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「千里キャンドルロード2013」は今週土曜(11/9)!

2013/11/05 00:11
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千里ニュータウンの人口と(およそ)同じ9万本のキャンドルをともす千里キャンドルロード2013。昨年の「まちびらき50年」に続き、今年も開催します!今年は千里中央公園。詳しくはこちらをどうぞ。

私が参加している千里の住民ネットワーク「千里市民フォーラム」が今年は主催することになり、この準備に関わっておりました。

昨年と違うのは、より住民がメインになったこと。今年も、豊中・吹田両市の絶大な人的支援をいただいていますが、去年のように「まちびらき50年」の実行委員会ももうないため、スポンサー集めから住民が走り回り、やっと開催にこぎつけました。「こぎつける」って、本当に「こぎつける」だなあと、しみじみ思います。

千里中央から続く「こぼれび通り」と、千里中央公園(体育館の北側あたり)が、9万本のキャンドルで華麗に変身します!コップの設置や点灯も市民ボランティアがやりますよ。時間のある方は、ぜひご参加ください。(中央公園は大変広く、展望台のあたりではやりません。体育館を目印にしてください。)

これを今年もやることになったのは、昨年のイベントがあまりに美しかっただけでなく、千里が素晴らしい町だとアピールできる絶好の企画だと、皆の気持ちが一致したからのような気がします。団地の大規模建替などが進み、千里ニュータウンの人口は10年ぐらい続いた89,000人から95,000人台まで回復し、若い家族も増えてきましたが、「町の再生」は建物を新しくするだけではできません。新しく来た人と前から住んでる人では年齢も世代も暮らし方も違うし、新しく来た人は知り合いがいないから不安でしょう…。そこには何か、人と人をつなぐ「共同作業」が必要なんです。

「あかりをともす」ことは、「まちをつくる」ことと、通じるものがありますね。51年前のニュータウン建設は大阪府がやったけれど、2013年のニュータウン再生は住んでる自分たちがやるんです。

そんな気分を背負いながら…一つ一つ、丁寧にあかりをともします。ご来場をお待ちしています。当日ボランティアも大歓迎ですよ。一緒にニュータウンの火をともしましょう。
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千里ニュータウンの「理想人口」は?−5

2013/06/04 03:26
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前回からつづく)

都心にも近く(千里中央から本町まで直線14km)新大阪も大阪空港も13分で行け、緑はふんだんにあって環境抜群…「日本で一番成功したニュータウン計画」と言われる千里ニュータウンに「弱み」などあるのでしょうか?

…あるんです。弱みは強みの裏返し。あまりの好立地に「土地が高くなりすぎてしまったこと」です。高度成長期、人口の増加と都市集中によって日本の都市部の土地は千里でなくても高くなりましたが、千里はそれに加えてインフラが整備され万博で一挙に有名になり、「無名の新人」から「あこがれの千里ブランド」にまで躍り出ることになりました。つまり「二重の高騰」があったわけです。

どれぐらい高くなったのでしょうか?(経済の専門家ではないので素人計算ですが…)個人的に当時の関係者に伺った話では「坪500円で買収した土地が、最終的には3万円で売れた」という数字を聞いたことがあります。1979年に制作されたNHK「新日本紀行」の『最初のニュータウン〜大阪・千里』の中には、その時点で「坪およそ80万円、最初に買った人の約40倍」というナレーションが出てきます。つまり元は坪2万円だった計算になりますね(1964年当時の戸建分譲資料によれば、100坪あまりでプレハブの上物つき400万円台という数字が出ています)。これを時系列に並べると…

1960年前後の買収時…坪500円
1970年までの分譲価格…坪2〜3万円(この間にもどんどん上がった)
1979年当時…坪80万円

最初の20年でなんと1600倍!「坪500円で買収した土地が、最終的には3万円で売れた」60倍分の落差に関しては大阪府に入った分で、大阪府は最初に借金をして造成やインフラ整備に巨額のおカネを使っていますから、この落差がまるまる儲けに回ったわけではありませんが、それでも府は「千里では儲けた」と言われています。

しかもまだ続きがあります。

1990年前後のバブル期、千里の戸建はだいたい「1区画100坪で3億円」まで上がったと言われていました。つまり坪300万円!これがはじけてその後「1区画100坪で1億円」(=坪100万円)まで約1/3に下落し、不動産のチラシを見ていると、その後じりじり下がって今はだいたい80万円ぐらいでしょうか…つまり1979年当時の水準まで戻ったことになりますが、それでも「最初に買った人の約40倍」であるわけです。坪3万円と比べても、約27倍。(これはあくまでも大雑把な一般論で、個別にはニュータウンの中でももちろん立地の違いなどで差はあります。)

一方、この間に一般的な収入はどれぐらい上がったのでしょうか?1965年当時と今とを比べると、「だいたい10倍」と言われています。千里の地価は27倍〜40倍、一般的な収入は10倍程度、この落差が「千里の不動産が買いにくくなった」プレミアム分ということになります。

「最初のころに買った人はトクをした!」と喜んでいる場合ではありません。千里ニュータウンは「すべての収入層の人たちに住む家を与える」ことが最初のコンセプトで、「まじめに働けば誰でも住むチャンスがある」のが趣旨だったのに、現状の実態はそこから大きくずれてしまっているのです。事実、最初からいるご近所は分譲の戸建でも一般企業の課長クラスだったり、小学校の先生だったり、魚屋さんだったり…そういった人たちでした。

最初のころニュータウンに入ってきた住民は多くが20-30代で、分譲住宅を買った人も30代〜40歳前後であったのに、いま、その年齢の人が千里に住もうとすると…とてもとても高くて「住めない」ということになります。検討の対象外。多少環境は落ちても、千里より安くて都心に近い場所はいくらでもあります。いま、8000万や1億の不動産を買える人はなかなかいないし、買える年齢は自然と上にあがっていきます。

…それで「若い人が来ない」とか言ってるのです。それって、おかしくないですか?千里ニュータウンの中には「街並みが乱れる」という理由で戸建の分割を禁じる協定を結んでいる地区もありますが、僕は開発当初からのコンセプトのズレを思うと…僕だってなじんだ街並みの美しさは壊れないでほしいですが…とてもそういう動きに単純に賛成できません。そんなことやってると、自分たちの首を絞めるのではないか?かりに地価の高騰分を27倍と見て、収入が10倍になったことを考えてあらっぽく調整すると2.7倍。同じ広さの土地を買う難しさがそうなっているとすると、1/2に分割してやっと1.35倍まで緩和されることになります。

土地の値段は当然集合住宅にも反映されます。かりに50年前と同じようなゆったりした建て方を今やると、それはとんでもない高級物件になってしまうのです。こんな経済情勢で高級物件を買える人は限られていますから、「大量には売れない」ということになります。千里という土地は「安く売ると採算が取れず、高く売ると客が集まらない」…なかなか難しい土地だと不動産関係の人から聞いたことがあります。客がつかなければ市場原理で地価は下がりそうなものですが、そこが千里の不思議なところで柔軟に十分下がらない。ギャラが上がりすぎた大物芸能人が、テレビに出にくくなるようなものでしょうか…。売れなくてもガマンして使わない不動産を持っていられる人がけっこういるのではないかとも言われていますが、それをやる人が多くなると空き家が増えることになり、町が活性化しません。

集合住宅が建替によって高層化されることは、僕は「タテの敷地分割」のようなものだと考えていますが、住宅が必要な30代…せめて40代の人が「買える値段」にしようとすると、昔と違って低層では成り立たない。千里で建替をすると必ず高層化されていくのは、こういった「50年間の土地の高騰」が背景にあることを見落としてはなりません。

土地がこんなに高くならなければ…「千里の再生」はまったく違ったものになったでしょう。しかし京阪神の真ん中にあって国土軸に乗っていて、あらゆる交通が便利だという立地は変わらないので、これは「土地の運命」のようなものではないのでしょうか。開発以来、千里は阪神間のトップラインにつぐ「関西で2番目に人気のある住宅地」でした。2番目というのは、芦屋のような高級路線だけでも成り立たないのです(芦屋だって実はいろいろあります)。「まじめに働けば誰でも住むチャンスがある」位置づけを保とうとすれば、敷地分割や高層化は必然的に起きてくることで、この位置づけを無視すると(無視なんてできないのですが)千里は「住めない町」になっていく…

僕も千里の景観がどんどん変わるのは複雑な気持ちです。しかし町は生きていくもので、「みんなの千里ニュータウン」として人口と活気を保っていくためには、必要な変化もあるのではないか。最初の精神を保つために、形を変えなくてはならないこともある。そのバランスを取っていくための試行錯誤は、これからも続いていくでしょう。
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新しい家、古い家

2013/06/01 23:31
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5月31日、2006年頃から続いてきた藤白台公社の建替が三期分まで完成し、三期分住民への鍵渡しが始まりました。現場の仮囲いもはずされ(5月31日の晩はまだ誰も住んでいないようでしたが)、エントランスや駐車場にもあかりがともりました。2年近くふさがれていた「ふれあいの道」も、藤白橋の下から小学校の正門前までは再び通れるようになりました(31日の晩、さっそく通ってきました)。

これで公社分の建設工事は終了し、最後まで残っていた小学校前のA15棟〜A18棟に住んでいた住民がこの新1号棟に引っ越し、解体工事に入ります。あとは2016年まで、旧A5棟部分からA18棟部分の土地に民間マンションが北から順に建設されていきます。ざっと、10年がかり!あと3年かかるわけですが、これまで7年かかってきたことを思えば…。

画像こちらはひっそりとした旧棟の入口。どこにでもあったこんな階段室も姿を消していきます。どの棟にも、友達がいました。こうやって、ニュータウンがまた新しいニュータウンに変わっていきます。建物の入口をくらべるだけで、48年分の「時代」を感じますね。

古い家が新しい家になっても、藤白台がずっと続いていきますように!全部の棟に、知り合いできるかなあ。
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千里ニュータウンの「理想人口」は?−4

2013/05/07 00:05
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前回からつづく)

日本の人口は2005年から減り始め「人口減少時代」に突入しました。その減り方は有史以来世界が経験したことがないほど急激なものになることが予測されています。そのような中で、都市郊外の「ニュータウン」は、どうなっていくのでしょうか?

「関西の経済は停滞していて、本社の東京流出と生産現場の海外流出は止まらない」「千里ニュータウンの立地の良さは変わらない」「関西でも人口の都心回帰が起きている」「千里ニュータウンは便利だから、もっと遠い郊外からの人口を吸い寄せるかもしれない」…千里に関してはプラスの要因とマイナスの要因が両方あげられます。

千里ニュータウンでは1975年からつい最近まで人口は減り続けてきた経験があるわけですが、では「人口が減るとどんなまずいことがあるのか?(あったのか?)」を考えてみます。

まず、町に活気がなくなります。人口密度が下がるわけですから、何をやっても人が集まりません。しょぼいパーティーみたいなものです。盆踊りも、体育祭も…。内容に関係なく、人が寄ってきにくくなります。

…いやそれは、むしろ静かで落ち着いた町になっていいのでは?という考えもあるかもわかりません。では学校はどうなるでしょう?…これはすでに千里ニュータウンの多くの小学校で経験していることですが、たとえば「全校児童170名、全学年1クラス」みたいなこと(実例です)。こうなると6年間組替えができません。サッカーや野球のようなメジャーなスポーツでも、2チーム作って対戦をすることが難しくなり、クラブ活動が困難になります。藤白台小学校では「上山田」から来る児童が全校の約半分いるのでこれほど極端な減り方はしていませんが、それでも今年の1年生は79名、やっとなんとか3クラス組める人数です。つまり上山田を除いた藤白台だけでは1クラス半しかいないということです。かつてはパンク寸前だった藤白台小学校も、いつのまにかそういうことになっています。

少人数教育は目が届いていいこともある…それもたしかです。しかしたとえばあまりに少ない児童数が続いてしまうと、学校統廃合という話が出てきます。これは全国のニュータウンで実際に起きていることです。いまや自治体はどこも財政にゆとりがありませんから。学校が統廃合されると、通学距離が長くなり、毎日の安全が下がります。時間もかかるようになりますね。送迎しようとすれば親に負担が来ます。何より多くの地域で小学校区は「地域のまとまりの単位」になっているので(たとえば連合自治会とか)、それが大括りになるということは、子供だけの問題ではありません。

お店も成り立ちにくくなります。お店というものは来やすい範囲(商圏)に一定以上の見込み客がいないと繁盛しません。これが成り立たなくなると、学校と同じで遠くの店まで行かなくてはいけなくなります。クルマを使える人はいいですが、歩いて通っているお年寄りなどは、毎日の買物にも不便をすることになります。いわゆる「買物難民」です。

お医者さんなどにも同様のことが言え、人口の減った町では徒歩圏内で万事生活が成り立ちにくくなっていきます。頼みのバスだって、お客さんが減れば便数を減らしたり、ひどくすると路線廃止にするかもしれません。…いったんこうなると(社会はますます高齢化が進むわけですから)こんな暮らしにくい町にはいられない…ということになり、転出が進んでますます人口が減る「悪循環」に陥ってしまいます。

廃校や買物難民や廃線や…そんなことは田舎の話だと思っていると、それはもう、都市近郊に迫っている話なのです。

ここで町には「決断」が求められます。その流れを受け入れて「縮小均衡」路線を歩むか、人気があるなら新しい住民を外から呼び込むか。…この選択ができるのは「もっと住みたい人がいる」エリアだけで、そうでない場所は前者を選ぶしかありません。しかし千里は関西では阪神間に次ぐ人気エリアです。「京阪神の真ん中にあり都心まで20-30分」「新幹線も空港も13分で行ける」という抜群の立地の良さは、時代が変わっても変わりません。いわゆる「国土軸」に乗っているニュータウンということで、千里は日本のニュータウンの中でも一番「都会にある」ニュータウンなのです。

では、その「弱点」は何でしょうか?

つづきは、次回!

(写真は建替前、2001年の藤白台近隣センター)
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千里ニュータウンの「理想人口」は?−3

2013/05/05 01:27
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前回からつづく)

いろいろ心ふさぐ出来事が続いてかつてないほど間があいてしまいましたが、考察を続けましょう。1990年代に入った頃から、千里ニュータウンでは団地(集合住宅)の大規模建替が課題になるようになりました。一部の分譲団地では、かなり早くから、高層化して法定容積率まで余裕があった「余剰床」を販売し、その代金で建替費用を出す…という手法が議論されました。この方法は少ない(ときにはゼロの)自己負担で家が新品に替わるマジックですが、まず当事者間でもめ、つぎに周囲ともめる…というケースが続出しました。まだ使える建築をもったいないじゃないか、いや、機能はもう古くなっている、高層化すると日照や通風が悪くなる、いや、これは法で認められた権利だ…。

このようなトラブルがあいついだことを受け、吹田市・豊中市では、やがて来る「大量建替時代」に備えて、住民の共通理解やガイドラインを作る動きが2000年すぎから進められました(こちらこちら)。千里ニュータウンは大阪府が造った町ですが、その中心となった企業局も2006年に解散し、この町の行政の主役は両市に移っていました。千里では土地が安かった時代に用地を取得したため、集合住宅は法定容積率までかなりの余裕がありました。これを「普通の町」の感覚で建て替えると、一挙にボリューム感がアップすることになります。ニュータウンだから特別の法律を…ということは難しいですが、「ガイドライン」という形で、容積率200%のところを基本150%に抑える施策が取られました。

「千里ニュータウン最大の大家」である大阪府はりんくうタウン事業の失敗などから財政が苦しく、賃貸の府営団地、公社団地でも高層化して用地を圧縮し、浮いた土地を売却して民間マンションの導入に充てる…という方針が打ち出され、藤白台でも2006年頃から騒がしくなってきました。その背後には「千里ならば立地も良く人気が高いから売っても売れる」という目算があったわけです。売っても売れなければこんな計画は成り立ちません。

…ということで千里ニュータウンの再生は大阪府の財政問題とセットで語られることが多く「りんくうの失敗を千里で埋めるのか」という声も出ましたが、大阪府としては背に腹は代えられません。

…しかしここで僕が不思議だったのは「計画人口を持ってスタートした千里ニュータウンの再生に、新たな計画人口は設定しないのか?」ということです。…かつては若い「標準世帯」がいっぱいいてにぎやかだったニュータウン。この人口が7割にまで減ってしまった状態で、どれぐらい、またにぎやかにするのが「理想」なのか…?それとも減ってしまったままの静かな状態がいいのか…?その理想人口論がない中で、建物の大きさだけを議論してもまとまらないのではないか…?

両市が重ねてきたいろいろな再生議論のどこを見ても「理想の人口」に関する記述はありません(吹田市部分に関しては「住区再生プラン(案)」の中でこのまま建替が進んだ場合の将来推計は出されています)。…どうやら「市」の立場からすれば、「人口をコントロールする」という発想はないようなのです。それは、それだけの権限がないからです。…それにしても(強制力はないけれど)再生の「ガイドライン」を打ち出している以上、「この線で行けばこのあたりに落ち着きそうだ…」という目算はあってよさそうです。

それはだいたい、千里ニュータウンの人口がピークだった1975年の「約13万人」というのが、ひとつの目安なのではないか…?逆に言うと「実績のある数字」として、それ以外の目安はありません。ここから先は僕の想像ですが、つまり「一度入った人口はまた入るだろう」ということです。そこまでなら(一度それに合わせているから)インフラ(道路、学校、上下水道など…)もパンクせず、にぎわいの程度も想定できる。千里は人気が高いとすれば(都心から15kmで京阪神の真ん中にあるという好立地は永遠に変わりません)、いくらでも許容人口を上げることはできるけれど、地中に埋まっているインフラは、やり直すのは大変です。それを町のキャパとするなら、最盛期人口の回復が、ひとつの「暗黙の了解」になっているのではないか…?もちろん同じ人口でも子供の数は減っているし、社会全体は高齢化しています。一世帯あたりの人数は減っているから、その分の戸数を増やさなくてはなりません。それが「高層化によって増える戸数」とイコールになるように持っていけば、数が合う。

…僕は人口の専門家でも都市計画の専門家でもありませんが、千里ニュータウンの再生は、ただ大阪府の借金を減らすためだけではなく、「にぎわいを取り戻す」という観点から、あるべき姿が語られないといけないのだと思います。そこに関して明快な人口目標を誰も打ち出せていないことが、容積率などの建築計画に「根拠が足りない」→「住民が納得がいかない」原因を作っているのではないでしょうか?

それでは「人口が減ったまま」では何がまずいのでしょうか?

つづきは、次回!

(写真は一期一工区分が完成した藤白台三丁目の府営住宅新棟。右手前の空き地には同じデザインの民間マンションが建つ予定です)
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「ご近所仲良く」こそ最強の防災

2013/01/17 23:30
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千里ニュータウンの人口の話の途中ですが、1月17日の日付でこの話を…

何度か書いていますが、18年前、僕は阪神大震災を芦屋で経験しました。建物は壊れなかったしケガもしませんでしたが、家の中の家具はすべて転倒し、あの瞬間の記憶は一生忘れることはないでしょう。地鳴りと、建物が全身で慟哭するような激しい攪拌、ガラスが割れる音、ガスの匂い…

僕が千里ニュータウンのことに関わるようになったのは、2005年秋に母を見送って、2006年の吹田市立博物館「千里ニュータウン展」の市民企画に関わってからですが、やはりきっかけの一つになったのは「震災体験」だったと思います。それでスイッチが入ったというほど明快ではなくても、「ストッパーが外れた」とは言えると思います。

僕の仕事は広告屋で、広告屋という人種は自分が生み出したクリエイティブで世の中が少しでもいいほうに変わると信じている、少々おめでたい…言葉を替えると「前向きで」「ロマンチストな」人間の集まりです。相手はいつも「世の中」で、大向こうを狙っているようなところがあります。マスメディアを使えば、たしかにいろいろなメッセージを届けることはできます。たとえ自分の受け持っているパートが「文章を書くこと」であっても…その影響力を、どこかで信じています。

ところが目の前で、たった20秒の振動で、鉄筋の建物やハイウエイが無惨に崩壊するのを見てしまうと…ああ、世の中変えるとか偉そうなこと言ってるけど、人間なんて小さなものだ…「目の前の具体的なこと」をひとつひとつ大切にしていかないと…と、「大向こう」もいいけど「身の回り」もね、と視野が自由になったというか…「価値観が変わる」というほど立派な変革ではありませんが…

とくに関西で「まちづくり」に関わっている人は、震災がひとつのきっかけになった…という話は、よく聞きます。うんざりするほど退屈な日常って、実はとても大切なのです。ご近所の顔も知らないで天下国家を語っていても…それって、誰を具体的に救えるのか?…大人の男が「ご近所」のことに関わるなどはずかしい…なんて格好つけてる場合じゃないぞと、ためらいが消えたというか、それが「ストッパーが外れた」ということです。地元愛をはばからず公言するようになったのも、震災以降ですね…トシを取っただけかもしれませんが…

そうなんです、巨大災害がやってきたら、目の前の人たちとしか、助け合えない…(それもできるかどうか、わかりません)…で、ふだん口もきかないような関係で、非常時にだけイキナリ助け合えるか?っていうと、それは無理なような気がします。特殊な状況からお互いが利他的になる「災害ユートピア」という言葉もありますが…

だから僕はご近所とは、少なくとも「仲が悪い」状態でいるのは、防災上の観点からマズイと思うのです。べたべたに仲がいい必要はないと思いますが…自治会とかって、そういう趣旨でやってるんじゃないでしょうか?

自治会は、個人の要求を最大化するための装置であってはならず、価値観も違う大勢の人が同じ町の中で心地よく共存していくための「調整の場」だろうと思います。

千里ニュータウンは、自由な気風と、開発当初何もなかったところから町を作ってきた経緯から住民が「主張する」気風があるように思いますが、権利意識ではなく、共存のための知恵として、「災害」ということをとらえてみたいと、いささかかたいことを書きました。

次回は、「人口の話」のつづきを!
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千里ニュータウンの「理想人口」は?−2

2013/01/04 23:29
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前回からつづく)

計画人口15万人を掲げてスタートした千里ニュータウンは、実際には12.9万人をピークに人口が減り始め、8.9万人台まで減少。その後の再生策でやや回復して現在は9万人台…というところまででした。

つまり今の千里ニュータウンは、最盛期(1975年)の7割しか人口がないのです。なぜこんなに減ってしまったのでしょう?住み心地が悪かったんでしょうか?そんなに空き家が増えちゃったのかな?…こちらの「世帯数の推移」のグラフを見ていただくとわかるのですが、実は世帯数は1975年当時に比べて決して減っていません。長いスパンで見れば1975年から2005年までは「ほぼ横ばい」です。その間に人口が7割に減ったということは…

1世帯あたりの平均人数が減ったのです!同じページの下のほうにグラフがあります。1975年には3.57人であったのが、2005年には2.37人、2010年には2.17人まで減っていますね。両親と子供2人の「核家族」がもっとも平均的な「標準世帯」である…という家族像は、昔のことになってしまいました。つまり、空き家は増えてはいない。同じ戸数があっても、そこに入る人数が減ってしまったのです。

これは一般的に、「核家族」の子供が成人すると親が残って子供は独立して町の外に行ってしまったからだ…と説明されています。計画当初は、団地は狭いし所得制限のある賃貸団地も多かったから、住民は年を取れば入れ替わっていくだろう…そこにはまた新たな「若い核家族」がやってくるだろう…と想定されていたといいます。しかし実際にはそうならなかった。便利で、環境が良くて、みな居着いてしまったのです。所得に関する制限がどのように運用されたのかわかりませんが、賃貸でも、家が狭くても、こんないい町を出ていく理由がありません。「家が狭い」問題は1980年前後に府営住宅を中心に増築が行われ、定住化を決定的にしたともいわれています。

そこで成人した子供が独立しようとすると…僕の同級生でもわかるのですが、つい数年前まで、千里ニュータウンの中で新しい家を探すことは大変困難でした。空き家が出ないからです。それでみんな、ニュータウンの外に出てしまう。多くの家でそれをやったら…「空き家は増えないが人口は減り、どんどん高齢化が進む」ということになります。

千里ニュータウンは「普通の町」と違って、住民の世代が「入居当初20-30代の親と子供」=「50年後は70代の夫婦」に極端に偏っていたため、加齢にともなう年齢構成の変化が極端に出ました。あるとき小学校の児童がどんどん増えてパンクしたかと思ったら、そのあとはどんどん減ってしまう…というジェットコースターのようなアップダウンを描いたのは、まさに「ニュータウン的」現象であったのです。

1世帯あたりの平均人数は、ニュータウンでなくても、日本全国で減り続けているのですが、千里ニュータウンではその傾向が先駆的に顕著に出たといえます。それは「団地で家が狭かったから」ではなく戸建でも同じで、つまり「核家族の文化」が浸透していると、町は必然的にそうなるのだと、僕は考えています。

2005年以降は団地建替が本格化し、そのために募集をやめたり仮移転などで人口が減っている区画もありますが、2005年以前までの変化だけを見ても、建替と関係なく、「空き家はないのに人口は減る」傾向が続いたと言っていいでしょう。

つづきは、次回!
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千里ニュータウンの「理想人口」は?−1

2013/01/02 13:56
あけましておめでとうございます。

昨年は千里ニュータウンまちびらき50年、吹田市立博物館での「ニュータウン半世紀展」に加え、地元自治会が少し大変なことになり、年の後半は多忙&困憊していましたが、自治会のもめごとぐらいで凹んでいるのもばからしく、すこし「硬派」なことを書いて調子を取り戻したいと思います。僕はニュータウンのことを書かないと!

ブログという形式は「日々の気づき」を順番に書けばいいので「ゆるい」ところがあり、千里の足元のことを書いたり、海外のレポートに飛んだり、お知らせが割り込んだり、昔の写真が出てきたり、今年もふらふらさ迷うと思われますが、よろしくおつきあいをお願いします。

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映画「ひらけゆく千里丘陵(住宅地区開発の記録)〜計画篇〜」<企画>大阪府企業局宅地開発部<製作>日本映画新社(1961年)より

さて…前から気になっているのが、千里ニュータウンの「理想人口」はいったいどれぐらいなのか…?そんなこと、考えたこと、ありますか?…これまでのあらすじをざっとおさらいすると、「計画人口15万人」でスタートする→しかし実際には一度も15万人に到達することなく、1975年に12.9万人でピークアウトし→あとは2000年頃まで減少の一途→この10年ぐらいは8.9万人台で横ばいを続け→団地建替が寄与して2011年あたりからようやく回復のきざしがあらわれ、9万人台を回復…というところです(こちらのサイトにわかりやすくグラフになってます)。

と、待った!人口の話をするときは同時に「戸数」も考えないといけませんが、千里ニュータウンの初期の計画では「3万戸15万人」が、ひとつのスローガンというか、目標になっていたようです。この数字は初期の記録映画にもハッキリ、何回も出てきます。3万戸15万人3万戸15万人…あれ〜?ということは…「1戸5人」で計算していたってことなのか…?1960年頃の住宅事情を考えたとしても…全体の8割が集合住宅のニュータウンで、これは最初から計算がおかしかったのではないですか…?…と、ニュータウン開発に携わったK先生に聞いてみたことがあるのですが、「ほんまやなあ…合わへんなあ…」と、とぼけたお答え…

これはどういうことなのか?その後少し追ってみたのですが、実際には3万7千戸造っています。千里ニュータウンの入居は1962年から1970年まで8年間かかっていますが、途中で「やべ!このペースじゃ計画人口入らない!」と大阪府も気がついたのかどうか…?この計画の変遷は、「あとで造った住区ほど、集合住宅が多く、高層化・高密度化している」という形で実際の町並みに表れています。

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映画「千里ニュータウン その都市構成」<企画>大阪府企業局<制作>日本映画新社(1970年)より

もうひとつ都市計画の人から聞いた話は、こういう計画人口というものは、「最大これまでは入って大丈夫ですよ…」という「最大値」を採るものなんだということ。統計的に一番そうなる確率が高い「中央値」でやっちゃいけないんだということです。そうしないと、上下水道の容量とか、学校の教室とかのインフラが、パンクしてしまう。千里ニュータウンでは計画人口に満たなかったのに小学校のパンクは起きたわけなので、人間がやる計画には限界があるわけですが、少なくとも「中央値」を「計画人口」としてしまうと、50%の確率でそれ以上になってしまうので、そんな計画ではダメだということです。「キャパは多めに備えておく」…それでそこまで行かなかったとしても、パンクするよりは、はるかにいい。そう考えると、15万人の計画で最大13万人で収まったのは、「上手かった」と言えるんじゃないかと思います。これは行政らしい考え方ですね。

もうひとつ、これは市の人から聞いた話ですが、生活のレベルが上がり、市民1人あたりのインフラ利用…たとえば水道使用量などは、高度経済成長期より今のほうがずいぶん増えている。15万人で計画して、今実際には9万人前後で、しかし1人がたくさん水道を使うようになったので、それで収まっている面がある…という話。もし本当に15万人入って、各人がたくさん水道を使ったら設備を増強しないといけません。

「町のキャパ」は、地上に出ているものは建て替えられるけれど、それより制約条件になるのは「地下に埋まっているもの」で、これを全域にわたってやりかえるのは大変なことです。

…ああ、ひさしぶりに書いたらしんどくなってきた…。硬派だもんなあ…。つづきは、次回!
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町にあかりをともす人

2012/12/25 02:37
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キャンドルの画像が続きますが…こちらはゆうべの桃山台駅前。momoプロジェクトという住民グループが、12/23-24の2日間、こんなキャンドルイベントをやりました。雪の結晶をかたどったデザイン+クリスマスツリーもきれいですね!

「千里ニュータウンまちびらき50年」で11/10に9万本のキャンドルを南公園でともしたことは今年の素晴らしい思い出の一つですが、このmomoプロジェクのノウハウ・協力があればこそ、あのようなビッグイベントも可能になった…というわけ。キャンドルを入れたグラスや紙コップをどのように並べて、どこに色味やツリーなどのアクセントを持ってくるか、グラフィックデザインがすごく良くできています。ばっちり図面を引いて、そのとおりに並べていくそうです。

今年でもう5年目になる桃山台駅前でのこのイベント、運営費用はなんと自腹!+カンパで成り立っているっていうのが素晴らしいじゃないですか。しかも寒い中、皆で並べているのです。

今年一年、皆さんにはどんな一年でしたか?僕にとっては「まちびらき50年」や吹田市立博物館の「ニュータウン半世紀展」の委員になり、その間に北海道アメリカや韓国の万博も行って(ちゃんと仕事もやってますよ!)自分の人生史上一番忙しく充実していた年でもありましたが、地元では団地建替にともなって自治会が激しくもめ続け、心を痛めることもたくさんありました。遠回しだけどそうならないように、こんなブログも始めたのに…(6年の間に話材がどんどん地元以外に広がってしまいましたが…)話材が広がってしまってもブログのタイトルを変えないのは、やはり地元が誰もが住みたくなる、いい町であってほしいからです。そのことしかニュータウンを救う方法はないと思っています。いまのところ「もめごと」との間で心が引き裂かれ、はたして地元のブログタイトルで発信を続けられるか、迷い道に入りこんでしまっています。(やめるつもりはないですけれどね)

町にあかりをともすのは、いったいどんな人たちなのか…?またたくキャンドルの炎を見ていると、いろんな思いが去来していきます。キャンドルはまたたくから、いいんだろうな。
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50周年を終えて

2012/12/11 03:56
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このブログもすっかり更新があいてしまいましたが、一昨年から準備してきた千里ニュータウンまちびらき50年の主催イベントが、11月25日ですべて終わりました。吹田市立博物館で開催していた「ニュータウン半世紀展」も終わりました。(1月20日まで延長ミニ展示をやっています!)

はぁ〜!もうなんか今、放心状態。出し切った電池みたいです。僕はこの両方に関わり、実は今年はそれ以外にもいろいろありまして、(いっぱい取りこぼしもありつつ)よく倒れなかったな…と安堵しています。充電しないと…

日本で最初のニュータウンの50歳!「千里」と「ニュータウン」と「千里ニュータウン」を宣伝して若い人にも魅力を感じてもらうこんな絶好の機会はないわけで、もう思い切りやりましたが、終わって思うことは…やっぱり千里はすごい!名も知らぬ人々の力というか…。おりからの経済状況のなか、おカネもない、人も集まるのか?…という状態で始まった今回の「50年」は、好景気の時の周年事業とはまったくちがう環境でやったわけですが、それでも、どこからともなく人々が集まってきて人口と同じ9万本のキャンドルをともした晩などは、「大丈夫!これからもやっていける!」と思うに十分なものがありました。「人の力」を感じられたことが、何よりもよかったと思います。

写真は「←GO 100」って書いたキャンドルアート。100周年めざしてがんばるぞ!ってことでしょう。そうです…お祭りは終わりじゃなくて始まりなんですよね。51年目の千里が始まりました。
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こんな講演会やります!(11/23・吹田市立博物館)

2012/11/20 03:41
日本中、世界中に造られたニュータウン。千里ニュータウンにはたくさんの「仲間の町」があるのです。ほかのニュータウンはどうなっているのだろう!?ニュータウンに取りつかれたニュータウン育ちが、実際にかたっぱしから行ってみました!人のふり見てわがふり直せ!感動と感心とびっくりのニュータウン旅行へ、さあご一緒に!
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11月23日(金・祝) 14:30-17:00
吹田市立博物館 2階講座室
ニュータウン研究家?(「ニュータウン半世紀展」実行委員長) 奥居武さん (サラリーマンらしい…)
千里・住まいの学校代表 山本茂さん
※申込不要・参加無料


…というわけで、当ブログ「アラウンド・藤白台」の集大成をお見せいたします。

吹田市立博物館へのアクセス
◎言葉で説明するにはあまりにフシギな場所にあるので、「南千里」「桃山台」「JR岸辺(北口)」からタクシーに乗るのが一番簡単!
◎土地勘のある人は、阪急バス「五月が丘」から徒歩15分ぐらい(紫金山公園の中、名神の下のトンネルをくぐった先です)
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ひとつひとつの灯は小さくても(千里キャンドルロード)

2012/11/12 03:50
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千里ニュータウンではただいま「まちびらき50年」の記念イベントが行われていますが、その中盤を盛り上げる「千里キャンドルロード」が、11月10日(土)晩、千里南公園で行われました。僕も広報のお手伝いをしました。

なんと、千里ニュータウンの人口と同じ9万本のキャンドルで千里南公園を埋めつくそう…というとんでもないアイデア!9万本って…(@_@;) 「300人が300個づつつけたら9万個になる」って計算だったんですが、わりとぎりぎりまでその「300人」が確約できず、どうなることやら!?…とハラハラしつつ直前広報にいそしんだ結果?当日受付には来るわ来るわ…最終的には500名ぐらいのボランティアの方が灯をつけてくださいました!

もう、千里南公園始まって以来の美しさでした!この町で育ったことを誇りに思えるイベントでした!とっても「千里ニュータウンらしい」と思いました。最初は「人口と同じ」というアイデアはなくて、「竹あかりをやりたい」というあたりから始まって、そこに誰かが「人口と同じ」というアイデアを乗せたあたりから、急にあかりのひとつひとつが誰かなんだ…と思うと、企画に魂が入っていった感じがします。9万本つけるためにはやり方を簡素にしなくてはならず、竹あかりは一部にして、ペットボトルがいいだろうか?…いや、紙コップでいけるぞ!…となっていったようです。

これがニュータウンらしいと思ったのは、ゴージャスで特別な素材は一切使わないで、紙コップ+砂+キャンドルという簡素そのものの素材で、全体としてはすごくリッチな景観が作れたこと。「個」が「集合体」をつくっているという団地的景観!それを三々五々集まってきた500名の市民が、さっと公園中に散って最低限のスタッフのガイドだけでものすごく短時間で膨大な数のあかりをつけた…というイベントのあり方です。風船だってどこにでもあるものなのに、こうやって見ると、なんてファンタスティックなんでしょう!「お祭り」っていうと「文化財」みたいなものと近しいイメージがありますが、ここにはそんなもの、一切ないんです。それでもこれだけ美しい。

千里ニュータウンはやっぱりすごいなあ!と、感動してしまった一晩の出来事でした。(そうそう、一晩数時間で終わってさっと消える…というあたりもなんだか万博の町っぽいぞ〜)

そして…僕がひそかに思ったのは…50年の間にこの町を通り抜けて去って行った人たち…遠くへ行った友達や、亡くなった家族のことも考えたのでした。50年間に「千里ニュータウンに住んだことがある」人の数は、いったいどれぐらいになるのでしょう?50年間の平均人口をざっと10万人として…「平均10年で入れ替わる」としたら、5回ローテーションが回るわけだから50万人?周辺の「グレーター千里」をざっと千里ニュータウンの3倍と見たら150万人?「千里人」は、けっこうたくさんいるのかもしれません。
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団地の手づくり感

2012/10/30 09:10
前の記事からつづき)…そうです、博物館に収納したA9棟の住棟番号と6年前に幼稚園の角から写した現役時代のA9棟の住棟番号、よく見ると違っているではありませんか!博物館のは「9」の足がまっすぐ、幼稚園の角から写したのはラウンドを描いています。

住棟番号は東西両面にありますから東西のデザインが違ったのか?…しかし西面の写真は残念ながらありません。僕もこれはひょっとして同時期に解体された「A6棟」の住棟番号を上下さかさまに博物館で展示してしまったのか?…とも考えましたが…いやでもこれはバラバラにすると「6」と「9」はわからなくなるから、引き取った時点で確認しているはずだし…

そこでまだ残っている「A16棟」はどうなっているか、確認しに行ってみました。すると!
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上の写真が東面、下の写真が西面。なんとA16棟では東西両面の住棟番号が違っていることを発見!

実は公社の住棟番号は補修の際に一回り小ぶりで太いものに取り替えられたものがあるのですが、このA16棟のはどちらも大きくて細く、どちらかがあとからの取替分であるとも考えにくいです。博物館にあるA9棟の住棟番号も、たぶん最初からのタイプではないかと…?

ということは、A9棟も最初から東西両面の住棟番号はデザインの細部が違っていた…ことになるのでしょうか?大量生産の規格品の典型のように言われる高度成長期の団地ですが、実はけっこう手づくりの結晶なのかもしれません。

(詳しい事情をご存じの方、コメント欄に情報を頂けるとうれしいです。)
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A9棟ありし日(あれ〜?)

2012/10/29 03:20
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ただいま吹田市立博物館「ニュータウン半世紀展〜千里発・DREAM」で遺跡のごとく展示されているA9棟の住棟番号。(A7棟の住棟番号は南千里駅前の「千里ニュータウン情報館」で展示されています!)A9棟と紅葉の写真があったはずだ…と探してみたら、出てきました。2006年11月29日撮影。左上にすこし写っているのが、ふじしろ幼稚園前の信号です。

三色彩道に紅葉の季節はまためぐってくるけれど、もうA9棟はないんだなあ…と感慨にふけりつつ写真をよ〜く味わっていたら、不思議なことに気がつきました。写真をクリックすると多少大きくなります。博物館に展示してある住棟番号と見比べてください。あれ〜?

どこが「あれ〜?」だか、わかりましたか?特別な予備知識はいりません。観察力の問題です。
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日常が歴史に変わるとき

2012/10/15 03:15
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まちびらき50年を迎えた千里ニュータウンでは、実行委員会主催イベントのほかに、関連イベントとして吹田市立博物館の「ニュータウン半世紀展〜千里発・DREAM」が10/13から始まりました!

おっと、これは…そうです、つい数ヵ月前までふじしろ幼稚園の斜め向かいにあった藤白台公社A9棟の住棟番号!解体に際してニュータウンの歴史資料として博物館で貰い受けて展示されているのです。建物の上のほうから降ろしてきて目の前で見ると、デカイです!藤白台の公社解体現場からは、この50年の節目と解体時期がちょうどシンクロしたため、いろいろなブツを博物館で引き取りました。A7棟の住棟番号は南千里駅前の千里ニュータウン情報館で、A9棟の住棟番号は吹田市立博物館で展示されています。

こないだまで日常の景色の中にあったものが博物館に収まっているのは不思議な気分ですが…まさに日常が歴史になっていく…その境目に千里住民の私たちはいるのかもしれません。千里ニュータウン情報館、吹田市立博物館、行ってみてください!(どちらの展示にも僕は関わっているのです…)

知らない人が見たらガラクタにしか見えない、知ってる人が見たらものすごくなつかしい!…そんなアイテムのかずかずと再会できることでしょう…
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50年目の朝

2012/09/16 12:28
画像アメリカのニュータウンレポートの途中ですが、「この日」が来たのでやはりこれを書くべきでしょう…千里ニュータウンまちびらき50年。2012年9月15日は、1962年9月15日にニュータウン最初の住民が佐竹台に入居してから、ちょうど50年になります。

千里ニュータウンは日本で最初の大規模ニュータウンですから、つまり日本のニュータウンは「半世紀」を迎えたのです!それは同時にアジアで最初の現代的な「ニュータウン」の半世紀でもあります。それはすごいことじゃありませんか?千里はアジアで最初の万博と、アジアで最初のニュータウンの記憶を持っているのです。

千里ニュータウンではこの機会をお祝いして、9月15日から11月25日まで、いろいろなイベントを開催します!吹田市立博物館でも10月13日から11月25日まで、「ニュータウン半世紀展〜千里発・DREAM」を開催します。

ここしばらくこれの両方に忙殺されていて、WEBを作ったりパンフを作ったり展示の説明を書いたり委員会の銀行口座作ったりマスコミ取材に対応したり…もーテンテコマイでブログの更新ができないでいましたが、実はどっぷり「ニュータウン漬け」になっていたのです。またとないこのチャンスにブログをばんばん更新してアクセスを稼ぎまくって…と頭の中では思っていても、実際は会社と地域活動の両輪で帰宅してメール打って必要な資料を作ったらバタンQ…でありました。(これは地域ボランティアで、会社の仕事は別にあります!)ま、しかたないですね!

50年目の朝、千里は少し涼しくなって、秋らしい青空が広がっていました。50年前の千里丘陵の空も、こんな空だったんでしょうか?右はおなじみ竹見台名物のスターハウス、左は9月3日にオープンしたばかりの千里ニュータウンプラザです。この建物は50周年イベントや展示の一つの大きなメイン会場です。
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9月15日の午前中は千里ニュータウンを舞台にした1965年の日活青春映画『青春のお通り』の上映がありました。250席の会場は計ったようにぴったり満杯!

くいいるようにスクリーンを見つめながら笑ったりため息をついたりする皆さんの様子を見ていたら、自分の人生と町の歴史を重ね合わせられるニュータウン住民の人生は幸せなのではないだろうか…という思いが浮かんできて、胸が熱くなりました。

ニュータウンの歴史は、これからも続いていくのです。
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人造湖のあるニュータウン(アメリカ・アーバイン)

2012/08/27 03:10
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ビバリーヒルズを離れて、もう少しニュータウンらしいニュータウンに行ってみましょう。アーバイン(Irvine)。ロサンゼルスの都心から50km近く東にあるこの郊外都市は、西海岸で最も成功したニュータウンだと紹介されていたので、行ってみました。日本のつくば市と姉妹都市でもあるアーバインは、大学を核とした学園都市でもあります。

う〜ん、でかい!120km2って…1km2=100haなので12000ha…千里が10個分!orz...着いたはいいものの、どこから回っていいのやら…まずは中心にあるウッドブリッジという人造湖のある一角から行ってみました。これ、全部人工の風景。カモは本物です。人造湖に木の橋がかかっているからウッドブリッジ。湖というには小さいかもしれませんが、池というにはデカい。水深は浅く保たれていて、住宅や遊歩道がすぐ近くまで迫っています。

カラッカラに乾いたカリフォルニアで、これだけ水に親しい空間を造るのは、もうそれだけですごい「意志」を感じます。人工都市でもどこか自然となじむように造る日本のニュータウンとは違って、この水辺のある風景は、たとえば芭蕉の世界とは全然違いますね…あまりに完璧に演出された「日常的なディズニーランド」という感じでしょうか…(ディズニーランドは、近いです。)

天気にも恵まれた(暑かった!)アーバイン訪問記を数回続けます。
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「プリティ・ウーマン」vs「ホームレス中学生」

2012/08/20 03:14
画像ビバリーヒルズ最後の夜、忙しい仕事の合間をぬって、親戚がビバリーウィルシャーでお茶をしましょうとえっらくゴージャスなホテルに連れて行ってくれました。ここは映画「プリティ・ウーマン」の舞台になったホテルなのです。

さっすがエントランスにも高級そうな外車が停まっています。実はラウンジは夏休みの学生みたいなグループでやかましかったのですが(どこの国でも学生のグループってやかましいですよね…)、いいホテルは町の顔、町の格式を代表しますよね。そこでどんな映画が撮られたかも…。

さて、計画的住宅都市としてはビバリーヒルズの仲間である千里ニュータウンでは…撮られた映画といえば最近では「ホームレス中学生」…たしかに映画って、その町がわかります。「プリティ・ウーマン」に出てくる町と、「ホームレス中学生」に出てくる町…どっちが暮らしやすいかは、これはもう価値観の問題ですからなんともいえません。

どちらにしても「物語になる町」っていうのは、いいですね。
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ビバリーヒルズお宅拝見

2012/08/15 04:35
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個人住宅の内側はなかなかネットに出しにくいものですが、親戚と言っても名前も全然違うし、見られちゃまずい個人情報を特定するものもべつにないから、まあ、この程度なら、いいでしょう。

ご近所のほかの家に入ってないのでわからないんですが、世界でも有名な邸宅街としては(たしかに品質がいい感じはただよってるけど)、むちゃくちゃゴージャスというほどでもないのかもしれません。もちろん庭にプールはあるし、手前の一角はジャグジーみたいなんですが…芝生もよく手入れされているけれど、はてしなく広いというほどではありません。ガーデンパーティーできるけど。家は平屋建+部分的にロフトがついてるんですが、2階部分は外からはわかりません。

これはむしろ「趣味がいい」と言うべきなんでしょうね。ビバリーヒルズは(古い)新興勢力の人たちが住む町で、いかにものエスタブリッシュメントとは違うわけですが、成金みたいなことは、やはり好まれないわけです。それは町のコードと言ってもいいいのかもしれません。知的な抑制が効いていることが、ハイステイタスの証であるわけです。

しかしこの町のすごいのはこの写真に写ってないところで、たとえば平屋とはいえこれだけ大きな家が通りから見えないぐらい奥まって建っていることや、右手の(たぶん)隣家との境界は小高い森のようになっていて、どこが隣なんだか、これも全然見えません。道から玄関まではクルマを寄せられる半円形のドライブウエイがあり…って、英和辞典の"driveway"の説明読んでも全然わからなかったけど、ようやくわかりましたよ。道路との境界は高い生け垣でおおわれ、外からクルマで帰ってくるとクルマについてるリモコンで扉が開くのです。子供が徒歩で帰ってきたらどうするんだろう?徒歩で帰ってこないのかな?

…このお宅、おいくらぐらいだったんでしょう…?親戚でもそれは聞けなかったなあ…日本のチバリーヒルズと、どっちが高いんだろう?
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瀟洒な繁華街(ビバリーヒルズ)

2012/08/14 10:58
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ビバリーヒルズは独立した「市」なので、住宅街だけでなく住民(や外来者)がショッピングを楽しめる繁華街もあります。市の人口が千里ニュータウンの北地区と同じぐらいだから、非常に厚かましく言うと北千里ぐらいの商圏はある…ということになるでしょうか。

しかしまあ、上品な町の繁華街は、やはり上品なのです。100円ショップとかコンビニとか大規模なロードサイド店は…少なくとも見たかぎりでは見あたりませんでした。この写真では、建物は2階建までですね(もう少し高い建物もあります)。アメリカはクルマ社会で、皆、自家用車で買物に来るわけですから、郊外の多くの町では広〜い駐車場が広がっている風景が普通ですが、ここでは駐車場は地下に入っています。

合理的だなと思うのは、ちょっと停めるだけなら道路脇への駐車を認めていることです。メーターがある場所ではクレジットカードで払うこともできます。「ちょっとの用事」と「時間がかかる用事」を分けて駐車を整理する手法は、なんでもかんでも立体駐車場に収容しようとして、違反の路駐はたくさん出るけど取り締まりは柔軟に…という「アジア的な世界」とはずいぶん違います。

この繁華街にもちょっといい感じのアパートメントはあり(ビバリーヒルズにだって集合住宅はあるのです!…中にプールついてたけど…)、商業エリアと住宅エリアを厳密に分けているようには見えませんでした。

ビバリーヒルズとロサンゼルスの市街地は続いているので、たぶんここには市外からも(お金持ちの?)お客さんが来るのだと思いますが、人口3万人台で高級感のある商業ゾーンを維持しているあたりは、さすが世界的に有名なビバリーヒルズですね。

千里もそうなればいい?…冗談としては面白いけど、これは肩が凝ると思いますよ〜。地価が高い町でこういう設計をやったら、物価も高くなるのは当然でしょう。

●8月13日、ブログ開設から6年を迎えました!読んでくださる皆さん、ありがとうございます!ここのところ秋の千里ニュータウンまちびらき50年の準備でエライことになっていて更新がろくにできていませんが、ネタは仕入れていますのでコツコツと出していきたいと思います。掘れば掘るほどニュータウンの世界、はてしなく面白いです!これはもう立派な現代文明ですね。これからもどうぞよろしく。
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ビバリーヒルズ市役所です!

2012/08/09 03:49
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実はですね…ビバリーヒルズの写真はそんなに撮っていないのです。家の中が写るような撮り方をしているとすぐにポリスが飛んでくるって書いてあったから…日本から来たあやしいニュータウンマニアのために親戚に迷惑かけちゃいけないと思うと…親戚の家に泊めてもらうのも気を使うものです。

というわけでこれはクルマの助手席から撮ったCITY HALL.ビバリーヒルズ市の市役所です。いや、立派だわ。人口3万人規模の市の役所だって考えると…(ちなみに千里ニュータウンの北地区と同じぐらいの人口です)。

広いアプローチに高いセンター塔。これはUCLAバークレーとかスタンフォードとか、カリフォルニアの有名大学のキャンパスにも通じる土地の使い方ですね。

こういう景色を見ていると、建物が立派に見えるのは建物自体の大きさではなく、周辺の空間の取り方にあることがわかります。空間が大きいのに空疎に見えないのは手間をかけて手入れしているから…でもこういう空間の使い方をすると単位面積に人口は詰められないですから、税金は高くなるし、物価も高くなるし、移動にはクルマが必要になる。日本人の横丁感覚とはずいぶん違います。

そういうコストと孤独感を担える人だけが、こんな町に住めるのでしょうか。
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ビバリーヒルズもニュータウン?

2012/07/29 13:26
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すっかり更新の間隔があいてしまいました!これもひとえに私の怠慢+多忙+アメリカに旅行に行っていたからであります。忙しいのは今、ことし9月から11月にかけての「千里ニュータウンまちびらき50年」の広報や展示や、同じ時期に吹田市立博物館で行う「ニュータウン展」の企画にもかかわっているからです。こんな怠慢な人間をこんなに働かせてはいけないのです…

そんな時期にアメリカ行きを突っ込んだのは、昔アメリカに渡った親戚が「移民100年」を迎えるお祝いに参加したからで、100年目と聞いては行かないわけにいきません。今は皆さん成功しておられますが、とてもとても苦労されたのです…(その詳しい話を同僚にしたら、「まるで橋田壽賀子のドラマみたいだ…」と言われました…)。20年ほど前に当時のレーガン政権+パパブッシュ政権が日系米人の戦時中の扱いについて収容所に入れたことは間違いであったと謝罪と賠償を決定し、その賠償金を使って日本に訪ねてこられ、それから親戚同士の交流が復活しました。一世は亡くなり、今は二世〜五世の時代になってすっかりアメリカ人ですが、それでも「どこか親戚」、「どこか日系」というのは面白いものです。血は水よりも濃いのでしょうか?

ロサンゼルスの親戚宅に泊めてもらったら、そこはビバリーヒルズでした!あの…高校白書の…。今回空き時間にアメリカのニュータウンも見てこようと調べたら、ビバリーヒルズも計画住宅都市だというのです。ビバリーヒルズは「ロサンゼルスの一部」と思われていますが、行政上は独立した「ビバリーヒルズ市」になるのです。隣のハリウッドは地続きだけど「ロサンゼルス市」の一部で、そこがビミョーに違う。芦屋市と神戸市みたいな感じでしょうか…?

ビバリーヒルズ市は警察も学校も自前で持っています。そしてこの立派な道路!これ大幹線じゃなく、ご近所の道がこんな感じなんです。たしかにこれは…計画しないとこんなふうにはならないですよね。アメリカの都市は北海道と一緒で大半が入植地だから全部ニュータウンみたいなものだ…とも言えるのですが、やはり別格感がただよってきます。う〜ん、税金高いんだろうなあ…

アメリカでは「ニュータウン」というもののコンセプト自体が日本と異なり、単純な比較はできないのですが(これが「広い意味でも」千里の仲間とは、ちょっとおそれ多いような…)、ビバリーヒルズを含めて3ヵ所行ったアメリカの「ニュータウン」、ちょっと覗いてみましょう…
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団地植物園−藤色を競う

2012/07/11 01:08
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藤白台の色は?…と聞かれたら、それは藤色かなあということになりますが(ほんとは白じゃないかというリクツも言えますが…)、藤色が映えるのが雨の多いこの季節。

団地の植え込みにも多いアジサイ(紫陽花)と、ここはアガパンサスの競演となっております。アガパンサスもどこにもありそうで、原産は南アフリカというから、どうやって日本に来たんだろう…?ギリシャ語の 「agapa(愛らしい)+ anthos(花)」の 組み合わせと書いてあるサイトもあり、ええ?あのアガペってやつですか?と、なかなか奥は深いのであります。ムラサキクンシラン(紫君子蘭)という和名も、相当に奥床しい…団地の庭には物語がいっぱいです。

公社住棟の妻面が見えるこんな平凡な風景も、来年の5月ごろまで…いま、建替前の状態で残っている最後の4棟(A15棟〜A18棟)も、そのタイミングを過ぎると住民が北千里駅前の第3期新棟に移って解体に入ることになっています。この花がこうやって咲くのを見るのも、今が最後ということです。

平凡な生活の風景に、何一つ平凡なものなどないんですね。新しい団地にも、どこかにアジサイやアガパンサス植えてあるのかなあ。

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大胆な窓枠(生まれ変わり編)

2012/07/02 00:51
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千里ニュータウンの「玄関口」として1964年以来親しまれてきた千里南地区センタービルは、今月(7月)から来月(8月)にかけて機能を停止し…南千里駅の西側に建設された「千里ニュータウンプラザ」に機能の多くは移転します。

千里一号線(千里南筋、千里ぎんなん通り)の北(津雲台)側、以前はタクシー乗り場があったあたりです。背後の竹見台スターハウスとの位置関係で、だいたいの場所がおわかりでしょうか?

そして、この窓枠!ファンが多かった千里南地区センタービルのイメージを引き継いでいるのです。旧ビルの骨太さと比べると、ずいぶん平成風にスマートになったというか…「これで村野藤吾の名設計を踏襲したつもりか!」という声も聞こえてきそうですが…「日本最初のニュータウン」の「中身」を作ってきた住民の活動の精神は、この新ビルに引き継がれると思いたいです。いや、引き継ぐんですよ、僕たちが!
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大胆な窓枠(外から)

2012/06/30 13:23
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前回ご紹介した千里南地区センタービル、外から見るとこんなふうになってます…って、僕が書くまでもないか。この窓枠を歪みなく撮るのは意外と難しいです。外国にこんなそっくりさん?もいますが。(僕が勝手に言ってるだけ)

ああ、本当にあとちょっとでなくなっちゃうんだなあ…最後の夏が、いよいよやってきました。
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大胆な窓枠

2012/06/24 23:50
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これはもうどこだか書かなくても千里なら多くの人がおわかりでしょう…千里南地区センタービルの一室です。窓の外には千里ニュータウンの玄関口のシンボル的街路樹、ワシントンヤシも見えます。

窓枠のシルエットだけでどこかわかるというほど個性的なこの建物、いよいよ今年の夏でおしまいです。線路の西側に新しくできた公共棟に移転することになっています。新しい公共棟もこのセンタービルの窓枠のデザインをとりいれているというのですが…こんなに大胆じゃありません。

う〜ん、惜しい!ニュータウンは後ろ向きになっちゃいけないと思いつつ、やはり愛惜の念がこみあげてきます。この無骨さが、またいいんだろうな。モダンなのに、線が太い。昭和歌謡の趣というべきか。腰板がすけてるのもドッキリです。
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藤白台スカイツリー

2012/06/10 03:30
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デュー山田の屋上からこんどは北側に目を向けると…鉄塔!鉄塔!鉄塔!

東京スカイツリーや太陽の塔みたいに有名じゃないけれど、いかにも「郊外」っていう藤白台に欠かせない前景です。千里ニュータウンのほぼ東端にそって、北は茨木のゴルフ場方面に、南は高野台方面に伸びていますが、どこへつながっているのでしょうか…?

右下にはこれも山田駅付近のトレードマーク、三つ子のガスタンクが見えます(ガスタンクの上の大きな建物が阪大病院)。ニュータウンのインフラを支える、たくましい風景です。今年の夏は節電しないとね…
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千里ニュータウンらしい風景

2012/06/06 00:37
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千里ニュータウンのかなり初期からある津雲台の社宅群。となりにできた山田駅前のデュー山田の屋上駐車場から見下ろしたら、千里中央を背景に千里ニュータウンらしいなあ!と思える風景になりました。右側に伸びるモノレールの軌道も効いています。

社宅群はもっと棟間隔がつまっているところが多いような気がしますが、ここは奥の1棟を含め4棟が武田薬品一社のもので間に仕切りもないため、ひろびろと感じられます。こうやって見るかぎりでは手入れもいいようです。その名前は…「武田薬品工業 新千里山荘」。「新千里山」という古い駅名がこんなところに生きていることにシビレルし、鉄筋の団地なのに「荘」というのが、またいい!
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竹の秋

2012/06/05 23:53
画像ブログを始めて写真をたくさん撮るようになってから気がついたことですが、植物というのは春にもけっこう落葉するものなのですね。千里名物の竹も…

調べたら「竹の秋」というのは立派な春の季語なのです。この風景は東町公園で5月10日撮影。千里中央から3分ほど歩いたところに、こんな風景があるんです。
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こんにちは

2012/05/19 03:50
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家が近いせいでどうしても公社(A棟)建替のレポートが多くなってしまいますが、府営住宅(B棟)の建替も第一弾が進んでいます。覆いが取れて2ヵ所の新棟が姿を現しました。カラフルですね!夏から秋にかけて入居になると聞いています。

ちょっと場所の説明をすると、この写真の左手がピアノ池。新棟との間に見えている道が、藤白公園の南側を小学校に上っていく道。この写真は阪急電車の車内から撮っています。右手の奥にはもう1棟の新棟が見えています。旧棟の名前で言うと、左の敷地がB1とB3、右奥がB9棟があった場所です。右手前には小さな橋が見えていますが、これは工事車両が府道から直接現場に入るための「仮橋」です。

ベージュ系だけの古江台の府営住宅新棟とはずいぶん違う外観ですが、僕はこっちのデザインのほうが好きだなあ…上半分に薄いグレーを持ってきて空となじむようにし、建物が大きくなることによる圧迫感を軽減しています。低い部分に旧棟と近いベージュや、アクセントカラーのレンガ色(少し明るいテラコッタ)を配してリズム感を出しています。

建物の配置も府営住宅の特長だった「囲み型」を取り入れ、「南面並行配置」で建替が進む古江台の府営住宅とは対照的です。今のやり方は同じ府営住宅でも団地ごとにデザインは違うのですね。

この2ヵ所を「一期一工区」と呼んでいるようですが、このあと→「一期二工区」→「二期」→「三期」→「四期」と、公社住宅よりは細かく工区を区切って、数棟ずつ建て替えていきます。民間の分譲マンションになる区画もあります。全部終わるのは…あと10年はかかりそう…すでに景気の影響で最初の計画よりは遅れているのです。(二工区までの完成予想図

つまりブログの素材には事欠かないということですが…あと10年かかると最後のほうは築60年に迫ることになり…それはそれで大変なことです!藤白台の大リニューアルは、まだまだ続くのです。
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おなごりはつきませんが…

2012/05/18 04:15
画像公社藤白台のポイントハウス。三色彩道の北側(四丁目側)から最後の姿を撮りました。これはA7棟ですね(きのうのがA5棟…似てるけど造りが左右対称です)。工事用の仮囲いが少しずつ右が下がっているのが、坂の途中だということを示しています。

クリスマスには窓にイルミネーションをしているうちもあって、かわいかったな。さよなら!
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さようなら

2012/05/17 02:31
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三色彩道の坂の途中にある公社のポイントハウス(A5-A8棟)が、解体工事に入っています。

坂の途中にある立地を生かすために建てられた4棟のポイントハウス…っていうのは階段1列だけのかわいらしい団地です!団地マニアの皆さんに最近人気のスターハウスの変型。千里ニュータウンの時期の公団住宅(現UR)だとこれがボックス型になったりします。

四季折々の三色彩道のアクセントになってきましたが、この一角はすでに民間に売られ、新しいマンションになることになっています。新しい町になっても三色彩道沿いのフウ並木は、もちろん残ります。
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人がいない三色彩道

2012/05/10 02:00
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ことしは忙しくて千里丘陵から一歩も外に出なかったGWの最終日…夕方幼稚園のほうに歩いて行ったら、誰も歩いていない三色彩道が新緑ですごくきれいじゃありませんか!

クルマが来ないかよ〜く見まわして…幼稚園の前の横断歩道の真ん中から北千里駅方面を撮りました。左右対称に見えますが、実は左側(南側)はアメリカフウ、右側(北側)はトウカエデで樹種が違います(なぜそんなことにしたのかは…謎)。この坂は米中共存なんです。

秋が有名な三色彩道ですが、人がいない季節や時間に、ハッとするほど素敵なプレゼントが用意されている千里ニュータウン。「あしたから会社…」のサザエさんな気分もふきとびました。
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