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アラウンド・藤白台
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日本で最初のニュータウン、大阪・千里ニュータウンと、日本&世界のニュータウンを一緒に探索しましょう!
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こんにちは

2012/05/19 03:50
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家が近いせいでどうしても公社(A棟)建替のレポートが多くなってしまいますが、府営住宅(B棟)の建替も第一弾が進んでいます。覆いが取れて2ヵ所の新棟が姿を現しました。カラフルですね!夏から秋にかけて入居になると聞いています。

ちょっと場所の説明をすると、この写真の左手がピアノ池。新棟との間に見えている道が、藤白公園の南側を小学校に上っていく道。この写真は阪急電車の車内から撮っています。右手の奥にはもう1棟の新棟が見えています。旧棟の名前で言うと、左の敷地がB1とB3、右奥がB9棟があった場所です。右手前には小さな橋が見えていますが、これは工事車両が府道から直接現場に入るための「仮橋」です。

ベージュ系だけの古江台の府営住宅新棟とはずいぶん違う外観ですが、僕はこっちのデザインのほうが好きだなあ…上半分に薄いグレーを持ってきて空となじむようにし、建物が大きくなることによる圧迫感を軽減しています。低い部分に旧棟と近いベージュや、アクセントカラーのレンガ色(少し明るいテラコッタ)を配してリズム感を出しています。

建物の配置も府営住宅の特長だった「囲み型」を取り入れ、「南面並行配置」で建替が進む古江台の府営住宅とは対照的です。今のやり方は同じ府営住宅でも団地ごとにデザインは違うのですね。

この2ヵ所を「1期1工区」と呼んでいるようですが、このあと→「1期2工区」→「2期」→「3期」→「4期」と、公社住宅よりは細かく工区を区切って、数棟ずつ建て替えていきます。民間の分譲マンションになる区画もあります。全部終わるのは…あと10年はかかりそう…すでに景気の影響で最初の計画よりは遅れているのです。(二工区までの完成予想図

つまりブログの素材には事欠かないということですが…あと10年かかると最後のほうは築60年に迫ることになり…それはそれで大変なことです!藤白台の大リニューアルは、まだまだ続くのです。
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おなごりはつきませんが…

2012/05/18 04:15
画像公社藤白台のポイントハウス。三色彩道の北側(四丁目側)から最後の姿を撮りました。これはA7棟ですね(きのうのがA5棟…似てるけど造りが左右対称です)。工事用の仮囲いが少しずつ右が下がっているのが、坂の途中だということを示しています。

クリスマスには窓にイルミネーションをしているうちもあって、かわいかったな。さよなら!
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さようなら

2012/05/17 02:31
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三色彩道の坂の途中にある公社のポイントハウス(A5-A8棟)が、解体工事に入っています。

坂の途中にある立地を生かすために建てられた4棟のポイントハウス…っていうのは階段1列だけのかわいらしい団地です!団地マニアの皆さんに最近人気のスターハウスの変型。千里ニュータウンの時期の公団住宅(現UR)だとこれがボックス型になったりします。

四季折々の三色彩道のアクセントになってきましたが、この一角はすでに民間に売られ、新しいマンションになることになっています。新しい町になっても三色彩道沿いのフウ並木は、もちろん残ります。
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人がいない三色彩道

2012/05/10 02:00
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ことしは忙しくて千里丘陵から一歩も外に出なかったGWの最終日…夕方幼稚園のほうに歩いて行ったら、誰も歩いていない三色彩道が新緑ですごくきれいじゃありませんか!

クルマが来ないかよ〜く見まわして…幼稚園の前の横断歩道の真ん中から北千里駅方面を撮りました。左右対称に見えますが、実は左側(南側)はアメリカフウ、右側(北側)はトウカエデで樹種が違います(なぜそんなことにしたのかは…謎)。この坂は米中共存なんです。

秋が有名な三色彩道ですが、人がいない季節や時間に、ハッとするほど素敵なプレゼントが用意されている千里ニュータウン。「あしたから会社…」のサザエさんな気分もふきとびました。
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遠くの町の仲間たち…ハウステンボス(長崎)

2012/05/06 23:43
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北から南へ一挙に飛んで、ハウステンボス行ってみましょう!えー!ハウステンボスはテーマパークで、さすがにニュータウンじゃないでしょう…という声が聞こえてきそうですが…

この一角には、人が定住できる分譲住宅地「ワッセナー」があるのです。戸建が多いですが集合住宅もあり。(行ったことないですが)オランダの街並みを再現しているようです…。住宅地の入口は、テーマパークとは区切られています。あるコンセプトで区切った理想的な一角に人を住まわせているなら、それは少なくとも「ニュータウン的」とは言えないでしょうか?

もう一つその思いに至ったのは、高度成長期に、規格化によってひたすら「量」(+ある程度の質)を追求したニュータウンは、やがて量が充足するにしたがって、1980年代から個性化の方向に向かいます。外国からモチーフを持ってくることは、こういうときに日本人がよくやること。うがった見方をすれば、「特色をつけないと売れなく」なり…この方向をつきつめると、ニュータウンはなんとテーマパークに近づいていくのです。

ハウステンボスは「通過型の観光施設ではなく滞在型のリゾートを」という理念から、テーマパークから入ってニュータウンにアプローチしているとも言えます。いまは249戸の規模ですが、「人口3万人が定住する都市をつくる」という当初の構想は生きているのでしょうか?

中を見学すると、運河に囲まれ、ゲーテッドな造りになっていて、戸建住宅には直接ヨットがつけられます。学校や、ショッピングセンターは、この中にはありません。価格は相応に高いから住民はリタイア層が多く、学齢期の子供は少ないそうですが、「島の外」の学校に通っているとのこと…。ハウステンボスって、周囲はほんとに田舎で、この「内外ギャップ」もなんだかニュータウンっぽいなあ…

どこか現実離れした「ニュータウン」ですが、一つの究極の姿として、ぜひ「定住人口3万人」の計画は実行してほしいと思いました。ハウステンボスの来訪者は、いま中国人観光客が大変多くなっていますが、その分譲住宅を買うのも、やはり外国の富裕層という町になるのでしょうか?

…いやしかし、北海道でも九州でも、思い切った生活している人はいるんですねー…僕はあしたから会社です。
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遠くの町の仲間たち…スウェーデンヒルズ(北海道・当別町)

2012/05/05 23:45
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この写真は、2月です!すっかりアップが遅くなってしまいました…。北海道ニュータウン旅行の最後は、スウェーデンヒルズ。行ったときはまさにこんな吹雪でした…

これは、ニュータウンなのか?別荘地なのか?…と思いつつ、この名前をwikipediaで見たときから、行ってみたいと思っていました…。ニュータウンは最初の頃(60-70年代)は、とにかく規格化された住宅を、大量に!早く!安く!でどんどん建設されたわけですが(そうしないと経済成長による人口の都市集中に間に合わなかった…)、やがてその季節が過ぎると、画一性への反省が生まれ、やはり町はもっと個性的でないといけないんじゃないか…?それに皆目が肥えてきて、特徴を打ち出さないと売れないというステージ(80年代-)に入ります。当時日本は豊かでしたから(涙)、個性化によるコストアップをしても、受け入れる余裕もありました。

そういう時に日本人がよくやるのは「外国のモチーフを輸入する」というパターンです。神戸三田のワシントン村、西神ニュータウンのシアトル村やバンクーバー村…規模は小さくても本格的な輸入住宅によるニュータウン(の一画)が造られました。(背景には日本の輸出超過を緩和する…という事情もあったようです。)「新しい理想の町」を外国に求めるのは日本人だけじゃなく、中国の上海でもこんな例や、こんな例や…。

その名もスウェーデンヒルズはどうなのか?ここは民間による開発です。開発者はスウェーデンハウス。札幌からは25km。学園都市線のディーゼルカーで、札幌駅から40分少しでもよりの石狩太美につき、そこからは町のコミュニティバスがあります。丘の上の300haの半分がゴルフ場、半分が住宅地で、1984年からこつこつと679区画を分譲し続け、セカンドハウスとして使ってる人も1/3ぐらいあるけど2/3は定住している…ということですから、まあ、ニュータウンと言っていいのではないでしょうか…。

ちなみに正式な町名も「スウェーデンヒルズ」です。タクシーの運転手さんに聞くと、これといった名所がない当別町(とうべつちょう)で、スウェーデンヒルズは町民の誇りだそうです。あと最近できたロイズのチョコレート工場。創業者がここの出身なんだそうです。スウェーデンヒルズとチョコレート工場が2大名所だなんて、メルヘンの町みたいですね…。

なぜ北海道の当別町にスウェーデンの町を造ろうとしたか?これは会社の創始者が北欧の生活文化に感銘を受けて日本でもそれをまとまった町としてやろうとした…のが始まりだったと聞きましたが、最初は石狩港の開発で入ってくるだろう労働者の住宅供給のために…という路線を考えたものの、輸入住宅はどうしても高くなってしまうため、今のような「別荘地みたいな高級路線の住宅地」という路線に落ち着いたようです。

30年近くの歴史の中で、バブルがあり、その後の経済下降があり、今も分譲を続けていますが高いと売れないために建売のお得区画を設定したり、元は2階建だけだったのを平屋も可能にしたり、時代に合わせて修正はしているとのこと(それでもけっこういいお値段でした…)。

道外から移住して来る人が大変多く、リタイヤ層もいるけれどそれだけではなく、若くて一人暮らしの人もいるそうです!家族の小規模化はこんなところでも進んでいるんですね。関西からの移住もなぜか北海道は多いそうです。震災で内地を逃れて…という人も何組かいるとのこと。人生思い切った決断をする人はけっこういるんですね…ここはたしかに町としてはきっちり造ってあるし(電柱は地下埋設です)、多少不便とは言っても札幌にも通える距離ではありますから、「世捨て人」にならないで自然も満喫しよう!と考えたら、いいバランスなのかもしれません。湘南に住んで東京に通うみたいな感じかな?学園都市線は今年の夏から電化区間が延びてスピードアップするそうです!

行った日、行った時間はすごい吹雪で写真もろくに撮れず早々に丘を下りてしまいましたが(ニュータウンの写真を撮りに大阪から北海道まで来て凍死…なんてことになったら、たいがいの人はなんでそんなことしたのか理解に苦しむでしょう…)、運転手さんによれば、夏はそれは素晴らしいとのこと。そんなこと聞いたら、夏も行きたくなってしまうじゃないですか!

いろんな町に、いろんな生き方がある…「ニュータウン」は「理想の生き方」の見本帳みたいなところもありますね。凍えそうだったけれど、訪ねてみて良かったスウェーデンヒルズでした。
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祝!2000本安打の宮本慎也選手は藤白台小学校卒業生!

2012/05/04 23:44
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ヤクルトスワローズの宮本慎也選手。2000本安打の偉業を5月4日に達成しましたが、藤白台小学校の卒業生です!やりましたね〜…とか言いながら、同じ小学校を卒業した僕はひどい運動オンチ、野球オンチで、小学生時代もヒットなんかまず打たず(そもそも野球という運動をめったにしなかった…)、たまに珍しく当たったらいきなり三塁に走って大顰蹙…というのは実話です。…同じ小学校出てもずいぶん違うもんですね〜。

藤白台小学校では地元の星である大先輩(僕のことじゃないですよ)が2000本目を打つ瞬間を皆で見ようと、5月3日と4日、TV観戦大会を行いました。この写真は藤白橋の貼り紙。僕はヤクルトってどっちのリーグだったっけ?とか、「安打」ってホームランのことだっけ?とかWikipediaで調べてるようなありさまで、申し訳なくて行かなかったんですが、3日はヒットが出なかったものの、4日はめでたく2000安打達成!

宮本選手、藤白台にオープンカーで凱旋しないかな…?藤白台は少年野球もさかんで、宮本選手もここのチームの出身なんだそうです。ニュータウンの小学校の広い校庭が,2000安打の基礎になったんじゃないかな…って、ああ、苦手なジャンルのことを書いてると指がふるえます!

ともあれ、よかった!
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僕も協力します…「千里ニュータウン展2」?実行委員募集!

2012/04/29 15:46
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44日間の会期でそれまでの吹田市立博物館2年分の入場者を集めてしまい、千里ニュータウンにキョーレツな記憶を残した2006年春の「千里ニュータウン展」

今年は千里ニュータウンまちびらき(入居開始)から50年!ということで、またやるんだそうです…市民委員集めて。博物館から回ってきた「ボランティア募集」のお知らせの内容を、ご紹介しますね!
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平成24年度(2012年度)秋季特別展
(仮題)千里ニュータウン展
―60'sの未来像といまの未来像―
特別展ボランティア実行委員を募集


吹田市立博物館では、吹田市と豊中市にまたがる千里ニュータウン関連の特別展ボランティア実行委員を募集しています。展示や関連イベントの企画・運営など、秋の特別展を一緒に作りませんか?活動期間は2012年5月〜12月です。特別展の会期は10月13日(土)〜11月25日(日)の予定です。また、活動場所は主に吹田市立博物館内です。

お申し込み

はがきかファックスかE-メールに「秋季特別展実行委員」と明記のうえ、住所、名前、電話番号を書いて同館へ。初回会合(5月開催の予定)からの参加は4月30日(月)必着です。それ以降も受け付けます。

吹田市立博物館  担当:五月女(さおとめ)
〒564-0001 大阪府吹田市岸部北4−10−1
TEL:06-6338-5500(代表)  FAX:06-6338-9886
ckaxj800@sutv.zaq.ne.jp

展示趣旨

吹田市・豊中市にまたがる千里丘陵に立地する千里ニュータウンは、今年、まちびらきから50周年を迎えます。千里ニュータウンの形成は、日本最初の大規模ニュータウン開発として、新住宅市街地開発法の初適用など、その後の日本各地のニュータウン開発に大きな影響を与えました。

一方、昭和37(1962)年の初入居から半世紀を迎え、住民の年齢構成の変化、ニュータウン周辺の都市化、地域商業の衰退と再生、交通網の再整備などの現象が進行しています。千里ニュータウンがこれまでに経験してきたこのような様々な現象や、今後経験することになるであろう多くの現象は、日本各地の郊外住宅地が抱える現象の“鏡”として象徴的に捉えることができます。

本特別展では、ニュータウンの他、団地などの郊外住宅地が形成され得た理論的・歴史的背景や、市民生活に与えた影響、また、その後の展開と将来的展望などについて、国内外他地域との比較の視座を含めて検討します。
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博物館の公式サイトを見たらこのお知らせはなぜか出てないんですが(4/29現在)、予定特別展のタイトルは「(仮称)千里ニュータウン展−まちびらきから50年−」になってるやん!…不一致は(仮称)だからということで…(笑)

ちなみに「初回会合(5月開催の予定)からの参加は4月30日(月)必着」なんて書いてあってきょうはもう4/29ですが、要は後からいつでも参加できるけれど、申し込みが遅れると最初のほうの会議はミスしちゃうかも…ということでしょう。

50年事業の一環として、南千里駅前にできる「千里ニュータウン情報館」や本物の団地の一室で「千里ニュータウンタイムスリップ展」という企画も進んでいますが、それとこれは一応別です。そっちは50周年事業実行委員会の主催、博物館の企画は博物館の主催。ただし同じ時期に重なったテーマで2つのことをばらばらにやるのはおかしいですから、2つの企画は連携しつつ、2つ回ると3倍面白い!…みたいなことにしていくんじゃないかな?

「最初のニュータウン」はどこまで行っても「最初」!世間が注目しているこの「50周年」のチャンスに、皆で千里を盛り上げたいですね!
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遠くの町の仲間たち…花畔団地(北海道・石狩)

2012/04/21 13:20
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きょう大阪千里は初夏のような陽気ですが、こちらは2月に行った北海道ニュータウン旅行の続き。花畔。この地名は、簡単には読めません!正解はばんなぐろ。北海道に多いアイヌ語起源の地名のようですが、今の町名は「花川」を名乗っています。

ここ石狩市札幌市の北隣の郊外。吹田市が大阪市の郊外都市であるように石狩市は札幌市の郊外都市ですが、どこが市境だかわからないぐらい、市街地はつながっています。札幌市営地下鉄の終点「麻生」(あさぶ)からバスで行くのがメインルート。

花畔団地は231ha…ということは千里ニュータウンの住区2つぶんぐらいの中規模ニュータウンですが、500戸を超すURの団地もあれば道営団地もあれば戸建もあれば小さなショッピングセンターもあれば…石狩市役所までひっついています!(出張所じゃなくて)

この石狩市は大都市にしてぎりぎり海に面していない札幌市の隣で海に面していて、石狩新港の開発プロジェクトとこの団地の建設がほぼ同じころなので、そういった背景から「港への夢」を託して建設されたのではないかと思われます。産業開発をやったら住むところが必要ですからね。ふつう、ニュータウンを含む自治体の市役所は旧市街地にあってニュータウンには出張所しかないものですが、ニュータウンの一角に本庁舎があるのは珍しい…それだけ開発への期待が大きかったのでしょうか。

…というリクツはさておき、こちらは道営団地。レモン色の外観が雪の中で絵本のようです。URのほうはテラコッタのようなグレーピンクの外観で、URが住宅・都市整備公団を名乗っていたころのマスコットである「カモの親子」」が住棟番号にセットされているのも団地マニア的には見どころですが、それはこちらに初夏の風景が紹介されているのでごらんください!

広い石狩平野をまっすぐつらぬく幹線道路に、信号機はもちろん積雪地用のタテ型タイプ…。団地が並ぶ光景は日本…だけじゃなく世界どこにもあるようで、しっかり土地柄というものもにじんできます。

さて、ニュータウン住民の生活や人生は、似ているのでしょうか?違うのでしょうか?
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三色スミレ

2012/04/17 01:55
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…ってパンジーのことを呼ぶ人も、最近ではあまりいないようですが…。こちら三色スミレならぬ三色重機。藤白橋から見下ろした公社建替工事第三期の現場です。

闇に浮かびあがってカラフルですが、この「色」は何か意味があるのでしょうか?ただいま歩道の延長工事をまずやるために、擁壁を切り崩して歩道に埋設するものをととのえているようです。
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【蔵出し】藤小に体育館がなかったころ(1966年2月25日)

2012/04/16 03:18
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永井俊雄さんの貴重なコレクションから【蔵出し】シリーズ第7弾!藤白台小学校の開校式のようす、こちらは屋内の保護者編です。

玄関を入ったホール。左手は二股に分かれて階上へ続く階段、右手は給食室。なつかしいでしょう…。ここにイスを並べ、正面右手の図書室の前に特設ステージを設けて「開校式々場」にしつらえています。正面左手は、いまは低学年用校舎への通路がつながっていますがこの頃はありませんから、まぶしい外光が直接入ってきています。壁に下げられた大きな日の丸、お母さんたちの多くは和服のお召し物で、時代を感じますね…。

右の壁にかかっている額は、手前が(その1年近く前の)始業式にいた191名+先生(この写真も屋外)、その向こうの小ぶりの写真はこれと同じ空撮です。

男性の姿が極端に少ないのも、こないだ見たばっかりの2012年の入学式とはずいぶん違います(若いお父さんいっぱい来てました)。調べてみると1966年2月25日は金曜日でしたが、こないだの2012年4月6日だって金曜日だったもんなあ。男性が子供のために仕事を休むのは、当時はかなり珍しかったのでしょう。

体育館がなかったことは、当時はなんら珍しいことではありませんでした。千里ニュータウンの建設で吹田市は数年間で8つの小学校を新設せねばならず、それはそれ以前から吹田市内にあった小学校の数に迫るぐらいの数だったのです。その財政負担は大変なことで、もちろん大阪府が助けたわけですが…。

いまもし学校を新設するときに最初から体育館やプールがなかったら「え〜?」という感じでしょうね。世の中自由になったのか贅沢になって不自由になったのか、わかりません。
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【蔵出し】藤白台小学校開校式(1966年2月25日)

2012/04/14 15:50
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藤小つながりで永井俊雄さんの貴重なコレクションから【蔵出し】シリーズ第6弾をお届けしましょう!ことしで開校48年になる藤小の「開校式」の記念すべき様子です。玄関前にオルガンを持ち出して、校庭で集まっていますね…当時は体育館はなかったのです。(体育館ができたのは1970年)

これまた秘蔵の当時の「学校要覧」によれば、開校じたいは1965年4月1日ですが、約1年たって最初の年度が終わるころ…1966年2月25日に開校式を行ったとなっています。写真の子供たちはまだ寒そうな格好をしていますから、これは4月ではなく2月の写真なんでしょうね。1965年4月8日の最初の始業式では児童数191名。全学年1クラスずつ。これが同じ年度の終わりである開校式の時には児童数412名、1年生は3クラス、2年から5年までは2クラスずつになっていますから、学年途中にも団地ができて、戸建にも引っ越してきて、どんどん転校生が増えていった様子がうかがえます。学年の途中に組替えをやったのですね。開校式が1年近くも遅れたのは、体制がととのって(先生も最初は9人しかいなかった)、でも輝かしい1期生である(1年しかいなかった)6年生が卒業する前に…という心づかいだったのではないでしょうか。

ちなみに藤白台の入居開始は1964年の夏ごろですから小学校の開校より早く、1年弱は(1年早くできた)古江台小学校まで児童は通っていました。

そしてこのアングル!玄関を出たところで今もこの風景は変わりませんが、団地がピカピカです!体育館も校歌もなくて、でもすべてが新しかったニュータウンの藤白台小学校…不便なことさえ楽しかった「ニュー」タウンの期待感が、地べたに置いたオルガンから聞こえてきそうです。
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春休みの廊下(藤白台小学校)

2012/04/11 02:39
画像右手が中庭。正面左手がサブの玄関。つきあたりが体育館…。床のリノリウムは張り替えているようだし(オリジナルは対面通行させるために、中央に幅15cmぐらいの太いラインが入っていました…)、扉の色なども塗り替えたような気がしますが、全体的に、ほぼ昔のまんまです。

今週から新学期が始まって、毎朝にぎやかな声が聞こえてくるようになりました。
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ゲタ箱(藤白台小学校)

2012/04/10 03:08
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入学式に招かれて行った母校・藤白台小学校。小学校に入るのは盆踊り市民体育祭のときと選挙があるときぐらいですが、いつも一般校舎に入る機会はありませんでした。でもきょうは…

このアングルで内側から見るのは、ひさしぶりです。そしてほとんど昔と変わっていません。少し台形になったゲタ箱、間にある傘立てとスノコ、リノリウムの床…昔はゲタ箱にはフタがついてたはずなんですが、バタンバタンやかましいからか、フタはなくなっています。

そしてこの少し台形のデザインは教室の本棚などもお揃いです。

少しツウっぽいことを書くと、「玄関で上履きに履き替える」設計は、今はあたりまえになっているかもしれないですが、千里ニュータウンの小学校の特徴でした。旧市内の古い小学校に行った時、はきかえなしで土足のまま中にどんどん入れてしまうので驚いたことがあります。履き替えるほうが衛生的だし建物の傷みも少ない…という設計意図を、どこかで読んだ気がします。

玄関の正面には校庭をはさんで公社の団地が見えています。この景色もあと少し…来年にはこの部分の団地も役目を終えて建替が始まります。
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46年ぶりの入学式(藤白台小学校)

2012/04/09 04:33
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(花粉の薬ですぐ眠くなってしまって、なかなかブログが更新できません!夜中にごそごそ起きてきてこんなこと書いてる私…)

一年間自治会の会長をやったので、4月6日は母校・藤白台小学校の入学式に「来賓」として行ってきました。小学校の入学式なんて、自分が入ったときから46年ぶり…ドキドキしてしまって、ネクタイまで新調したのです。

ひさしぶりに入る校舎の中になつかし心とブログ魂がむくむくと触発されたのですが、式の最中に来賓がパチパチ撮ってるのも「重み」がないから(撮ってもよかったんですけどね)、代わりに控室の図書室の写真です。おどろくほど変わっていません。古くはなっているけれど、丁寧にメンテナンスされています。

式の進行はさすがに自分のときとは変わっていたようですが(僕のときは、校歌も体育館もまだできていなかったのです)、ハートとアイデアのあるいい式でした。アニメ声の校長先生(女性です!)はとっても子供への話し方が上手かった。やさしくて、規律がありました。

「みなさん、小学生になったら3つ守ってほしいことがありますよ。1つめは、元気よくあいさつをしましょう。2つめは、お友達に親切にしましょう。3つめは、早寝・早起き・朝ごはん!」はーい。大人にとっても大切なことばかり…特に3つめの「早寝」の項目は耳が痛いなあ。(あ!でもこれ、僕が石垣島で見たのと一緒だ!)

一緒に行った人に「かつての1年生が来賓で来るとは…初めてとちゃうか?」と言われましたが、藤白台もそれだけ時を重ねたということでしょう。それでもカーテン越しの春の日ざしは46年前のままでしたよ。
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遠くの町の仲間たち…神楽岡ニュータウン(北海道・旭川)

2012/03/26 03:53
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札幌からさらに北へ…やってきました旭川!旭川といえば最近では旭山動物園ですが、ニュータウンオタクの私は動物園よりニュータウン、ペンギンよりポイントハウスです。94haというから1,160haの千里ニュータウンよりだいぶん小さいですが、旭川にもニュータウンがあります。神楽岡(かぐらおか)ニュータウン。神楽岡団地とも(地図や資料では両方の書き方があるようです)。新住法という法律で造ったニュータウンとしては、日本最北です。

街路樹が美しい並木道、行儀よく並んだ集合住宅、その中を走る路線バス、真ん中には商店や郵便局を集めた近隣センターもあって、コンパクトだけど雪深いけれどこれはたしかにニュータウン。歩車分離を雪国風にやろうとしたのかこの幹線道路をくぐる歩行者専用の地下道まであるのですが(歩道橋はよくあるけれど地下道は珍しい…)、地下道はやりすぎだろうと案内してくださった地元の方は言っておられました。そこまでやるほど通行量ないよと。

今回驚いたのは、札幌から旭川まではJRの特急が30分間隔ぐらいで出ていて、わずか1時間20分しかかかりません。北海道のJRというとローカル線なイメージがありますが、幹線はすごく高速化されています。同じ日の札幌郊外と旭川とでこんなに天気は違うので、たしかに「違う地方」ではあるのですが、ここまで便利になってしまうと…旭川市は北海道第2の人口を誇る都市であるわけで、周辺からの流入もありニュータウンが建設されたのだと思いますが、最近は札幌への流出も激しいようです。人口はどんどん中心へ中心へと吸い寄せられていきます。

それでもこの並木道は、夏に来るとまた素晴らしいようです。美しい並木道と、人口の取り合いと。またこんど、夏に来よう。そのときこそ、旭山動物園忘れずに行こうっと。
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【蔵出し】公社藤白台・斜面一次整備直後(1976年)

2012/03/23 03:30
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すっかり更新があいてしまいました…年度末は何かとあわただしいのに花粉症…なんでまたこんなときに…ほぼ能率ゼロの状態でほふく前進ちゅうです…

さて!今回お届けするのは永井俊雄さんの貴重なコレクションからお届けする【蔵出し】シリーズ第5弾!ややっ!ミョーにこざっぱりした藤白台公社内の斜面の様子です。A17棟の上から撮っていると思われます。屋上からなのか、最上階のお宅にお邪魔しているのか、ビミョーなところ。

数年前のクズボーボーのジャングル状態から一変!…しかし最近(建替着手直前)のように斜面は森…というのとも違います。雑木林をばっさり切り倒し、きっちりコテで盛り直したように整地し、その後「ふれあいの道」と名づけられる小道を小学校から藤白橋のたもとまでつないで、しかし斜面には何も植えてない…。画面中央の「三角公園」も原型が現れましたが、まだ広場のようにはなっていません。今もある長い階段の通路が出現し、その左下には小さく焼却炉が見えていますね。そうです、この写真で見えていた焼却炉です。あの光景が数年後に上から見るとこうなったのです。

左上には青山台のC74棟がまさにそびえたっていますが、北公園の向こうに今は見える国循(国立循環器病センター)はまだありませんね。国循の竣工はこの翌年、1977年になります。だからこれは国循ができる直前の光景でもあるわけ。

この道が「ふれあいの道」と名づけられるのはずっとあと、21世紀になったころで、うちでは「団地の近道」とか言っていましたが、この小道を通らせていただくことで、駅へのアクセスは飛躍的に近くなりました(それまで、良識ある大人はバス通りに沿って…「三色彩道」という名前もまだなかった…団地を大回りしていたのです)。冒険好きの子供しか寄りつかなかった団地の真ん中の雑木林が、こんなにスパッっとした空間に変身した驚きは、「駅に行くのが近くなった!」ということ以上に、新鮮な驚きでした。

…この整備で子供の秘密基地も壊滅状態になってしまったのですね…
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3月11日に思い出したこと。

2012/03/11 02:44
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この重い日に何を書くべきか…悩みましたがつい先月、2月6日大阪発のトワイライトエクスプレスの食堂車で出会った人のことを書くことにします。

どうやら1週間の休みが取れることになり、去年から行きたかった「冬の北海道のニュータウン単独見学ツアー」を実行しよう!と思い立ったものの、よく考えたらこれは往復飛行機より、行きだけでもトワイライトエクスプレスに乗るチャンスではないか?トワイライトエクスプレスは大阪から札幌まで22時間かけてたどり着く、日本最長の寝台列車。車両は既存車両の改造でかなり古いのですが、個室主体の贅沢な作りで、日本の列車の中で「時間をかけて旅を楽しむ」ことに特化したたった1往復の列車です。個室主体ゆえ乗客数は少なく、この指定券はプラチナチケットとして有名ですが、値段を調べると「移動+1泊分の宿泊設備+22時間も乗れる1,500kmの車窓」と考えたら、決して高いわけではありません。それにネットで調べると、1ヵ月前の売り出しから何度かまめにチェックしていれば、キャンセルも出てくるようなのです。運よく2度目のトライでB個室の券が入手できました。

札幌行きのトワイライトエクスプレスは11:50に大阪駅を出発します。多くの寝台列車は夕方〜晩に出発するものですが、この列車はそれだけ乗車時間が長いから…翌朝9:52の札幌着まで、3回も食事時間があるのも、日本ではこのトワイライトエクスプレスの札幌行きだけです。昼食・夕食・朝食…。夕食はまだ光があるうちにと17:30の回を予約してしまったので、13:00の開店後さっそく食堂車に出向きました。食堂車「ダイナープレヤデス」のテーブルは2人席か4人席しかないので、ひとりで行くと必然的に相席になります。由緒正しいカレーを食べ終わるころ、「お兄さんは、どこから来たの?」と、そのおじさんはテーブルの向こうから話しかけてきたのでした。

人なつこい丸い目、がっちりした体格、黒い腕…「宇和島で漁業をやっている」という自己紹介を、そのまんま絵に描いたようなおじさんでした。まだ乗ったばかりの昼食なのにシチューにワインを飲んでいて、そのワインもあれこれ聞いたうえで持ってこさせているのです。「自分で取った魚は、フグでも自分でさばいて仲間に振る舞うんよ。お店みたいにきれいにはいかんけれど、こっちは実質本位だから」…と、漁師だけあって食には一家言ありそうです。ワインを分けてもらって、早くも酔いが回るころ、列車は湖西線の雪景色の中を走っていました。22時間もあるのだし、こちらもひとりですから、急いで個室に帰る理由はどこにもありません。

雪まつりを見に行く、若いころは安城の自動車工場で働いていた、神戸の娘さんの家で一服してからこの列車に乗った、娘さんのご主人はIT系の仕事で羽振りがよさそうだが今回小遣いはくれなかった、ススキノ楽しみにしてたのに…といたずらっぽい話し方でなかなか面白い人だなと聞いていたら、突然おじさんは「もう末期がんだと言われていて余命がそんなにないらしいんよ」と、びっくりするようなことをほんの1時間前に会ったばかりの僕に話し始めたのでした。

(本当だろうか…?)このおじさんは旅の退屈しのぎに気を引くようなことを言っているのか?…いやいやでも何のために?…と心の中で話を値踏みしてみるものの、そういえば体格のわりにシチューは頼んだきりほとんど進んでいないようです。この旅行も病院から一時外出の許可を貰ってやってきた、朝札幌に着いて一晩雪まつりを見たら次の日には飛行機で帰る、帰ったら病院に直行だ…正月に言われたのは誕生日まで持つかどうか、誕生日は2月27日だというのです。そんな話を深刻な様子も見せず、どこか楽しんでいるような…その日は2月6日で、あと3週間以内の命だと言われている人がトワイライトエクスプレスの食堂車でワインを飲んでいる…そんなことって、あるだろうか?と思いつつ、旅は道連れでもあるし、日本で1本だけの特別急行の車中では、そんな話も不思議ではないのかもしれません。

命にかかわる話をしているのに、同時に、食堂車の係の女性を見ながら「ああいうプリプリッとしたタイプが好みなんよ」とか、「とにかく子供は作らにゃいけん」とか、なんだかユーモアがある。車窓は敦賀を越えて北陸トンネルに突入していました。コーヒーを頼んで「山崎」のミニチュアボトルを頼み、「コーヒーにこれを垂らすとうまいんよ」と、どんどん話に引き込まれていきます。

食堂車の係員も心得たもので、夕食の時には通路を挟んで隣のテーブルに僕らの席はなっていて、つかず離れずの会話はずっと続いたのでした(12,000円のフレンチのコースは、やはりあまり食べておられなかったようです)。朝食は僕のほうが遅い時間帯を予約していたので一緒にはなりませんでしたが、朝起きていくと隣のサロンカーで熟女の団体に囲まれていました。話が面白いから、このおじさんはどこでもすぐに友達を作ってしまうのでしょう。

列車の中では時間の経過が場所の経過に置き換えられて、22時間の長旅でも終着駅が迫ってくるのが切実に感じられます。どんな長旅でも終着駅はやってくる。人生は列車に後ろ向きで座ったまま運ばれていくようなものだ…将来はわからず遠ざかる過去だけを見送っていく…と(誰の発明したたとえなのか)聞いたことがありますが、誰の人生でもそのようなものでしょう。

すでに2月27日も過ぎてしまいましたが、あのおじさんは誕生日を迎えたのだろうか?もしあの話が本当で(ウソをついても仕方ないな、というのが僕の結論です)、今頃生きておられなかったとしても、たしかにトワイライトエクスプレスでおじさんは旅を楽しんでおられた。日本で1本ぐらい、そういう列車があるのはいいことだし、誰の旅でもいつか終わるのならば、車窓は最期まで豊かであってほしい…。震災から1年がたち、生き残ったために苦しんでいる多くの人に、生きていることはやっぱり意味があるからどうぞ投げ出さないでくださいと、おじさんからの(勝手に忖度した)メッセージを伝えたいと思いました。生きている。それだけできっと、何かの意味があるのです。

名前も伺わなかった宇和島のおじさんの旅が、豊かであったことをきょうはあわせて祈りたいと思います。
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遠くの町の仲間たち…真駒内団地(北海道・札幌)

2012/03/10 03:03
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「まこまない」…という地名を聞けば、札幌オリンピックを思い出す方も多いのではないでしょうか。1972年2月の冬季五輪。その選手村があったのが、この真駒内団地です。当時の選手村はその後一般の団地に転用され、住棟番号部分には輝かしい札幌五輪のマークが今も輝いています。その名も「五輪団地」。今年は札幌五輪からちょうど40年になります。

千里で育った僕が真駒内というところに行ってみたい…と思っていたのは、「1970年の大阪万博=万博外人村があった千里ニュータウン」と、「1972年の札幌五輪=選手村があった真駒内団地」に、相似形の関係を感じていたからです。華やかな国際イベントの記憶をたたんだ町は、今どのようになっているのだろう?イベントに合わせて地下鉄が整備され、その終点の周囲に広がる…というところも、千里と真駒内はなんだか似ています。

しかし真駒内団地全体の計画は、札幌五輪よりかなり早く、1960年代初頭から入居が進められていたようです。つまり、千里とほぼ同級生…。こちらを見ると、その計画はまさに「ニュータウン」と言ってよく、東大の高山研究室という名前は、同じブレーンが知恵を提供していた…まさに千里とは「北の兄弟」と言える関係ですね。先に進んでいたニュータウン計画に、あとから大型イベントが乗っかったというところも、似ているなあ…。都市計画のテコに、イベントを使ったのですね。

そして札幌五輪と言えば、やっぱり僕は「虹と雪のバラード」です。「町ができる 美しい町が」「ぼくらは書く いのちのかぎり いま太陽の真下に 生まれかわるサッポロの地に」…若くて力強いこの歌は、僕にはどうしてもニュータウンの歌に聞こえてしまいます。真駒内=札幌五輪=トワ・エ・モワは、僕の中では不朽の3点セットなのです。

…と検索していたら、トワ・エ・モワが真駒内にやってきていました!僕が行った数日後に…。少子化のため統合される小学校の校庭で「虹と雪のバラード」を歌ったそうです!聴きたかったなあ!…真駒内では北広島団地と同じく、区域内の4つの小学校が、この春から2校ずつ統合され、この3月には閉校式を順次行っているようです。北千里小学校のことを思い出してしまいました。

子供たちは札幌五輪のことは知らない…(というか、親でさえ記憶にないかも…?)というぐらい40年は「昔」ですが、すばらしい町のテーマソングがあることをおおいにうらやみつつ、今度は秋に来るのもいいかなあ…と、北の空を見上げて思ったのでした。

1972年といえば、千里の藤白台では子供がクズのジャンプ台で遊んでた頃だ!
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【蔵出し】公社藤白台・秘密基地のある斜面(1972年)

2012/03/09 04:12
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ニュータウンの時間と空間を旅する「アラウンド・藤白台」、今回は永井俊雄さんの貴重なコレクションからお届けする【蔵出し】シリーズ第4弾!「ふれあいの道」が整備され、斜面に樹が植えられる前の光景です。

左からA15棟、A17棟、右の葉陰に見えているのがA18棟でしょう。右下の焼却炉はA26棟の東側、今は遊園になっているあたりでしょうか。急斜面のふみわけ道を子供が下りてきますが、左のほうのふみわけ道が、のちに三角公園から斜面を下りる階段に整備されることになります。段がついている上のほうも上りきったあたりを(この写真では隠れていますが)、今「ふれあいの道」が左右に横切っています。

今は森になっていますが、いやー、ほったらかしの斜面です!今からは想像がつかないほど。藤白台番外地。ふれあいの道ぞいには今、桜並木もあるのですが、そんなしゃれたものも、この段階ではありません。一面のクズ!…でしょうか…団地造成前から手つかず…ということもないと思いますが…この感じだと、粗く造成してそのまんまだった…という感じです。

しかしこの「ほったらかし」感が、子供の冒険心をそそるのです!僕だけでなく、ずいぶんこのへんにトンネルを掘ったり「秘密基地」を作っていた…という思い出話を聞くのですが…。

このふみわけ道は、下の団地の子供が小学校へ行くのにこの斜面を上ると格段に速い…という生活上の理由からできちゃったのだと思いますが、それだけでもなかった感じがします。楽しかったんですよ。ここを上ると。

先日もメゾネットにお住まいだった(かなり若い)方に、メゾネットからA18棟の突端部に上る「秘密の道」もあった…という話を伺ったのですが、その部分は吹田市の危険急傾斜地にさえ指定されているぐらい急な斜面かつ竹藪なので大人に見つかるとこっぴどく叱られ、「大人に会わないようにヘビに会わないように…」行くのがまた楽しかった…というお話でした。ヘビもいたのかなあ。
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遠くの町の仲間たち…大麻団地(北海道・江別)

2012/03/06 03:52
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大阪市の隣の郊外が吹田市や豊中市であるように、札幌市の東隣の郊外が、江別市。札幌市から函館本線で江別市に入ってすぐの快速停車駅が「大麻」(おおあさ)です。その駅前からすぐに広がるのが、大麻団地。実は札幌市のもみじ台団地とは2-3kmぐらいしか離れていません。

首都圏や関西では「団地」というと集合住宅だけを思い浮かべがちですが、もともと団地は「一団の土地」の略で、要は同じものがたくさん集まっている場所。流通団地とか工業団地とかいう言葉もあるように、集合住宅だけをさすのではありません。

ここ大麻団地も、集合住宅もあれば戸建もあり、お買物する場所もあり…と言ってみれば「ミニ・ニュータウン」みたいなものです。215haですから千里で言うと住区2つ分、何よりここは1964年からの開発で、北海道のニュータウンのルーツと言っていい場所です。(北海道全部がニュータウンだろうという説もありますが…)

「あそこは古いですよ〜」と聞いて行ったのですが、ふだん千里ばかり見ているせいでしょうか…ぜんぜんきれいに見えたのですが…。雪化粧のせいでしょうか…?この区画はURの団地で、階段1列のポイントハウスばかりで構成されています。

傾斜屋根の部分を手で隠して見ると千里にもあるあのタイプですが、ここは雪が積もりますから…これは屋根の雪をスムーズに(出入口と反対側に)落とすための設計です。傾斜屋根のカラーがポイントハウスではひときわアクセントになって、かわいいですね!森に生えているきのこハウスみたいです。

この大麻団地も歴史が古いだけあって、高齢化して老朽化して…という話を聞くのですが、札幌駅まで快速でわずか12分(!)で、駅からすぐ団地が広がっていて地形も平坦…であれば、立地としては相当に有利だろうと思いました。人が外を歩いていない…のは雪の夕方ではあたりまえだろうから、それが沈滞化のサインなのか、わかりません!

江別市では団地のまちづくり指針も作っているようですね。条件いいと思うんだけどなあ。
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【蔵出し】公社藤白台・春の大掃除(1972年)

2012/03/04 20:21
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永井俊雄さんの貴重なコレクションからお届けする【蔵出し】シリーズ第3弾!さてさて、藤白台にとって大切な憩いの空間になっている「ふれあいの道」、整備前はこんなんでした…という歴史的な写真です。

「ふれあいの道」はただいま建替工事のために閉鎖されていますが、この写真の左下の二股部分から閉鎖直前に撮ったのがこれ。今の「ふれあいの道」は、このふみわけ道を忠実になぞってほぼ同じルートで整備したことがわかりますね。メインに見えているのがA8棟。

このA8棟前の空間は整備後もバレーコートになったり駐車場になったり上の遊具をおろしてきて遊園になったり用途が二転三転しているのですが、とにかく元は、クズボーボー、草ボーボーだったというわけです。通路もふみわけ道みたいなものしかありません。このふみわけ道も、駅まではきちんとつながっていませんでした。これは「ふれあいの道」というより「ふみわけの道」というべきか…?自治会員の皆さんが、刈った草を盛大に燃やしております。

団地の真ん中にこんな雑駁な空間があったというのは、今しか知らない人には「へぇ〜?」という感じだろうと思いますが、僕にはとてもなつかしい感じがします。想像力をかきたてられるというか。万博が終わって、万博公園に整備される前の「跡地」だったところも、似た風情がありました。まだ何にもなっていない、でもこれからどうにかなりそうな、「余白」の空間。

そうです、計画都市であるニュータウンには「余白」の空間が必要なんです、きっと…。それは当時中学一年生で未来がわからない雑草ボーボーみたいな青春前期だった自分の投影かもわかりません。
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遠くの町の仲間たち…もみじ台団地(北海道・札幌)

2012/03/03 23:36
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北海道ではもうすぐ200万都市!札幌への一極集中が著しく、空の玄関口・千歳から札幌にかけてはJR千歳線に沿ってつぎつぎとニュータウンが現れます。泉沢向陽台恵み野北広島…「北のニュータウン銀座」の一番札幌寄りにあるのがもみじ台団地。この写真は千歳線の車内から撮りました。千歳線は空港から来る人も通勤客も使う北海道一の幹線で、普通と快速が計1時間8本あり、北広島では追い抜きもある、完全に都市型の路線です。

その通勤電車の窓から見える丘の上のニュータウン!…という図式は、千里や多摩となんら変わることはありませんが、雪に埋もれて北国特有の傾斜屋根つきの集合住宅が雛壇に並ぶさまはどこか北欧の町のようでもあり、エキゾチックです。

最寄駅が「新札幌」というのも、そそりますね。1973年開業。もみじ台団地は1968年からの開発で242haということですから千里で言うと住区2つ分ぐらいですが、集合住宅も戸建もあって、真ん中には時計塔のあるタウンセンターがあり、まとまった計画都市らしい街区を作っています(「団地」という言葉は、もともと集合住宅だけを意味するのではありません)。

今年は1972年の札幌五輪から40年になりますが、そのころ、札幌圏は急成長していたのです。石炭からのエネルギー転換が進んで、職を求めて人々が札幌に集まってきた…という背景もあるでしょう。札幌五輪のテーマソング「虹と雪のバラード」の「町ができる 美しい町が」という歌詞は、むしろニュータウンのテーマソングだと僕は思っているのですが、その「美しい町」のひとつが、もみじ台。

丘ひとつをニュータウンに造成したような地形で、つまり坂の上にあり、高齢化も進んでいると聞きましたが、なんといってもここは札幌市内。バスで新札幌まで出れば、JRも地下鉄もあるのです。丘の上の「〜台」のつくニュータウン。なんだか親近感がわきます。こんどは緑がきれいな季節に行ってみたいなあ。
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【蔵出し】北千里駅前交差点(1967年)

2012/03/02 23:55
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永井俊雄さんの貴重なコレクションからお届けする【蔵出し】シリーズ第2弾は、1967年、完成直前の北千里駅前交差点です。(写真をクリックすると大きく見られます。第1弾の写真にも解説を追記しました!)北千里駅の開業は1967年3月1日…この日は世界初の自動改札機が実用化された日にもなるわけですが…写真からは、まだオアシスのガラスに破損注意の紙が貼られていたり、きちんとオープンしてない雑然とした様子がうかがえますから、開業直前の追い込みの時期ではないでしょうか。開業直後、ほぼ同じ位置でこの写真より少し右に振った角度で撮っているのがこの記念写真です。

今と大きく違うのは…
◎阪急の引上線のガードがなく、線路がホームの端で切れている。(現在の引上線は、1970年、万博用の臨時電車を多数増発した際に、電車をためておけるように造られました。)
◎交差点に信号機がない!
藤白橋がない!取付け部にはぽっかり穴があいている。(信じられないような措置ですが、駅ができてから1年ぐらい藤白橋はなく、取付け予定部は穴が開いたまんまでした。転落防止の柵もすごくチャチかった記憶が…)
◎改札内、ホームに上がる階段部が外から見えている。(これは1990年代ぐらいにエスカレーターやエレベーターなどを増設してサイドを壁でおおいました。)
◎右手の「北センタービル」に一番上のホールのフロアがない。(数年後の第2期工事で増築。塗り分けは濃い茶色と白でした。)
◎角の部分に阪急ハウジングプラザがない。(これができたのも1990年代だったかと…)
◎オアシスの2階の張り出しピロティ増築部がない。(これもずっと新しくて21世紀になってから)

…と、今あるものがないないだらけ。角に立っている街路灯も今とは違いますね。

北千里駅ができるまでは駅前のバスターミナルもなく、この角に「北千里山」というバス停があったのですが、この写真には写っていないですね…。(今、医療ビルがある北東の角には「青山台中学校前」というバス停があり、その2つを駅ができたときに統合しました。)北千里駅が開業する前日まで阪急千里線は「千里山線」という名前で、南千里も「新千里山」という駅名だったので、開業予定の新しいこの駅も、予定段階では「北千里山」と仮に言っていました。ところがホームの終端部に、この写真にあるように「阪急北千里駅」というネオンがついたので、「山」がとれるんだ…ということがわかったのです。それは「千里」という地名が「千里山」から離れて独り歩きを始めた瞬間だったと思います。

今から見ると殺伐とした番外地のような写真ですが、どんどんできていく工事現場は、期待でいっぱいの場所だったのです。それからもう45年がたちました…。

※永井さんには許可をいただいて紹介していますので、無断使用はおやめください。
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北のニュータウン(北海道・北広島団地)

2012/03/01 03:31
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話題があっちこっちに飛ぶしもう3月になってしまいましたが、2月の初旬、真冬の北海道のニュータウンを見に行ってきました。4年前の夏にも行ったのですが、やはり北海道は冬の暮らしを見ないと…それに白銀に浮かぶニュータウンの写真も撮りたかったのです。

こちらは札幌の郊外、北広島団地の道営住宅。ゲレンデの中にニュータウンがあるみたいでしょう?つるつる滑って大変だったんですから!住棟の妻面にバーン!とついている大きな木彫りのレリーフも見ものです。これ、1棟1棟全部絵が違うのです。道営住宅だから道産品を活用する趣旨なのか、住棟番号も木彫りでした!

「蔵出し」シリーズもあるし、交互に出していこうかな。
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2/25(土)「千里でやってみたいこと」@千里中央コラボ!

2012/02/23 03:36
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私が代表やってる「千里市民フォーラム」からのお知らせ…今週土曜!年間最大のイベントとして「第10回千里ニュータウンまちづくり市民フォーラム」を、やります!

これまではアトラクションがあって講演があってシンポジウムがあって…という構成だったのですが、今年は第10回ということもあり、千里ニュータウンも今年はまちびらき50年!ということもあり、話を「聞く」だけでなく、来場者が自分も参加して何か行動につなげられるような仕組みにしたい…ということで、考えました、「大プレゼン大会」。

これは「千里でやってみたいこと」がある人が概要を説明して、そのあとのフリータイムで賛同・参加したい人をつのって、1年ぐらいかけてじっくり行動に移していってもらおう…という作戦。多彩な14個の「やってみたいこと」が集まりました!

千里ニュータウンもできて半世紀もたつならば、住民がなにか「やってみたいこと」があるはず?そこから「次の50年」が生まれていくだろう…という遠大な計画であります。町はガワじゃないよ中身だよ…というココロですね。

この集まりは、千里が好きな人なら誰でも(会員でなくても)参加できますから、「ちょっと見るだけ…」という方もぜひのぞいてみてください。詳細はこちら。当日はマスコミの取材も入る予定であります。僕は前で喋るから、おめかしして行かねば〜。無料です。

新しいこと、やってみたいことができる町が、ニュータウンだったんじゃないでしょうか?
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【蔵出し】藤白台公社+北千里駅前(1968年頃)

2012/02/13 04:01
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藤白台の歴史を物語る貴重な写真をご紹介しましょう!この写真は藤白台の公社にお住まいの永井俊雄さん(元・新聞社のカメラマン…つまりプロ!)によるものです(写真をクリックすると大きく見られます)。永井さんは45年以上の間、仕事の合間に藤白台の記録を撮りためてこられました。今も藤白台や北千里でのイベントでご活躍です。さすがプロ!時代的に貴重なだけでなく、写真としての品質もすばらしいものです。前からこのブログでご紹介したいと願っていたのですが、このたびご本人の了解をいただきましたので、【蔵出し】シリーズとして…ある方にはなつかしい!ある方にはビックリ!の藤白台の姿を紹介していきたいと思います。(そういう経緯ですのでくれぐれも無断使用はおやめください。)

さて最初は、現在建替真っ最中の藤白台公社(千里丘陵G団地+藤白台B団地)の全貌を、青山台のC74棟の上から撮ったアングルです。写っている内容から推察して、1968年頃と思われます。

…いかがでしょうか?なつかしい?ビックリ?今とどこが違うでしょうか?斜面の上のほうには若き「しろすべ」のうるわしいお姿も見えていますね!樹が小さかったから、このように遠くからでも「しろすべ」は見えたのです。

この写真は、1967年の写真では建設中のC74棟から撮っているので1968年以降ではないかと推定でき、1970年の万博の臨時列車増発に備えて延長された阪急の引込線がないためにそれ以前と断定でき、右上の丘の向こうの万博会場もまだ見えない様子なので、1968-70年の間で早いうち…と絞り込んでいくと、1968年ではないかと推定できるわけです。

そのほか、今と違うポイントは数日後にここに追記しますが、皆さんもお気づきの点があればこの記事のコメント欄に書いていただけるとうれしいです。

(3/1追記・今と違うポイント)
公社団地が建替中なのは別として…

○藤白台の向こう右手、万博会場がまだ出現していない。
○その左手の阪大キャンパスも見えない!(工学部から移転は始まっていたがこのアングルでは見えない。)
○藤白台は全体に木が小さい!(団地の間から小学校も見える。)
○現・三色彩道の街路樹がマッチ棒のようだ!右手(南側)のアメリカフウのほうが左手(北側)のトウカエデより小さい。(今は逆
○公社内「ふれあいの道」の斜面が森でなくガレ場のようになっている。
○「しろすべ」に上っていく斜めの道がない。
○公社の団地は、坂の下のA19-A26棟(藤白台B団地)のみ、住棟の妻面にタテのラインが入っている。
○山田川に張り出している自転車置き場がない。
○北千里駅前の交差点はスクランブルでなく、歩行者用の信号もない。
○阪急の高架が駅のところで切れている。(ホーム屋根がコの字型につながっている)
○角の阪急ハウジングプラザや立体駐車場がない。(駐車場はこんなもので足りていたのか…)


●公社再生地「しろすべ」(ゾウのすべり台)保存のためのコメントは引き続き募集中!→そちらのコメントはこちらにお願いいたします。
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公社「しろすべ」(ゾウのすべり台)へのコメントを募集します!

2012/02/06 02:21
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これはいつ書こうかいつ書こうか…と考え続けて4ヵ月、これ以上遅くなると間に合わなくなるかもしれないので、思いきって、書きます。

藤白台の公社団地内で40年以上、大勢の子供と遊んでくれた「しろすべ」(ゾウのすべり台)。その白い姿はまさに「団地のマドンナ」と言うべき存在でしたが、今回の建替で民間マンションの敷地として売却される「再生地」に入ってしまいました。このままだと、姿を消してしまう運命にあります。今は仮囲いの中で眠っています。

でも僕はブログで何回かこの「しろすべ」(ゾウのすべり台)をとりあげて、気がついたのです。このすべり台を記事にすると、皆のコメントがたくさんつく。その多くは、これまで藤白台で子供時代を送った皆さんからのコメントです。ああ、ここには皆の思い出がたまっているんだ。
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その思い出を書くのは、公社に住んでいた子供たちだけではありません。子供の世界に境界線はありませんから、団地も戸建も関係なく、藤白台の多くの子供(元子供)が、このすべり台で思い出を育ててきたのです。小学校の校門から近いからでしょうか。駅に下りていく途中にあったからでしょうか。

建替でこの場所が民間マンションの敷地になっても…場所は多少変わってもいいから、藤白台の子供が遊べる場所で、なんとかこのすべり台を残してもらう方法はないのだろうか?

千里ニュータウンの設計に詳しいK先生に聞いたところ、「建物だって移築できるんだから、すべり台を移動させるのは当然できます」とのこと。当時の公社ではアート系の学生にこういった「一点物」の遊具を設計させ、ニュータウンの団地の中に置いたそうです。「プレイ・スカルプチャー」(遊べる造型)という名前まであるんだそうです!抽象的なようで具象的にも見える…その中間の不思議な形が想像力をかきたてるのが人気の秘密なんでしょうね。

建替の条件について、このすべり台に関しては自治会から公式なお願いは出ていません。遊具のほかに、高さやセットバックや通路や…お願いすることがたくさんあったからです。それに…「すべり台が大切」という視点は、藤白台で子供時代を送った人(か、せめてそのお母さん)からしか出てこない視点で、自治会の会合に出てくる人は「大人になってから藤白台に来た男性」が多いですからね。

でももしこのすべり台がなくなってしまったら…元の風景を一度更地にしたニュータウンでは、建替更新もほぼまた更地に戻すやり方で進みますから、風景の記憶をつなぐよすがが、何もなくなってしまうのです(ふれあいの道の桜や斜面のクスノキは残りますが…人工物はすべて入れ替わってしまうことになります)。このすべり台がもし残れば、昔の子供と今の子供が、そこで同じ思いを共有できるかもしれません。それは、歴史が浅いニュータウンで、とても大切なことなんじゃないでしょうか?なんだか子供っぽいようですが、藤白台で子供時代を送った人にとって、藤白台は「ふるさと」なのです。そこで、
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●この「しろすべ」(ゾウのすべり台)に関する思い出話、保存応援意見などを、この記事のコメント欄に書いていただけませんか?

このブログに書いてもらったことで、どれだけ現実に対する影響力が持てるか、それはわかりません。たぶん場所は動かさないといけないだろうし、するとお金の問題も出てくるし、建築計画の大枠は今から変えられない中で滑り込ませる場所を見つけないといけないし、工程のダンドリもあるし、現実にはいろいろ難しいことがあります。でも、ここに書かれたコメントを、関係者の皆さんに見ていただくことはできます。関係者の皆さんも、住民の思いがわかれば、皆が満足するプランのほうがいいわけですから、何か現実的な解決を考えてくださるかもしれません。

期限はありません。twitterやfacebookからご覧になった方は、RTまたはシェアしていただいて、コメントはできるだけこのブログのこの記事に集中していただけると幸いです。

この提案はまったく個人的な「藤白台の元子供」からの発想で、僕が所属する自治会やグループとは関係がありません。

どうぞよろしくお願いいたします!できるところまで、がんばってみましょう!
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「未来の実験都市・千里」(2/4・吹田浜屋敷)

2012/01/31 03:50
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最近更新が滞りがちなのは、これの準備をしていたからなんです…という言い訳から始まるお知らせ!今週土曜、吹田の旧市内にある「浜屋敷」で、千里ニュータウンの話をいたします!

地域のチカラ 日本最初のニュータウンを生かすために
未来の実験都市・千里


ことし2012年、まちびらきから50年になる千里ニュータウンは、いつも新しいくらし、生き方の実験都市でした。その影響は日本中、海外のニュータウンにも広がっているのです。

2月4日(土) 14:00-16:00
浜屋敷 (JR吹田駅から徒歩約15分・阪急吹田駅から徒歩約20分)→地図はこちら


■定員…30名 ■費用…一般300円(まちづくり協会の会員無料)
■申込…電話で浜屋敷へ(06-4860-9731)

というわけで、なんと有料、要事前申込なんですが、聞いたところまだ少々お席があるようです。千里が好きな方、ニュータウンが好きな方はぜひどうぞ!

日本中のニュータウンを回った話はこれまで何回かしてきましたが、今回はその酔狂話をふまえ、もう一度「千里」にフォーカスしてお話ししたいと思っています。

浜屋敷」はジス・イズ・吹田の旧市街、由緒ある庄屋屋敷をきれいに修築したプリティーな場所。こんな場所が吹田にあったのかー…というなごみの空間であります。庄屋屋敷を現代の市民が集まる場所にしているので、これはまさに正しいリノベーションと言えるでしょうね。昔ながらの入り組んだ道の奥にあり(一番近い目印は高浜神社ですが、そこからもちょっと入る)、すんごくわかりにくいので初めての方は時間に余裕を持ってお越しください。今回の会場は、土蔵の中です。(ウソ)

お待ちしています!
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振り返り、振り返り…

2012/01/22 22:42
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藤白台公社建替第三期工事の解体が進んでいます。すでにA1棟、A2棟は姿を消し、A3棟、A4棟が進行中…(今はもっと進んでいます。この写真は1/12撮影)。

藤白橋のドンツキのスロープの上は工事を見学する格好のポイントで、第一期のときもここから解体建設の工事を眺めている人の姿が見られましたが、第三期でも…折り返しで立ち止まっては見上げ、スロープの途中で立ち止まっては見上げ…ここにお住まいの方だったのでしょうか。

あまりに露骨な解体シーンは僕も心が痛んで、これまでも(シャッターは押したけれど)ブログにはあまり出してこなかったのですが、第三期になったら、だいぶん慣れました…でも振り返り振り返り工事を見ていたおじさんの気持ちは、僕の気持ちです。

建て替わったら、これまでよりもいい町に。なぜならここはニュータウンだからです。
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町は何度でもよみがえる。

2012/01/17 03:10
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神戸の震災から17年。今年の1.17は3.11があってからはじめての1.17ということで、ひときわ重く感じられます。

僕は母方の実家が神戸(東灘・魚崎)で、17年前の震災では全壊しましたし、僕自身、震災のときはちょっと気取って芦屋で一人暮らしをしていました。震度7経験者です。窓ガラスが割れたクルマで命からがら20kmを8時間かけて千里まで逃げてきたのが、きのうのことのようです。そんななかでケガひとつしなかったのは、まったく偶然でしかなく、生きていることも偶然だという思いがずっとあります。

でも実は、震災前はいろいろ精神的に行き詰っていたので、震災で周囲が「全部チャラ」になり、もうあとは生きるしかない、やり直すしかないと思ったらかえって元気になってしまって、おかしな言い方ですが震災に救われた…という部分もずいぶんありました。人間の感情はまったくわかりません。

ところが今回の3.11で、1.17をはるかに超える事態に、ふたたび言葉を失ってしまったのです。自分はあんなに強くゆさぶられて、それを乗り越えたような気分になっていたのに、何もできない…。「災害の実感」というものは距離が離れるとまったく違ったものになるということを知っているだけに、やすやすと「絆」なんて言えないと感じました。

でもそのまま放置すると自分の中に「オリ」がたまったままになることはなんとなくわかって、たまたま機会もあって10月にやっと(ほんとにわずかですが)東北に行ってきました。

ケガをしたわけでも、家族友人家財を失ったわけでもなく、僕なんかが17年前の被災経験を言うのはほんとにおこがましいのですが、それでもあえて言うとしたら、災害の克服には、時間がかかります。完全に元に戻ることは、ありません。失った人や景色は、戻ってきません。神戸も「ほら、こんなに元気に復興しましたよ!」と言うのは半分はほんとだけど半分は強がりで、経済の落ち込みは17年たっても回復できていません(震災のせいだけじゃないと思うけれど…)。高速道路やビルはすっかりきれいになって、はじめて来た人はどこが震災の跡なのか全然わからないだろうと思いますが、自宅が再建できないままになった人は、大勢います。

それでも…それでも、町や人の心は、元通りにはとうていならなくても、少しづつでも回復していくのです。元通りにならなくても、人は生きていくことができるし、おなかもへる。可笑しなことがあれば笑ってしまう。助かった自分を責めながら、運命を呪いながら、新しい日常に慣れていきます。

前のようにいかないこともたくさんあるでしょう。でも前にはなかったことも生まれるかもしれない。僕は何となく、人生傷ついてるぐらいのほうが、品もあるんじゃないかと思うようにしています。一寸先はわからない。でもそれは災害のせいじゃなく、人生ってそもそもそういうもんじゃないのでしょうか。

ですから3.11の被害に遭われた方には、時間がかかることを責めないで、きょう一日を大切に、自分は自分のためだけに生きてるんじゃなくて、生きてるだけで誰かのはげみになってることを感じてもらえたらと思います。

ほんとうに巨大な災害だから、皆が少しづついつもより力と知恵を出すしかない。ありったけの力を出し続けたら、きりがないから倒れてしまいます。「少しづつの力」でも、皆で出せば町は何度でもよみがえっていくのです。

写真は去年の1.17に撮った三宮駅前。ここの被害はほんとうにひどくて、震災前とはけっこう違うのですが、それでもやっぱりきれいだし、僕は神戸が好きです。
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早春のシルエット

2012/01/14 13:24
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このブログを始めてから、たぶん一番シャッターをたくさん押した場所が、藤白台から北千里駅にかかる歩道橋の「藤白橋」

町の中のアーチ型を探したり、万博のときはこの下をゾウの群れが歩いて行ったり、団地の建替を見守るお立ち台になったり、橋から見下ろした桜の落下が日本画みたいだったり、バリアフリーの進化があったり、いろいろな人の思いが交錯して、この橋だけでオムニバスの小説になるんじゃないかと思うほど多彩な物語があります。

遠くのニュータウンに行ったら、この橋に似た「アーチ型の歩道橋」って、仲間がたくさんいるんですよね。ニュータウンでは「人」と「クルマ」の平面交差はできるだけ避けるので歩道橋が増える一方、橋のたもとにあらかじめ土地を取って階段ではなくスロープで持ち上げている場所が多いのです。

昔は、朝は団地から駅に向かう「企業戦士」の群れが(この写真でいうと左から右へ)ゾロゾロと行ったものですが、最近は企業戦士はリタイアしたりして減ってしまったので、むしろ駅から阪大や金蘭に向かう学生の群れが、電車がつくたびに右から左へアリのようにゾロゾロ…(僕が会社へ行く時間が遅いから「企業戦士」に会わないだけかも?)

そういえばきょうあすは大学のセンター試験なのでした。受験生の人はこのブログの写真をプリントアウトしてポケットに入れていくと、大学生の仲間に入れる…かも…?(あ、これは見ちゃダメ!)
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団地移転の風景−19.仮囲いの日々

2012/01/10 02:48
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よく晴れた正月の空。バス通りの正面に白く見えるのは国循

ひとあし先に公社建替三期工事に入った部分に続き、民間に売られてマンションになる再生地部分も仮囲いで囲われました。この団地造ってた時から覚えてるんだよな〜。チビがちょろちょろして危ないと思われたのか、工事現場のお兄さんに遊んでもらった記憶があります。今の工事ではそんな音しないのですが、カーン、カーン…という杭打ちの音も、まるできのうの夕方のように覚えてるぞ。あれは1964-65年。入居が1965年春だから、工事中だったのはこんな冬の日だったはずです。

再生地の工事が全部できるのは2016年の予定。すぐなんだろうな。
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新春からピンポ〜ン!

2012/01/04 16:11
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きょうはまだ休みで吹田まで用事があり今年初めて電車に乗ろうと「記念すべき世界初の」自動改札ゲートをPiTaPaで通ろうとしたら…ピンポ〜ン!…あれ〜?何度やっても…ピンポ〜ン!…係員のいるしゃれたカウンターへ持っていったら…「有効期限が切れてます」…ああ!新春からそそっかしい!阪急が宣伝しているPiTaPaはポストペイのクレジットカード方式なので、何年かに一度カードの更新があるのです。そういえば暮れに新しいカードが来てたな〜。入れ替えるの忘れてた!

…というわけでひさしぶりに切符を買っての乗車。こんなことでもブログネタに…と、阪急伝統のゴールデンオリーブのモケット地のシートに置いて、記念撮影。関西以外に行って阪急にひさしく乗っていない方、このシート、なつかしいでしょう…マルーンの外観とならんで、阪急の車両に気品を与えているのが、このシートの色、質感です(この色、ゴールデンオリーブというのです…)。

切符もしばらく買っていないうちに、いくつか変化がありました。●用紙の地紋が、スルッとKANSAIのキャラクター「スルットちゃん」(…というらしい…)と電車のイラストになっている(たぶん関西私鉄で共通化?)●発駅の表示にローマ字が加わっている。

…とまあ、年初の小事件を楽しみつつ、電車は千里線の勾配をすべりおりていきました。往復で360円損しちゃったな…と思っていたのですが、よく考えたら現金で払うかカードで落ちるかの違いだけだった!まだまだ頭が正月のようです。
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「大阪都千里区」は可能か?

2012/01/03 23:52
画像お正月はいつも千里の将来を考える…みたいなことを書くのですが、今年は今話題の「大阪都構想」と千里の関係について。あ…私はニュータウン住民らしく「ノンポリ、ミーハー」の典型的な浮動票で、支持政党は「大日本甘党」以外ないですから他意はありません…。

ただ関西経済のひどい低下は何とかしてほしいと思っていますし、大阪都構想については関西浮上の観点から興味がある、というだけです。自分が社会人になってからの30年近く、関西の「地盤沈下」は身の回りだけでもハッキリ実感でき、日々心を痛めてきました。「地盤沈下」とはよく言ったもので、個々人の努力や才覚と関係なく、全体が下がっていく。私の働く業界でも東京集中はますます著しく、関西の有名大学を出ても、関西に就職先がない。千里ニュータウンから巣立った若者の多くはどこへ行っているか?というと首都圏が多いのです。この痛みは東京の人にはなかなかわからないでしょう。それは本当に「くやしい」ことです。

全国のニュータウンを歩いてみると、首都圏のニュータウンと関西のニュータウンでは、人口圧力の点ではっきりと違いがある。首都圏では「こんな遠くで…」と思うような場所で、まだまだ開発を続けて、それで人が入るのです。関西のニュータウンが直面している問題の多くは、「ニュータウン問題」ではなく「関西問題」ではないか?

さて行政区を変えるという話ですが、千里には昔から「千里ニュータウンだけ独立して一つの市になったら…」という「千里市構想」というものがあります。千里ニュータウンは吹田市と豊中市にまたがっていて、「千里ニュータウン」というまとまりのほうが共通性が強いのに、住民感覚と行政区がしばしば一致していないからです。これは単に便宜の問題だけじゃなく「新都市へのロマン」みたいなものでしょうね。海外では、ニュータウンを造ると、そこだけ新しい行政区にしている例はあるのです。

そこで正月の空想なら、この2つの可能性をまとめて考えてみよう…というわけです。

大阪都構想は、現在の大阪市堺市大阪府に合併させ、この部分をいくつかの大きな「区」に再編しよう…ということであるようです。都心部が「府−市−区」の三重レイヤーになっていることは非効率だし、これまで大阪府と大阪市が何かと対立してきたことは、よく言われることです。

ではなぜその対象地域を堺市まで広げるのか?これは都市圏が拡大して、大阪市の部分が人口密集地域である…という区分が時代に合わなくなっているからでしょう。…とすると…北のほうはどうなのでしょうか?存廃が再三議題になる大阪空港、大学や研究機関が多数立地し、「国土軸」に乗っている吹田+豊中両市は、郊外の中でも最も「重要度の高い郊外」と言えるでしょう。であるなら、堺市を再編の対象とするならば、吹田市と豊中市も「区」にする…という発想が出てきてもおかしくはありません。(それを僕が支持しているわけじゃないですよ。ただ空想しているだけです。)千里はまさに、国土軸に位置しているからこそ都市としての可能性も大きいのです。

じゃあここで「千里市」構想あらため、「千里区」という区分は成り立つのでしょうか?

…昔から言われる「千里市構想」(千里市空想?)は、千里ニュータウンの部分だけを千里市に…というものでしたが、今では「千里」という地域のまとまりは、アイマイな形ながら、もっと広域化しているといっていいでしょう。千里ニュータウンの部分だけでは人口は9万人しかないですから、「基礎自治体は広域化して力をつけさせよう…」という最近の流れからは、小さすぎます。

それなら大盤振舞して、「吹田市豊中市=千里区」ではどうだ!と構えてみると、こんどは人口が75万人にもなってしまい、これは大きすぎます(東京の世田谷区は88万人あるけど…区だけで政令指定都市になれてしまう!)。

つまり、オビに短しタスキに長しで、単純な分割や合併ではちょうどいい単位にならない。ではもっといろいろ再編して…とやり始めると、話がまとまらなくなりそうです。

…やっぱり「大阪都千里区」は、(大阪都のほうはともかく)正月のコタツミカンの空想でしかないのでしょうか?名前はちょっとカッコいいと思うんだけどなあ…と、このへんがミーハーの限界のようですね。あすから仕事始めの方も多いときに、失礼いたしました。

※写真は空想じゃない現実の千里北公園のお正月。昔のように小学校の校庭で凧揚げする姿は見られなくなりましたが、北公園での凧揚げはやってる人が毎年います。
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春日神社の変?

2012/01/02 23:51
画像毎年初詣は(ほんとは越境なんだけど)小野原の春日神社に行くのですが…きのう元旦の夕方に行ったところ、もう暮れかかってくるような時間なのに、ご覧のようなすごーい人!石段の下からずらずらと…「ゆく年くる年」の中継か?「月の石」でも展示してあるのでしょうか…??

うちはもう30年ぐらい、正月は毎年ここにきているのですが、こんなに混んでるのに出会った記憶がありません。これはどうしたことなんでしょう?(以下勝手に憶測)

1.元旦はいつもこれぐらい混んでいる。(うちが来るのはたいてい2日以降…)
2.小野原西が開発されて住宅が増えたから。(人が多いわりにクルマで来ている様子がなかった)
3.やはり大震災などがあって平安を祈りたくなったから。
4.箕面市の「オレンジゆずるバス」が前に停まるようになったから。(ないない…)
5.隣にできたスタバとタイアップキャンペーンをやっているから。(ないない!)

これだけ祈られたらさぞや商売繁盛だろうと思ってしまいましたが、ここは知る人ぞ知る静かでおごそかで昔ながらの「異界」だったのに、なんだか勝手が違ってきたような感じがしたのも正直なところ…小野原から見て山の向こうの山田村を大改変して造成したニュータウン住民がこんなこと言うのはほんとに勝手なのですが…

新しくできた小野原西に越してきた皆さんにとって、昔から残された(奈良時代からの!)鎮守の神様が町の真ん中にあることは、心安らぐことなのでしょうか?…だとするとこれは伝統と開発の新しい共存現象なのかもしれないですね。
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日本のニュータウン半世紀

2012/01/01 23:41
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あけましておめでとうございます。

2012年、千里ニュータウンにとって記念すべき年が明けました。なぜなら今年は…1962年にはじめての住民が千里ニュータウン(佐竹台)に入居してから、ちょうど50年になるからです!千里ニュータウンは日本で最初の大規模ニュータウンですから、つまり今年は日本のニュータウン半世紀!つまり(たぶん)アジアのニュータウン半世紀ということになります。

このブログでもお伝えしているように、千里ニュータウンでは今、更新のための団地建替があっちでもこっちでも進んでいます。藤白台でも工事が本格的になってきました。この町で育った僕が願うことは、この変化を後ろ向きにとらえず、町の記憶もしっかりと引き取って、もう一段新しくなる「ニュー」タウンを良いかたちでうけとめたい、ということです。

なぜならここは「ニュー」タウンだからです。建物が一代入れ替わったぐらいで、もうニュータウンでなくなるわけではありません。町はそんなにヤワなものではありません。

昔から住んでいる人も、新しくやってくる人も、固まらずに交流しあって、いろんな世代の人がいる町へ…それでやっと、少しは「一人前」の町に近づいていくのではないでしょうか。建物が古くなったぐらいで「もうニュータウンでなくなった」などと言うのは、早とちりもいいところです。

そしてこの千里の変化は…よく報道されるように人口の変化や少子化、高齢化、建物・設備の老朽化から「再生」への過程も含めて…それは日本中のニュータウンや団地、郊外都市が見守っているということです。千里は、誇りも悩みも、成功も失敗も、どこまでいっても先頭なのです。

さらにこのようなニュータウンは、かつての日本の高度成長を追うように発展しているアジアの各都市へも広がっています。産業革命期のイギリスから始まりヨーロッパ各国やアメリカに広がって日本に入ってきた「ニュータウン」は、21世紀はアジアの都市へ広がりつつある。千里は、その欧米とアジアの結節点に位置する現代住文明の記念碑的な町なのです。

…って、やけにうたいあげてしまった…まあ正月ですからご容赦ください。でもわりと本気ですけど。秋の50周年に間に合うように、ニュータウンの本も出せるよう準備を進めているのですが…去年夏から始めたわりになかなか進まないゾー…(汗)

まあ、これは本職でもない個人が、ただ、48年間ニュータウンの変化を見てきたということだけを頼りにやっておりますので、温かく見守っていてください。コメント、質問、大歓迎。今年もよろしくお願いいたします。
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団地移転の風景−18.仮橋終了

2011/12/30 20:39
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この写真はだいぶん前、11月9日に撮ったもの。工事車両が生活道路をできるだけ通らず、幹線道路から直接工事現場に入れるように架けた「仮橋」を撤去しています。この仮橋は2008年春に架けたので、いつのまにか3年半ものおつとめでした!もう始まっている第三期の現場へは、三色彩道から車両が入ります。長かったのか…短かったのか…?この「仮橋を架ける」というアイデアは藤白台の住民から出たアイデアなんですよ。

よく見ると、その向こうにも、別の仮橋ができています。これはメゾネットの建替用。その向こうの歩行者専用の橋の向こうにも、実はもう一つ仮橋ができていて、これは府営住宅の建替用。3つもの仮橋が、北千里から藤白台一丁目の交差点の間に架かっていました。

2011年、藤白台は大きく脱皮を続けた一年でした。まだまだ変身は続きます。
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クリスマス・プレゼントは何?

2011/12/24 11:33
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きょうはクリスマスイブなので、団地レポートはちょっとお休み…この写真は千里中央のライフサイエンスビルから撮った新千里西町方面です。

この写真は合成じゃなくて一発撮りなんですよ。千里に雪だるまのサンタさんがおりてきたのです!

今年は悲しいこと、大変なことも多かったですが、千里にとってはどんな年だったでしょうか?実は記念すべきことは、ついに千里ニュータウンの人口が再増加に転じ、最低6年は続いた8万9千人台から、9万人台を回復した…という報道がありました。この6年間も人口は減り続けていたわけではなく、(最盛期…1975年の12万9千人台からはかなり減っているけれど)「横ばい」だったのです。

これは千里ニュータウンの立地が良く、昔からの住民が高齢化するのと並行して、徐々に団地の建替、民間マンションの導入が進み、新しい若い家族が入りつつあることとプラスマイナスで拮抗していた…ということだろうと考えられます。そしてついに…ほんとにゆるやかな変化ですが…「増加」が「減少」を上回り始めた。

大きな団地の建替があると、いったんは工事のためにその区画の人口は減ります。しかし建替が済んで新しい町ができると、数百戸単位で新しい人が住み始めます。その両方が、今の千里では同時進行で進んでいます。まさに「脱皮中」というところでしょうか。

団地の更新は千里中央に近く都心に速く出られる豊中市側から進み、徐々に吹田市側でも佐竹台などから「完成した区画」がオープンしています。この動きは、藤白台でもこれから広がっていくでしょう(細かいデータはこちらにも詳しいです)。

日本は社会全体の高齢化が進んでいるので、昔みたいに「子供だらけ」の町に千里が戻ることは二度とないと思いますが、それでも、いろいろな世代が混ざって、一定のにぎわいが戻ってくることは楽しいことです。

そのときに住民がやることは…?
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団地移転の風景−17.「大阪府住宅協会」

2011/12/21 02:47
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公社住棟の妻面下部に取り付けられていた白い人造石のプレート。「大阪府住宅供給公社」の前身である「大阪府住宅協会」の名前が見えます。「40.3.31」がこの団地の誕生日。もちろん昭和です。西暦に直して1965年春は藤白台にとって歴史的なポイントで、藤白台小学校とふじしろ幼稚園と藤白台センター、診療所が同時にオープンし、それまで古江台しか回っていなかった路線バスがワンマン化され藤白台の中まで入ってくるようになったのも、1965年4月でした。吉永小百合主演の日活映画『青春のお通り』の藤白台ロケも、これから遠くないタイミングで行われたものと思います。

藤白台じたいの「まちびらき」はこれより1年近く早く、1964年5月22日の府営住宅入居開始が最初だったようですが、約1年間は小学校も買物も古江台まで行かねばならず、「仮オープン」というべき状態でした。1965年春にこの「大阪府住宅協会」の「千里丘陵G団地」A1-A18棟がいっせいにできて、藤白台は本格的にオープンしたと言えます。「大阪府住宅供給公社」ができたのは、この年の11月のことでした(…ということは、前回ご紹介した「団地の表札」は「大阪府住宅供給公社」と書いてあるわけですから、団地の完成より遅れて設置されたことになります)。

右の茶色のプレートは、大規模修繕を行った時のプレートで「昭和60年」(1985年)とあります。オープン20年でやったことになりますね。このときに外壁もリペイントされ、オープン時にはサニタリー部分のファサードはぶどう色で全体としてはツートーンになっていたのですが、塗り替えられて全部ベージュの1色になってしまいました。

それから20年後は2005年になりますが、このときはすでに建替方針が決まっていたために、リペイントは行われていません。
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団地移転の風景−16.「千里丘陵G団地」の表札

2011/12/19 02:40
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この団地の名称がGoogleMapでもmapionでも「千里藤白台住宅」と書かれているのですが、これは間違い。(どうして2社が同じ間違いするのかな?)A1棟-A18棟の正式名称は「千里丘陵G団地」です。少し遅れて出来て、先に建て替えられたA19棟-A26棟は「藤白台B団地」。

「千里丘陵G団地」の動かぬ証拠が、これ。光線の加減で見にくいかもしれないので、夏バージョンもアップしておきましょう。
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「大阪府住宅供給公社経営 千里丘陵G団地 住宅金融公庫融資住宅」と書いてあります。

「千里丘陵G団地」のつづきが、なぜ「藤白台B団地」になるのか?このルールはすごくわかりにくいのですが、公社では最初、千里ニュータウンで佐竹台から造り始めた団地を、順に「千里丘陵団地」「千里丘陵B団地」「千里丘陵C団地」…とつけていったのです。計画段階では町名が決まっていなかったからかもわかりません。

では「G団地」は千里ニュータウンで7番目の団地かというとさにあらず、藤白台は町名が決まる前の仮の名前が「G住区」だったために、これにリンクしているのです。(このブログのURLも…)

ところがほんの少し遅れてA19棟-A26棟を造る時には計画段階から町名も決まっていたのでしょう、「藤白台で2番目の公社団地」という意味で「藤白台B団地」という名前になりました。

ところがところが千里ニュータウンでは棟号に「公社はA、府営はB、公団はC、社宅などその他はD」をつけるというルールがあったために、A棟なのにB団地、というわけのわからないことになってしまいました。

これは案内上も混乱するので、日常生活では「千里丘陵G団地」「藤白台B団地」という正式名はほとんど使われず、住民は単に「Aの団地」と言ってきたような気がします。しかし契約の書面など、公式の場面では正式名称が出てきます。この数年、建替に関する場面ではやはり正式名称を使うので、またリバイバルしている感じですね。

なんにもなかった場所に名前をつけていくとき、とりあえずアルファベットで整理しておく…ということのなごりが「千里丘陵G団地」という名前なのですね。
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団地移転の風景−15.丘の上のNS2ペア半

2011/12/17 23:15
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藤白台の公社住宅(正式な名前は「千里丘陵G団地」)、前回からもう少し首を右(東)に回して、丘の上の部分を見てみましょう。ここに写っているのは(左から)A10棟からA15棟まで。団地の向こうは四丁目の戸建住宅街、その向こうは大阪大学吹田キャンパスです。

この部分は並行配置になっていて(ちょっと南南東に振っています)、典型的な「NSペア」になっています。NSペアというのは住棟の入口が、左の列から、南入り・北入り・南入り・北入り…と、一列おきにペアを組ませて、入口が向き合った棟どうしの住民が仲良くなれるように…という住棟配置の工夫です。昔は入口がないほうの棟の間は緑地だったのですが、その後駐車場になってしまいました。その駐車場も、今は皆出ていって一台も停まっていません…。

団地の手前は「ふれあいの道」の斜面ですが、左下には「なかよし遊園」と名づけられた遊具のある一角が見えています。ここは斜面の間のヘタ地のような場所で、最初はただの荒地でしたが、1976年に斜面を整備した時にバレーボールコートが造られ、その後駐車場になり、その後A9棟・A10棟の間の集会所の前の空間と用途をひっくり返して遊具を下におろし、駐車場を住棟の近くに持ってきたのです。

右手前に左右に見えている白い道が、「ふれあいの道」。右へ行くと藤白台小学校。この夏に補修をしてコンクリが白くきれいになりました。そしてA12棟の手前には…藤白台のマドンナ!「しろすべ」(ゾウのすべり台)です!昔はこの森がなかったので、駅方面の斜面の下からも、このすべり台はよく見えたのです。

ここに写っているうち、A14棟までは建替のための退去が済んでいます。A15-A18棟までは、第3期の建替工事ができるまで、あと数年、最後のおつとめ…。

季節はめぐり、歳月はめぐり、人もめぐっていきました。
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団地移転の風景−14.2DK森つき

2011/12/16 23:16
画像前回の写真から少し右寄りに角度をフォーカス。この角度で見えているのはA6棟からA10棟まで。「風の道」や、幼稚園や、保育園のモザイク壁画や、集会所も見えています。

そして…!団地の人たちが樹種を選んで苗木を植えた斜面の木が、こんなにこんもりと団地をふちどっています。この写真に写っている棟はこれから姿を消して民間マンションになりますが、この森はこのまま残ることになっています。「ふれあいの道」ぞいに、今は切れ切れになっている桜並木をつなぐ計画もあるようですよ。
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団地移転の風景−13.坂道・紅葉・団地群

2011/12/15 04:11
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TOP画像と同じ画像ですが、季節が変わるとまた変えてしまうので、ノートリミングのバージョンをここに入れておきます。

ヨーロッパの町みたいですね!千里ニュータウンは造成で一度ズンベラボンにしたようなことをよく言われますが、たしかに緑は一度はぎとったものの、実は(とくに東半分の初期開発6住区では)元の地形はよくとどめているようです。そのほうが早く、安く造成できたからです。

集合住宅、戸建住宅、周辺緑地、上山田のマンション群…家と自然がおりなす錦です。幼稚園や保育園、北公園の「風の道」も見えますね。藤白台では特に、この地形の起伏が町に表情を与えていることが実感できます。
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団地移転の風景−12.凸型ハウスの隠し味

2011/12/14 02:19
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もう見られなくなってしまうからと、(ふだんはやらないのですが)上から解体直前の団地群を見てみました。写っているのは、A3棟からA8棟までの範囲。左の2棟は公社の第3期建替範囲に、右の4棟部分は民間売却される再生地になります。団地の向こうは三色彩道。今年の紅葉はイマサンとは言え、きれいです!遠くに白く輝いているのは、国循

前にご紹介した凸型ポイントハウス。このアングルまで上がると屋根の形でよくわかりますが、左右対称ではなくて、少し斜に構えています。真ん中の列のA5・A6棟は左の住戸のほうが奥(北)に下がっていて、南面している幅も少し狭い。右の列のA7・A8棟は逆に、A5・A6棟とは左右反転の造りになっていて、右の住戸のほうが奥(北)に下がっています。

同じ型をリピートしているようで、細かいところ、凝ってるなあ!刺繍のステッチパターンを思い出してしまいました。
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団地移転の風景−11.一棟だけの、ダブル凸型ハウス

2011/12/11 23:22
画像高度成長期の団地というと同じ型の棟をいくつも並べた無機的なイメージがありますが、実は一棟一棟いろんなバリエーションがあります。地形や敷地の形など、現場の条件が異なるからです。

「このタイプの棟は、たった一棟しかないんです」と、昨秋団地ツアーをやったときに団地マニアの皆さんから教えていただいたのが、藤白台公社のA2棟。この棟は藤白橋の正面に見える棟で、長年見ててもそんな稀少性など考えたこともなかったですが、あーたしかにベランダ側から見たときにデコボコしているなと…

「これはダブルスターハウスの変型です」というのがマニア的解説。…それは何か?団地マニアに人気が高い「スターハウス」ですが、中にはそのスターハウスを2棟くっつけたような棟があり、それを「ダブルスターハウス」と言うんだそうです。この藤白台公社のA5〜A8棟はスターハウスを凸型に整形したような「変型スターハウス」ですが、その凸型を2つくっつけて凸凸型になっているのが、A2棟。

一般的なスターハウスや、A5〜A8棟の凸型棟では1フロアに3戸の住戸がありますが、このA2棟は×2=6戸の住戸が1フロアにあります。たぶん敷地の関係で、階段3列の板状棟を造るには東西幅が狭く、南北の奥行に多少ゆとりがあったために、こういう設計を1棟だけ採用したのではないでしょうか。

もう今は建替解体のため囲われていますが、記録のために最後の姿をここにとどめておきます。
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団地移転の風景−10.凸型ポイントハウス

2011/12/10 03:17
画像A6棟の上から見たA5棟。か〜わい〜いな〜。この写真では隠れていますが、左側にも住棟が張り出していて、全体としては凸型になっています。

1フロア3住戸。真ん中の住戸だけ北側が階段室になるのですが、左の住戸は北・西・南に、真ん中の住戸は西・南・東に、右の住戸は南・東・北に窓があり、通風は最高。隣の住戸と壁を共有する部分がほとんどないのも音が抜けにくく?(それでも聞こえちゃうだろうけど…)最新型の、防音・断熱はバッチリだけど敷地にできるだけたくさん住戸を詰め込んだ構成と比べると、優雅なほどにゆったりしています。

この精神はやはり「変形スターハウス」と言っていいのでしょうね。竹見台の有名な「高層巨大スターハウス」になると「全住戸三面通風」でもなんでもありませんから、ナナメに住棟を振っていなくても、こちらのほうがよほどスターハウス的です。

こういう設計は、土地が安かった昔でないと、もう今は難しい設計なのでしょうか…?日本の人口は減り始めているのだし、この形で最新設備の団地をつくったら、すごく人気が出ると思うのですが。今は土地が高いから、こんなゆったりした配置にしてたら超高級になっちゃうのかなあ?

…土地を転がすことを考えている人以外には、土地は安くなったほうがいいと思うのですが。
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団地移転の風景−9.モダンデザイン

2011/12/08 01:49
画像公社の資料では「スターハウス」と書かれているという説もある、凸型のポイントハウス。階段が1列で、各階に3戸づつ住戸があるタイプ。藤白台の「千里丘陵G団地」では、A5、A6、A7、A8の4棟がこれにあたります。ここでは急な坂の途中を生かすため、このようなタイプが建てられたようです。

皆さんが退去した後、閉鎖される直前のわずかなスキマに、階段を上ってみました。階段室のバルコニーにあけられたガラスの小窓、ナナメにラインを取った転落防止の柵など、「ちょっと洒落た」デザインが古き良き時代を偲ばせます。…って、たったの46年前だけど…。天井が抜けているのも、意外。

このデザインは普通の板状の棟にはないので、数が少ない凸型ポイントハウスだけ、アクセント的に凝ったことをやってみたのでしょうね。千里ニュータウンでこのタイプの棟があるのは、ここだけだったんじゃないでしょうか?
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団地移転の風景−8.A9棟から見た三色彩道

2011/12/06 03:55
画像先週末、青中同窓生の忘年会でA9棟に住んでた友達から「ブログ読んでるよ」と言われたので、大サービス!この団地に入れたほとんど最後の日(11/20)に、A9棟の上から撮った景色です。

住棟部分には撮影のためふだん入らないようにしているのですが、もう皆さん出て行ったあとで、ここで撮っておかないと永遠に記録に残せなくなるため、こっそりと伺いました。

ああ!今年は秋が暖かくて、三色彩道の色づきがイマイチというか、イマサンです!残念。この団地との組み合わせで撮れるのは今年が最後なのに…このあと少しは紅葉も進んだのですが、そのころはこの敷地にはもう入れなくなってしまいました。色づきが遅いと、色が浅いうちに落葉してしまい、不発に終わってしまいます。僕が撮った中で一番きれいだったのは2001年でしたね。真っ赤に染まってなお落葉せず…となるためには、気温が冷え込んで雨が降らず…と、いろいろな条件が重なる必要があります。

ともあれ、A9棟は三色彩道の坂のてっぺんの角にあり、景観上もポイントになる位置でした。車道を挟んで北側に1列(これはトウカエデ)、南側に2列(こちらはアメリカフウ)の贅沢な並木、上から見るとこんなふうに見えていたわけです。これが一度見たかったのです。

同窓会で話してわかったのは、このA9棟だけで3人も友達が住んでいたのです。育った町の思い出は、やっぱり濃い…。紅葉が薄くても思い出は濃いのです。

この団地建替で皆が真っ先に要望したのは「三色彩道の並木は伐らないで」ということ(一番南側の1列は、公社の敷地内に入っていたのです…この部分は市に移管されるようですが)。だからこの木も残ります。A9棟の位置には、近所の人も集える広場ができるプランになっています。
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団地移転の風景−7.もうひとつの集会所

2011/12/04 04:12
画像
A9棟とA10棟の間の集会所。こちらのほうが最初からある、公社が団地と一緒に建設した集会所ですが、ふれあいの道の途中にある住民が増設した集会所とどのように使い分けていたのかは、わかりません。

UR(公団)の団地では集会所の建物にも住棟と同じような通し番号(「C○○」みたいな)が振られるようですが、公社の団地では集会所はたんに「集会所」です。

あらためてこうやって見てみると、天井から床までガラスをいっぱいにとった開放的な側面、管理室に規則正しくあけた小窓、タイル張りの妻面、地面から数段上がったデッキなど、1960年代のモダンデザインの香りが馥郁とただよってきます。タイル張りは吹き付け塗装よりは「高級」とされている表現で、公社の5階建賃貸棟ではタイル張りの壁はないですから、皆で使う集会所は住棟よりちょっと高級なしつらえにしていたことになりますね。「皆で使うものほど、いいものを」というのは、まさに団地の精神です。

しかし天井から床までガラスという造りは、夏は暑く、冬は寒かったでしょう。モダンライフにはやせ我慢も必要なのです。この中にいると全身が見えてしまいますから、テキトーな手抜き服で来ると皆にバレてしまいます。

この集会所の手前には、もともと遊具が置いてあって小さな遊園のようになっていました。駐車場が足りなくなって駐車場に転用され、遊具は下の「ふれあいの道」の横に持って行ってしまいましたが…。大人が集会をしている間、子供は遊園で遊んでいる。ガラス張りの側面は、お母さんが子供を、子供はお母さんの姿を見ていられるように、そうしたのではないでしょうか。この位置関係は、いまは新棟が建っている坂の下の集会所でもそうなっていました。

46年間の歴史、かめばかむほど味が出てきます。
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