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アラウンド・藤白台
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日本で最初のニュータウン、大阪・千里ニュータウンの「藤白台」(ふじしろだい)周辺を一緒に探索しましょう!
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楽しい校門(沖縄・石垣島)

2008/05/11 23:51
画像悲しい伝説を秘めた野底マーペーのふもとにある野底小学校の校門は、底抜けに明るくって楽しい校門でした。

「早ね早おき朝ごはん」という簡潔明快な標語がカラフルなアーチになっていて、しかもその上にはゴーヤーやパイナップルやアカショウビンらしいキャラクターの絵が…。

標語って、重々しくやるととてもツマラナイものになってしまいますが、こんな校門だったら学校へ行くのも楽しくなるんじゃないかなあ。あまりのカラフルさに、ドライブ中思わずクルマを停めて写真を撮ってしまいました。鉄の扉なんかなくてあけっぴろげなのも、本来学校っていうのはこういうもんじゃないかと…。

幼稚園と併設の、過疎化が進む小さな村の小さな小学校ですが、やはり校庭は沖縄特有の青々とした芝生校庭です。学校が楽しくて何が悪い!といわんばかりのキョーレツなアピール、完全に一本やられました!
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移住という人類の営み(沖縄・石垣島)

2008/05/10 23:51
画像石垣島の北部に野底マーペーという少し変わった名前と形の山があります(地元発音では「ヌスク」、内地風では「のそこ」)。高さは282メートル。歩いてしか登れないので観光ガイドにはほとんど出てきませんが、ふもとから40分も歩けば頂上まで登れてしまいます。

この山には移住にまつわる悲しい伝説があります。今から268年前、石垣島の南方に浮かぶ離島、黒島にマーペーという娘と、恋仲の若者がおりました。ところがある日、役人がやってきて「この村のこの道からこちらに住む人間は、石垣島に移住して開拓に従事せよ」と命令をくだし…マーペーは恋人と引き裂かれ、この野底の村に強制移住させられてしまったのです。

恋人を思うあまりマーペーは故郷の黒島を見ようとこの山に登り…しかし目の前には沖縄最高峰の於茂登岳がたちふさがり…悲しみのあまりマーペーは祈りながら石になってしまった…という話です。

以来島人はこの山を「野底マーペー」と呼ぶようになり、特徴ある山の形も琉髪を結った女性がうなだれているように見えると言われています。

「道切り」とも言われるこの強制移住は史実であったという記録が残されています。今の感覚では石垣島より黒島のほうが小さく離島であると思ってしまいますが、マラリアのあった時代にはジャングルがない黒島のほうが住むのに適していたという考え方もあるようです。

あちこちの「ニュータウン」を見て歩いていると(ニュータウンへ来た人たちは強制で来たのではないですが)、「まとまった移住」は人類の歴史上、古今東西どこでも起きる現象であり、ニュータウンはたまたまそれが大規模に起きただけではないか…という思いに至ります。ニュータウンは一種の都市の「典型」なのです。「人工都市」「計画都市」というと何かすごく特異なもののように思いがちですが、「町をつくる」ということは本質的に人為的な営みでしょう。

だから、移住で起きる喜びや悲しみには、人の心を掴む普遍性があるのではないでしょうか。

今も野底マーペーの頂上からは黒島を見ることはできません。しかし太平洋と東シナ海を一度に望め、風の音しか聞こえないこの山頂は、とても素晴らしいポイントです。
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開発の村(沖縄・石垣島明石)

2008/05/09 17:58
画像
沖縄・石垣島の東部〜北部にかけては第二次世界大戦後に入植・開拓された新しい村が続き、どの集落へ行っても「開拓の碑」や「入植記念碑」が村の中心に見られます。

こちらは明石(あかいし)集落の「入植20周年記念・開拓の像」。昭和30(1955)年入植と刻まれてありました。「開拓之碑」と、「開拓の詩(うた)」という歌碑と、3点セットで公民館の前の一番いい場所に…。

開拓の詩(うた)

みどりの資源 海の幸 未開の沃土 地下の富
琉球の宝庫 八重山

産声高く 明石に 集う我等は 開発移民
世紀の波に 今乗らん

未開の歴史 返り見て 開ける道を 示さんと
故郷を離れてはるばると

逢えば一つの 水心 宝庫を開く 無限の力
欲を忘れて一手一つ

若い血潮は みなぎりて 共にひらかん 眠れる資源
真実つくす時ぞ 今

スクラムくんで 開発に 地の利を生かす その時に
永遠の楽土は築かれん


この碑の向かい側には次のような碑文も…

地の利は 人の和に如かず

米軍占領下で、今のように舗装された道路があるでもなく、島の中心部からは40kmも離れていて、まだマラリアもあり、開拓者の苦労はどれほどのものがあったかと心に響いてくる重い言葉でした。「開発移民」という言葉を見て、大阪・千里ニュータウンの中心も当初は「千里開発センター」だったなあと…(都会者の苦労などカワイイもののような気もしましたが…)そこには何か共通する精神があるようにも思えました。

何もかも自分たちで作る、自分たちで作らなくてはならない…喜びと重さが、同時にあったのだろうということです。
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沖縄なのに北海道みたい(石垣島・明石)

2008/05/08 23:56
画像ゴールデンウィークも終わってしまったので、未練たらしく先日旅行してきた沖縄・石垣島北部の特別編をお届けします。(旅行中はケータイで繋いで千里ニュータウンの画像を沖縄からアップしてたのに…ヘソマガリ!)

牧場に馬がいるのどかな風景は、石垣島北部の明石(あかいし)という集落。地図で見るとヒシャクの取っ手みたいな部分の真ん中あたりです。この村の主産業は酪農。珊瑚礁の海に面して牧場が広がっています。よく知られるサトウキビ産業が補助金や国際競争の関係で厳しくなり、酪農の比重が高まっているとのことでした。

石垣島東部〜北部は比較的観光化されていないパートで、第二次世界大戦後、入植者によって開拓された新しい村が続きます。馬や牛がいて牧場があるから…という「外見」だけでなく、開拓によって大自然の中に拓かれた…という「精神」の部分でも、この一帯は「沖縄なのに北海道みたい」なのです。

石垣島を何度も(約30回…)旅していると「北海道から来た」という観光客にわりとよく会うような気がします。最初それは「自分の町と逆のものを求める」気持ちかと思っていたのですが、やがて気がつきました。実は「自分の町と同じ要素を探しあててしまう」のではないだろうか…?(「内地」という言葉が今でも生きているのも、両者の共通点です。)

すると、ニュータウン育ちの自分がここを気に入って何度も来てしまう理由も、ああ、結局自分は「開拓地」に何か惹かれているのかも…とわかるのです。
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団地植物園−レンギョウ

2008/05/07 01:01
画像4/20の撮影で少々季節遅れですがお蔵入りもモッタイナイので…。

左手は今は解体のため囲われてしまったA19棟。ほんの半月ばかり前の風景なのに、遠い昔のようです。左下の塀も、今はさらに上部に目隠しが継ぎ足されました。新しい団地も緑と花がいっぱいある団地になるといいなと思いますが、今の団地内にある植物、どれぐらいが公社が植えたもので、どれぐらいが住民の方が植えたものなのでしょうか?
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団地植物園−ハナミズキ

2008/05/06 18:02
画像こちらは北千里公民館の窓から古江台の府営B棟をながめて。

ハナミズキは上を向いて花をつけるので、2階の窓から見るとちょうどいい眺め。古江台四丁目の府営B棟も建替計画が進行していて、北千里地区最初の団地もあと数年で世代交代のときを迎えます。

このハナミズキは公民館側の敷地に植わっているので、あと何年かねばれば、新しい団地を背景にした定点観測ができるかもしれません。(この写真は4/20の撮影です。)
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団地植物園−ツツジ

2008/05/05 23:03
画像ええっとこれツツジですよね?それともサツキ?…とさっそく自信ないんですが…。

千里ニュータウンでは団地でも戸建住宅街でもいたるところで見られるツツジまたはサツキ。サツキは吹田市の花でもあります。1960年代の造園植栽で流行っていたのかもしれませんし、土質が合っているとか、安いとか、手入れが楽だとか、なにか「普及する」要因があったのでしょう。

まあとにかく千里ニュータウンのゴールデンウィークの景色と言えば、欠かせない花がこれ!ツツジ?サツキ?(自信がまったくないのに書かないわけにはいかないぐらい欠かせないってことです…誰かタスケテ〜)
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「過渡期」をどう生き抜くか?

2008/05/04 00:54
画像ついほんの2週間ほど前のA19棟。塀に「大規模開発事業の構想のお知らせ」と「建築計画のお知らせ」が貼り出されています。

いま千里ニュータウンでは、最初期に開発された佐竹台や千里中央周辺を筆頭に、どこもかしこも「団地」の大規模建替が始まろうとしています。賃貸でも、分譲でも…。(※URの賃貸のみは当面建替はせず、リニューアルで行くと聞いています。)中には終了した建替もありますが、これからが建替の本番です。一区画の建替でも工期をいくつかに区切り、入居者の方の仮移転をヤリクリしながら工事を進めるため、全部の完了にはかなりの年月がかかります。藤白台でも公社A棟は2013(平成25)年、府営B棟は2018(平成30)年頃…そこからさらに高層化によって生み出した再生地(活用用地)に(たぶん)民間住宅が導入され…と、いささか気が遠くなるようなスパンの話です。

住民の高齢化、設備の老朽化という観点からは「待ったなし」の状況でありつつ、費用の手当等の問題もあり、また一斉建替は入居世代の偏りを再生産してしまうため、時期をずらしながら少しづつ進めるほうが町のバランスという観点からはプラスの面もあります。ここが、戸建住宅の更新とは違う団地建替の難しさです。

千里ニュータウンは1970年に一応完成してから30年間ほど、人口の7〜8割を占める団地に関しては平穏な「安定期」が続きました。でもこれからは明らかに「過渡期」に入っていきます。建物が新しくなれば新しい住民も入ってきます。普通の町ならこうした新陳代謝は徐々にたえず進むものですが、一度に作ったニュータウンでは一度に更新期が訪れ、どこかで調整をしていかねばなりません。「過渡期」が長くなれば、その間に経済状況や人口動態がどうなるか、不確定要素も増えてきます。人口の7〜8割を占める集合住宅に大きな変化があれば、当然、ひとつのコミュニティとして、戸建住宅にも影響は避けられません。

…って書いてくと不安でいっぱいになっちゃいそうなんですが、町の住民としては、過渡期が続くのならば思いわずらっていると身が持たない…せめて明るく生きていきたいものだと思います。町のどこかで大きな建替工事をやっている…そんな状況がこれから10年以上続くのです。何度も書きますが千里ニュータウンは今、郊外都市の再生例として全国から注目されています。もちろん建替によって環境が変わることも出てきますが、注目されている中でそうメチャクチャなことはできないはずだと僕は考えています。

きちんと情報を持って、変化も日常の一部として、つぎの「ニュー」を楽しみに待つ…日本で最初のニュータウン住民ならば、それは必ずできることだと僕は思いたいです。
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イングリッシュ・ガーデン

2008/05/03 00:32
画像公社A棟「ふれあいの道」の一角で。バラじゃなくてヤエザクラですが…(この写真は少し前に撮りました)。

あまりきっちり刈り込んだりせず、自然の趣を生かしているあたりが英国庭園風かなと。40年たたないと出せない味わいがあります。
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パーマンって、知ってる?

2008/05/02 03:05
画像ピアノ池の柵で見つけた、鉄錆びた手づくりの看板。

描かれているのは「パーマン」ではありませんか。よくがんばってたなあ。藤子不二雄氏が「オバケのQ太郎」と「ドラえもん」の間、1966年に放ったマンガ・アニメのキャラクターです。「やめよう魚つり・川あそび」って書いてあって、カモのことは書いていません(だいたい川じゃなくて池なんだけど…)。

パーマンは1983年からも再連載されたようですが、この看板は最初の連載のときからあるのか…再連載のときからあるのか…?この看板は相当古そうだから、1966年前後の設置だとすると、40年間ぐらいかかってるってことになります。ここにカモのことは書いてないから、素人探偵としては、40年前にはカモはこの池にいなかったと推定できるのであります。

親御さんが子供の目を引こうと、必死にマンガ見ながら描いたんでしょうね。パーマンは「P」の字のバッチを胸につけているのですが、ひょっとしたらPTAの「P」かしらん?
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緑煙る

2008/05/01 01:07
画像三色彩道は秋だけじゃないぞ…っていう光景。フウが新緑のトンネルを作っています。

こんな道を通って毎日学校に通えたらなんて贅沢でしょう!…というのは美化した言い方で、通学路になったら遅刻で必死とか忘れ物のこととか、そんなことで頭いっぱいになって走り抜けてしまうような…(僕が中学生のときはこの道使ってたけどまだ木が小さくてトンネルじゃありませんでした。)

41年前のこちらの写真とほぼ同じ場所(逆方向)なんですが、同じ場所だって信じられないでしょう?
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めきめき

2008/04/30 23:54
画像去っていく建物あれば生まれる建物もあり…。新陳代謝のときをむかえている千里ニュータウン。

こちら千里中央の新しい顔、50階建のマンション建設現場です。ただいまめきめきと成長中…。昔のように杭打ちの音がするでもなく、土埃が舞うでもなく、粛々と天空で事が進んでいく感じですね。

このてっぺんから千里ニュータウンを見たらどんな景色に見えるのか?40年以上なじんだ町も違った顔を見せるでしょう。誰か知り合いが買ってくれないかな?
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生まれたときのように

2008/04/29 01:50
画像ついに解体のための足場が組まれた公社A19棟。最後のおつとめをしていた「入居者募集中」の垂れ幕も外されました。

僕はこの団地の建設中から憶えていますが、建設中もやはり周囲に足場が組まれていました。ただし40年以上も前のこと、当時の足場は竹と木材で出来ていたような気がします。昔の職人さんはその上をひらりひらりと、まるで芸当師のようでした。今はがっしりした鉄のジョイント…。やがてこの周囲に防塵用のおおいがつけられ、全体をすっぽりと隠してしまうでしょう。

藤白橋の上からこの様子をじっと見ている方もありました。ただ言葉もなく…
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こもれびを泳ぐ

2008/04/28 01:54
画像きょうは津雲台のTさんから南公園であった「千里こどもカーニバル」のひとコマを送っていただきました。

団地サイズのこいのぼりよりずっと小さなミニこいのぼり。数量限定で長年配られてきた千里ニュータウンの風物詩だそうです。今年で40回目になる「千里こどもカーニバル」、僕は「北」の人間だから実は一度も行ったことないんですが…。

ダンボールにどひゃっと入ってるとなんだかちりめんじゃこっぽいですが、すでに木漏れ日の中を泳いでいます。ちなみにこいのぼりに入っている商標は、もちろん「津島」じゃなくて「島津」ですぞ。Tさん、どうもありがとうございました。
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ニュータウン育ちのお台場感覚

2008/04/27 03:22
画像あと1回だけ、お台場の話を。

こういう妙にコザッパリした新しい人工都市に来ると、いつも僕は「同じ人工都市育ちなんだから他の人よりは適応性が高いはずだ…」と考えます。僕がはじめて見た頃の千里は、それはもう、黄土色のホコリが舞う西部の開拓地かSFの世界そのものでした。「こんな月面みたいな町、人が住む場所じゃない!」と大人は感じたかもしれませんが、その頃のニュータウン育ちの子供にとっては、そのほうが原風景だったんですから…。

でお台場なんですが。泊まってみたのは初めてなんですが、やっぱりと言うべきか意外にと言うべきか?…どうにも落ち着かないのです。何が違和感を感じさせるのか?…千里とお台場、同じ人工都市なのに何が違うのか?考えてみました。

1.地形が違う。(丘陵で坂だらけの千里と、埋立地でまっ平らなお台場)
2.道路が違う。(地形に沿って曲線の千里と、直線しかないお台場)
3.用途が違う。(住宅中心の千里と、オフィス中心のお台場)
4.ヒューマンスケールが違う。(お台場はバブル期の開発のためか、すべてが過度に立派でデカイ!街の中の移動はローラースケートが似合いのような…。千里も高度成長期の開発ですが「量の供給」という事情があったため、建物はむしろ簡素だし、「徒歩圏」の考え方が背骨にあります)
5.潔癖さが違う。(千里は秩序ある街区形成にこだわったため、たとえば住宅と商業地はキッパリ分かれていますが、お台場はバブル経済が途中で挫折したためか、用途設計が甘く感じられます)
6.古さが違う。(築40年前後の千里と、築10年前後のお台場)

1.3.6.は所与の条件ですから言ってもセンナイことですが、2.4.5.は人的要因…「千里派」の僕としては、もう少し街をヒューマンにする設計ができたのでは…と思ってしまいました。お台場は千里より30年も「若い」のですから…。ただしこれは「千里育ち」の観点で、「お台場育ち」の子供にとってはどうなのか?(お台場には一部ですが住宅と学校もあります。)千里も40年の間に緑が濃くなり、カルガモなんかも居着いて、千里育ちのSF的感性が退化してしまっているかもしれませんね。
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「第二の千里」になれなかったお台場(東京)

2008/04/26 21:52
画像用事で数日間、東京・お台場にいました。ここは臨海副都心と言われる埋立地で、いわゆる「ニュータウン」とは趣を異にしたオフィス主体の街ですが、「計画的に」「大規模に」計画された都市の一画である…という点で、千里ニュータウンとはいくつかの共通点があります。

「臨海副都心」の開発が本格化したのは1990年代ですが、この街と1960年代開発の千里の間に、1980年代初頭にまちびらきをした神戸のポートアイランドを置いてみると三者の関係がよくわかります。神戸のポートアイランドは当時「山、海へ行く。」という合言葉のもと、その大胆な都市開発の手法は注目もされ、まちびらきのお披露目に行った「ポートピア'81」は、地方博としてはいまだに入場者数の記録を持っています。

新しい町と博覧会のセット…それはまさに千里ニュータウンとEXPO'70の関係が、そうです。両者は別々に決定されたプランでしたが、EXPO'70を見に来た人は、隣の千里ニュータウンというものを見て、「未来都市」の印象をひときわ強めて帰ったのです。新しい街のお披露目に博覧会をやれば、大勢の人が来てインフラ整備のコストも早期に回収できる…。ポートピアの発想は、直近では千里から多くの影響を受けたはずですが、このパターンを繰り返そうとしたのが、臨海副都心と1996年に予定されていた「都市博」でした。この計画を進めた鈴木都知事は、EXPO'70の事務総長でした。ですからお台場を「第二の千里」と考えるのは、あながち飛躍した連想ではありません。

ところが「都市博」は1995年、青島都知事の当選によって中止されてしまいます。バブル経済を時代背景にした臨海副都心+「都市博」計画は、高度成長期を背景にした千里ニュータウン計画+EXPO'70と相似形でありながら、バブル期の突然の終焉によって、全く違う展開を見せることになったのでした。
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2ペア

2008/04/23 02:55
画像ピアノ池。ハトのおしゃべりにカモが寄ってきました。

「ダブルデート」っていうタイトルをつけようかと思ったのですが、どうもカモが2羽ともメスのようなので…(不確実)。むしろ井戸端会議って感じでしょうか?(井戸じゃなくて池だけど…)

池の鳥を撮ろうと思ったら、もっと倍率の高い望遠が欲しくなります。
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心やさしき藤白台

2008/04/22 04:26
画像ピアノ池と市道の間の柵。

よく見ると内側から緑の補助ネットで柵の下のスキマがふさいであります。これは池に住んでいる野鳥のヒナが道路に迷い出てこないように愛好家の方がつけているのだそうです。なんてやさしいんでしょう!

カモって美味いんだよな…と、わざとそういうことを書いてしまう私なのでした。
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ツバメ到着!

2008/04/21 02:28
画像北千里駅前に、今年もツバメがやってきました。

まだファンヒーター出してるのに、背景の雲も少し初夏の気分です。
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遠いところへ行った友達に

2008/04/20 19:57
画像土曜日は昨冬に早世した青中の同級生を偲ぶ会がありました。彼女は絵描きで、「型絵染め」や「刷り絵」と言われる手法を使って季節によりそう草花を美しい作品にしていましたが、病に斃れたのです。

青山台のモダンなUR(公団)の一室でとても日本的な絵を描いていたのですが、自然を身近に感じる感性はニュータウンが育てたものだったでしょうか。

青中の同級生が20人あまり、首都圏など遠くからも集まりました。卒業から33年…当時と住所が変わっていないのは1割以下、ニュータウン内で転居している人を合わせても2〜3割、親がまだニュータウンに住んでいたり、自分もニュータウン周辺に住んでいるなど何らかの「縁」が残っている人を入れて半分、残り半分は、今はニュータウンと縁が切れている…といった比率でしょうか。33年でそれだけの移動は多いと見るか、少ないと見るか…。

僕らの世代は千里ニュータウンの中で一番多かった子供世代より少し上になりますから、同級生の動向を見ていると、ニュータウン第二世代のボリュームゾーンがこれからどう動いていくかをある程度察することができます。

明るい会にしようとしばし話に花を咲かせたのですが、故人の話や昔の思い出はもちろん、団地建替、親の介護・看取り、遠近両用コンタクト、子供の受験、孫ができた同級生…そんなことが話題になりました(一方で孫ができる話をしている時に、独身ってのはなんだか座りが悪かったりします…)。気がつくと、これから建替が進む団地のどの棟にも、誰か同級生が住んでいたような気がします。ベランダからは隣の棟の家が全部見えて、誰の家では晩ご飯は何時ごろか、そんなことも皆お互いに知っている関係でした。

先生も来られました。先生は今で言う「団塊の世代」ズバリで、同僚の先生はとにかく同世代ばっかりだったと。なんでも皆でやって、わけもなく熱くて、カタチができていない新設校でも面白かったと。1970年代前半の青山台中学校は、そういう学校でした。

「高齢化した親ともう一度同居してニュータウンに帰りたいけれど千里は物件が少ないし高いから…」という話も複数の同級生から出ました。こういう話を聞くと、団地建替が一刻も早く滞らずに進むことを願いたい気持ちになります。人が町に住み続けるためには、郷愁だけを語っているわけにはいきません。

全体の1割もいない、昔と同じ住所に住んでいる同級生の一人としては、千里ニュータウンの変化をしっかり見届けて、遠くへ行った友達が帰ってきたときや空の上から見たときにガッカリしないような町であるように、少しでも何かできることをやろうと。

絵描きの故人には足元にも及ばない「絵」ですが、公民館に咲く「花蘇芳」の画像を、この記事には添えることにします。花言葉は「豊かな生涯」。
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「EXPO CAFE」オープン!(天満橋)

2008/04/19 03:48
画像藤白台は、あのEXPO70−万博の隣町として名高いわけですが、(そうでもない?)EXPO70の雰囲気を2008年に再現したカフェが、大阪市内の天満橋にできました。その名も「EXPO CAFE」。

ニュータウンも好きだけれど万博も原風景である私は、開店初日に行ってきました。こちらのメニューは「EXPO天国」。太陽の塔をかたどったクッキーがのってます。

店内には1970年風のインテリアが再現され、音楽、メニュー、コスチューム、展示されている当時のグッズや資料など、オーナーのコダワリがいたるところに…。

オーナーは白井さんとおっしゃる、万博好きが高じてとうとうパビリオンの一部を買い取って自宅に移築し、会社も辞めて万博研究家になってしまった方で、池田の自宅は「万博ミュージアム」という個人博物館として開放しておられます(見学には予約が必要…HP参照)。

こちらの「EXPO CAFE」も地元藤白台にひとつ欲しいようなキュートなお店でした。天満橋交差点から南西に少し入り、北大江公園を西にちょっと行ったところ(大阪市中央区島町2-10)。11:00-23:00。電話は090-1221-1970。

「ニュータウンカフェ」ってのも、いいかも。
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三色彩道・木の芽どき

2008/04/18 02:15
画像雨に洗われて…傘をあげて見ると、雨の日には雨の日の美しさが…この季節の新緑の淡さ、数日の間にもどんどん濃くなっていきます。

こんな日は透明のビニール傘ごしに若葉をめでたほうが風流かも。
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メタセコイア、芽吹く。

2008/04/17 03:26
画像雨が続いてソメイヨシノはすっかり終わってしまいましたが、ひと雨ごとにぐんぐん新緑が出てきます。

こちらは古江台小学校北側の坂道。前に季節違いの写真をご紹介しましたが、大きなメタセコイアがうっすらと緑をまとい始めました。

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生き延びた桜

2008/04/16 03:56
画像
友人の旧宅の庭に残された桜が、今年もすばらしい花をつけました。

前にも一度書いたのですが、友人は兄弟とも遠くで家庭を持ち、残っていたご両親もお年をとられて、昨年、千里を離れていったのでした。「40年暮らした家を手放すことは断腸の思いだ」と、友人は僕に書いてよこしました。

一戸建てで持ち主が変わると、多くの場合、古い上屋は取り壊されて、丹精された庭も更地に戻してしまうことがほとんどです。最近は売りやすくするため敷地分割されるケースも増えました。友人の家もそうなってしまうのだろうか…大きく育った庭の桜もこれまでか…でも売れないのも困るだろうな…とひそかに案じていたのです。

ところが入ってこられた新しい持ち主は、上屋も壊さず、庭も少し手を入れただけで、ほとんど友人の家族が使っていたままに引き継いでくださいました。立派な桜もそのまま残りました。友人のご両親が40年手をかけてきた愛着が伝わったのでしょうか。

新しく住まわれている方は存じあげませんが、道から桜を楽しませていただいて、「よかったなあ」と思ったのでした。ニュータウンにも刻まれていく歳月があります。
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最後の春

2008/04/15 02:40
画像解体準備工事が徐々に始まっている公社A棟第一期建替分のA19-A22棟

夏には姿を消す予定なので、桜との組み合わせは正真正銘、これが最後です。1965年度に建設されてから43回目の桜…ということになるでしょうか(桜はもう少しあとだったかな?)。何事にも終わりはあるわけですが、この景色の44回目はないのだということが、どうもいまひとつピンときません。

2010年には新棟が完成する予定です。ソメイヨシノの寿命は60年ぐらいだとネットに出ていましたが、そろそろ老木と言ってもいいのでしょうね。完成した時は永遠に思えた鉄筋コンクリートの建物を見送って、桜はまた来年も同じように咲き続けるのでしょう。
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竹林に散る花

2008/04/14 03:47
画像こちらは京都嵯峨野ではありませんで、千里中央近くの東町公園です。

千里ニュータウンは昔よく、外国みたいと言われたものですが、広い道はアメリカみたい、ととのった団地やロータリーはヨーロッパみたい…その中に残された里山はThis is JAPAN!ということで、その多彩さはおそるべし…。あらゆる要素を呑みこむという点では非常に日本的なのかもしれません。
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春の新柄

2008/04/13 00:44
画像藤白橋のうえから山田川をまっすぐ見下ろして撮っただけですが…

なんか、日本的!

西陣織の新作もかくや?という感じです。桜も散り始めると、下を向いて撮ったほうが絵になったりします。花の命は短くて…
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数で勝負だ!

2008/04/12 03:47
画像
人工の町だからって、人工の桜だからって(ソメイヨシノは交配種)、価値がないなんてことは言わせないぞ!…と気合勝負の桜オンパレード。

どこへも花見になんか行く必要がありません。

自然に生えてる山桜も美しいのでしょうけれど、人が手をかけて植えたってことが美しい桜もあるのです。
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贅沢な公衆電話

2008/04/11 02:31
画像携帯電話の普及ですっかり使うこともなくなってしまった公衆電話ですが(同じテレホンカードが何年定期入れに入っているだろう…)、こちらは藤白台一丁目バス停前、桜の下のなかなか素敵なロケーションに立っています。

僕が藤白台に来た1964年当時、藤白台には携帯電話はおろか、家庭用の固定電話さえまだどの家にも通っていませんでした。(シンジラレナイような話ですが本当です!)ですから…たぶんその頃からこの場所にあった公衆電話は大活躍だったと思います。

当時は北千里の駅もなく、新千里山駅前(現・南千里)から来たバスは藤白台の中までも入ってこず、この交差点と、今の北千里駅前交差点と、今医療ビルがある角と、古江台センターの角だけをぐるりと回って新千里山駅前に戻っていました。(循環は両回りではなくどちらか片側だけだったのですがどっち回りだったか忘れた!)つまり藤白台住民のほとんどは、この「藤白台一丁目」で降りてエッチラオッチラ坂を上って峠のわが家に帰っていたので、この場所に公衆電話があることがすごく意味があったのです。

このタイプのボックスが普及したのは万博前後からなので、当初に設置されたのは、いわゆる「丹頂型」の電話ボックスでした。中の電話機はカードタイプなどもちろん未登場でしたから(カード式は1983年から)、10円玉しか使えない赤電話か青電話でした。(って言っても若い人はわからないか…?)

公衆電話は災害時には優先的に回線確保されるので、いまや「非常用に残してある」という性格が強くなっていますが、忘れられたようなボックスを見ていたら、藤白台の開拓時代を思い出してしまいました。
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せめてあと少し…

2008/04/10 03:42
画像2度の雨で今年の桜は早く散ってしまいそうですが、ブログの中ではもう少しお花見と行きましょう。

府営住宅B棟と桜。こちらの建替は公社A棟より少し後になりますから、あと数年はこの組み合わせが見られるはずですが、あと数年…。写真を撮っていたら住民らしいお年寄りの女性が出てこられたので散歩の邪魔をしたかな…と思ったら、その方もデジカメを取り出して桜をパチパチ!そこに若い親子も通りかかってパチパチ!それはもう誰もが桜を撮らずにはいられないような週末でした。

けっこうお年を召した方も、デジカメを使われるんですね〜。帰宅したらパソコンに落としておられるのでしょうか。
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シカのフンじゃないぞ!

2008/04/09 01:19
画像フンフンフン、シカのフン〜♪ではありません。

花に嵐の過ぎ去った後の三色彩道にアレ〜点々と「落とし物」が…よく見るとイガイガがついてるこのナゾの物体は、フウの実のようですね…。木になっているところはこちら。木が大きいだけに、実も直径2〜3センチぐらいはあって、うっかり踏むとスベリそうです。

今年の桜は散るのが早そうですが、春の藤白台はほかにも見所がいっぱいです。
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一年生を待っています。

2008/04/08 02:22
画像きのう4月7日は典型的な「花に嵐」のお天気でしたが、その前日は…藤白台小学校の体育館と桜。夕日に映えて逆光気味なのがまた…。

藤小の児童の半分は、いまや藤白台に隣接する上山田(ニュータウン外)からの子供。残り半分のそのまた半分は一丁目のマンション群からの子供だということです。その残り(つまり全体の25%)を、二丁目と四丁目と、一丁目+三丁目の府営+公社住宅で分けあっているとか…。いかに藤白台地区の中で子供の多い区画が偏っているか…ということです。

上山田の子供がいなければ藤小の児童は半分になってしまうわけですから、藤白台地区の活気は上山田に大きく頼っている…と言えますね。その上山田も子供の数のピークは過ぎ(最初のマンションができてから30年近くになります…)、藤小のHPを見ると、児童数はついに減少に転じたことがわかります。

ある概算では、ここに一丁目社宅のマンション建替が少しづつ続き、そのあとに公社建替で若い家族の流入があり、それを追うように府営建替が続き、再生地・活用用地に新たなマンションができ…というサイクルが上手く回って、藤小はパンクもせず減り過ぎもせず一定の幅の間で児童数が推移するだろう…ということのようです。

皆がいて町は回っているのですから、どこの友達とも仲良くね!(もちろん大人もです。)
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桜色の藤白橋

2008/04/07 01:45
画像北千里駅のホームから見下ろすと、藤白橋の桜色の舗装と、桜がコーディネートされていい感じ。

手前から大またにスロープを登っていくのはたぶん阪大の学生、向こうからはお年寄りが杖を突いて一歩ずつ歩いてきます。右手の4棟が桜を見るのはこの春が最後です。それぞれの春が、桜色の歩道の上で行きかいます。

この藤白橋、数年前に耐震補強をしたときにそれまでグレーだった舗装タイルを桜色に取り替えたのですが、ワインカラーのセンターラインをなぜか中央にせず南側(写真右側)に寄せました。朝、学生がいちどきに通るからかな?

藤白橋から見下ろした景色、その昔にはこんなこともありました…。

4月5日(土)、このブログのトップページカウンターが30000を超えました!ご来訪ありがとうございます。
3月下旬の出張中にアップしそこなった記事も日付をさかのぼってアップしましたのでスクロールしてお読みください。春は絵になる場面がたくさんあって…。
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仮橋ができました!

2008/04/06 23:18
画像8日間の出張から帰ってきたら、桜が咲いて、仮橋ができていました。

こちらが昨年11月、工事着手前。
こちらが3月10日、準備工事着手。
こちらが3月13日、クレーン車が登場。

仮橋と言っても、少なくとも公社建替工事(第一期〜第三期)が一段落する5年後…2013年の春までは使うことになるはずです。この橋を設けるおかげで、生活道路や通学路になっている写真左手の市道を、工事車両が走ることを極力避けることができるわけです。

左手の市道と右手の府道は、北千里駅前と藤白台一丁目の交差点では同じ高さレベルにありますが、途中は微妙に整地が異なっているため、この仮橋の地点では府道のほうが高くなっているようですね。

5月末頃から7月頃まで、いよいよ第一期建替分(A19〜A22棟)の解体工事が行われます。
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純米吟醸「北千里」!

2008/04/05 02:00
画像この週末はお花見!という方も多いでしょうね。僕は出張疲れでノドをいため、会社の花見も休んでしまいました。なのに仕事が…とほほ…

という気分を吹き飛ばすのは、純米吟醸「北千里」!知人が半月ほど前に北千里の某店で見つけてきました。味は…実は僕は味オンチなので、飲んだけどさっぱり覚えていません…。

「北千里」はいいとして、ラベルの太陽の塔もまあいいとして、手前の妻籠の宿みたいな民家のイラストは何なのか…?山田の旧家にもこんな所ないし、まして千里ニュータウンのどこでもありません。

謎が深まる純米吟醸「北千里」。じっくり謎解きしたい方は、北千里のお店を探してみてください。「特別限定品」って書いてありますが、まだ売ってるカナ?(ブログ用に僕が捏造したんじゃないですよ!)
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春の扉が開きました。

2008/04/03 03:55
画像藤白台にも春のうれしいお知らせ…。長年立入禁止になっていた水遠池西側の遊歩道が、この4月1日から10:00-16:30に限って開放されました!

いやあ、何年ぶり…何十年ぶり?でしょうか?僕が子供の頃はよく遊んだものでしたが、いつのまにか遊歩道の南北に扉がつけられ、せっかくいい場所なのに通れない状態になって幾星霜…。突然の開放のニュースにさっそく歩いてきました。長年通行禁止になっていたためか、池との間の鉄柵が傷んでいる箇所もあり、人がもたれないように木製の仮柵が手前につけられている場所も…。七分咲きの桜の下で池を見ながらランチをひろげている人たちもいました。

この写真は阪大工学部に通う学生がよく通る、北端の扉の場所。人が通らなくなって路面が緑に還っているように見えますが、2001年にほぼ同じ場所で扉のスキマから撮った写真と比べると、藪を払ったり石ころを取ったり、かなり再整備したのではないかと思います。

せっかくの再開放なのですから、池にムリヤリ近づかないとか(ハマッたら市の責任にしないように!)、傷んでいる柵にもたれないとか、心して楽しみたいものだと思います。再開放を決めてくれた市の緑化公園室に感謝!(ひょひょひょひょっとしてこのブログを関係者の誰かが読んでくれたのでしょうか…?)

ひさしぶりに見るこの道の桜はとてもきれいでした。
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発展するアジアの都市(バンコク)

2008/04/02 12:10
画像タイ出張から帰ってきました。

留守中のブログ記事も用意しておいたのですが、現地のネット接続事情が悪く(こういう点では、日本って国のインフラ整備はすごいもんだとあらためて感心します…)、1回しか更新できませんでした…。

という言いわけはさておき。ホテルの窓から見たバンコク市街。この場所は都心のちょっとはずれ、でも郊外でもないよ…というぐらいの立地だったのですが、緑豊かな低層の街並みが、中層を一挙に通り越して超高層のビル群に姿を変えつつあることがわかります。

バンコクはここ数年毎年行っていますが、発展の勢いはすごいです。日本の1960-70年代をホーフツとさせるような…。行くたびに、幹線道路の上に高速道路が乗っかり、新交通システムができ、地下鉄ができ、公園だった場所が巨大でリッチなショッピングセンターに変貌し、空港が最新の巨大な新空港に移転し…あれよあれよとまるで魔法を見るようです。

東京には一歩譲るかもしれないけれど、大阪よりは絶対に「都会」ですね、いまや。

アジアの多くの都市で起きていることですが、急激な国の発展は一時期の経済危機や政治の不安定も乗り越えて、多くの人口を都市部に吸い寄せ…そのニーズに応えるために、建設ラッシュが起き…すると必然的に「住の供給」が社会的課題となり、都心再開発やニュータウンの建設が行われる…という公式があるようです。

仕事で行ったので郊外のニュータウンまで足を伸ばすことは出来ませんでしたが、飛行機の上から見ると、規則正しくピシッとモダンな屋根が並んだ、周囲のアジア的混沌とは明らかに一線を画した区画があちこちに見えました。

そしてタイという国は若い!これは国が若いというより、本当に街を歩いている人たちが若いのです。少なくとも都会では…。

急激な経済発展→人口の都市集中→「若い」人口集団の形成→…さて、その次は?数十年後は?これらはかつて日本が通った道であり、固まった年齢構成の人口集団は、やがて急速な高齢化を引き起こすのではないか?アジアがそうなったとき、日本の経験…いまニュータウンで起きていることなど…は、必ず貴重な財産になることでしょう。「高齢化社会をどうやって乗り切るか?」を日本がアジアと共有できたら、それは大きな国際貢献になるのではないでしょうか?

だから日本のニュータウン問題は、いましっかり経験しておかなければいけないのです。
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花壇から春

2008/03/31 00:39
画像駅前や町の花壇も、ずっと見ていると季節によって模様替えするタイミングがありますね…(あたりまえか…)。自分で庭をいじるようになって思うのは、こういうところの花壇って、たくさんの花をこんなにキレイによく並べるなあと。

どのビオラも一生懸命、光に向かって咲いています。右上はオドリハボタンかな?
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ただいま壁を運んでおります。

2008/03/30 00:23
画像こちら千里中央で話題の50階建てマンション「ザ・千里タワー」建設現場。

見上げると壁のユニットをクレーンで吊り上げて運んでいるところでした。昔と違って今はユニット工法が進み、下から見上げているとまるでレゴをパチンパチンとはめこんで建物が出来ていくような…。

もちろんそれは建築素人の感覚でしかないわけですが、千里ニュータウン開発当初の記録映画に出てくるように、木の足場を組んで左官屋さんが一戸づつ壁を塗っていった頃とは隔世の感があります。
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千里丘陵が始まる場所

2008/03/29 04:28
画像こちら阪急千里線豊津駅のホーム北千里寄りにある線路の勾配を示す標識。

35‰(パーミル)=1000メートル水平に進んで35メートル上昇するという、通勤電車にしてはかなりの急勾配を示しています。この35‰勾配は、千里線では豊津駅の北側と、千里山駅〜南千里駅の間にあります。豊津駅を過ぎたこのあたりが、まさに千里「丘陵」が始まるポイントであることを示しています。昔の地図を見ても、このあたりまでが「吹田」の地名の由来になったという説もある(俗説らしい…?)水田地帯で、ここから北側が竹林をかきわけ急坂を上っていく丘陵地帯。いまもわりとはっきり地形の変化がわかります。

北大阪急行では、名神を超えるあたりから、はっきりと丘陵地帯に変わるのがわかります。

※海外出張先から更新していますので遅れがちですがご容赦ください…
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走れ!走れ!

2008/03/27 00:07
画像車道を人が走っております!

こちらは3月16日(日)に行われた千里国際チャリティーラン。…ってイベントがあったらしいです(僕はたまたま藤白橋で遭遇して写真撮ってから検索しました)。あの有森裕子さんも参加されたとか!10マイル(≒16km)、10km、2kmとコースがあったようですが、僕だったら2km走ってもゼーゼーだろうな…トホホ…

まあなんにせよ春らしいイベントではありました。
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ついに仮橋が…

2008/03/26 23:23
画像この写真は、3月13日に撮ったものです。

公社A棟第一期建替工事に備えて、工事車両が府道から直接現場に入るための「仮橋」設置工事。最初はスクールバスのりばや街路樹の移動など、ビミョーな変化から始まりましたが、ついにこの日、大きなクレーン車が登場。

川の上に何か置き始めましたが、まだ本格的な橋桁設置には至っていません…。阪急北千里駅のプラットホームから見下ろすと、様子がよくわかりました。
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10年後、どんな町に?(箕面森町)

2008/03/25 00:09
画像9回連続でお届けしてきた箕面森町レポートも、そろそろおしまいにしましょう。分譲地の一角にあった展望モニュメントから、六甲山に沈む夕日を見たアングルです。

人口減少の時代に入り、ニュータウンをはじめとする「郊外への拡大」は、懐疑的な論調で語られることが多くなっています。箕面森町も今は少し驚くような立地ですが、トンネルで箕面市の中心部とは15分で結ばれ、やがて新名神高速道路の箕面ICが造られることも決まっていますから、ただ無造作に造られる町では決してありません。

まだ一世帯しか暮らしていない現状(正月時点)でも、開発に大阪府の「意志」を感じる部分はあり、その意味では千里ニュータウン−泉北ニュータウン−彩都に連なる「直系の後輩」とも言えるでしょう。藤白台とは直線で9キロぐらいしか離れていません。

ただ本当に、「未来」は「未だ来ぬ」から未来なのであって、ニュータウン育ちの僕にもわからないのです。箕面森町が10年後、どんな町になっていくのか…?都心通勤だけでない、町のコンセプトがここから生まれてくるのかもしれません。

あちこちのニュータウンを歩いていると、そもそも人が人の生活や人生を計画などできるのか?という哲学的な問いに入り込んでしまいます。都市は人類の英知であって、野放図であっていいわけはないのですが、いくら精密に「計画」してもそこからこぼれる部分は必ず出てきてしまう…しかしその「計算違い」もまた人間的だと思える部分がニュータウンの魅力ではなかろうかと、ニュータウン育ちの僕は思います。

冬の夕方に行ったため、箕面森町のレポートはやや写真が暗くなってしまいました。今度は緑がこぼれる初夏あたりにでも行ってみたいものです。その頃には住民の新しいくらしも始まっていることでしょう。
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目玉は小中一貫校(箕面森町)

2008/03/24 01:46
画像町の入口で、今年4月の開校をめざしてつくっている学校の建物がありました。

これが箕面森町のひとつの目玉、大阪府では初めての公立小中一貫校とどろみの森学園です。※これは愛称で、正式名称は「止々呂美小学校」と「止々呂美中学校」。既存集落の中にあった古くからの小中学校を移転改組して再オープンするということのようです。僕が行った正月にはまだ愛称が決まっていなくて「(仮称)水と緑の健康都市小中一貫校整備工事」という掲示板が出ていました。

ただ小中学校を併設するというのではなく、小学校から中学校への教育の「段差」を解消することで、「いじめ」問題などが起きにくい環境をつくる…という実験をここでやろうとしているようです。私立ではなく公立校でこのような試みをやるのがなかなか難しいことは、この学校が大阪府で「初めての」一貫校である…ということからも察しがつきます。新しい町をパイロットケースにして、そこから現状を突破していこう…という考え方は、「ニュータウン」が広く社会に持つ存在意義のひとつでしょう。箕面森町はその立地や環境への懸念から批判されることが多いですが、「新しい町で新しいことをやってみよう」という精神は、僕は期待したいと思います。(話は飛びますが、世界初の自動改札機が北千里駅に置かれたことも、「新しい町で新しいことをやってみる」の一例ですね。)

またこの学校は、ニュータウンだけで校区を構成するのではなく、既存の止々呂美集落の既存校をニュータウンとの接点に持ってくる…という意味でも、もうひとつの実験精神があるように思われます。公立の小中学校はたんに学校であるだけでなく、コミュニティの核でもあるからです。

かつて千里ニュータウンでも、幼稚園と小学校低学年校舎を併設し、高学年校舎とは分校方式にすることで、現行の6・3・3学制の枠の中で4・4・3・3の早期教育をやろうとしたことがありました。結局構想だけに終わりましたが、藤白台小学校でも低学年用校舎が高学年用と敷地内で分かれていたのは、この構想のなごりです。

4月からはいよいよ、この「とどろみの森学園」が始まります。かつて藤白台小学校もそうであったように…。そこではどんな、子供と…大人の時間が描かれていくのでしょうか?
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バスは1時間に1本(でした)(箕面森町)

2008/03/23 23:50
画像箕面森町で唯一の公共交通機関、阪急バス。千里中央から箕面トンネルをくぐってまっすぐ、25分で到達します。

2007年10月から運行を開始し、僕が行った正月時点ではほぼ1時間に1本でしたが、入居開始を控えてこの3月20日から30分に1本に増便されました。(入居前からバス路線をつくったのは、隣の東ときわ台の人たちと、下見の人たちの利便を考えたようです。)

こうやって新しいバスの路線が出来、だんだん充実していくさまは、千里ニュータウンの初期を思い出させます。40年ほど前、北町行きのバスができた、西町行きのバスができたと北千里駅前の掲示で見つけては、父と終点まで新しいバス路線に乗って行って、偵察して帰ってきたものです。

…とは言え、バスが開通したばかりの終点なんて、だいたいまだな〜んにもありませんでした!千里中央の一帯は見渡すかぎりの原野で、工事車両が走り回っていただけ…まるで西部劇の開拓地でした。でも、その「何もない」ことを確認して帰ってくるのが楽しかったのです。町に毛細血管が伸びていくように、バス路線が広がっていくのを地図に書き加えるのが面白く、一時期は「バスフェチ」にさえなってしまったものでした。それは、町ができていく楽しさでした。

…というのと似たようなことを今もやっているわけですが…。ちなみにこの千里中央−箕面森町のバス路線、系統番号は「1」番で、それだけ力が入っているのかどうか…はわかりませんが…
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るーる(箕面森町)

2008/03/21 11:22
画像箕面森町の販売事務所でもらったパンフレットに「箕面森町のるーる」と書かれた一冊がありました。

販売後も調和の取れた街並みが保っていけるように、ポイントが豊富な写真やイラストを使ってわかりやすく12ページにまとめられています。ポイントは3つあり、

1.色彩・材質の統一 2.ゆとりある区画 3.周辺の自然環境と調和した緑化

最終ページに「箕面森町にお住まいになる皆様へご理解とご協力のお願い」と書かれていますので、これは強制力のある法律ではなく、あくまでも自主的な良識にのっとったガイドライン…ということのようです。(だから「ルール」じゃなくて「るーる」なんでしょうね…)

販売前にこのような目安を設定することは、あまり厳しくすると売りの制約になるわけですが、ゆるやかな「お願い」の形をとりつつやはり目安をつくるのは、箕面森町を「いい町」にしたい、平凡な住宅地にしたくないという大阪府の意欲を示すものでしょう。

ちなみに写真の左後ろに写ってるのは、うちが1964年に千里ニュータウン・藤白台に宅地を買ったときに渡された、同じような趣旨のガイドラインです。趣旨は同じなんですが、44年後の箕面森町の「るーる」と比べると書き方がカタい!ほとんどが文章で「マニュアル」そのもの、といった感じです。このガイドラインは数年前に設定された吹田市の「千里ニュータウンまちづくり指針」や豊中市の「千里ニュータウン再生指針」にも引き継がれた、とても重要なものなんですが…。

まちづくりや建築のプロじゃない住民に、わかりやすく趣旨を浸透させるコミュニケーションのノウハウは、この40数年間でどれぐらい進化したのでしょうか?
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模型で見る未来予想図(箕面森町)

2008/03/17 00:50
画像前の記事と同じ場所の模型。よくできてます。何年かたって街路樹が大きくなったら森の中で暮らすみたいになりますよ…という想定のようです(今でも森の中ですが…)。販売事務所にありました。

千里ニュータウンでも昔、南千里にあった町の完成予想模型を見ながらずっと胸をときめかせて育ったもので、ニュータウンの模型があると無条件で見入ってしまいます。(昭和天皇や佐藤首相も見た千里ニュータウンの模型はその後千里中央に移され、今では吹田市立博物館に展示されています。)

セールスの人と話をしました。
「どちらから来られたんですか?」
「千里のほうから…」(←ニュータウンオタクだと言うと説明が面倒なのでアイマイな答え…)
「そうですか!千里からは大勢見に来られますよ」
「トンネルの片道600円って、高いですよねー」
「はい、回数券を買っていただくと一回分が480円になりますし、バスだと400円で千里中央まで行けます。彩都と比較しましても、千里中央−彩都西がモノレールで390円なんですね。するとあまり運賃は変わりませんし、こちらは家付きが4000万円台でございますが彩都ですと6000万円台になりますので、こちらをお選びになるお客様もいらっしゃいます…」

さすがセールスマン、そういう論理展開に持っていくかー…と感心しましたが、彩都と比較検討するお客さんが多いのでしょうね。パンフレットまで貰ってしまって、ドキドキしながら事務所をあとにしました。(つづく)
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緑道を共有するコミュニティ(箕面森町)

2008/03/16 22:56
画像ここ箕面森町では、全戸が一戸建てのようです。モデル街区の一角だけができていました。

一区画の単位は50坪台で千里ニュータウンの戸建の半分ぐらいの広さ。しかもカーポートを2台分取っているので庭はほとんどありませんが、塀を造らず、オモテの緑道を共有空間として一体的に見せる工夫がされています。こういうの、オープン外構っていうんですよね。緑道は歩行者専用で、ウラに車道があります。低い石垣に囲われた部分が私有地になる部分です。(その前の芝生は公道です。)

周囲は緑がいっぱいなのだし、町全体がひとつの庭である…という考え方ですね。塀を造らない構造は、彩都でも、神戸三田のワシントン村でも、広島の西風新都でも見られる考え方ですが、この街区では歩道をオモテに、車道をウラに分離している点に特徴があります。ワシントン村はバブル期の計画だけにゴージャスですが、彩都やここでは同じ発想でもコンパクトにまとめられています。

千里ニュータウン全体でも「オープン外構」の考え方はつらぬかれています。戸建区画ではしだいに私有地をはっきり囲うような造りに変化しつつありますが、分譲当初はほとんど柵や塀はあってなきがごとき…でしたし、今でも生垣率は高いのではないでしょうか。団地も敷地を閉鎖的に囲ってしまわない考え方はABCDともに共通していて、「千里ニュータウンらしさ」を支える大きな要素になっています。アメリカなどで増えているという「ゲーテッド・コミュニティ」の対極にある思想といえるでしょう。(つづく)

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←土地分譲はこちらです。(箕面森町)

2008/03/15 02:29
画像町の入口から長い坂を上って分譲地にたどり着くと、こんな感じでした(正月時点)。

ほとんどが造成したままで、ごく一部のモデル街区だけ、モデルハウスが建っています。電柱と売り出しののぼりだけが、規則正しく立っています。造成したノリ面は、まだ雑草も生えていません。ちょっとキリコの絵みたいなシュールな感じですね。

昨年(2007年)10月から阪急バスが千里中央から箕面森町まで新しいバス路線を一時間に1本ですが開設したので、てっきりもっと人が住んでいるかと思ったのですが…早合点でした。バスはおもに隣接する東ときわ台の住民が箕面トンネルを通って千里中央に出る時に使うのだそうです。ときわ台?…ここはもう能勢電沿線と背中合わせの立地になるのでした。

もう夕方が迫る時刻で、人影もほとんどありませんでした。分譲地の係員と下見に来た人だけが、まばらにぽつぽつと…。クルマを停めて写真を撮っていたら、係員の人が近づいてきました。「ニュータウンマニアなんです」なんて言えないしな…。(つづく)
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うーん、なんにもない!(箕面森町)

2008/03/14 01:07
画像箕面トンネルを出て料金所で600円の通行料を払ってからさらに旧道を3キロ…止々呂美(とどろみ)集落から山の上に延びる新しい道を上っていくと…「ようこそ、箕面森町へ。」

圧倒的なばかりの造成ノリ面の壁があらわれます。なんだか、マヤ遺跡っぽいぞ。箕面トンネルを出た地点には将来(10年後の予定)、新名神高速道路の箕面インターができることが決まっていますから、ここは戦略性もない山の中…というわけではないのですが…

千里ニュータウンがやはりこのような「見わたすかぎりの黄土色の造成地」であったころ、やはり下見に連れられてきて親が購入を決めてしまった記憶がかすかにある「ニュータウン育ち」としては、こういう町は「現在」ではなく「未来」を見るべきものだと、心構えはできているつもりなのですが…

なにか圧倒されてしまって、言葉を呑んでしまったのでした。

この斜面の上には、どんな景色が広がっているのでしょうか?(つづく)
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