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アラウンド・藤白台
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日本で最初のニュータウン、大阪・千里ニュータウンと、日本&世界のニュータウンを一緒に探索しましょう!
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振り返り、振り返り…

2012/01/22 22:42
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藤白台公社建替第三期工事の解体が進んでいます。すでにA1棟、A2棟は姿を消し、A3棟、A4棟が進行中…(今はもっと進んでいます。この写真は1/12撮影)。

藤白橋のドンツキのスロープの上は工事を見学する格好のポイントで、第一期のときもここから解体建設の工事を眺めている人の姿が見られましたが、第三期でも…折り返しで立ち止まっては見上げ、スロープの途中で立ち止まっては見上げ…ここにお住まいの方だったのでしょうか。

あまりに露骨な解体シーンは僕も心が痛んで、これまでも(シャッターは押したけれど)ブログにはあまり出してこなかったのですが、第三期になったら、だいぶん慣れました…でも振り返り振り返り工事を見ていたおじさんの気持ちは、僕の気持ちです。

建て替わったら、これまでよりもいい町に。なぜならここはニュータウンだからです。
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町は何度でもよみがえる。

2012/01/17 03:10
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神戸の震災から17年。今年の1.17は3.11があってからはじめての1.17ということで、ひときわ重く感じられます。

僕は母方の実家が神戸(東灘・魚崎)で、17年前の震災では全壊しましたし、僕自身、震災のときはちょっと気取って芦屋で一人暮らしをしていました。震度7経験者です。窓ガラスが割れたクルマで命からがら20kmを8時間かけて千里まで逃げてきたのが、きのうのことのようです。そんななかでケガひとつしなかったのは、まったく偶然でしかなく、生きていることも偶然だという思いがずっとあります。

でも実は、震災前はいろいろ精神的に行き詰っていたので、震災で周囲が「全部チャラ」になり、もうあとは生きるしかない、やり直すしかないと思ったらかえって元気になってしまって、おかしな言い方ですが震災に救われた…という部分もずいぶんありました。人間の感情はまったくわかりません。

ところが今回の3.11で、1.17をはるかに超える事態に、ふたたび言葉を失ってしまったのです。自分はあんなに強くゆさぶられて、それを乗り越えたような気分になっていたのに、何もできない…。「災害の実感」というものは距離が離れるとまったく違ったものになるということを知っているだけに、やすやすと「絆」なんて言えないと感じました。

でもそのまま放置すると自分の中に「オリ」がたまったままになることはなんとなくわかって、たまたま機会もあって10月にやっと(ほんとにわずかですが)東北に行ってきました。

ケガをしたわけでも、家族友人家財を失ったわけでもなく、僕なんかが17年前の被災経験を言うのはほんとにおこがましいのですが、それでもあえて言うとしたら、災害の克服には、時間がかかります。完全に元に戻ることは、ありません。失った人や景色は、戻ってきません。神戸も「ほら、こんなに元気に復興しましたよ!」と言うのは半分はほんとだけど半分は強がりで、経済の落ち込みは17年たっても回復できていません(震災のせいだけじゃないと思うけれど…)。高速道路やビルはすっかりきれいになって、はじめて来た人はどこが震災の跡なのか全然わからないだろうと思いますが、自宅が再建できないままになった人は、大勢います。

それでも…それでも、町や人の心は、元通りにはとうていならなくても、少しづつでも回復していくのです。元通りにならなくても、人は生きていくことができるし、おなかもへる。可笑しなことがあれば笑ってしまう。助かった自分を責めながら、運命を呪いながら、新しい日常に慣れていきます。

前のようにいかないこともたくさんあるでしょう。でも前にはなかったことも生まれるかもしれない。僕は何となく、人生傷ついてるぐらいのほうが、品もあるんじゃないかと思うようにしています。一寸先はわからない。でもそれは災害のせいじゃなく、人生ってそもそもそういうもんじゃないのでしょうか。

ですから3.11の被害に遭われた方には、時間がかかることを責めないで、きょう一日を大切に、自分は自分のためだけに生きてるんじゃなくて、生きてるだけで誰かのはげみになってることを感じてもらえたらと思います。

ほんとうに巨大な災害だから、皆が少しづついつもより力と知恵を出すしかない。ありったけの力を出し続けたら、きりがないから倒れてしまいます。「少しづつの力」でも、皆で出せば町は何度でもよみがえっていくのです。

写真は去年の1.17に撮った三宮駅前。ここの被害はほんとうにひどくて、震災前とはけっこう違うのですが、それでもやっぱりきれいだし、僕は神戸が好きです。
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早春のシルエット

2012/01/14 13:24
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このブログを始めてから、たぶん一番シャッターをたくさん押した場所が、藤白台から北千里駅にかかる歩道橋の「藤白橋」

町の中のアーチ型を探したり、万博のときはこの下をゾウの群れが歩いて行ったり、団地の建替を見守るお立ち台になったり、橋から見下ろした桜の落下が日本画みたいだったり、バリアフリーの進化があったり、いろいろな人の思いが交錯して、この橋だけでオムニバスの小説になるんじゃないかと思うほど多彩な物語があります。

遠くのニュータウンに行ったら、この橋に似た「アーチ型の歩道橋」って、仲間がたくさんいるんですよね。ニュータウンでは「人」と「クルマ」の平面交差はできるだけ避けるので歩道橋が増える一方、橋のたもとにあらかじめ土地を取って階段ではなくスロープで持ち上げている場所が多いのです。

昔は、朝は団地から駅に向かう「企業戦士」の群れが(この写真でいうと左から右へ)ゾロゾロと行ったものですが、最近は企業戦士はリタイアしたりして減ってしまったので、むしろ駅から阪大や金蘭に向かう学生の群れが、電車がつくたびに右から左へアリのようにゾロゾロ…(僕が会社へ行く時間が遅いから「企業戦士」に会わないだけかも?)

そういえばきょうあすは大学のセンター試験なのでした。受験生の人はこのブログの写真をプリントアウトしてポケットに入れていくと、大学生の仲間に入れる…かも…?(あ、これは見ちゃダメ!)
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団地移転の風景−19.仮囲いの日々

2012/01/10 02:48
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よく晴れた正月の空。バス通りの正面に白く見えるのは国循

ひとあし先に公社建替三期工事に入った部分に続き、民間に売られてマンションになる再生地部分も仮囲いで囲われました。この団地造ってた時から覚えてるんだよな〜。チビがちょろちょろして危ないと思われたのか、工事現場のお兄さんに遊んでもらった記憶があります。今の工事ではそんな音しないのですが、カーン、カーン…という杭打ちの音も、まるできのうの夕方のように覚えてるぞ。あれは1964-65年。入居が1965年春だから、工事中だったのはこんな冬の日だったはずです。

再生地の工事が全部できるのは2016年の予定。すぐなんだろうな。
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新春からピンポ〜ン!

2012/01/04 16:11
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きょうはまだ休みで吹田まで用事があり今年初めて電車に乗ろうと「記念すべき世界初の」自動改札ゲートをPiTaPaで通ろうとしたら…ピンポ〜ン!…あれ〜?何度やっても…ピンポ〜ン!…係員のいるしゃれたカウンターへ持っていったら…「有効期限が切れてます」…ああ!新春からそそっかしい!阪急が宣伝しているPiTaPaはポストペイのクレジットカード方式なので、何年かに一度カードの更新があるのです。そういえば暮れに新しいカードが来てたな〜。入れ替えるの忘れてた!

…というわけでひさしぶりに切符を買っての乗車。こんなことでもブログネタに…と、阪急伝統のゴールデンオリーブのモケット地のシートに置いて、記念撮影。関西以外に行って阪急にひさしく乗っていない方、このシート、なつかしいでしょう…マルーンの外観とならんで、阪急の車両に気品を与えているのが、このシートの色、質感です(この色、ゴールデンオリーブというのです…)。

切符もしばらく買っていないうちに、いくつか変化がありました。●用紙の地紋が、スルッとKANSAIのキャラクター「スルットちゃん」(…というらしい…)と電車のイラストになっている(たぶん関西私鉄で共通化?)●発駅の表示にローマ字が加わっている。

…とまあ、年初の小事件を楽しみつつ、電車は千里線の勾配をすべりおりていきました。往復で360円損しちゃったな…と思っていたのですが、よく考えたら現金で払うかカードで落ちるかの違いだけだった!まだまだ頭が正月のようです。
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「大阪都千里区」は可能か?

2012/01/03 23:52
画像お正月はいつも千里の将来を考える…みたいなことを書くのですが、今年は今話題の「大阪都構想」と千里の関係について。あ…私はニュータウン住民らしく「ノンポリ、ミーハー」の典型的な浮動票で、支持政党は「大日本甘党」以外ないですから他意はありません…。

ただ関西経済のひどい低下は何とかしてほしいと思っていますし、大阪都構想については関西浮上の観点から興味がある、というだけです。自分が社会人になってからの30年近く、関西の「地盤沈下」は身の回りだけでもハッキリ実感でき、日々心を痛めてきました。「地盤沈下」とはよく言ったもので、個々人の努力や才覚と関係なく、全体が下がっていく。私の働く業界でも東京集中はますます著しく、関西の有名大学を出ても、関西に就職先がない。千里ニュータウンから巣立った若者の多くはどこへ行っているか?というと首都圏が多いのです。この痛みは東京の人にはなかなかわからないでしょう。それは本当に「くやしい」ことです。

全国のニュータウンを歩いてみると、首都圏のニュータウンと関西のニュータウンでは、人口圧力の点ではっきりと違いがある。首都圏では「こんな遠くで…」と思うような場所で、まだまだ開発を続けて、それで人が入るのです。関西のニュータウンが直面している問題の多くは、「ニュータウン問題」ではなく「関西問題」ではないか?

さて行政区を変えるという話ですが、千里には昔から「千里ニュータウンだけ独立して一つの市になったら…」という「千里市構想」というものがあります。千里ニュータウンは吹田市と豊中市にまたがっていて、「千里ニュータウン」というまとまりのほうが共通性が強いのに、住民感覚と行政区がしばしば一致していないからです。これは単に便宜の問題だけじゃなく「新都市へのロマン」みたいなものでしょうね。海外では、ニュータウンを造ると、そこだけ新しい行政区にしている例はあるのです。

そこで正月の空想なら、この2つの可能性をまとめて考えてみよう…というわけです。

大阪都構想は、現在の大阪市堺市大阪府に合併させ、この部分をいくつかの大きな「区」に再編しよう…ということであるようです。都心部が「府−市−区」の三重レイヤーになっていることは非効率だし、これまで大阪府と大阪市が何かと対立してきたことは、よく言われることです。

ではなぜその対象地域を堺市まで広げるのか?これは都市圏が拡大して、大阪市の部分が人口密集地域である…という区分が時代に合わなくなっているからでしょう。…とすると…北のほうはどうなのでしょうか?存廃が再三議題になる大阪空港、大学や研究機関が多数立地し、「国土軸」に乗っている吹田+豊中両市は、郊外の中でも最も「重要度の高い郊外」と言えるでしょう。であるなら、堺市を再編の対象とするならば、吹田市と豊中市も「区」にする…という発想が出てきてもおかしくはありません。(それを僕が支持しているわけじゃないですよ。ただ空想しているだけです。)千里はまさに、国土軸に位置しているからこそ都市としての可能性も大きいのです。

じゃあここで「千里市」構想あらため、「千里区」という区分は成り立つのでしょうか?

…昔から言われる「千里市構想」(千里市空想?)は、千里ニュータウンの部分だけを千里市に…というものでしたが、今では「千里」という地域のまとまりは、アイマイな形ながら、もっと広域化しているといっていいでしょう。千里ニュータウンの部分だけでは人口は9万人しかないですから、「基礎自治体は広域化して力をつけさせよう…」という最近の流れからは、小さすぎます。

それなら大盤振舞して、「吹田市豊中市=千里区」ではどうだ!と構えてみると、こんどは人口が75万人にもなってしまい、これは大きすぎます(東京の世田谷区は88万人あるけど…区だけで政令指定都市になれてしまう!)。

つまり、オビに短しタスキに長しで、単純な分割や合併ではちょうどいい単位にならない。ではもっといろいろ再編して…とやり始めると、話がまとまらなくなりそうです。

…やっぱり「大阪都千里区」は、(大阪都のほうはともかく)正月のコタツミカンの空想でしかないのでしょうか?名前はちょっとカッコいいと思うんだけどなあ…と、このへんがミーハーの限界のようですね。あすから仕事始めの方も多いときに、失礼いたしました。

※写真は空想じゃない現実の千里北公園のお正月。昔のように小学校の校庭で凧揚げする姿は見られなくなりましたが、北公園での凧揚げはやってる人が毎年います。
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春日神社の変?

2012/01/02 23:51
画像毎年初詣は(ほんとは越境なんだけど)小野原の春日神社に行くのですが…きのう元旦の夕方に行ったところ、もう暮れかかってくるような時間なのに、ご覧のようなすごーい人!石段の下からずらずらと…「ゆく年くる年」の中継か?「月の石」でも展示してあるのでしょうか…??

うちはもう30年ぐらい、正月は毎年ここにきているのですが、こんなに混んでるのに出会った記憶がありません。これはどうしたことなんでしょう?(以下勝手に憶測)

1.元旦はいつもこれぐらい混んでいる。(うちが来るのはたいてい2日以降…)
2.小野原西が開発されて住宅が増えたから。(人が多いわりにクルマで来ている様子がなかった)
3.やはり大震災などがあって平安を祈りたくなったから。
4.箕面市の「オレンジゆずるバス」が前に停まるようになったから。(ないない…)
5.隣にできたスタバとタイアップキャンペーンをやっているから。(ないない!)

これだけ祈られたらさぞや商売繁盛だろうと思ってしまいましたが、ここは知る人ぞ知る静かでおごそかで昔ながらの「異界」だったのに、なんだか勝手が違ってきたような感じがしたのも正直なところ…小野原から見て山の向こうの山田村を大改変して造成したニュータウン住民がこんなこと言うのはほんとに勝手なのですが…

新しくできた小野原西に越してきた皆さんにとって、昔から残された(奈良時代からの!)鎮守の神様が町の真ん中にあることは、心安らぐことなのでしょうか?…だとするとこれは伝統と開発の新しい共存現象なのかもしれないですね。
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日本のニュータウン半世紀

2012/01/01 23:41
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あけましておめでとうございます。

2012年、千里ニュータウンにとって記念すべき年が明けました。なぜなら今年は…1962年にはじめての住民が千里ニュータウン(佐竹台)に入居してから、ちょうど50年になるからです!千里ニュータウンは日本で最初の大規模ニュータウンですから、つまり今年は日本のニュータウン半世紀!つまり(たぶん)アジアのニュータウン半世紀ということになります。

このブログでもお伝えしているように、千里ニュータウンでは今、更新のための団地建替があっちでもこっちでも進んでいます。藤白台でも工事が本格的になってきました。この町で育った僕が願うことは、この変化を後ろ向きにとらえず、町の記憶もしっかりと引き取って、もう一段新しくなる「ニュー」タウンを良いかたちでうけとめたい、ということです。

なぜならここは「ニュー」タウンだからです。建物が一代入れ替わったぐらいで、もうニュータウンでなくなるわけではありません。町はそんなにヤワなものではありません。

昔から住んでいる人も、新しくやってくる人も、固まらずに交流しあって、いろんな世代の人がいる町へ…それでやっと、少しは「一人前」の町に近づいていくのではないでしょうか。建物が古くなったぐらいで「もうニュータウンでなくなった」などと言うのは、早とちりもいいところです。

そしてこの千里の変化は…よく報道されるように人口の変化や少子化、高齢化、建物・設備の老朽化から「再生」への過程も含めて…それは日本中のニュータウンや団地、郊外都市が見守っているということです。千里は、誇りも悩みも、成功も失敗も、どこまでいっても先頭なのです。

さらにこのようなニュータウンは、かつての日本の高度成長を追うように発展しているアジアの各都市へも広がっています。産業革命期のイギリスから始まりヨーロッパ各国やアメリカに広がって日本に入ってきた「ニュータウン」は、21世紀はアジアの都市へ広がりつつある。千里は、その欧米とアジアの結節点に位置する現代住文明の記念碑的な町なのです。

…って、やけにうたいあげてしまった…まあ正月ですからご容赦ください。でもわりと本気ですけど。秋の50周年に間に合うように、ニュータウンの本も出せるよう準備を進めているのですが…去年夏から始めたわりになかなか進まないゾー…(汗)

まあ、これは本職でもない個人が、ただ、48年間ニュータウンの変化を見てきたということだけを頼りにやっておりますので、温かく見守っていてください。コメント、質問、大歓迎。今年もよろしくお願いいたします。
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団地移転の風景−18.仮橋終了

2011/12/30 20:39
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この写真はだいぶん前、11月9日に撮ったもの。工事車両が生活道路をできるだけ通らず、幹線道路から直接工事現場に入れるように架けた「仮橋」を撤去しています。この仮橋は2008年春に架けたので、いつのまにか3年半ものおつとめでした!もう始まっている第三期の現場へは、三色彩道から車両が入ります。長かったのか…短かったのか…?この「仮橋を架ける」というアイデアは藤白台の住民から出たアイデアなんですよ。

よく見ると、その向こうにも、別の仮橋ができています。これはメゾネットの建替用。その向こうの歩行者専用の橋の向こうにも、実はもう一つ仮橋ができていて、これは府営住宅の建替用。3つもの仮橋が、北千里から藤白台一丁目の交差点の間に架かっていました。

2011年、藤白台は大きく脱皮を続けた一年でした。まだまだ変身は続きます。
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クリスマス・プレゼントは何?

2011/12/24 11:33
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きょうはクリスマスイブなので、団地レポートはちょっとお休み…この写真は千里中央のライフサイエンスビルから撮った新千里西町方面です。

この写真は合成じゃなくて一発撮りなんですよ。千里に雪だるまのサンタさんがおりてきたのです!

今年は悲しいこと、大変なことも多かったですが、千里にとってはどんな年だったでしょうか?実は記念すべきことは、ついに千里ニュータウンの人口が再増加に転じ、最低6年は続いた8万9千人台から、9万人台を回復した…という報道がありました。この6年間も人口は減り続けていたわけではなく、(最盛期…1975年の12万9千人台からはかなり減っているけれど)「横ばい」だったのです。

これは千里ニュータウンの立地が良く、昔からの住民が高齢化するのと並行して、徐々に団地の建替、民間マンションの導入が進み、新しい若い家族が入りつつあることとプラスマイナスで拮抗していた…ということだろうと考えられます。そしてついに…ほんとにゆるやかな変化ですが…「増加」が「減少」を上回り始めた。

大きな団地の建替があると、いったんは工事のためにその区画の人口は減ります。しかし建替が済んで新しい町ができると、数百戸単位で新しい人が住み始めます。その両方が、今の千里では同時進行で進んでいます。まさに「脱皮中」というところでしょうか。

団地の更新は千里中央に近く都心に速く出られる豊中市側から進み、徐々に吹田市側でも佐竹台などから「完成した区画」がオープンしています。この動きは、藤白台でもこれから広がっていくでしょう(細かいデータはこちらにも詳しいです)。

日本は社会全体の高齢化が進んでいるので、昔みたいに「子供だらけ」の町に千里が戻ることは二度とないと思いますが、それでも、いろいろな世代が混ざって、一定のにぎわいが戻ってくることは楽しいことです。

そのときに住民がやることは…?
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団地移転の風景−17.「大阪府住宅協会」

2011/12/21 02:47
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公社住棟の妻面下部に取り付けられていた白い人造石のプレート。「大阪府住宅供給公社」の前身である「大阪府住宅協会」の名前が見えます。「40.3.31」がこの団地の誕生日。もちろん昭和です。西暦に直して1965年春は藤白台にとって歴史的なポイントで、藤白台小学校とふじしろ幼稚園と藤白台センター、診療所が同時にオープンし、それまで古江台しか回っていなかった路線バスがワンマン化され藤白台の中まで入ってくるようになったのも、1965年4月でした。吉永小百合主演の日活映画『青春のお通り』の藤白台ロケも、これから遠くないタイミングで行われたものと思います。

藤白台じたいの「まちびらき」はこれより1年近く早く、1964年5月22日の府営住宅入居開始が最初だったようですが、約1年間は小学校も買物も古江台まで行かねばならず、「仮オープン」というべき状態でした。1965年春にこの「大阪府住宅協会」の「千里丘陵G団地」A1-A18棟がいっせいにできて、藤白台は本格的にオープンしたと言えます。「大阪府住宅供給公社」ができたのは、この年の11月のことでした(…ということは、前回ご紹介した「団地の表札」は「大阪府住宅供給公社」と書いてあるわけですから、団地の完成より遅れて設置されたことになります)。

右の茶色のプレートは、大規模修繕を行った時のプレートで「昭和60年」(1985年)とあります。オープン20年でやったことになりますね。このときに外壁もリペイントされ、オープン時にはサニタリー部分のファサードはぶどう色で全体としてはツートーンになっていたのですが、塗り替えられて全部ベージュの1色になってしまいました。

それから20年後は2005年になりますが、このときはすでに建替方針が決まっていたために、リペイントは行われていません。
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団地移転の風景−16.「千里丘陵G団地」の表札

2011/12/19 02:40
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この団地の名称がGoogleMapでもmapionでも「千里藤白台住宅」と書かれているのですが、これは間違い。(どうして2社が同じ間違いするのかな?)A1棟-A18棟の正式名称は「千里丘陵G団地」です。少し遅れて出来て、先に建て替えられたA19棟-A26棟は「藤白台B団地」。

「千里丘陵G団地」の動かぬ証拠が、これ。光線の加減で見にくいかもしれないので、夏バージョンもアップしておきましょう。
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「大阪府住宅供給公社経営 千里丘陵G団地 住宅金融公庫融資住宅」と書いてあります。

「千里丘陵G団地」のつづきが、なぜ「藤白台B団地」になるのか?このルールはすごくわかりにくいのですが、公社では最初、千里ニュータウンで佐竹台から造り始めた団地を、順に「千里丘陵団地」「千里丘陵B団地」「千里丘陵C団地」…とつけていったのです。計画段階では町名が決まっていなかったからかもわかりません。

では「G団地」は千里ニュータウンで7番目の団地かというとさにあらず、藤白台は町名が決まる前の仮の名前が「G住区」だったために、これにリンクしているのです。(このブログのURLも…)

ところがほんの少し遅れてA19棟-A26棟を造る時には計画段階から町名も決まっていたのでしょう、「藤白台で2番目の公社団地」という意味で「藤白台B団地」という名前になりました。

ところがところが千里ニュータウンでは棟号に「公社はA、府営はB、公団はC、社宅などその他はD」をつけるというルールがあったために、A棟なのにB団地、というわけのわからないことになってしまいました。

これは案内上も混乱するので、日常生活では「千里丘陵G団地」「藤白台B団地」という正式名はほとんど使われず、住民は単に「Aの団地」と言ってきたような気がします。しかし契約の書面など、公式の場面では正式名称が出てきます。この数年、建替に関する場面ではやはり正式名称を使うので、またリバイバルしている感じですね。

なんにもなかった場所に名前をつけていくとき、とりあえずアルファベットで整理しておく…ということのなごりが「千里丘陵G団地」という名前なのですね。
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団地移転の風景−15.丘の上のNS2ペア半

2011/12/17 23:15
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藤白台の公社住宅(正式な名前は「千里丘陵G団地」)、前回からもう少し首を右(東)に回して、丘の上の部分を見てみましょう。ここに写っているのは(左から)A10棟からA15棟まで。団地の向こうは四丁目の戸建住宅街、その向こうは大阪大学吹田キャンパスです。

この部分は並行配置になっていて(ちょっと南南東に振っています)、典型的な「NSペア」になっています。NSペアというのは住棟の入口が、左の列から、南入り・北入り・南入り・北入り…と、一列おきにペアを組ませて、入口が向き合った棟どうしの住民が仲良くなれるように…という住棟配置の工夫です。昔は入口がないほうの棟の間は緑地だったのですが、その後駐車場になってしまいました。その駐車場も、今は皆出ていって一台も停まっていません…。

団地の手前は「ふれあいの道」の斜面ですが、左下には「なかよし遊園」と名づけられた遊具のある一角が見えています。ここは斜面の間のヘタ地のような場所で、最初はただの荒地でしたが、1976年に斜面を整備した時にバレーボールコートが造られ、その後駐車場になり、その後A9棟・A10棟の間の集会所の前の空間と用途をひっくり返して遊具を下におろし、駐車場を住棟の近くに持ってきたのです。

右手前に左右に見えている白い道が、「ふれあいの道」。右へ行くと藤白台小学校。この夏に補修をしてコンクリが白くきれいになりました。そしてA12棟の手前には…藤白台のマドンナ!「しろすべ」(ゾウのすべり台)です!昔はこの森がなかったので、駅方面の斜面の下からも、このすべり台はよく見えたのです。

ここに写っているうち、A14棟までは建替のための退去が済んでいます。A15-A18棟までは、第3期の建替工事ができるまで、あと数年、最後のおつとめ…。

季節はめぐり、歳月はめぐり、人もめぐっていきました。
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団地移転の風景−14.2DK森つき

2011/12/16 23:16
画像前回の写真から少し右寄りに角度をフォーカス。この角度で見えているのはA6棟からA10棟まで。「風の道」や、幼稚園や、保育園のモザイク壁画や、集会所も見えています。

そして…!団地の人たちが樹種を選んで苗木を植えた斜面の木が、こんなにこんもりと団地をふちどっています。この写真に写っている棟はこれから姿を消して民間マンションになりますが、この森はこのまま残ることになっています。「ふれあいの道」ぞいに、今は切れ切れになっている桜並木をつなぐ計画もあるようですよ。
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団地移転の風景−13.坂道・紅葉・団地群

2011/12/15 04:11
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TOP画像と同じ画像ですが、季節が変わるとまた変えてしまうので、ノートリミングのバージョンをここに入れておきます。

ヨーロッパの町みたいですね!千里ニュータウンは造成で一度ズンベラボンにしたようなことをよく言われますが、たしかに緑は一度はぎとったものの、実は(とくに東半分の初期開発6住区では)元の地形はよくとどめているようです。そのほうが早く、安く造成できたからです。

集合住宅、戸建住宅、周辺緑地、上山田のマンション群…家と自然がおりなす錦です。幼稚園や保育園、北公園の「風の道」も見えますね。藤白台では特に、この地形の起伏が町に表情を与えていることが実感できます。
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団地移転の風景−12.凸型ハウスの隠し味

2011/12/14 02:19
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もう見られなくなってしまうからと、(ふだんはやらないのですが)上から解体直前の団地群を見てみました。写っているのは、A3棟からA8棟までの範囲。左の2棟は公社の第3期建替範囲に、右の4棟部分は民間売却される再生地になります。団地の向こうは三色彩道。今年の紅葉はイマサンとは言え、きれいです!遠くに白く輝いているのは、国循

前にご紹介した凸型ポイントハウス。このアングルまで上がると屋根の形でよくわかりますが、左右対称ではなくて、少し斜に構えています。真ん中の列のA5・A6棟は左の住戸のほうが奥(北)に下がっていて、南面している幅も少し狭い。右の列のA7・A8棟は逆に、A5・A6棟とは左右反転の造りになっていて、右の住戸のほうが奥(北)に下がっています。

同じ型をリピートしているようで、細かいところ、凝ってるなあ!刺繍のステッチパターンを思い出してしまいました。
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団地移転の風景−11.一棟だけの、ダブル凸型ハウス

2011/12/11 23:22
画像高度成長期の団地というと同じ型の棟をいくつも並べた無機的なイメージがありますが、実は一棟一棟いろんなバリエーションがあります。地形や敷地の形など、現場の条件が異なるからです。

「このタイプの棟は、たった一棟しかないんです」と、昨秋団地ツアーをやったときに団地マニアの皆さんから教えていただいたのが、藤白台公社のA2棟。この棟は藤白橋の正面に見える棟で、長年見ててもそんな稀少性など考えたこともなかったですが、あーたしかにベランダ側から見たときにデコボコしているなと…

「これはダブルスターハウスの変型です」というのがマニア的解説。…それは何か?団地マニアに人気が高い「スターハウス」ですが、中にはそのスターハウスを2棟くっつけたような棟があり、それを「ダブルスターハウス」と言うんだそうです。この藤白台公社のA5〜A8棟はスターハウスを凸型に整形したような「変型スターハウス」ですが、その凸型を2つくっつけて凸凸型になっているのが、A2棟。

一般的なスターハウスや、A5〜A8棟の凸型棟では1フロアに3戸の住戸がありますが、このA2棟は×2=6戸の住戸が1フロアにあります。たぶん敷地の関係で、階段3列の板状棟を造るには東西幅が狭く、南北の奥行に多少ゆとりがあったために、こういう設計を1棟だけ採用したのではないでしょうか。

もう今は建替解体のため囲われていますが、記録のために最後の姿をここにとどめておきます。
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団地移転の風景−10.凸型ポイントハウス

2011/12/10 03:17
画像A6棟の上から見たA5棟。か〜わい〜いな〜。この写真では隠れていますが、左側にも住棟が張り出していて、全体としては凸型になっています。

1フロア3住戸。真ん中の住戸だけ北側が階段室になるのですが、左の住戸は北・西・南に、真ん中の住戸は西・南・東に、右の住戸は南・東・北に窓があり、通風は最高。隣の住戸と壁を共有する部分がほとんどないのも音が抜けにくく?(それでも聞こえちゃうだろうけど…)最新型の、防音・断熱はバッチリだけど敷地にできるだけたくさん住戸を詰め込んだ構成と比べると、優雅なほどにゆったりしています。

この精神はやはり「変形スターハウス」と言っていいのでしょうね。竹見台の有名な「高層巨大スターハウス」になると「全住戸三面通風」でもなんでもありませんから、ナナメに住棟を振っていなくても、こちらのほうがよほどスターハウス的です。

こういう設計は、土地が安かった昔でないと、もう今は難しい設計なのでしょうか…?日本の人口は減り始めているのだし、この形で最新設備の団地をつくったら、すごく人気が出ると思うのですが。今は土地が高いから、こんなゆったりした配置にしてたら超高級になっちゃうのかなあ?

…土地を転がすことを考えている人以外には、土地は安くなったほうがいいと思うのですが。
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団地移転の風景−9.モダンデザイン

2011/12/08 01:49
画像公社の資料では「スターハウス」と書かれているという説もある、凸型のポイントハウス。階段が1列で、各階に3戸づつ住戸があるタイプ。藤白台の「千里丘陵G団地」では、A5、A6、A7、A8の4棟がこれにあたります。ここでは急な坂の途中を生かすため、このようなタイプが建てられたようです。

皆さんが退去した後、閉鎖される直前のわずかなスキマに、階段を上ってみました。階段室のバルコニーにあけられたガラスの小窓、ナナメにラインを取った転落防止の柵など、「ちょっと洒落た」デザインが古き良き時代を偲ばせます。…って、たったの46年前だけど…。天井が抜けているのも、意外。

このデザインは普通の板状の棟にはないので、数が少ない凸型ポイントハウスだけ、アクセント的に凝ったことをやってみたのでしょうね。千里ニュータウンでこのタイプの棟があるのは、ここだけだったんじゃないでしょうか?
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団地移転の風景−8.A9棟から見た三色彩道

2011/12/06 03:55
画像先週末、青中同窓生の忘年会でA9棟に住んでた友達から「ブログ読んでるよ」と言われたので、大サービス!この団地に入れたほとんど最後の日(11/20)に、A9棟の上から撮った景色です。

住棟部分には撮影のためふだん入らないようにしているのですが、もう皆さん出て行ったあとで、ここで撮っておかないと永遠に記録に残せなくなるため、こっそりと伺いました。

ああ!今年は秋が暖かくて、三色彩道の色づきがイマイチというか、イマサンです!残念。この団地との組み合わせで撮れるのは今年が最後なのに…このあと少しは紅葉も進んだのですが、そのころはこの敷地にはもう入れなくなってしまいました。色づきが遅いと、色が浅いうちに落葉してしまい、不発に終わってしまいます。僕が撮った中で一番きれいだったのは2001年でしたね。真っ赤に染まってなお落葉せず…となるためには、気温が冷え込んで雨が降らず…と、いろいろな条件が重なる必要があります。

ともあれ、A9棟は三色彩道の坂のてっぺんの角にあり、景観上もポイントになる位置でした。車道を挟んで北側に1列(これはトウカエデ)、南側に2列(こちらはアメリカフウ)の贅沢な並木、上から見るとこんなふうに見えていたわけです。これが一度見たかったのです。

同窓会で話してわかったのは、このA9棟だけで3人も友達が住んでいたのです。育った町の思い出は、やっぱり濃い…。紅葉が薄くても思い出は濃いのです。

この団地建替で皆が真っ先に要望したのは「三色彩道の並木は伐らないで」ということ(一番南側の1列は、公社の敷地内に入っていたのです…この部分は市に移管されるようですが)。だからこの木も残ります。A9棟の位置には、近所の人も集える広場ができるプランになっています。
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団地移転の風景−7.もうひとつの集会所

2011/12/04 04:12
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A9棟とA10棟の間の集会所。こちらのほうが最初からある、公社が団地と一緒に建設した集会所ですが、ふれあいの道の途中にある住民が増設した集会所とどのように使い分けていたのかは、わかりません。

UR(公団)の団地では集会所の建物にも住棟と同じような通し番号(「C○○」みたいな)が振られるようですが、公社の団地では集会所はたんに「集会所」です。

あらためてこうやって見てみると、天井から床までガラスをいっぱいにとった開放的な側面、管理室に規則正しくあけた小窓、タイル張りの妻面、地面から数段上がったデッキなど、1960年代のモダンデザインの香りが馥郁とただよってきます。タイル張りは吹き付け塗装よりは「高級」とされている表現で、公社の5階建賃貸棟ではタイル張りの壁はないですから、皆で使う集会所は住棟よりちょっと高級なしつらえにしていたことになりますね。「皆で使うものほど、いいものを」というのは、まさに団地の精神です。

しかし天井から床までガラスという造りは、夏は暑く、冬は寒かったでしょう。モダンライフにはやせ我慢も必要なのです。この中にいると全身が見えてしまいますから、テキトーな手抜き服で来ると皆にバレてしまいます。

この集会所の手前には、もともと遊具が置いてあって小さな遊園のようになっていました。駐車場が足りなくなって駐車場に転用され、遊具は下の「ふれあいの道」の横に持って行ってしまいましたが…。大人が集会をしている間、子供は遊園で遊んでいる。ガラス張りの側面は、お母さんが子供を、子供はお母さんの姿を見ていられるように、そうしたのではないでしょうか。この位置関係は、いまは新棟が建っている坂の下の集会所でもそうなっていました。

46年間の歴史、かめばかむほど味が出てきます。
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団地移転の風景−6.ダスターシュート

2011/11/30 02:38
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昭和の団地アイテムと言えば、出てくるのが、ダスターシュート。ごみの分別もなにもあったもんじゃないこのシステム、使われていた期間は意外と短かったようですが、大勢の住民に強烈な印象を残しているようです。(千里ニュータウンが始まった頃、ごみの収集は5種分別どころか、「燃えるごみ」と「燃えないごみ」の区別さえなかったと思います…)

まず…くさい!この写真でもわかるように、1階の住民にとっては上から落ちて破れたごみが至近距離で匂ってきます。それにここを踏み台にすると1階の住戸には防犯上の問題もあり、いささか理念先行ではずしてしまったモダンアイテムの代表と言えるでしょう。

もう住民の皆さんも出ていってポストにもガムテープが貼られ、静まりかえった住戸の入口…最後まで使われていた資源ごみ用のコンテナが、きれいに畳まれて置かれていました。

(この写真は住民退去後、敷地閉鎖直前に撮ったものです。)
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団地移転の風景−5.国旗掲揚台も…?

2011/11/29 02:47
画像こういうものは最近の新しい団地にはあるのだろうか…?と思うのが、国旗掲揚台。たまたま撮った写真に写っていましたが、古い団地には駐車場の奥に、国旗掲揚台がありました。アーチ型の脚が、1960年代テイスト満載です。

祝日には国旗(日の丸)を出す…という習慣は、明治から戦前にかけては一般的だったようで、戦後はGHQ占領下では一時期禁止されていたようです。その後再び自由に国旗が出せるようになって復活していましたが、いつごろからでしょうか…家庭ではやらなくなってしまいました。

阪急電車でもある時期までは休日には日の丸と社旗の小旗をクロスさせたものを、全車両に出していましたが…。この公社団地の掲揚台が、実際にどの程度使われていたのかは、僕も記憶にないし、写真もないので、わかりません。

敷地に対して少しナナメに棟が連なるこんなアングルも、あと少しでなくなってしまいます。「ふれあいの道」も、きのう11/28の朝通勤時を最後に、工事のため再び通行止めになりました。また通れるようになるのは1年半後のことになる予定です。
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団地移転の風景−4.ベランダもお引越し

2011/11/27 02:48
画像
団地のベランダと言えば、人が住んでいれば「生活」が出る場所ですが…こうなると妙にコザッパリしてしまって、たしかに皆さん出ていったんだなと、しみじみ思う秋の日です。

団地で、建物があって、ベランダに何もないという風景は、考えてみたら完成直後・入居以前のとき以来、ないわけです。誰かが引っ越しても全員がカラ、ということはないわけですから…。1965年春から46年間の長い旅を終えて、生まれたときの姿に戻る。ほんとうにおつかれさまでしたと言ってあげたいですね。
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団地移転の風景−3.クルマもお引越し

2011/11/26 03:50
画像団地ではある時期、自家用車が増えて駐車場問題があれほど問題になったのに…(団地内敷地のレイアウト変更は、ほとんどクルマ増加問題への対応のためにだけなされたと言ってもいいぐらいです…)いまは、からっぽ。

住民と一緒に新棟の立体駐車場に行ったクルマもあれば、別の町に行ったクルマもあるでしょう…トシを取って運転をやめた方も、あるでしょうね。

新棟では戸数の70%の駐車場を確保しているそうですが、それでも余ってタイムズの時間貸しに回している区画もあります。新棟は駅前だからクルマなしでも十分便利なんですね。(吹田市の基準で駐車場設置台数は決まっているので、運転する人が減っても駐車場を減らして緑地にすればいいのに…というわけにはいかないそうです。)

からっぽの駐車場を見ると、「ああ、ほんとに皆いなくなったんだなあ…」と不思議な気持ちになる秋の終わり。でもこれも貴重な記録になるのかも…と思ってシャッターを、カシャリ。
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団地移転の風景−2.集会所もお引越し

2011/11/25 13:29
画像これは10月21日の光景。ふれあいの道を下りていく右側に団地自治会の集会所があるのですが、扉や窓を開けてばたばたと人が出入りしていました。

藤白台の公社住宅(分譲のメゾネットは除く)にはもともと公社が用意した集会所が2ヵ所(坂の上と坂の下)あったのですが、それだけでは足りなくなったらしく、住民があとから増設したのがこの集会所。ここも最初は仮っぽいプレハブみたいな勾配屋根の建物でしたが、途中でやりかえて、この写真の陸屋根の建物になりました。

その集会所も、もうおしまい。荷物を運び出して、ホコリをはらって、必要なものは新しい集会所に持っていきます。

何戸に何ヵ所集会所を設けるか…ということは基準で決まっているらしいのですが(公社の?吹田市の?)、それでも足りなかった…ということは、それだけここでは自治会などの住民活動が活発だったということでしょうか。

この集会所は後からの増設分だからどうだかわかりませんが、集会所では自治会の会議だけでなく、サークル活動やこども会、住民のお葬式などにも使われてきたのです。

歴史も一緒に、新しい集会所に持っていくんですね。
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団地移転の風景−1.夜景もお引越し

2011/11/24 22:28
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藤白台の公社建替2期工事が10/15に完成し、ついに11/20で退去期限を迎えた旧棟のA1-A14棟部分。新棟に移る人、この機会にほかの場所へ行く人…団地ならではの集団引越しの風景が見られたわけですが、その一部をご紹介します。1ヵ月の余裕はあったとしてもつぎつぎと引越しのトラックがやってきて、荷物を積んでいきます。

夜になるとご覧のとおり…左向こうに見える新棟が新しいあかりでいっぱい輝いているのと対照的。まさに「交代劇」ですね。出された引越しごみがクルマもいなくなった駐車場に積まれていました。(今行ってももうないですよ!)
画像
(上の写真は11/9、下の写真は11/10撮影)
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最後の青空

2011/11/21 23:18
画像ひさしぶりに、千里ニュータウン。季節も流れるし団地も変わるし、目が離せません。

藤白台の公社建替2期工事が10/15に完成し、旧棟のA1-A14棟が、11/20で退去期限となりました。A1-A4棟の部分は公社の第3期工事に入り、A5-A14棟の部分は「再生地」としていよいよコンペで決定した民間に売却されます。

この青空はその直前の青空…。1965年からずっと繰り返し見てきたこの風景が、あと少しで見られなくなるのは、なんだか実感がわきません。どれだけたくさんの友達やおばさんおじさんが、この区画に住んでいたでしょう!

どこかの青空の下で、みんな元気にしているかな…しているといいな…(最後までいて、下の新棟に行ったのかもしれないですが…)

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たとえそれが大海の一滴であっても。(石巻市中瀬)

2011/11/19 15:44
画像東京や大阪からてんでに集まった急ごしらえのボランティア・ツアーグループ。地元に住み込んでいる活動団体が、「やること」を割り振ってくれました。震災から8ヵ月たっていることもあり、そのへんのしくみはしっかりできています。

30名のグループを2つに分けて、A班は倒壊家屋の家財かたづけ、B班は公園だった広場の草引きとガラスの破片や小石拾い。僕はB班に入れられました。地域に元気を取り戻すため11月27日にフットサル大会をこの場所でやりたいので、子供が走り回っても大丈夫な状態に戻したい…との説明でした。運動不足の都会の中年が半日ごそごそ働いても、大海に目薬をさすようなものだなあ…これはボランティアという名目で被災地を見せていただくようなことだなあ…と思いつつ、草引きだったら、ふだんもやってるし、なんとかできそうです。

現場は旧北上川の河口に近い中洲のような場所で、その名も「中瀬」。大津波をもろにかぶって荒地のようになっていましたが、震災前の映像を見ると、たしかに家族連れが憩う場所だったようです。背後には、この地にゆかりがある石ノ森章太郎の萬画館(UFOみたいな建物…休館中)や、旧石巻ハリストス正教会の姿も見えます。なぜか自由の女神をかたどったオブジェがありますが、これは川の中州で海に近い…という立地からニューヨークを連想したのでしょう。

「猿の惑星のラストシーンみたいだなあ…」という感想がつい出てきますが、津波が運んだがれきがぶつかったのでしょう…下半分をいためつけられながら、それでも海に向かって立っている姿は、けなげです。

フットサルをやる…というだけあって、かなり広い場所でしたが、15人でやるとさすがにどんどんきれいになって、はいこのとおり!草の陰に隠れていたガラスの破片も、日本人的几帳面さで丁寧に拾い集めました。破片はナナメから見るときらきら光るのでよくわかります。こうやって抜いた草やごみを集めてみると、ささやかな達成感がわいてきます。ほんとうに…ほんとうに自然の威力、災害の大きさから比べたら、「大海の一滴」というべき成果ですが、それでも来てよかったなあと思いました。

やはり自分の目で見ることで、その場所が身近に感じられたのが、よかった。震災直後の状況からはかなり片付いていたとしても、テレビで見ているのとは全然違います。

実はこの中瀬は地震による地盤沈下もあって、潮が上がると冠水するおそれがないとも言い切れず、恒久的にどのような土地利用になっていくのかは、まだわからないところがあるようです。それでも11月27日、いっときでもこの場所がにぎわえば…来た人が、希望のかけらを拾い集められたらと、遠く大阪から応援しているのでした。

大勢の方が亡くなっている場所で「元気をもらった」という言葉は軽く使えないのですが、たしかに得るものがたくさんあった旅でした。11月27日、東北が晴れますように!
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海と向き合って生きる。(石巻・日和山)

2011/11/17 01:49
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石巻の中心商店街と海をへだてるようにそびえている小高い丘…日和山(ひよりやま)に連れて行ってもらいました。山頂には神社があり、市民の憩いの場になっているようです。昔は松尾芭蕉もやってきたというし、今はボランティアも休憩しにくるのです。石巻の市街地全体が、よく見渡せます。神社は平安時代からの由緒があるようで、海を向いて鳥居が立っています。

東北の太平洋側では海岸線は真東に向いていますから、太陽は海の真正面から上ります。天気のいい日の夜明けに来たら、さぞ神々しいでしょう!このしつらえを見て思ったことは、石巻の新しい市街地がこれまでと同じ低地に再建されるにせよ、高台に上るにせよ、やはりここでは海と向き合って生きていくことは、変わらないのだろうということです。それは富士山のふもとに暮らしている人が、富士を見て暮らすのと同じようなことです。
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鳥居から海のほうを見おろすと…津波で一切合財をさらわれた、海沿いのエリアが見えます。がれきの撤去はかなり進んだとのことですが、建物はわずかしか残っていません。ここに町並みが広がっていたことを思うと…元の状態をリアルで見ていないので実感がわかないのですが…言葉が見つからないという言葉しか…見つかりません。ここで亡くなった方も、この山に逃げて助かった人も、大勢いたのでしょう。しかもここから見はらせる景色は、今回の震災の被害の、ほんのごく一部でしかないのです。震災前の同じ場所から見た動画がYouTubeにありました。

芭蕉の時代以降にも、三陸地方は何度となく津波を経験し、それでも人々はこの丘に上って太陽を背にした海と向き合ってきました。恐ろしさや悲しみを乗り越えて、石巻の皆さんがこの丘から海の美しさを感じられる日が来ることを祈りたいと思います。
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それでも町は生きていく。(石巻市中央)

2011/11/13 23:39
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前回からつづく)人影が消えてしまった商店街でも、若い活動グループが残った建物の2階を直して「復興民泊」として使っているところがありました。青い線は「ここまで水が来た」ということを示す線。人の背よりも高いです。それでもこうやって記録を刻んでいくことに、復興への決意を感じました。記録は過去のためにではなく、未来のためにこそあるということが、しっかりと伝わってきます。
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街路樹には青い新芽が…。津波に洗われたはずなのに、たくましいなあ!津波の激流に洗われながら木につかまって助かった人がいたという話は昔話でも聞いたことがありますが、すごい大木でなくても、木には自然の柔軟性があるのでしょうか。

人間も自然の一部なら、新芽を出せる時がくる。そう思いたいです。
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1階を失った町並み(石巻市中央)

2011/11/12 23:25
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1日ボランティアで行ってきた石巻の様子をお伝えします。石巻の中心商店街。このあたりは河口に近く、2メートルぐらいの津波に洗われました。建物自体は残っていても、1階部分をベニヤで打ち付けた建物が目立ちます。ごくまれに開いているお店もありますが、まだほんの一部です。
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現地に住み込んでいるいくつかの若い活動グループが、いろいろな企画を立てたり、遠くから来るボランティアを受け入れて現場に割り振るなど、頼もしい現実的な動きをしています。こういう点は、あきらかに「阪神」の時より進んでスマートになっていると感じました。ネットの活用も、はるかに進んでいます。東京など遠くから来た人も、里帰り組もいるそうです。彼らの話では…見てもわかるのですが…がれきの撤去はかなり進んできたものの、とにかく「人」がいないことが大問題だそうです。

震災前から…多くの地方都市で起きているように…郊外の大型店に人の波が行ってしまって、中心商店街の空洞化は進んでいたそうです。そこへ津波が来て、決定的に戻りにくい状況ができてしまった。ボランティアでも観光でもいいから、とにかく人に来てほしい…人が来れば、カネは落ちるしにぎわいも出る。しかし今のままでは…というお話でした。 (つづく)
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2枚の写真の間で(仙台空港再訪)

2011/11/06 15:22
画像震災ボランティアと名乗るのも恥ずかしいのですが、仙台で仕事関係のセミナー+石巻で1日ボランティアというセットツアーを企画してくださる方があり、これはいい機会かも?と思い、2日間、行ってきました。

何度か書いていますが、僕は阪神の時に芦屋で震度7を経験し…震度7を経験したというのはやはり稀な経験ですから、「震災経験者」という自覚で繰り返し文章を書いてきました。それが自分の使命だと思ったし、不遜な言い方をすれば、自分の人生の中で、はじめて「発言する立場」をつかんだような気持ちになっていたのです。

しかし今回の事態はその次元をはるかに超えてしまい…「言葉を失う」というのか…自分の中で整理がつかなくなってしまいました。しかも「ニュータウンについて書く」ということは、町をつくる話を書いているわけですから…膨大に「町を失う」ようなこの事態に対して、避けて通ったままにもできない…。まずは自分の目で一度、被災の現場を見に行きたいと思ったまま半年以上がたちました。

おりたったのは仙台空港。僕は去年(2010年)、仙台周辺のニュータウンを見て歩くため、この空港に2回おりたっています。降りたことのある方ならご存じかと思いますが、この空港は海沿いに海岸線と直角に滑走路があり、海から降下していくアプローチが素晴らしいのです。きらきらと光る波、弓なりにずうっとつづく砂浜の海岸と松林、広がる青々とした水田…。

しかしその立地ゆえに、今回の震災で仙台空港は巨大津波の直撃を受けました。渦巻く濁流の中、空港関係者はようやく階上に逃げ延び、滑走路も周辺も全部水につかりました。

今回、空港はすっかりきれいに片付けられて再オープンし、ちょっと見た限りではそんな惨事があったことなど想像もつかないほど「普通」になっていました。きらきらと光る波のアプローチも、去年と変わることはありません。しかし松林は波にもぎ取られて残った松も茶色く変色し、やはり去年と今年の間に「それ」はたしかにあったのです。

美しい波型の屋根を持つターミナルビル。去年と同じ角度から写真を撮りました。本当に、ここまでよくきれいに戻したと関係者の努力に頭が下がりました。
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小型機の便だったのでタラップを降りたつと見たことがある色のバスが!…これは大阪市営バスの色です。そうか、空港のバスも流されてしまったんだな…とあらためて「この間」にあった悲劇を思うと同時に、大阪からの応援が活躍していることをうれしく思いました。僕もがんばらなくっちゃ!
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「ニュータウン人・縁卓会議in泉北」に行ってきました。

2011/11/03 12:50
画像遠く離れた全国のニュータウンで、「縁」のある人どうしたまには集まって話したり情報交換しよう…という趣旨で、2006年の多摩から始まった「ニュータウン人・縁卓会議」。

千里では2008年に第2回をやりましたが、今回は第5回、泉北ニュータウンで10月30日にありました!ニュータウンマニアの私はもちろん行ってきました。なんだかファンシーなこの窓辺は、府営住宅を超モダンに改造した高齢者向けショートステイ施設の一室…ガラスの向こうに団地が見えますね。逆から見たら、この一室もそんな団地なんです。

泉北ニュータウンは千里ニュータウンと同じ大阪府企業局が造った「弟分」というか、「続編」というか…16住区、計画人口18万人、現在の人口14万人弱。千里よりもけっこう大きいのです。町の人たちが千里とは違ったいろいろなチャレンジを始めています。府営住宅を改造したショートステイもそのひとつ…

詳しいレポートはこちらにアップしますので、どうぞご覧ください。
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秋の空・2011

2011/10/30 03:22
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公社の2期工事が完成したところで、5年前のこのブログで紹介した「建替着手前」の写真と定点観測をしてみました。場所とアングルは同じ。季節はほぼ同じ。時刻も同じ。空の雲も似たような感じです。2006年と2011年という点だけが、違います。

…5年前の写真は空の広さが主役でしたが、2011年は同じ空を背景に迫力ある新棟が…ちょうどここからだとV字に見えます。5階建が左14階建、右12階建に変わるということは、こういうことですね。ただこの角度からだと、板状の平行面に沿って向こうが抜けているので、景観をひどくブロックされたようには見えません。空はまだまだ高いのです。

さてこの景色は千里ニュータウンの新しい魅力になっているでしょうか。
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「アラウンド・藤白台」初のオフ会やります!(11/23)

2011/10/26 02:01
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このブログを読んでくださる方にうれしいお知らせ…tcp1ppさんの提案にのっかり、「アラウンド・藤白台」初の「オフ会」をやります!

●11月23日(祝)15:00- ●南センターのどこか

「南センタービル会議室で…」とのリクエストをいただいていたのですが、残念ながら公民館の部屋は建替直前のため新規申し込みを停止していて、「アラウンド・藤白台有志」という団体でもなんでもない…つまり個人?では借りるのは難しいみたいです。

ならば南センターのどこかのお店でも、「ホテルマーレ」の喫茶コーナーでもいいやと、まずは日時だけお知らせします。(どこかいい場所を南センターでご存知の方、お知らせください…)歩き回って現場検証もやるかもしれません。

テーマ「千里ニュータウンの思い出を持ち寄って町を復元しよう!」

「藤白台」なのに南千里でやるのは、南千里が一番変化が激しくて、かつ皆さんの思い出もたまっているようだからです。来年になったらセンタービルもおしまいだし。

◎場所は追ってお知らせします。
◎思い出の品、写真、資料などありましたらお持ちください。
◎だいたいの人数を知りたいので、参加ご希望の方はこの記事のコメント欄にその旨を書いてください!

※参加の方には、当日、本名とお住まいの町を伺います。
※ニュータウンの思い出を楽しく語る会ですから、その趣旨にご協力いただける方のみご参加ください。

何人来るかな〜?
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崖の上のA18

2011/10/24 02:17
画像夕映えつながりで公社のほうもいっとこう!小学校の校門から見て左前にあるA18棟。左下はピアノ池に落ちていく竹藪の急な斜面だったのですが、メゾネットの建替に関連して擁壁が整備され、藪を払ったら「崖の上感」があらわになってしまいました。その代わり、夕日があざやかにあたります。

藤白台の公社、メゾネットも入れてA1-A27まであったうち、A19-A27は建替ですでになく、A1-A14も、まもなくクローズドとなります。A15-A18の4棟が、あと数年、最後まで公社のオリジナルの姿をとどめてがんばる予定。ちょうど小学校から見える一角ですね。これから着工されるA1-A4部分の「第3期」ができたらそこにこの部分の人が引っ越して藤白台の公社の建替は完成となります。A5-A18の部分は民間に売られてマンションが建つでしょう。

そうなっても夕日は変わらないだろうな。西向きに窓をとったら眺望はいいけど夕方がまぶしいマンションになるでしょう。どうなるのかな。
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団地植物園−これなあに?

2011/10/22 14:47
画像ほんとは自然オンチで、自然のことをブログに書くと必ず間違える…という私ですが、夕映えの団地で、「これ、キレイだなあ!」と思ったのがこれ…。

赤い実が房のように付いていて、テキトーなヤマカンで「サンゴジュ」かなあ?…とも思ったのですが、ネットの画像と見比べると、葉っぱがなんだか違う…

絵になってるのにこれじゃあブログに上げられないな…と思っていたのですが、「そうだ、ブログで聞いてしまえばいいんだ!」と思い立ち、種別不明のままアップする次第であります。

B13棟の下で夕日に輝いてるこいつ、思いあたる名前がある方はコメント欄で教えてください…
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藤白台と新宮晋(しんぐう・すすむ)

2011/10/21 03:31
画像先週の日曜(10/16)、NHK教育あらためNHK Eテレ(デジタルで2チャンネル)の『日曜美術館』を見ていたら、風に動く彫刻をあちこちに造っている新宮晋(しんぐう・すすむ)氏の特集をやっていました。

出るぞ出るぞ…と思って見ていたら、出ました!「大阪府吹田市の千里北公園では…」そうです。藤白台は金蘭の横の丘の上にある『風の道』。これが新宮さんの若いころの代表作。いつもくるくる回っているあいつ…です。新宮さんのホームページを見てみたら、作品リストのトップに『風の道』が出ていました。

この作品は1970年、千里ニュータウンがいちおう完成した記念に、大阪府が企業の協賛も募ってニュータウンのあちこちに置いたアートのひとつです。高さは約20m。昔は周囲の木が小さかったから、もっと下のほうから見えていました。

新宮さんは1937年生まれ。今もお元気です。1970年当時は…33歳!評価もまだ定まっていない若いアーチストにあんなに大きなものを造らせて皆から見える場所に設置する…という精神が、千里ニュータウンにはあったのです。それでこそ「ニュー」タウン!…じゃないかと思うのですが、いかがでしょう?

ところで同じときに千里中央に設置された『ステンレスの林』(飯田義国作)は2006年再開発の際に片付けられ、いまでは豊中市某所の倉庫に眠っているそうです。可動部のある「動くアート」はどうしても劣化するので、お金をかけて修復しないと再設置が難しいそうです。

…となると、この『風の道』にもいつか、同じ問題が訪れるのでしょうか?僕はこれ、藤白台のシンボルだぐらいに思っているのですが…。団地の中のゾウのすべり台(しろすべ)にしてもそうですが、町の記憶って、こういう、実用性と離れたモノに宿っていたりする…それらが古くなって、再開発や老朽化で姿を消してしまわないよう、住民が支える「アート・ファンド」みたいなものが必要なんじゃないでしょうか?

北公園の気持ちのいい芝生の上で、一度、新宮さんの話を聞いてみたいものだと思いました。

◎今週末の日曜(10/23)晩、再放送があります!20:00-20:45
『風の道』が好きな人は忘れないように!
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こんなふうになっていたのか!

2011/10/18 04:12
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ついに完成した藤白台公社第2期建替工事の新棟。ピアノ池の斜面の上、A18棟の脇から見渡すと、こんな感じです。

藤白台にこんな景色あったかな?と思われる方も多いと思いますが、メゾネットの建替工事に関連して、メゾネット脇の斜面の竹藪を払って、擁壁工事をやったのでこういう見晴らしが出現した…というわけ。なんだかすごい迫力ですね。千里の竹がまた減ったのは惜しい気がしますが、ここは危険な急傾斜地に指定されていたらしく、誰も入れない一画でした。この際に安全工事をしたということです(竹藪は半分は残っています)。

左手前の空き地が旧メゾネットの敷地です。ここにはこれから8階建のマンションが建ちます。左端に見えている松がピアノ池に面している部分。新棟の左向こうに見えているのが北千里駅。

気がつくと、千里ニュータウンの中で藤白台ほど西側に斜面が開けている町はありません。夕日がきれいな藤白台…は、建物が代わっても変わらないですね。公社の新棟は板状の棟を並行配置にしたのでなんだか芸がない…という声も聞きますが、丘の上から夕陽の眺望をブロックしない…という意味では、この配置は悪くないんじゃないかと思います。
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引越しびより

2011/10/17 03:49
画像10月15日(土)は藤白台公社建替2期工事の鍵渡し…はあいにくの雨模様となりましたが、翌16日(日)はごらんのとおり秋の快晴!

まだぽつぽつとしか入っていないようですが、さっそくふとんを干しているお宅もあるようですね。

左下の空き地は、旧メゾネットの敷地です。いまちょうど更地で、これから建設が始まります。手前の遊園は建替前からある同じ遊園ですが、周囲の変わりぶりにびっくりしているようです。
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歳月と満月

2011/10/13 23:51
画像公社の2期工事分の鍵渡しがいよいよ今週の土曜日(10/15)に迫って、A1〜A14棟部分は灯がともるのもあと少し…今晩はこの団地の灯が見上げる、最後か、最後から2番目ぐらいの満月です。(正確には十六夜(いざよい)みたいだけど…)

いったいこの団地は何回満月を見上げたのでしょう?完成はたしか1965年のはずなので(その工事の時も覚えています…)、かりにきっちり46年間とすると46年×365日+うるう年分が11日÷28日は…?ちょうど600回!600回の満月です。

それだけの月の満ち欠けを見てきたのですね。まさに「歳月」。6歳の子供だった僕も老眼になるはずだ〜。でも今晩の月はひときわ美しく見えました。

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団地植物園−コスモス

2011/10/10 23:08
画像ひさしぶりの団地植物園(左上のサイト内検索で「団地植物園」と入れたら過去に書いた記事が出てきます)。秋と言えばコスモス…。よく見る花ですが、うちでは何度買ってきてもヘロヘロになってしまって美しくはかなく咲きません…。団地の皆さんは育てるコツがわかっておられるんでしょうね…。布団を干すにもいい天気。いまは三連休!
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藤白台の勢いを見よ!(10/9・市民体育祭)

2011/10/09 23:53
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盆踊りも降られて防災訓練も降られて…二度あることは三度あるんじゃないかな〜?と心配症の私は勝手に不吉なことを考えてたのですが、見事に外れて爽やかな快晴!連合自治会を中心とした市民体育祭が藤白台小学校で今年もありました。

前にも書きましたが、これがもう、すご〜い人!高齢化して人口減少してオールドタウンになったニュータウン…とかってメディアが書いたりするの、どこの話やねん?という大にぎわい。しかもやっぱり0歳児から80代ぐらいまで全年齢がいるという感じで、藤白台はほんとに元気です。人が多いから競技も迫力があるし、プログラムの広告も取れるし、したがって賞品も豪華…というわけで、米俵を担いで帰る人がひきもきりませんでした(ちょっと誇張)。60歳以上の組と幼児の組で競う「玉入れ」とか、プログラムも工夫が行き届いてます。
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服装がばらばらなのが、小学校の運動会と違うところ。競技のお世話をする人も、一糸乱れぬ…と、これは大げさじゃありません。ノウハウが完璧にできてます。うしろにずらりと並んだテントもご覧ください(この一角はレンタルテントの自治会のコーナーなので名前が入ってません)。団地もうれしそうですね!
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毎年出す万国旗も一本ごとに番号がついてて、どこにどれを渡すか、あらかじめ指定されて長さが調整されています。小学校の正面玄関からグラウンドの対角線に張る万国旗は、一番長くしておかないといけないからです。いや〜、校庭にはためく万国旗、いいものです。だいぶん校舎は古くなっちゃったけれど、この景色は変わらないなあ…

皆の熱に浮かされて、「原則1枚しか貼らない」禁を破って3枚貼ってしまったレポートでした。
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キンモクセイの香りに包まれて

2011/10/08 23:53
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藤白台公社の2期工事がもうすぐできるので(10/15から入居開始)、それに代わってこの区画は来月ぐらいまでで引越しが完了する予定です。

だから「しろすべ」(ゾウのすべり台とも?)をキンモクセイが囲むこの景色も今年が最後。この区画は再生地に入って民間に売られることになっているのですが、なんとか藤白台の子供の思い出が詰まっているこの「しろすべ」を残す方法はないのかな〜?と思っているのですが…場所は変わらないのがもちろん一番いいけれど、皆が親しめるなら多少変わってもいいですから…(移設は技術的には可能だそうです)

このすべり台をブログに出すとコメントが集まるので(こちらにも)、皆の思い出がつまっているんだなということが、よくわかるんですよ。南地区センタービルと違って、根本的に計画を変えないでも、これならなんとかできるんじゃないのかな〜と思うのですが…(皆の貯金を少しずつはたいてもらって?)

団地の建物が全部入れ替わると、歴史が浅い藤白台では「面影を残すもの」がなくなってしまうのです。ふれあいの道と住民が植えた斜面の森はありますが…

キンモクセイの香りも、だんだんうすらいできました。
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NHKドラマ『追う男』を追って

2011/10/04 03:34
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1986年のNHKドラマ『追う男』に千里ニュータウンがいっぱい出てくるとコメントで教えていただき、さっそくDVDを買って見ました。主演・松田優作。千里ニュータウンの社宅に住む団地妻を烏丸せつこが演じています。松田優作・烏丸せつこ・千里ニュータウン。そのからみだけでどんな展開なのか?…もう興味津々です。

たしかに!「千里サンタウン」と名乗っていたリニューアル直前のせんちゅうPAL+セルシー広場はとてもなつかしいし、北大阪急行に乗って家路につく烏丸せつこを、しがない興信所調査員の松田優作が新御堂筋のクルマで追跡するシーンは「そんなカッコつけないで北大阪急行に乗ればいいじゃん」とツッコミつつ、千里住民としてはシビレる設定と言えるでしょう!あ…これ、サスペンスなんです…タイトルでわかるか…。

メインのロケ場所は、桃山台。画面から目星をつけて、さっそく行って現況をたしかめてきました。はっきりと画面に出てくる公団のC11棟は現在建替中で姿を消していますが、隣りの「にれのき公園」は25年前とほぼそのまま…。この写真、中途半端な構図に見えますが、映画のワンシーンとほぼ定点なんです。白っぽかった公園は緑が成長してやや鬱蒼とした感じになり、向こうの建物(保育園と小学校)は今は隠れて見えません。ドラマでは右手前にあった回転遊具は撤去されていますが、あとはそのまま…遊ぶ子供たちの姿もドラマの当時と変わりません。街灯の奥で囲われたように凹んでいる広場では松田優作が子役の女の子と遊んでやるシーンが何回か出てきます。松田優作広場って名づけたら、ニュータウンの観光名所になるんじゃないかな?

ドラマの舞台になっている社宅もこの近所かと思い探しましたが、わかりませんでした…。社宅の仲良さそうで気づまりな人間関係がドラマの重苦しさを増す重要な要素になっているのですが…ヒキのショットで真東に山が見えるカットがあるので、この社宅のロケは千里ニュータウンではないのかもしれません。(電柱が敷地内にセットバックしていず、道路に立っているのが千里ニュータウンと違います。)

青春のお通り』『ホームレス中学生』…映像や小説などに、千里ニュータウンはしばしば登場します。そこに描かれたニュータウンの姿を時代順につなげると、千里ニュータウンがどのようにとらえられてきたか?変化がわかって、面白いんですよね。このドラマが撮られたバブル前夜の1980年代中盤は、1960年代のようなモダンライフの興奮も去り、70年代のトイレットペーパー騒ぎのような珍事件もなく、千里は、平和で、ちょっとリッチな憧れの町で、しかしそれゆえに日常の退屈さと裏腹…という描かれ方になってきます。そこにサスペンスを放り込むと、対比が生まれるわけです。90年代以降は、ニュータウンは老朽化が目立つようになり、回顧の視点が入ってくるようになります。さて、2010年代は?
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座れる町は、いい町だ。

2011/10/03 02:33
画像「路上のイス」シリーズで調子に乗ってもうひとつ…。「藤白台二丁目」のバス停に、藤白台地区福祉委員会が寄贈したベンチですが、もう1ヵ所、三色彩道の坂道の途中にも設置されています。この坂はほんとにきつくて、ある説では千里ニュータウンで路線バスが上るルートの中で一番きつい坂だとか…(ほんとかどうか、たしかめていません)。バスがきつければ人にもきつく、この坂の途中にベンチを置こう!という発案は、ほんとに実感こもってるな〜。坂の真ん中より少し上あたりに設置してあるのも、よく考えてます。これから三色彩道のフウが色づいたら鑑賞の特等席になるでしょう。

屋外でちゃんと座れる場所がある町は、いい町なんじゃないでしょうか。ひところ若者が屋外のどこでもしゃがみこむのがいかんと問題になりましたが、あれは一種の「むほん」だったんじゃないか?と僕は思っています。つまり、バブルの頃に日本人はさもしくなって、屋外の座れる場所をみんな有料の商業空間にしてしまった…。しんどい時に出かけると、カネを払わないと座れない町になってる町が、とても多いような気がします。ところが高温多湿の東アジアでは、「外でしゃがむ」のは、もともとある文化なのです。それを体が求めるからです。少し寒いヨーロッパでは、そんなことやってると冷えてしまうから、少なくとも「しゃがむ」ことはバッドマナーとされた。でも日本では欧米の文化を持ち込んでも気候が違う…それで欲望に正直な若者は「そんなルールはなし」にしてしまったのではないのか…?

高齢化の世の中でもあるし、無料で腰かけられる場所をつくることは、りっぱに「まちづくり」だと言えるんじゃないでしょうか?(そういえばずいぶん前にこんな記事も書いたことがありました…同じこと2回書くのは僕も高齢化だな!)
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11年目の「千里の竹あかり」

2011/10/02 13:11
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前にも一度ご紹介したのですが、竹林の中にろうそくを入れた竹筒を3000本以上立て、その間を巡り歩いて幽玄な雰囲気を楽しむ…という「千里の竹あかり」。

今年は昨晩に(10/1)あり、僕も6年ぶりに行ってきました。場所は千里北公園の蓮間池の北、北千里高校の裏山にあたるあたりです。北千里高校の演奏や、青山台中学校の竹細工展示もありました。

3000本以上の竹あかりは、圧巻!よくこんなにたくさん立てたなあ〜と、関係者の努力に脱帽!暗闇の中の竹あかりは写真に撮るのが難しく、なかなかムードがお伝えしにくいのですが、ちゃんとしたプロが撮るとこんな感じです。斜面を生かして天の川みたいにしつらえてあるんです。
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このイベント、主催は吹田市が中心になっていますが、市民もおおぜい協力しています。吹田市のゆるキャラとして売り出し中?の「すいたん」の灯篭も…竹で編んだ骨格の目が闇にうかびあがって幽玄というより夢に出るかも…?

千里中央からクルマで回ったのできっと北公園の数少ない駐車場は満杯に違いないと北千里に停めて歩いて行ったら、北公園の駐車場も空いていて拍子ぬけ…6年前よりお客さんがずいぶん少ないような気がしたのですが、気のせいでしょうか…?

このイベント、市の肝入りで始まったのですが、地元の藤白台でも知らない人が大勢います。自治会の会合でこないだ聞いたら、20人あまりのうち3人しか知ってる人がいなかった…ポスターや告知もほとんど目にしません。(このブログでも事前に流すべきでしたね…こんなブログでも宣伝になるならば…)せっかくいいイベントなのに、やるんだったらもっと定着させる方法はないのでしょうか…?

「すいたん」も、これが吹田市のゆるキャラだって知ってる人はどれぐらいいるんだろう?観光協会のWEB見てもプロフィールの自己紹介が出てないぞー。

「良きこと知らさねばないと同じ」というのは、かの松下幸之助翁も言っておられたそうです(これはうろ覚えで正確な言葉はわかりません)。なんとかならないのかなあ。
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路上のソファ

2011/10/01 03:52
画像路上のイスつながりでもうひとつ…。これはバス停とは関係なくて、いわゆる「大型ごみの日」に出ていただけなんですが、雨に煙る紅葉に白いソファがあまりにも映えていたので、思わず撮りました。去年の秋のことです。街角には、いろんな「事件」があります。

バス停にこんなソファがあったらずいぶん豪華ですが、雨にはすぐに傷んでしまうでしょうね。大型ごみさえ絵になってしまうのも、歩道が広いニュータウンならではの光景です。
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残念なバス停・続編

2011/09/30 04:07
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何回か理屈っぽいことを書いてしまったのでちょっと息抜き…前に「残念なバス停」として紹介したふじしろ幼稚園前の古江台方面ゆきバス停。最近、面白い変化がありました。

ご家庭のダイニングから持ってきたようなイスがバス停に…ご近所の公社A棟がもうすぐ二期工事ができることもあり最近「引越しごみ」がたくさん出ているのですが、同じ路上に出すならバス停で第二の人生を…と道の反対側まで持ってきた人がいたのでしょうか。

もう半月ぐらい置いてあるので、「ごみ」とはみなされていないようです。これは町への思いやりだな。

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