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アラウンド・藤白台
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日本で最初のニュータウン、大阪・千里ニュータウンの「藤白台」(ふじしろだい)周辺を一緒に探索しましょう!
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雨の日が一番綺麗なのに…

2009/11/22 19:56
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いまやかなり有名になってしまった三色彩道の紅葉。例年、勤労感謝の日の前後が見頃で週末は人出や駐車車両もハンパじゃないのですが…

きょうは日曜なのにほとんど誰もいませんでした!写真撮ってたのもカップルとお邪魔虫の僕だけ…雨だったからです。

今年は10月に台風18号の一晩の強風でかなり葉っぱがこすり取られてしまい、あまり紅葉は期待できないな…と思っていたのですが、雨に紅葉が洗われて、晴れた日には味わえない風情がありました。

「雨の日もそこにいる」ってことが、住民が観光客と一番違うところ。駐車車両がいないと路面の濡れた輝きも見えて、これがまたいいんです。

前にアップした晴れた日の三色彩道の写真(2001年撮影)はこのブログの写真でも一番気に入っているぐらいなのですが、じつは駐車車両をカットするために、ギリギリ高めにアングルを取っています。晴れた日に駐車車両を入れないで写真を撮る方法は早朝に行くことなんですが、その根性もなく…明日の日の出時刻は6時39分。冬至まであと1ヵ月しかありません。
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今年だけの紅葉

2009/11/21 23:56
画像…というのは公社A棟建替工事の上まで組み上がってカバーがついた状態と、紅葉の組み合わせは今年だけ…ということ。

台風18号で一度カバーの上部が取れて屋根がお目見えしちゃいましたが、またカバーをつけて外装工事の段階でしょうか。

去年の11月はまだ地鎮祭やってましたし、来年の紅葉の頃にはお化粧も完成して新しい生活が始まっているでしょう。

落ちる葉っぱは毎年同じ葉っぱでないように、町の景色も毎年変わっていきます。

(あとで定点撮影しやすいように、わざと手前の桜の幹を画面の端に入れて撮ってみました。続きは…またいつか!)
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哀愁のレインレイン

2009/11/20 02:13
画像ちょっと骨っぽいことを続けて書いたので箸休め…トウカエデの葉が散り敷いた雨の日の舗道。三色彩道の華やかな紅葉もいいけれど、こういうなんでもない風景が贅沢だと思いますね。

こんな日は本でも読んでるしかないなという日は、秋の雨の恵みです。
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丸い案内板、四角い案内板

2009/11/19 00:57
吹田市と豊中市が接する新千里東町三丁目の交差点では、道路案内板だけでなく町名などの案内板も市境を挟んで違うスタイルのものが立っています。まず、こちらが吹田市側。
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一方、こちらが豊中市側。
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これはタネを明かすと、豊中市側の四角いスタイルのものが、大阪府が立てた千里ニュータウン全域のオリジナルの案内板です。写真集「千里山」などを見ても、古くは吹田市側にもこの四角い案内板が立っているのが写っています。バーのてっぺんには北を示す赤い矢印もついています。

ところが府から両市にこういうタウンツール類が移管されたのち、吹田市だけ財政にゆとりがあったのか、この案内板を、丸いスタイルの一回り小ぶりなものに取り替えてしまいました。注意深く見ると、豊中市側の案内板には両市の地名が入っているのに対し、吹田市側の案内板には吹田市内の地名しか入っていません。千里中央ぐらい入れておけばいいのに。吹田市少し心が狭い気がします。

豊中市側に残る大阪府オリジナルの案内板では、「千里中央地区センター Town-Center of Central」って、馬から落ちて落馬している気もしますが。
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一本の通りが市境をまたぐと…

2009/11/18 01:22
新千里東町三丁目の交差点。北千里から千里中央へ向かう幹線道路はこの交差点で吹田市から豊中市に入りますが、吹田市側には…
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ところが同じ通りが豊中市に入ると…
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ネーミングの連携も何もなく、吹田市域はいかにも「愛称」という感じの標識板が立ち、豊中市域はいかにも機能的な名前の標識が立っています。

この通り、千里ニュータウン建設当初は「千里3号線」というひとつの名前だったのです。北千里駅前の交差点から新千里西町の南端、中央環状線につきあたるまで。実際の市民生活でも、この通りは北千里と千里中央を結ぶニュータウン北部の東西の幹線道路として、一体的に機能してきたし今も機能しています。

千里ニュータウンは大阪府が建設したので、こういった通りや公園の名前は開発当初、大阪府が命名しました。実は「千里3号線」じゃあまりにも素っ気ないと大阪府自身も考えたのか、万博を控えた1969年に、大阪府自身が「千里北通」という名前を付け直しました。東西に走る「千里1号線」「千里3号線」「千里4号線」は「千里南通」「千里北通」「千里山手通」に、南北に走る「千里2号線」「千里中央線」は「千里東筋」「千里中央筋」にと、大阪市内の「東西は通、南北は筋」というルールを持ち込んで、完成が近づいた千里ニュータウンのお化粧仕上げをしようと考えたのでしょう。

ところが初期の数年間で最初のナンバーネーミングは定着していて、とくに新しい名前の標識も立てなかったためこれはあまり定着せず、なんだかアイマイな状態になってしまいました。そして時代が下がり、まず豊中市が市内の通りの名前を整理した際にまた新しい名前をつけてしまい、吹田市は吹田市で2001年に市内の主な通りの「愛称」を公募して標識を立て、ニュータウン内では生活圏はひとつなのに、こういうことになってしまったわけです。(「三色彩道(さんしきさいどう)」は藤白台部分が有名ですが、この交差点から阪大前のつきあたりまで全部がその名前で括られています。)

ちなみに警察は警察で別のネーミングをしているようで、府道部分には「府道○○○号線」という呼び方もあり、もうなんだかわけがわかりません。多重行政の最たるものと言えるでしょう。僕は「千里3号線」でいいですよ。
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なぜかまたがるニュータウン(千里ニュータウン)

2009/11/16 01:20
画像千里ニュータウンに戻ってきました。先日ご紹介したベルリンの壁跡とそっくりな場所でパチリ!道路に埋め込まれたこのラインが吹田市と豊中市の境界線でしょう。

左が吹田市古江台、右が豊中市新千里東町。前方の道を上っていくと千里中央公園の展望台です。この線じたいはどっちに入るのかな。
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なぜかまたがるニュータウン(関西文化学術研究都市)

2009/11/15 02:37
画像はい、こちらは全国のニュータウンに数ある藤白橋の仲間…弓なりの歩道橋ですが、実はこの歩道橋の真ん中が2つの市町の境界線になっています。向こうが京都府木津川市、手前が京都府相楽郡精華町。

ここは略して「学研都市」。大雑把に言うと「つくば」の関西版として整備されている広さ3300haもの大ニュータウンですが、ここは驚くなかれ、7つもの市と町にまたがり、そればかりか京都府と奈良県と大阪府にまたがっているのです!

3つの府県が接する「京阪奈(けいはんな)丘陵」のあちらこちらを開発し、ひとつの学研都市と銘打ちながら実に12もの地区に分散しているので、こうなるとひとつのニュータウンと呼べるのか?という哲学的問題にぶちあたってしまいます。

この歩道橋を右手に150mほども行くと、京都府は終わりで奈良県になります。町並みも分かれているようには到底見えず、自治体が違えば当然小学校区なども変わるはずですが、小学校区を単位とした近隣住区理論はどうなっているんでしょうね。

行政区を超えた新しい都市を造るのだ!という意気込みはいいのですが、やはり現実をあまり無視すると、住民は不便なことになるのではないでしょうか。それともニュータウン住民はコスモポリタンだから、そういうことは気にしないのでしょうか。

世界に数ある「国境の町」も、実はこんな感じかもしれないと思いました。
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なぜかまたがるニュータウン(彩都)

2009/11/14 03:16
画像行政区域をまたいでしまうDNAは、千里ニュータウンの年が離れた弟分、「彩都」でもしっかり受け継いでます。

これは彩都内某所にある、「彩都が全部できたらこうなる」完成予想ジオラマ。東部地区までしっかり作られていて、ニュータウンオタクには心ときめくお宝ですが、それはおいといて…。オレンジの線で囲まれてるのが彩都の開発予定区域。ブルーの太線(私がphotoshop上で描きました)の左が箕面市、右が茨木市。現在開発中の西部地区も、できている部分はほぼ茨木市(彩都あさぎ、彩都やまぶき)ですが、これからできる箕面市の部分(彩都粟生南、彩都粟生北)もけっこう大きいことがわかります。

ところが彩都の公共交通体系は千里中央直結型にできていて、千里中央は豊中市。茨木市の中心部にも、箕面市の中心部にも、彩都から直接出る手段はありません。市役所に用事ってそう頻繁にあるものでもないと思いますが、しかし不便でしょう。

ニュータウンというのは「大規模な都市開発」であるため、開発主体は市町村のレベルを超えることが多く、ときとして「直轄地」という性格が強く出るようです。これが最初はいいのですが、年月を重ねるとやはり市町村単位で行政は行われますから、ニュータウン内の分断、既成市街地との一体感のなさという二重の問題が浮かび上がってくることになります。「地方行政はそのうち広域化するから」(合併だけじゃなく、連携でも)ということが前提になってるのだと思いますが…

ちなみに箕面市は豊能郡、茨木市は三島郡の系譜に連なり、さかのぼれば水系が違うし、わかりやすく言うと前者は阪急宝塚線、後者は阪急京都線沿線沿線。これが豊能郡グループの豊中市と三島郡グループの吹田市にまたがってる千里ニュータウンと同じ図式なのです。「行政の広域連携」って、だいたいまず旧の郡単位がベースになったりするので、それでもまたがってしまう。

ニュータウン住民は国境をまたぐコスモポリタンとして生きるように運命づけられてるのかも。
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なぜかまたがるニュータウン(湘南ライフタウン)

2009/11/13 02:13
画像こちらは神奈川県、藤沢市と茅ヶ崎市にまたがっている湘南ライフタウン。湘南といえば海のイメージですが、5kmほど内陸に入った丘陵部なので団地の高層階に上ったらなんとか海が見える…という距離でしょうか。

この湘南ライフタウンでは、大半が藤沢市で路線バスも藤沢市の駅(辻堂、湘南台)にしか出ないのに、ごく一部が茅ヶ崎市で、住民が藤沢市への編入を訴えているようです。

wikipediaによれば完成後に市境の整理をする予定だったのがこじれて中断してしまったとのことで、「2つの市でいく」つもりで造っていないため、市境はいまや完全にイレギュラーな線となって町を分断しています(造成前は何らかの意味があったのだと思いますが…)。

市境は戸建区画から集合住宅区画にも食い込んでいて、URの羽根沢第一住宅という団地では、1号棟から6号棟までが藤沢市、7号棟から16号棟までが茅ヶ崎市。現地を歩いても団地の真ん中に市境が走っているなんてまったくわかりません。

茅ヶ崎市の区画では各戸のポストに「湘南ライフタウンは1つの町1つの行政 当地区を藤沢市へ編入させよう」というステッカーが貼ってあるし、この大看板では茅ヶ崎市の公共施設がライフタウンには何一つないこと、防犯や防災上の不安などが訴えられています。行政区が真っ二つに分かれたニュータウンも何かと複雑なことになりますが、このようにごく一部だけの行政区が違ってしまうケースも、マイナー側に入ったほうはやりづらいでしょう。

実はこのライフタウン、「共生の思想」の黒川紀章氏が設計しているのですが、1つのニュータウンは1つの町として共生していきたいのが住民の願いではないでしょうか。「砂まじりの茅ヶ崎」じゃなくて「藤沢まじりの茅ヶ崎」って言ったら、おこられるかな。

「お住まいは?」と聞かれた時に、僕はたいがい「吹田」じゃなくて「千里です」とニュータウンの名前のほうを答えるのですが、ここに住んでる人はやはり「茅ヶ崎」ではなく「湘南ライフタウンです」と答えるのでしょうか?
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なぜかまたがるニュータウン(びわこ文化公園都市)

2009/11/12 02:17
画像既存の市街地から離れて大規模に土地を開発するニュータウンは、どうしても丘の稜線を削ったりして、複数の行政区域にまたがってしまうことが多いようです。それは千里ニュータウンだけじゃないのです。(多摩ニュータウンは4つの市にまたがっています。)

こちらは琵琶湖の南のニュータウン「びわこ文化公園都市」。計画面積は千里の半分ぐらいで、しかも大学キャンパスや美術館、公園などを含む広大な「文化ゾーン」が多くを占めるため「住宅ゾーン」(=飛島グリーンヒル)はそのまた40%ぐらいなのですが、これが見事に草津市と大津市にまたがっています。

千里のように大きな道路で分かれているわけでもなく、いきなり隣家から市が違う…(標識がなければ一つの町にしか見えない)という感じなのですが、町名は変わるし学校区ももちろん違います(たぶん…ゴミ出しのルールや警察の管轄も…)。まだ救われるのは、市境を示す標識がこのように共同で一枚になっていることぐらいでしょうか。

ニュータウンの開発に際しては、新しい道路などに沿って行政の境界の整理がしばしば行われ、千里ニュータウンも完成前に吹田市と豊中市で土地の交換をして実生活の不都合が起きないように調整がされましたが、ここではどうだったのでしょうか。

市町村にとってニュータウン建設は財政負担でもあると同時に利益機会にもなりうるので、またがったからと言ってどちらかにまとめてしまう…というわけにもいかないのでしょうね。
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千里ニュータウンはベルリンか?(壁崩壊20年)

2009/11/11 01:47
画像ベルリンの壁が崩壊してちょうど20年とのことで、特別記事。写真は2003年にベルリンを訪問した時の「ホンモノの壁」の跡です。

中央の人が踏んでいる線が壁の痕跡。正面に残された壁の切断面が見えています。歴史的な存在なのにご近所のブロック塀と変わらないほど薄く見えますが、この壁が2枚重ねになって間に無人地帯があり、そのゾーン全体が西ベルリンと東ベルリンを隔てていました。

…という話を千里ニュータウンと結びつけて考えたのは、一つの都市が2つの政治区域に分けられてだんだん個性が離れていく…という物語は、千里ニュータウンの吹田市豊中市問題と似ているような気がしたからです。

ベリルンの壁があったのは1961年から1989年まで。東西ドイツが分かれていたのは1945年から1990年までの45年間。その長さも千里ニュータウンの歴史を思わせます。僕がドイツに行った2003年時点で東西ドイツは統一から13年を経ていたわけですが、45年間違う政治体制下にあると、格差がなくなるのは45年以上かかるのだろうと思わせる光景が、数多くありました。ベルリンは2003年当時まだ中央駅がなく、空港も東西分割時代の小さなものしかありませんでした。旧西独側最大の都市ハンブルグとベルリンを結ぶ鉄道は、日本で言えば東海道線といえるような主要幹線だろうと思うのですが、単線の部分があって驚きました。

政治は、こわいです。人間の意識や暮らし方を、じわじわと変えてしまう。…千里ニュータウンの吹田市域と豊中市域の境界にはもちろん物理的な壁はありませんし、交通体系も一体化しています。しかし、元は一本の通りであった道路には吹田市と豊中市が違う名前の標識を立て、自治会などのシステムにも、両市は違う仕組みを採用しています。10年ほど前までは「吹田市」「豊中市」の地図とは別に「千里ニュータウン」の地図が市販されていましたが、それも廃版になってしまいました。

もちろん千里ニュータウンの吹田市域は東ベルリンではないので、2つの市域が違う発展をしてもイコール不幸な話ではないのですが、「千里ニュータウン」という一体のアイデンティティは、消えてほしくないと僕は思います。なぜなら千里ニュータウンは日本で最初の大規模ニュータウンで、その物語を埋没させてしまうことは「活力の維持」をいつも考えていないといけない人口減少時代に得策でないと思うからです。
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ニュータウンと新都心(千葉・幕張)

2009/11/10 00:17
画像幕張と言えば「幕張新都心」とか「千葉マリンスタジアム」とか「幕張メッセ」とか、住宅地とはほど遠い…むしろ横浜の「みなとみらい」のイメージに近い業務地区(オフィス街)を思い出す方も多いでしょう。

しかし海浜幕張駅周辺のオフィス街も隣の幕張ベイタウンも、その千葉寄りの検見川浜や稲毛海岸駅の周辺も、もとは「千葉海浜ニュータウン」という一体の計画としてスタートしたようです。しかしその完成には30年もの時差があるので「ひとつの町」という印象は薄く、一般に「千葉海浜ニュータウン」と言えば早く完成した検見川浜や稲毛海岸駅の周辺(花見川より千葉寄り)だけを指し、幕張ベイタウンは幕張ベイタウン、オフィス街は幕張新都心として隣接する3つの地区として捉えられるようです。

この幕張新都心はバブル華やかなりし頃に、多くの企業が進出・移転してきました。広い街路に海も近く、ホテル生活みたいなキャッチで町をアピールしていた記憶があります(キャッチはうろ覚え…)。電柱はもちろんなく、清潔そのものCGそのまんまみたいなビル街は、ドラマやCMの撮影などにもよく使われたようです。1978年に成田空港が開港し、湾岸道路や京葉線があいついで開通して一躍「都会」になった千葉県の目玉が幕張新都心でした。ニュータウン計画に関連して建設されたオフィス街としては、日本最大級と言えるでしょう。

1960年代に計画された千里ニュータウンは都心にも近く、住宅供給が優先されたため、業務地域は千里中央の西町側に取られただけでした。それでもその一角を住宅にするか、オフィスにするか、両方の選択肢を比較検討して決めたようです。「一戸でも多く住宅を」という社会ニーズにこたえつつ一方でオフィス導入も検討したのは、オフィス街で成立するならそのほうが土地が高く売れ、法人税も入って「商売」としてはより儲かったからです。

海浜幕張の一帯も当初は住宅にする構想がオフィス街に変更されたようで、土地利用の迷いは東でも西でも変わらないようです。
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中心は公民館(幕張ベイタウン)

2009/11/08 02:31
画像どんなニュータウンへ行っても町の中心には「タウンセンター」と呼ばれる一角があり、そこには量販店を核とした商業施設が集まっている…というのが相場なのですが、この幕張ベイタウンは違います。

この町は500mほどのところにJR海浜幕張駅があり、その一帯は「新都心」の業務地区として大きな量販店も集積しているため、町の中にはこれといった大規模店舗がありません。その代わり、街区の1階部分には多くの個別店舗が入っています。そして町の中央にはベイタウン・コアと呼ばれるコミュニティ施設が…。WEBサイトを見ると、公民館、図書館、小ホール、子供ルーム(学童保育施設)が一体になっているので、千里中央にある「コラボ」のコンセプトに似ているでしょうか。僕が行った日には「ベイタウンまち育てシンポジウム」が開かれていました。

タウンセンターに商業施設を置かないというのは、これはすごい割り切りです。で外観がこれ。新しいってこともありますが、なかなかスタイリッシュ。町の一体感を保つためには公共施設がダサくてはダメなので、これはなかなかの頑張りようだと思いました。
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ブラックジャックか京劇か(幕張ベイタウン)

2009/11/07 00:40
画像カラフルな積み木みたいな幕張ベイタウン。たとえばこの集合住宅、(これ住宅なんですよ!)建物の正面と側面で色が違うのです。窓枠のアクセントまで、神経がいきとどいています。

こう見ると派手なようですが、トーンは微妙に抑えられています。たとえば赤の部分は紅殻(べんがら)のような色。黄色も原色ではありません。意外と伝統色に近いのかも?アートする町と言ってもいいのかな。こんな町で育ったら、色彩感覚が豊かな人になれるかも?それは無形の財産ですね。
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カラフル!(幕張ベイタウン)

2009/11/06 02:47
画像千里ニュータウンと同時期の「団地」では、あまりに同じタイプのヨウカン型の住棟をずらりと並べたため、画一的だとか、幼稚園の帰りに自分の棟がどこだかわからなくなったとか、奥さんが帰宅したら間違えて上がりこんだ男の人がコタツで寝てたとか(実話らしい…)さまざまな物語を生みましたが、えーいそれならこれでどうだ!

…とばかりに、色も…形も…質感も…2つとして同じ建物はないというぐらい工夫をしたのが幕張ベイタウン。でも無秩序じゃなくて、全体としては多彩なリズム感を生んでいるように僕には思えるのですが、どうでしょう。彩度を合わせるなど、全体としてハチャメチャにならないように、ちゃんとコントロールされています。

千里では「同じタイプの建物を並べる」ことが長年良い町並みとされてきたため、団地建替に際しても、幕張のような「冒険」は思いもよらないと言うか、無難なベージュ系でまとめてしまうことが多いようです(多彩にしてハチャメチャにならないというのはセンスが必要ですが…)。

実は千里ニュータウンでも、初期の府営住宅B棟などは単調さをすくうために一棟ずつ全部違う色に塗られていたのですが(幕張ほどじゃなくて、もっとビミョーなパステル調のバリエーションでした)、これも(たぶん)増築の時に統一されてしまい、誰も当初の実験を覚えていないようです。

こういう「冒険」を、千里でももう一度できないものでしょうか。そういうことが若い人たちを呼び込むんだと思うのですが。
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バレンタイン通り(幕張ベイタウン)

2009/11/05 03:08
画像はい、「バレンタイン通り(Valentine Way)」です。千葉ロッテマリーンズの監督をつとめた…(2009年退任)。

幕張は千葉ロッテマリーンズのホームがある千葉マリンスタジアムがある町。だから地元に貢献があった個人名を通りにつけたというわけですが、そんなあたりも外国っぽいです。僕はスポーツのことはからきしわかりませんが、地元にゆかりの有名人の名前をつけるって、千里ならたとえば藤白台に「宮本通り」、青山台に「葉加瀬通り」、古江台に「かしまし通り」っていうような感じでしょうか?(なんだか楽しくなってきました…)

この案内プレートは建物の壁に直接つけられていて、そんなところも異国感をそそります。…え?プレートに直した跡がある?…よく気がつかれました。2006年春以前はこの通り、違う名前だったらしいです。古い名前は…「富士見通り」。これはまた日本的・江戸的な…。「富士見通り」って言うなら通りの正面に富士山が見えるべきですが、そういうふうに設計したんでしょうか?

でも大衆の人気のほうが都市計画より強かったということで、この改称は住民の「住みこなし」のわかりやすい一例と言えるでしょうね。
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車道も石畳(幕張ベイタウン)

2009/11/04 01:41
画像囲み型の要塞みたいなこの町並みをさらに個性的にしているのが、石畳。車道も歩道も石畳で、凝っていることと言ったら…。

ハイヒールでは歩きにくそうですが、クルマのスピードを落とさせる効果もあるでしょう。車道と歩道の間は杭とチェーンで区切っていて、段差がないことも注意です(幹線道路の車道はアスファルトで、歩道との段差もありました)。

石畳はメンテナンスも手がかかるんじゃないかと思うのですが、これだけ個性強く作ったのだったら、なんとか維持してほしいものです。
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囲み型の街角(幕張ベイタウン)

2009/11/03 02:19
画像こちらはオフィス街じゃなくて集合住宅街。

幕張ベイタウンではよくある郊外ニュータウンのように建物をセットバックさせて芝生の前庭を取る…というアメリカ型の町並みではなく、逆に敷地境界線まで建物を出してブロックをロの字型の建物で囲んでしまい、庭はブロックの内側に取る…というヨーロッパ型の町並みが形成されています(丸の内っぽい感じもします)。

この写真に写った通りでは1階部分が商店になっています(散髪屋のサインが写っています)。いわゆる「ゲタばき」ってやつですが、商業ゾーンと住宅ゾーンを分けないで上に積んで「にぎわい」を演出する…という考え方も、千里ニュータウンとは全く違うところです。

電柱は徹底的にないし、壁面は不思議に波打っているし、カラーリングは大胆だし、ニュータウンが「何かを実験する先駆的な場」だとすれば、この町並みは(千里とは全然違うけれど)まさにニュータウンでないと造れない実験街区だと言えるでしょう。強烈なアイデンティティです。こういう造りだと「ニュータウン」と「ニュータウン以外」は素人目にも明快にわかるので、ニュータウン住民としての自意識はすごく高くなるでしょうね。

「囲み型配置」は千里ニュータウンの府営B棟などでも採用されていますが、この町の徹底ぶりにはかないません。敷地境界線まで建物を出すということは、通りは狭く見えるのですが、親しげににぎわっているようにも見えます。向き合った住宅どうしの視線はどのように外しているのでしょうか?

広い通りに連なる芝生…だけがニュータウンじゃないのです。
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キュビズムの町?(千葉・幕張ベイタウン)

2009/11/02 00:17
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ひさしぶりに千里を離れてほかのニュータウンの訪問記いってみましょう。ずいぶん溜まっているのでどこにしようか迷ったのですが、今までいろいろ行った中で景観ビックリ度No.1幕張ベイタウンにご案内します(訪問は今年2月)。

ここは京葉線海浜幕張駅の海側に広がる広大な埋立地に1995年から入居開始された若いニュータウン。千葉ロッテマリーンズの本拠地でもあります。

この町の最大特徴は、すべての街区がぴったりした「囲み型」の配置で、建物に囲まれた中庭がコミュニティの広場になっていること。中庭(パティオ)にちなんで「パティオス」という町の愛称もあります。電柱はなく、駐車場の多くは地下で処理され、カラフルな壁面と凝ったデザイン!壁が折れ曲がって飛び出していたり、まるで近代絵画の中に入り込んだようです。これ、集合住宅なんですよ。ここは中庭へ抜ける通路に池をあしらってますが、人工竹林があったりフラワーガーデンがあったり、ブロックごとにいろんな試みがあります。賃貸と分譲、両方あるようです。
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次停車(約40年前)

2009/10/31 03:24
画像こちらは1967年製の古いボンネットバスの社内。同じボタンでも今と全然違いますね〜。

実は今年5月につくばへ行ったとき、ボンネットバスで筑波山一帯を案内していただいたのです。こういう古いバスを動態保存しているNPOがあるんです!

このバスは1979年にワンマン化改造されたと書いてありましたが、このボタンは製造当初からついていたのではないでしょうか。よく見ると「ワンマンの時、お降りの方は、このボタンを押して下さい」と書いてあります。この「ワンマンの時」という一節は1960年代後半、千里ニュータウンを走っていた阪急バスの一部の型にもついていました。つまり、ワンマンでも、車掌が乗っていたツーマン路線でも、どちらでも使える二重装備になっていた型のバスが、過渡的にあったのです。

1965年に千里ニュータウン内の路線はワンマン化されましたが、これは比較的早かったようです。開発当初の千里ニュータウンではつぎつぎ路線を新設する必要があり、人手を抑えたかったのかもしれません。新しいニュータウンで新しいワンマンバスをやってみた…そのあたりのテスト場になりやすかったという背景は、北千里駅で日本初の自動改札機を入れたことと共通しているような気がします。

新千里山駅前〜山田または七尾〜国鉄吹田駅前を結ぶ路線は、そのあとも1970年ごろまで?車掌さんが乗っていました。そこでワンマン/ツーマンどちらにも使える型のバスだと、車両の融通がしやすかったわけです(「マン」って言うけど車掌さんは女性でした)。山田村を抜ける旧道は本当に狭く、そんなシーンでのすれ違いでは車掌さんが道に降りて誘導することもあったのではないでしょうか(自家用車でもすれ違いに苦労するほどだったような記憶があります)。現在バスが通っている南側のバイパスは、1970年前後に万博関連で整備されたのだったと思います。
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つぎとまります

2009/10/30 02:49
画像路線バスはニュータウンの毛細血管ということで、バスネタもう一発いきましょう。

いまではあたりまえになったワンマンバスですが、千里ニュータウンが出来た頃のバスには、まだ車掌さんが乗っていました。定位置は中央の扉のうしろで、独得の節回しで「つぎは〜藤白台一丁目〜藤白台一丁目〜お降りの方はご支度ください〜」とアナウンスをし、ドアの開閉をやり、お客さんが乗ってきたら運賃を収受する。(記憶があやふやなのですがたしか先払いだったかと…?)道が狭い場所やバックする時にはクルマから降りて「バックオーライオーライ…」と安全確認をやる。それが車掌さんの役目。

1965年の春に、それまで古江台しか回っていなかったバスが藤白台の中まで入るようになり、このときからニュータウンのバスは最先端の「ワンマンバス」に変わりました。乗客案内は独自のカセットテープになり、これを運転手が操作する。扉の開閉や運賃の収受も運転手がやる。そのために扉が前にもつき、乗客は必ず運転手の横を通るようになりました。前から乗って、先に運賃を払って、うしろから降りる。降りる前にはボタンを押して運転手に知らせる。

…という「新しい乗り方」ができて、バスの中にボタンがつくようになったのです(運転手さんはずいぶん忙しくなりました)。最初のボタンは無骨なブザーで、ランプがついていなかったため、同じバス停で降りる人が複数いた場合も確認ができず、皆がブーブー押していたのでやかましかった。そこで改良されて一人目が押すと「つぎとまります」のランプがつき、二人目以降はボタンを押しても鳴らないようになり、「ブー!」という音も「ピンポーン」というスマートな音になり、やがて確認ランプが運転手席につくようになり、放送はテープからIC式になってボタンを押すと「つぎとまります」と返事するようになり…ワンマンバスもずいぶん進化しました。ボタンも大きくなって、ずいぶんカラフル。

ちなみに当初のワンマンバスは「前乗り後ろ降り(先払い)」でしたが、このやり方だと区間別運賃の路線で最低区間の運賃だけ払って二区以上乗るキセルをされやすい…ということで、「後ろ乗り前降り(あと払い)」にひっくりかえして乗る時に整理券を出す…という方式をたしか大阪市交通局の人が考え出して全国に普及し、千里ニュータウン内の路線は均一運賃ですが1970年代なかばに「後ろ乗り前降り(あと払い)」に変わりました。乗ってる間に運賃を用意してもらったほうが乗り降りが速くなるっていう理由もあったかと思います。(なんでこんなことに詳しいんだ僕は?)

最近はバリアフリーの観点からノンステップまたはワンステップの車両が導入され、前半分を低床にするため、うしろの扉は車体中央につくようになって中央扉が復活しています。

高齢者の利用が多い千里ニュータウン線(とくにラッシュ時以外)では他の路線より多く低床車が導入されているようです。千里中央でニュータウン外から来るバスと見比べているとわかります。

ユーミンが昔ラジオで「遠い外国が違うのはあたりまえ。バスに乗っていくぐらいの隣町に本当の異国がある」みたいなことを言っていたのですが、バスに乗っていった終点につくと、もっと知らない町へ行くバス路線が出ていて、そんなバスの路線図を集めるのに凝ったことがありました。
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ニュータウン動物園

2009/10/27 01:25
画像車道を行き止まりにして歩行者専用の抜け道(フットパス)でつなぐ…という街区構成は全国のニュータウンで見られますが(こんなこんな)、車止めのデザインにはさまざまなバリエーションがあります。

ここ千里ニュータウンの豊中市側、新千里北町では、いろいろな動物が配置されています。ここはリス。これは一点物じゃなくて、あちこち歩くと同じものが複数見つかりますから、神経衰弱オリエンテーリングができそうです。

藤白台にもフットパスはたくさんありますが、こういう動物の車止めはないので、千里ニュータウン中のデザインの分布はどうなっているんでしょう?誰か調べた人いないのかな。
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「千里ニュータウンは世界遺産になれるか?」

2009/10/26 09:53
画像
1ヵ月近く前のことになりますが、10/1(木)、関西大学で「千里ニュータウンは世界遺産になれるか?−文化的景観としての都市」というタイトルの研究発表会がありました。

→つづきは博物館ブログへ!
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ニュータウンと介護

2009/10/25 18:14
画像私事になりますが、きょう10/25は、母の4回目の命日なのです。昨秋に父も見送ってから最初の命日、どこへも行かず静かに過ごしました。

つい先日、女優の南田洋子さんが亡くなり、前から気になっていた夫・長門裕之さんの介護エッセイ「待ってくれ、洋子」を読みました。南田洋子さんといえば僕らの世代には「ミュージックフェア」の16年も続いた落ち着いた司会の印象が強く、ニコニコしながらスパッと核心に斬り込みそうなところは、なんとなく母を思わせるところがありました。数年間の自宅介護ののち亡くなったのが76歳だったと読んで、母と同じだなと思いました。長門さんの数年間の介護の「告白」は、一緒にいる時間のかけがえのなさと、手を尽くしても病状が進んでしまうことのつらさ、介護以前と介護が始まってからのさまざまな悔恨…そういった気持ちが混ざって家族に押し寄せるあたり、介護を経験した多くの人に共通の心情ではないでしょうか。

千里ニュータウン、藤白台の市民体育祭は大盛況だったけれど、急速に高齢化が進んでいることはやっぱり否定できません。親世帯の定住性が高く、子世帯が独立して出て行くケースが多いニュータウンでは、高齢化はある地点から急激に進行します。70歳ぐらいだったら今や「カクシャク」という形容を使うのも失礼なぐらいお元気な方が多いですが、これから千里ニュータウンでは後期高齢化率が急速に上昇するでしょう。

どれほどの人たちが介護に向き合っておられるのでしょうか?介護が必要になった人やその家族は、町に出ることが難しくなります。普通に町を歩いていた人が、あるときからふっと姿を見せなくなる。それはいなくなったのではなく、ベッドで一日過ごしていたり、施設や病院とのあいだを往復していたり…周囲からはなかなかうかがい知ることができません。「人前に出てこなくなっても、いる」のが重要なところで、外に出てくる人たちだけで町は判断できません。

ニュータウンの近隣関係は昔の地縁社会のように「ご近所のことはお互いなんでも知っている」関係ではなく、ドライでもないけれど踏み込みすぎもしないビミョーな距離感を保っているので、そこの加減が自治会などでも悩むところです。「核家族の老後」に、私たちははじめて向き合っているのです。

「老・病・苦」そのものを避けることはできませんが、町に出て来られない人の存在を見落とさない、ニュータウンがそんな町であってほしいと思います。
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ありし日を偲ぶ(新千里北町)

2009/10/24 02:11
画像こちらは千里中央からほど近い新千里北町第3団地。いわゆる公団(現UR)の分譲団地です。

つい今月の初めまで姿を見せていたのに、先日、建替のために建物が覆いで囲われました。白にグリーンのアクセントがしゃれた塗り分けでしたが…。中には階段一列の「ポイント住棟」もまざっていて、これが青山台にあるのとは間取りがたぶん違うのか、外観も少し違っていたのです。青山台と新千里北町は連続して建設され、時期はほとんど変わらないはずですが、規格化されていて同じように見える「公団の団地」でも、窓の数などを数えると、いろいろなバリエーションが巧みに組み込まれていることが伺えました。

「ました」と過去形で書かないといけないところが、なんともせつない。URの賃貸団地は原則昭和40年代以降の建物については建替をせずに活用の方法を探る…となっているようですが、分譲団地については入居者の合意しだいですから、南町はすでにマンションになったし、桃山台は工事に着手、北町もあとを追って…と、つぎつぎと千里ニュータウン「初代」の建物が姿を変えつつあります。北町の建替前後の比較(予想図)は、こちらで見られます。

「建て替えないでリニューアルで行く」という決議の話はほとんど聞かないですが、そういったリノベーションの先例が少なすぎることもあるのではないでしょうか。ぜひいろいろな例が出てきてほしいです。
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タクシーという足

2009/10/23 03:53
画像PCの前に長時間座りすぎがたたったのかニュータウンめぐりの運転がこたえたのか足腰を痛めてしまい、何日間かけっこうタクシーのお世話になりました。(数日はほんとうに這うようにしか歩けませんでした…)

北千里駅前に乗り入れているのは看板にあるように吹田交通、日本タクシー、阪急タクシーの3社。千里中央には他社や個人タクシーも入っていますが、この3社が千里ニュータウンでは昔からメジャーです。大阪のタクシーはハイヤーを兼用できるようにしている会社が多く、落ち着いた色合いがほとんど(ここが東京と大きく違う)。千里では日本タクシーのエンジが一番派手で、吹田交通も阪急タクシーも黒塗りです(昔は吹田交通は白、阪急タクシーは上半分が黒+下半分がオレンジでしたが…)。

運転手さんはおおむね親切で、だいたいの道を言ったら正確に運んでくれるので助かります。電話をすればだいたいすぐ来てくれます。千里は道も広いし住所の付番も整理されていて営業しやすいでしょうね。

カメのようにそろそろと足を運んで乗車したら「お客さん、この数日で足痛めはったでしょ」と運転手。「なんでわかるんですか?」と聞いたら、「元から足がわるい人はそれなりに動作の流れがあるけれどお客さんは動きがぎくしゃくしてるから」だそうで、さすがに運転手さんの観察眼はするどいです。高齢化している町で、タクシーの役目は重要だなあ。

生前の父が80代後半になってもマイカーの運転をやめずに心配していたころ、マイカーを手放したらどれだけタクシーに乗れるか試算したことがあります。駐車場代が近所の相場は月15,000円、税金と整備費とガソリン代と…と計算したら、「タクシーは贅沢」なんて言うけれど、日常的に乗りまくるのでなければマイカーより安い。運転手つきのカーシェアリングだって考えたらいいんじゃないかなあ?…でもやっぱり空車がないときもあるし、自由が制約されるような感じがするんでしょうね。とくに帰りが、呼ばなくてはなりません。

高齢になってクルマの運転も難しくなった人がタクシーを使いやすいように、割引制度とかサービスとかいろいろ工夫してほしいものです。
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信号機も交代中

2009/10/20 01:48
画像千里南公園の東側で、面白いシーンに遭遇…。信号機の取替作業をやっていました。

地上に置いてあるのが新しいLEDタイプ。アームについてるのがお役御免の電球タイプ。LEDタイプは「消費電力が少ない」「寿命が長い」「ハッキリと明るく入射光で光ったように見えない」というメリットがあるようです。

最初にクルマで通りかかった時、南行の車線を止めて、作業車のアームの上でおじさんが信号機を抱きかかえるようにまさに取替中!だったのですが、いきなり路駐してカメラ出して…というわけにもいかず…。クルマをガーデンモールに停めてから歩いて戻ったら南行の作業は終わっていて、これから北行をやる…というところでした。

こんなふうに町は少しずつ更新されていくんだな。
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団地萌えとニュータウンマニア

2009/10/19 01:14
画像きょう日曜日は千里山で団地見学ツアーと団地萌えの皆さんによるトークセッション「ダンパクF」があり、行ってきました。

千里ニュータウンの先輩であるUR(公団)千里山団地、いよいよ来年から建替のため解体に入るのです。この数年、「団地萌え」が静かな…どころじゃない?ブームの様相ですが、人数限定の団地見学ツアーに混ざってみたら…皆、若い!こりゃへたするとツアー最高齢は自分かも…?と思いつつ、若い人たちがこんな熱心に団地に向き合ってるってなんだろう?と思いました。

でも考えてみたら、少なくとも1960年代までは「団地族」って、時代の先端の憧れの的だったのです。「遠い・狭い・高い」だの、画一的で犯罪の温床になるだの、評判がぱっとしなくなったのは1970年代後半以降…日本全体が「豊か」というか、だんだんハデになって歯車が狂っていったのと同じ時期だったような気がします。

…ということは、時代背景がまた1950-60年代に戻ってるんじゃないか?若い世代の嗅覚ってばかにならなくて、しがらみに縛られてないからいつも素直な選択をしていると思うからです。それは「簡素でも合理的」という思想、「共同体への信頼」って言ったらいいのでしょうか。2009年、日本では住宅はとっくに足りてる計算になってるわけですが、一方で派遣切りに遭って家もなくなる…なんて人たちが出るのは絶対おかしいし、1955年に住宅公団をつくって住宅500万戸を建設すると宣言したのはくしくも鳩山(一郎)内閣でした。…今の総理のおじいさんです!

たのもしい?団地萌えの皆さんにまじってニュータウンのことを考えていたわけですが、「団地」と「ニュータウン」って同じじゃないんだけど、「簡素でも合理的」「共同体への信頼」っていう同じ線上にやはり乗っているのではないか?もとは「一団の土地」の略だった「団地」のスケール、コンセプトをさらに広げて複合的な町にしたのが「ニュータウン」でしょう。日本のニュータウンを歩くニュータウンマニアもがんばらなくっちゃと思った良き一日でした。(「団地」「ニュータウン」「集合住宅」の定義の違いは長くなるのでまたこんど…)

千里ニュータウンの中に、団地はいっぱいあるけど給水塔はないっていうのも発見!自分の町でも見落としてること、いっぱいあります。(こちらにも別バージョンのレポートがあります。)
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勝手に定点観測(写真展とコラボ編)

2009/10/17 23:51
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こちら北千里駅前のロータリー。2階から見下ろして撮っていますが、この同じ場所の推定約40年前の写真が、ただいまEXPO CAFE(天満橋)で開催中の「千里山(1964〜1970)」写真展で見られます!

こりゃ〜若い人はどこだかわからんわ〜。答えを知ってる僕が見比べても、あまりの違いにびっくり。昔の写真に写っている団地群は大半が今もあるのですが、SATYが目の前にどーん!と立ちふさがり、その向こうには旧・北千里小学校の校舎も、この昔の写真のあとでできています。手前には雨よけの屋根もでき、ロータリーの中央部は誰もが停められる駐車場だったのが(こんな駐車場で足りてたのね…)今は植栽に変わりオブジェも置かれています。バス乗り場に面した専門店街は平屋だったのが3階建に改築されました。右手にちょっと見えているセンタービルは実は同じなんですが、ファサードが改装されています。

今から40年たったら、どうなるんだろう?
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「千里山(1964〜1970)」写真展…天満橋・EXPO CAFE

2009/10/16 02:46
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開発初期の千里ニュータウンや建設中の万博会場が、若いレンズによみがえる!

前にも一度ご紹介したまぼろしの写真集「千里山」(自費出版なので一般の本屋では売っていないから)。産木民彦さんが千里丘陵を歩き回って記録した貴重な写真のかずかずが、いま、万博マニアがひそかに集まる天満橋EXPO CAFEで展示されています。

今回は特別に、写真集に収録されていない初公開ショットも、壁の展示やファイルブックで見ることができます。北千里周辺、藤白台、「現代美」としか言いようのない万博建設現場など、今からおよそ40年前の貴重なシーンが満載!千里ニュータウン住民の方にもぜひ見ていただきたい展示会です。(若い人が見たら「これが北千里ですよ」って言ってもわからないかもしれないですね…すごくカッコイイです!)

写っている住民は、全員若奥様!全員ミニスカート!…って言っても誇張じゃないのは、見たらわかりますよ。

天満橋のEXPO CAFEは、EXPO'70研究にハマッてついに脱サラしちゃった白井さんが、「1970年の雰囲気の再現」にこだわりぬいて開いたお洒落なカフェ。万事こだわり趣味の白井さん、メニューのほうもすごく美味しくて凝ってます。万博を知らなくても十分楽しくて明るいポップな空間です。

「EXPO CAFE」は、天満橋交差点から南西に少し入り、北大江公園を西にちょっと行ったところ(大阪市中央区島町2-10)。天満橋駅から徒歩3分。11:00-22:00。日曜日は休み。電話は06-7504-7365。

いい場所でいい展示会の組み合わせに、きょうはちょっと興奮気味で書いてしまいました。展示期間は決まってないそうですが、どうぞお早めに…。このブログの読者の皆さんだったら、もう一度行きたくなるに違いありませんから…。
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おしゃれなバス停

2009/10/13 23:59
画像バスネタが続きますが、南千里駅前の再整備で移設された新しいバス停。

しっかりした屋根と側面の雨除けがついて、ベンチや時刻表掲出板も一体化していて、しかも、なかなかオシャレ。大きな広告スペースがついているのがミソで、この広告代でメンテナンス費を出すことになっていると聞きました。

昔のバス停は棒杭一本に「阪急バスのりば」と書いた表示板がついてるだけの簡素なものでしたが、木製がスチール製になり、バス停によっては屋根がつき、ベンチが置かれたりしたのはいいのですが、そこについている広告が消費者金融のだったりベンチもボロボロになったり…「バス停」はニュータウンの景色にポイントポイントで影響するアクセントなのでもうちょっとなんとかならないのかなと思っていましたが、これだったら、VERY GOOD!でしょう。(欲を言えば、もう少しベンチが長くてもいいような気はしますが…)

こういうの、ストリート・ファニチャーというらしいです。「街路の家具」。いいデザインのストリート・ファニチャーは、町を引き立たせますね。ニュータウンはいつまでも、おしゃれであってほしいです。

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市民体育祭、大にぎわい!

2009/10/12 23:54
画像10/11(日)は、自治会を中心とした第44回市民体育祭が藤白台小学校でありました。

わたしは究極の運動音痴ということもあって、小学校の目の前に住んでいるにもかかわらず一度も参加したことがなかったのですが…やはり自治会の二大行事のひとつとあっては(もうひとつは盆踊り)、「若い男手がいる」と言われては今年はもう、断れません。(若い??それは相対的な尺度ですから…)

参加して思ったのは、「藤白台、ぜんぜん高齢化してないじゃん!」ということ。少なくともその日校庭にいたら、40年前、ほんとに「ニュータウン」だったころと全然変わらないし、それどころかますます発展しているように見えました。幼児からお年寄りまで、抜けている年代がない。幼児も小学生も中高生も20代も若夫婦も中年も前期高齢者も後期高齢者も、全部いるのです。

しかも競技のたびに「自分から出る」人がわさわさと入場門に集まってきて、(これが少なかったら引っ張り出すのも役目だったりしたわけですが)そんな心配ぜんぜんナシ!さすが44回重ねているだけあって、希望者は多すぎず少なすぎず、事前に決めているわけでもないのにだいたい定員前後に収まるところもすごい完成度でビックリでした。

ニュータウンは少子高齢化していて、学校も廃校が出て、世代が偏っていて沈滞化が著しく社会問題化している…と一般には言われているのに、これはどうしたことか?藤白台は例外なのか?

ほんとうに例外なのかもしれないと思いました。(もちろん足腰が立たなくなった人は体育祭には来ないわけですが…。)というのは、まず住区の単位がもともと大きいこと。隣接する(ニュータウン外の)上山田に30年前からマンションが続々と建ち、一丁目の社宅群も順次マンションになって若い家族がたえず供給されていること(上山田は藤白台小学校区で、連合自治会も「藤白台地区」といえば「藤白台+上山田」です)。ここに公社・府営の建替が進むと、新しい住戸がまた供給されること。意図せずして、最初からの住民→上山田、一丁目のマンション住民→団地建替で入ってくる新しい住民…という世代ローテーションがちょうど20年間隔ぐらいで成立していて、町が回っているのです。とくに上山田のインパクトが大きい。(戸建地区がたえず高齢化ぎみであることは事実です。こんなに高くなっちゃあ、若い人はなかなか買えません…)

吹田市の推計では、こんご藤白台は後期高齢者と40代ぐらいに二つの山がある年齢構成に変わっていく…となっているのですが、こんなに元気な体育祭を見たら「もっと高齢化するんだから対策を打っておかないと。若い世代を呼び込まないと」といくら言っても実感わかないだろうなと考えてしまいました。

ちなみに当日はとりこむだろうとカメラ持って行かなかったので、これは翌日の写真です。ヘソマガリですが…。インフルエンザの影響で小学校の運動会が今週半ばにずれたとのことで、テントはそのまんま。万国旗もおいてあったら雰囲気出たのですが、さすがにちゃんとしまってました。ソ連の旗がついてる万国旗でした。
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台風の翌朝2.

2009/10/09 02:51
画像もうひとつ「あっ!」と思ったのは公社の建替工事現場青いベールの上の部分が外れていて、まだお化粧していない屋根の部分がお目見え…。

傾斜屋根が見えるってことは、やっぱり上までできてたんですね。ベールは風で外れたのか、台風に備えて外しておいたのかはわかりません。このアングルは崖の上から撮ったので、低く見えますが新棟は崖の下に建っているのです。14階建だから崖の上まで頭を出しているというわけ。写ってませんが写真のすぐ右手にはゾウの滑り台があります。

完成予想図ではベージュ系の色にお化粧されるはずです(この棟は完成予想図の真ん中の列)。台風でお目見えしちゃうとは…。
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台風の翌朝1.

2009/10/08 23:35
画像ひさびさの大型台風18号が上陸。千里でも10/7の真夜中は家が揺れるほど強い風が吹きました。雨よりも風が強かったようです。

一夜明けると…台風は少し東にずれて知多半島に行ったものの、並木のトウカエデが青いまま葉を散らしてミゾにぎっしり!木は強風にこすられたようにハゲハゲになってしまい、今年の紅葉はどうなることやら…?折れた枝も落ちてます。藤白台小学校は一限目が休みになったようで、いつもは会わない子供たちと大勢会いました。

藤白台の真ん中は少子高齢化しているのですが、隣接の上山田はまだ子供が多くて、台風一過のにぎやかな登校風景でした。
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近鉄エリアまで300m

2009/10/05 23:33
画像千里ニュータウンでは見慣れない色のこのバスは、近鉄バス。実は藤白台まであと300mのところまで路線網が来ています。

茨木から万博公園に乗り入れるバス路線は阪急バスのほかに近鉄バスも受け持っており、その一部が阪大吹田キャンパスにも乗り入れているのです。この写真を撮った「阪大本部前」から藤白台までは、約400m。「記念公園西口」から藤白台までは、約300m。近鉄バスのエリアとしては西側の最前線と言ってもいいでしょう(高速バスは除く)。近鉄バスでは「スルッとKANSAI」は使えますが、「PiTaPa」はまだ使えません。

なぜ近鉄が茨木に?という歴史をさかのぼると、元は「茨木バス」という会社があって春日丘などに乗り入れていたのを1965年に近鉄が合併して「近鉄バス」になり、万博会場への大量輸送を分担するために万博に乗り入れ、これが阪大キャンパスまで足を延ばしてきた…という経緯があるようです。

藤白台は箕面市と境界を接していますが、実は茨木市ともかなり近い(阪大キャンパスの一部は茨木市美穂ヶ丘です)。違う色のバスは「隣町」という異文化を運んできてくれそうな気がします。
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町の色

2009/10/04 20:07
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…と言ってもいろいろありますが、僕がひとつ、「これを変えたら町の風景がずいぶん変わってしまうだろう…」と思っているのが、阪急バスの車体色。少なくともニュータウンができた頃から、ずっと変わっていません(少しブルーの部分が減ってベージュの部分が増えてはいますが)。

76番が藤白台回り。77番が古江台回り。バスが藤白台に乗り入れるようになったのは、1965年春。当時は新千里山駅前(現在の南千里)発でしたが、古江台とペアを組まされて交互に循環する形態は、当時からずっと同じです。1967年春に北千里駅ができて北千里始発になり、1970年春に千里中央駅ができて千里中央始発になり、途中、西町を経由するようになったり経由をやめたり、前乗り後ろ降りだったのが逆になったり、低床式になって真ん中の扉から乗るようになったり…と細かな変化はありますが…。バスは千里ニュータウンの毛細血管みたいなもので、高齢化社会の足としてがんばってほしいものです。

バスの車体色は町の風景に密着しているからでしょうか、全国的に鉄道の車体色よりも変更されることが少ないようです。都市部では複数会社のバスが同じ道を走ることも多いので、車体の色を変えるとどの会社のバスだかわからなくなる…ということもあるでしょうね。

…欲を言うと39年間路線の大変更をやっていないので、山田駅に出る便があるといいなあと思うことがありますが…あまり複雑にしてもわかりにくくなるから、変えないことも見識かもしれません。

郊外のかけがえがない平凡な日常風景に、バスは欠かすことができません。

※阪急バスの公式サイトTOPでは千里中央を中心にした24時間ドキュメンタリーが見られます。
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建替遠景

2009/10/03 23:54
画像千里中央公園の展望台から藤白台方面を見て。

北千里駅前で進行中の公社建替新棟が、大きく目立ってきました。その右手にある既存棟は5階建ですから、この角度からだと古江台に隠れて見えません。右手前には古江台で進行中の府営住宅建替現場も見えます。こちらも新棟が成長中…。

その手前のギザギザ屋根は古江台小学校。画面向こうに屏風のようにそびえるマンション群は上山田。その向こうは彩都〜サニータウン方面。ニュータウンの新旧が交錯する2009年です。
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あやしいアジト

2009/10/02 23:37
画像もう1ヵ月以上前、8月の終わりのことになりますが、北公園に突然あやしい建物が出現…ブキミにも最初からヒビなんか入っており、ショッカーのアジトか!?(写真をクリックすると拡大して表示されます)

しかも手前には瓦屋根の民家を模したらしい三角屋根もつくられ、橋が落ちた様子、傾いたバスなど、もうただならぬありさま…しかも裏に回ると、これハリボテで裏はベニヤまるだし!誰もいない北公園で、あやしさ400%です!

…ということはもちろんなくて、9月1日は防災の日(なぜ?1923年に関東大震災が起きた日だからです)。それにちなんで9月2日に地域防災総合訓練が行われ、それ用のセットが数日前から準備されていた…ということです。ふだん何もないところにいきなり出現するもんだから、自然体験交流センター建替中の仮設建物が、こんなところまで出てきたのかと思っちゃいました。最近千里ニュータウンはどこもかしこも建替だらけで、何を見ても建替関連に見えてしまう…ちょっと睡眠不足かなあ。

いたずらされないようにショッカーの一味が…じゃなくてたぶん市の職員がひとりずっと見張っていましたが、夜はどうしていたんだろう?
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何階まで行ったやら…

2009/10/01 21:13
画像ここも定点的に追いかけている、藤白橋上からの公社建替工事現場。9/29撮影。そろそろ14階まで積みあがったでしょうか。妻面には「公社賃貸ブランドOPH」と大書きされた広告も取り付けられました。

過去の写真と比べてみると…7/18に撮った写真と比べても、ずいぶん高くなっていることがわかります。その前の写真もその記事からたどってご覧ください。

「OPH」は「Osaka Prefectural Housing co.」の略らしい…つまり「大阪府住宅供給公社」ってことで、佐竹台新千里東町、新千里西町など、建替が終わった公社賃貸住宅ではこの名前がつけられています。藤白台ができると、千里ニュータウン内で「OPH」を名乗る新しい公社住宅がある住区としては4番目になります。

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天高く…

2009/09/28 00:58
画像こちらは藤白台の公社建替現場。実はこの写真、8月23日に撮ったものですが、空は早くも秋の気配でした。

今はもっと高くなっています。最終的には14階建になりますから…。周囲の既存棟に比べてほんとうに大きいですが、足場で囲んでいるうちはキグルミを着ている状態ですから、足場を外せばもう少しスマートに見えるはずです。
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南千里駅前定点観測(2009年9月13日)

2009/09/27 12:29
画像もう一発、南千里駅前の定点観測行きましょう。以前から追いかけている、南千里駅梅田行きホームから東方面の風景(これまでの姿は、こちらから順にたどってご確認ください)。

佐竹台メゾネットの跡地に、新しいマンションの姿が立ち上がってきました。定点を忠実に追った画角では、新しいマンションの姿があまり入ってこないのですが…。遠く見えていた佐竹台二丁目の公社の棟が、ふたたび隠れてしまいました。
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ここはどこ?は南千里でした!

2009/09/24 02:02
画像昨日出題した「ここはどこ?」はおーぼらさんのコメントが大正解で、南千里でした!(ただし当時の駅名は「新千里山」)

コメントにあるとおり、今は北千里行きのホームが増設されているため、定点(梅田行きのホーム上)から写真を撮ると、北千里行きホームに画面が隠されてしまいます。で、この写真は北千里行きホームに場所を移して擬似定点撮影。丸善石油のガソリンスタンドはコスモ石油に名前を変え、今も同じ位置にあります(平屋が2階建になっていますが、元の写真より接近して撮っているのでよけいに大きくなったように見えます)。左のプレハブの飯場の位置には吹田市の南千里庁舎が建っています。背景の荒野の変わりようには息をのむばかりですが、左手の高台は今も残って、ここだけがなごりをとどめています。しかし植生は松から変わっているように見えますね。

この場所をいま撮りたいと思ったのは、長年建替でもめてしまった千里桃山台第2団地(5階建の部分)が解体工事に入っているからです。山林から造成地へ、そして団地へ、新しいマンションへ。現代の日本の郊外では、景観はそのように何度も移り変わっていきます。退去してから建替がもめ、仮住まいが長くなってしまった方々を複数存じあげているので「やっとですね…」と声をかけたくなりますが…

健ちゃんさんからは「万博会場では?」とコメントをいただきましたが、この桃山台・竹見台あたりは、万博予定地の買収がてこずったら会場に転用できるように平たく造成されたというエピソードがあるので、たしかにそのように造成された…ということが偶然証明されたようなものですね。建物がない状態の写真だから、地形がよくわかります。たった40年あまりでも、土地はさまざまな物語を生んでいきます。
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ここはどこ?(千里ニュータウンです)

2009/09/23 01:44
画像ひさしぶりに千里ニュータウン…なんですここは。ただし1965-67年頃。ニュータウンにお住まいだったある方が撮られた写真です。(このブログの写真、サイトポリシーに書いてありますが勝手に取って使わないでくださいね!)

さてどこでしょう?見わたすかぎり茫漠たる荒野。造成したあとと思われますが、薄緑に見えるのは、しばらく造成したまま置いてあったのでしょうか。ヒントは手前下にちょっと写ってる線路。裏返しになったガソリンスタンドの文字は「丸善石油」。このガソリンスタンドは今も同じ場所にあります(建物は変わっています)。丸善石油は今は合併して…?左上には、里山の頂をほんのちょっと残したらしい松林が見えます。

あまりにつかみどころがない風景のせいか構図としては中途半端ですが、いまや貴重な記録です。

ちなみに「OH!モーレツ」のCMで一世を風靡したのが丸善石油ですが、それは1969年だからこの写真よりもっとあとです。目を凝らしても小川ローザののぼりなんか写ってないのであしからず…
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心臓移植募金・その後の報告と御礼

2009/09/22 00:55
昨年の今頃、このブログ上でご協力をお願いした岩田天晴(てんせい)君(私の同僚の息子さん)心臓移植のその後のご報告です。

皆様のご協力を頂いて募金は無事目標額を集めることができ、天晴君は今年1月6日に渡米、ニューヨークのコロンビア大学病院に入院しました。わずか2日後の1月8日に適合するドナーが現れ、心臓移植手術が行われました。以後経過は順調で、経過観察ののち8月5日に帰国。公式サイトの近況報告によれば、2学期から1年半ぶりに学校に復帰したとのことです。

このブログでは右のリンク欄トップに「天晴くんを救う会」へのリンクを設け、心を寄せてくださった皆様と見守ってきましたが、天晴君が「普通の生活」に戻っていくことを願って、このリンクは9月限りとしたいと思います。(公式サイトはクローズされるわけではありませんので、引き続きご覧になりたい方は「お気に入り」への登録をお願いします。)

心臓移植手術といえば、昔は新聞のトップニュースになるようなことでしたが、その必要が身近で起きたということ。本人の生きる力、見ず知らずの人を含め大勢の人たちの支え、「いのち」の重さ、医療技術の進展、そこにはたした「コミュニケーション」や「WEB」の力の大きさなど、私にとっても、とても感じることが多い経験でした。私は「広告」というコミュニケーションを仕事にしていますが、私が関わったのは微力なほんの一部であっても、ひと一人の命が救えたのであったら、コミュニケーションを仕事にしていて本当に良かったと思いました。「仕事、ちゃんとやんなきゃ!」と、すっごく思いました。

私たちが暮らす藤白台にも国立循環器病センターがあり、難しい心臓病の研究・治療に対して世界レベルの前進基地となっています。日頃感じることはなかなかなくても、着実な努力によって私たちは「進歩」しているのです。

人間ひとりの力は小さいですが、何かができないわけじゃない。見守ってくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。
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海と山と(潮芦屋)

2009/09/21 02:17
画像潮芦屋地区でいちばん多くの面積を占めているのは、写真のような普通の戸建住宅です。平均80坪ぐらいでしょうか。芦屋浜でみられたタウンハウスは、潮芦屋にはありません。

…ミョーに写真がコザッパリと見えるのは、電柱が一切写っていないからでしょう。しかもアンテナもないようです。ケーブルにしているんでしょうか。道との境界は生垣にすることで統一されているようです。

背景には六甲山!これがなくては阪神間とは言えません。前には海。どちらかだけでも地域の魅力としては十分大きいですが、それが両方あるんです。海と山両方が楽しめることは、昔からこの地域が愛されてきた大きな理由ですが、埋立地のシンプルな風景の中で、阪神間伝統の舞台装置もきわだって見えるようです。
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災害を逃れて(潮芦屋)

2009/09/20 00:15
画像潮芦屋地区はヨットハーバーつきの豪邸だけでなく、震災で家を失った人たちが入居する公営住宅…災害復興住宅もあります。

災害復興住宅は神戸市ほか阪神大震災の被災地に数多く建設されましたが、短期間で大量かつ一定の品質の住宅を供給する必要があったという点で、人口増加に追われた高度成長期のニュータウン建設につうじる成立事情があります。大急ぎで作った町を、いかに愛着の持てる町にしていくか…しかも一般のニュータウンとは異なり、災害復興住宅では最初から高齢化が進んでいるわけです。

「南芦屋浜 災害復興住宅」と入れて検索すると、この町を舞台になされたいろいろな試み、「早く、いい町」を造ろうとした努力の足跡が出てきます。高低や棟の向きをとりまぜた配置も、新しい団地設計の手法が取り入れられていますね。
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「ゲーテッド」考(潮芦屋)

2009/09/19 02:14
画像「プライベート・ヨットハーバーつきの豪邸街」の入口。オシャレですが厳重な塀に囲まれています。左の建物はエントランスの詰所なのか個人のお宅なのか…?マンホールのフタまで花崗岩で、写真を撮っているだけでも緊張してしまいました。

不安の種が尽きない世の中、セキュリティを売り物にする町が出てくることは市場原理から言って不自然な話ではありませんし、多くのタワーマンションなどは入口でセキュリティがかかっていて実質的にゲーテッド・コミュニティ化しているわけですが…さてそれが「当然のこと」になっていくのはどういうものか…?(この話は前にも書きました。)つまりその傾向があまりに進むと、「地域の分断」が起きてしまうからです。

でこの塀の前で僕が考えたことは、「芦屋だったら、ま、いいか」という明快でない基準でした。世の中のどこかには、このようなお金持ちの町があって、そういうある種の「夢」はあっていいものだと思うし、芦屋は日本でもトップクラスの富裕層が集まる町ですから、それがあるのにふさわしいと言えるからです。お金持ちの暮らしも苦労がたえないだろうな…とよけいな心配をしてしまいましたが、そういう生き方が悪いわけじゃない。それにこの一画は町の一番端にあり、海岸線を全部占拠しているわけでもありません。

しかし千里が建替などでゲーテッドぽくなるのは、僕はいやです。まず「格」が違う。千里ニュータウンの思想は「どのような収入層であっても良好な生活環境を享受できること」にあって、豊かな公空間こそが千里の財産だと思うからです。高度成長期に公費を工面し、農家から土地を収用して造った町ですから、その恩恵が一部の層に偏るのは筋が通らないし、「どのような収入層にも等しく」という発想になるのは、当然のことです。千里は生活満足度が高いとされ、住民が定着したために高齢化が進んでしまった一面がありますが、その芯は「合理的思想」であって、それを「高級志向」だと思うのは、ひどい勘違いです。

「千里はブランドである」と言う人は地元に多くいて、たしかに周辺より不動産は高いのですが、「千里ブランド」は「芦屋ブランド」とは違う方向をめざすべきでしょう。
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ヨットハーバーつき分譲住宅(潮芦屋)

2009/09/18 10:07
画像この潮芦屋では、ぜひとも行ってみたい住宅街がありました。ヨットハーバーつきの住宅街。海につながる水路が引き込んであって、なんと一軒ごとに自家用ヨットを自宅裏のプライベートハーバーに係留できるのです。勝手口出たらすぐヨット。さすが芦屋!埋立地も違う!こんなコンセプトは、日本では芦屋か、さもなくば葉山あたりでなくては成立しないでしょう。

この一画はまた、日本では珍しい「ゲーテッド・コミュニティ」(全体が塀で囲まれていて不審者が入れないセキュリティつきの町)としても話題を呼びました。まさに門外漢が入れない…というやつです。(この写真は塀の外から撮ったのでアングルがいまひとつ…。)

まさに「お金持ちのための町」という造りですが、まだできて日が浅いためでしょうか、軒数がさほど多くないためでしょうか、威圧感は感じられず、海辺の片隅でひっそりと潮風だけが吹いていた…という印象でした。植栽もまだ完成していないのでしょう。

この町がサンディエゴやモナコみたいな風格を手にするには、まだ年月が必要なのでしょうね。
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海とむきあう(潮芦屋)

2009/09/16 01:02
画像
潮芦屋地区でも人工の砂浜が造られているのはごく一部で、あとはやはり定規で引いたような護岸になっていますが、泳ぐことはできなくても釣り人たちはいっぱい集まっていました。何が釣れるんでしょうか?食べられるんでしょうか?

水平線のかなたには紀州の山並みが見えます(行ったのは空気が澄んでいるお盆の日でしたから…)。谷崎潤一郎「卍」には芦屋浜の2つ大阪寄りにある香枦園浜の情景が出てきます。

「宅は海岸の波打ち際にありますのんで、二階はたいへんに見晴らしええのんです。(中略)それはとても明うて、朝やらおそうまでは寝てられしません。お天気のええ日ィは松原の向うに、海越えて遠く紀州あたりの山や、金剛山などが見えます。」

この日は関空に下りていく飛行機も驚くほど間近に見えました。海つきのニュータウンはやはりかなり贅沢と言えるのでしょうね。錆びることなんか気にしていてはいけません。
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白砂青松を復元する(潮芦屋)

2009/09/15 10:27
画像海水浴場があったころの阪神間は、こんな風景だったのでしょうか。人工の潮芦屋ビーチの周囲には、高度成長期まで阪神間にはいっぱいあった松林が再現されています。通りかかると若い松の葉っぱがいい匂い…。

阪神間の松原と海の原風景は、まさに風光明媚というべきもので、谷崎潤一郎の「卍」などにも描かれています。

高度成長期に造られたニュータウンは(千里もおおむねそうですが)元あった景色を必死に塗り替えて「新しい景色」を造ろうとしたかのように思われます。芦屋浜も1970年代に造られた部分は、まさにそうです。村上春樹が「羊をめぐる冒険」で書いた空虚感は、その「塗り替え」が生んだものであったでしょう。

しかし時代が下がり、最近のまちづくりは、その土地の原風景をなんとか取り入れたり、再現しようという方向に変わりつつあるのではないでしょうか。千里ニュータウンでも「じゃあ千里らしい景色って何よ?」と問われると、「竹」に帰っていったりして、そういうイベント活動が行われています。(松原のある浜の風景や千里の竹林も、もとはと言えば江戸〜明治期に人工的に造られた風景らしいですが…)

もちろんそれが、開発の「罪滅ぼし」であったり、「ぱちもん」の原風景であってはなりません。しかし記憶やストーリーを失った新しい町をどんどん造っても、すでに人口減少時代に入った今、人は来ない。この人工の松原は、ささやかだけど一歩前進とは言えるのではないでしょうか。
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