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アラウンド・藤白台
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日本で最初のニュータウン、大阪・千里ニュータウンの「藤白台」(ふじしろだい)周辺を一緒に探索しましょう!
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ネバーランドの住人たち

2009/06/30 21:35
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つくばレポートの途中ですがちょっと思うところあって、臨時ネタ。マイケル・ジャクソン、50歳って僕と同じだったのかーと思ったこともさておき、彼が住んでいたというカリフォルニアの「ネバーランド」の話を読んで。

1000haってさすがスーパースターは住まいも違う!ですが、この広さがちょうど千里ニュータウン(1160ha)に近いなあと(千里ニュータウンは千代田区ともほぼ同じ大きさです)。ちなみにEXPO70の会場は330haだから約1/3。東京ディズニーリゾートがTDLとTDSあわせて100ha。(マイケルさんちの1/10!)

広さの連想だけでなく、夢の理想世界を人工的な空間に閉じ込めようと試みたところも…でも歳月は誰にも止められず容赦なく変わっていくのだと、同じぐらいのサイズの「ランド」と「タウン」の相似形に思いを致したことでした。

写真は僕がロス郊外にマイケルを訪ねたとき、プールサイドの椰子の木を激写!…というのは真っ赤なジョークで、千里北公園のプールサイドで昨夏、今にも雨が落ちそうな夕闇時に。

日が重なってしまったファラ・フォーセットの訃報とあわせ、80年代も遠くなった…と思うのは僕の世代の感懐でしょうか。

※ネバーランドの広さはネット上にもさまざまとびかっていて、どれが本当だかわかりませんが、「1000ha」と報道している記事は多いようです。
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通称「ペデ」(筑波研究学園都市)

2009/06/29 03:33
画像筑波研究学園都市の真ん中を、南から北までまっすぐつらぬいている「町の背骨」が、このペデストリアン・デッキ。「ペデ」ってここでは呼んでるらしいです。

車道と平面交差しない、広い歩行者専用道で、緑道でもあり、自転車も通れる…というあたりが筑波らしい特徴。「千里にはペデって、ないんですか?」と筑波の人に聞かれたのですが、そういうの、あったっけなあ…?少なくとも「ペデ」という愛称化されたものはない。駅の周辺で、歩道橋とつながってそういう機能をしている歩行者専用通路はあるけれど…住区に入ってからも、いわゆる歩行者専用の緑道はあるところもあるけれど、町をつらぬくような体系的なシステムにはなっていないあたり、千里は設計が徹底していません。(後期の6住区では、この考え方がようやく取り入れられています。)

ああ!「町に南北軸を通す」という考え方が千里で一番ハッキリ出ているのは、万博会場!(今はなくなった)エキスポタワー〜太陽の塔〜お祭り広場〜万博ホール・美術館にいたる、大屋根とその延長線上が、千里では最大の「ペデ」かもしれません。丹下健三的というか…広島の平和記念公園で、慰霊碑のアーチの向こうに原爆ドームが見え、手前に資料館がある空間が、同じ構成を持っています。

それと比較すると、千里ニュータウンは一線上の「軸」よりは、「広がり」を重視した骨格になっているんだなと、なんとなく自分の町のことが見えてくるのでした。
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この校舎、見たことがある!(筑波研究学園都市)

2009/06/25 02:28
画像こちらは竹園西小学校。コンクリート打放しでなかなかモダン。1990年開校。竹園の中でも西地区は、千里に似ている東地区とは異なり、住宅も比較的新しいようです。

この校舎、関西ではJR京都駅や梅田スカイビルで有名な原広司さんの設計によるということですが、すごく千里の自宅の近所で見たことがあるような…平屋で教室から直接校庭に出られる構造、あかりとりの天窓を組み込んだ三角の屋根…これはわが母校、藤白台小学校の(元)低学年用校舎と同じ基本構造ではないですか!建設時期は20年以上違いますが…。千里の藤白台小学校では後ろはホールになっていますが、この竹園西小学校では中庭になっているらしいです。

建築がご専門の方によれば、こういった高低分離の校舎は広く見られるということでしたが…ひょっとして、千里から広がった?

千里ニュータウンは学校の設計も有名建築家にこそ頼んでいないですが一校一校デザインが異なり、かなり凝っているのですが、筑波研究学園都市でも、その凝りようはなかなかのもののようです。メンテナンスどうしてるのかな?

校地に入るアプローチが、大阪のように厳重な塀で囲われていないのも、うらやましいところでした。職員室からは校庭全体が見渡せます。ホームページもよくできてる!藤白台小学校のホームページは…。吹田市はちゃんと予算つけてあげてほしいなあ。

(実は竹園西小学校、すごくモダンな校舎なのに増築部分がプレハブで超つや消しなところも、藤白台小学校とそっくりなのでした…計画都市は維持が難しいです。)
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コモン風戸建住宅街(筑波研究学園都市)

2009/06/23 02:17
画像こちらは竹園の隣町、吾妻四丁目の一角。見るからに竹園よりはぐっと新しい…平成風と言っていいのでしょうか…戸建住宅街がありました。

電柱埋設こそされていませんが、街区内は石畳のループ道路にして外来者が心理的に入りにくいようにし、道に微妙なカーブをつけ、車庫は屋根なしで統一、塀は造らず生垣で景観の一体感を保ち…

と、これはどこかで見たことがあるぞ〜…そうそう、愛知・小牧の桃花台の一角にそっくりです。コモンっていう「共有地」を演出した町のつくり。町のつくりが似ていれば建設時期もたぶん近いわけで家もそっくり…ハウスメーカーのカタログを見ているようです。

最近、団地マニアが静かなブームですが、戸建のプレハブハウスだってすごく全国規模で規格化されている点では団地と変わらないので、戸建マニアとかプレハブマニアとか、はやらないかな?…と、2代プレハブハウスを住み継いできて、じつは亡くなった父がプレハブ関係の仕事も少ししていた私は思うのでした。「うーむ、これは1991年型の○○ハウス××グレードFタイプですね!」とか。…脱線してしまいました。

千里ニュータウンのように短期間で全部造ったのではなく、いろいろなタイプの町が混ざっていることも筑波の特徴ですね。
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明らかに近隣住区理論(筑波研究学園都市)

2009/06/21 21:33
画像何回か前に夕景をご紹介した竹園ショッピングセンター。歳月に汚れて、ややくたびれた住区の案内板がありました。

うーん、住区を環状道路が循環していて、オレンジ色の歩行者専用道は別のネットワークになっており、真ん中にショッピングセンターがあり、保育所や公民館や児童館や小学校がセットになっていて、広めの「近隣公園」が北に、やや小振りの「児童公園」が南に、それを囲む住宅群…中学校や高校は複数住区で共用するので端っこのほうに配置する…これはどう見ても、千里と同じ「近隣住区」の考え方だなあ…。

一緒に行ったKさんやYさんは「筑波はやっぱり千里と違う。住宅都市ではなくて新都市だ」と言うのですが…全体として見るとそうなんですが、住宅地域になっているこの一角だけの構成を見ると、これはやっぱり親戚だよなと、親しみと安らぎを感じてしまいました。ここ「竹園」は名前に「竹」が入っているし…たぶん建設が長期にわたった筑波研究学園都市の中で、この地区は千里にすぐ続くぐらいの時期に建設されているはずです。

今は戸建住宅が建っているブロックも含め、オリジナルは全て(タウンハウスを含む)集合住宅であったことも、この地図から推測できます。

筑波研究学園都市の中でこういった住宅部分はそう大きな比重を占めていないのですが…そうだな、千里ニュータウンで言う「千里中央」の部分がもっともっともーっと広くなったような比率で町全体ができていると言えばいいでしょうか。
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集合住宅→戸建の建替例(筑波研究学園都市)

2009/06/20 01:02
画像実は前回ご紹介した配管アートの公務員住宅(?)の隣の一角は、集合住宅→戸建に建て替えられた新しい家並みが広がっていました。

土地はできるだけ高度利用してカネを生ませよう…という昨今、これはすごく珍しい、でも人口減少時代に示唆的な?建替例だと言えるでしょう。ただし元の建物が(左の一角と同じだったとすると)2階建で、戸建と言っても比較的コンパクトな区割でしたから、面積あたりの戸数を減らした…ということにはならないのかもしれません。しかし敷地内の豊富な緑は失われてしまったようです。
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配管アート(筑波研究学園都市)

2009/06/18 12:18
画像こちらも竹園地区。年季が入った2階建の公務員住宅?ですが、あとからつけたしたらしい配管がギンギラギンにさりげなく光って、なかなかのみものです。豊かな敷地内の緑があるから、映えるんでしょうね。

それにこれは1970年代の建築と思われますが、外観がタイル張りであることも、上質感を主張する重要なポイントです。筑波は都心から60km離れた場所に忽然と建設された新都市であったため、「住宅も良くしてやらないと移転が進まないだろう」と、ときの田中角栄氏が言ったというエピソードを、地元の方に聞きました。(外観だけでなく、中の間取りも、もちろん)

「タイル張りは塗り替えの手間が省けるしコンクリを保護するので建物の価値を上げるんですよね?」と、一緒に歩いた不動産に詳しいKさんに質問したところ、「その代わりタイル剥落のケアをしないといけません」とのこと。なるほど…

町を造った人、建物を造った人、建物を改修した人、いま住んでいる人…いろんな人の思いが重なって見えてくる壁面でした。
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こちら昭和の近隣センター(筑波研究学園都市)

2009/06/17 03:22
画像筑波研究学園都市の中でも比較的古い竹園地区に戻ってくると…そこには多くのニュータウンで見られる「近隣センター」がありました。

ここは広場を囲むように店舗が並んでいて、2階は教室などがあり、広場には子供のための遊具もあり、つながる空間には公園や公民館や保育所もあり…と、ここがコミュニティの中心になるような工夫が凝らされているのですが…人影はこんな感じ。核店舗といっていい小さなスーパーが、夜まで営業して頑張っていましたが…(去年夏と今年5月、昼と晩あわせて3回来ましたが、いつもこんな感じでした)。

こういう姿は千里でも多摩でも高蔵寺でも広島基町でも共通して見られる「昭和の残像的風景」と言ってよく、近隣センターの再生がニュータウン共通の課題であることがよくわかります。

…こういうサイズの空間を見ていると、筑波と千里はやっぱり似てるところもあるなと、ちょっとホッとしますね。「北関東最大の…」とは対照的。この場所に似合う言葉は「流通」ではなく「コミュニティ」です。筑波研究学園都市の中で竹園地区の東側は、近隣住区理論による住居地区として、千里に近しい「まとまり」を感じました。

ちなみにこの中の一区画が「大人のための渋い飲み屋」に改装されていて、ちょっとにぎわっているようでした。食事もよく出るとのこと。いや、なかなか美味でした。
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メガ化する流通装置(グレーターつくば)

2009/06/14 23:19
画像こちらは研究学園駅からすぐ、北関東最大のショッピングセンターイーアスつくば」。

平成のニュータウンでは、お買物機能はこういった郊外型のショッピングモールに集約してしまうケースが多いですが、ここはあまりの広さに、思いきり引かないと全景が入りません(これでも全部は入っていません)。

つくば一帯は完全なクルマ社会で、この「イーアスつくば」も、駅からひどく遠くはないですが、「駅前!」とは言えない、少し離れたブロックに陣取っています(クルマ社会であるひとつの証拠に、飲んでしまった時の「運転代行サービス」がこの町では普通にあると知って驚きました。地方都市では聞きますが…)。

千里中央もできたときには原野の中でやけにデカイものが出現した感じがしましたが、この広さは…それ以上?一度、千里ニュータウンの設計にたずさわった先生にお話をうかがった時、「クルマ社会の到来は予期していたけれど、流通革命だけは予想できなかった」とおっしゃっていたのですが、この大きさは流通革命の究極の姿かもしれません。

しかしいつかこの町も高齢化したとき、すべてがクルマを前提にした町での生活はどうなっていくのでしょう?…ということは、すでに地方では日常化しているか…。「巨大モール+コンビニ」の二極に、郊外の買物は集約されていくのでしょうか。
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大陸的風景(グレーターつくば)

2009/06/13 00:14
画像学園の森と名づけられた平地林をぬって走る新しい道路。「学園の森」は正式な町名で、こういった名前が昔からのものであるわけがないので、この一帯は周囲を開発しても森のまま残すということでしょう。

平地が狭い関西から来ると、関東平野は広い!と言うか、北海道みたいと言うか大陸的と言うか…これだけ広い土地を使われたら、経済のポテンシャルはとってもかないっこないなと白旗を揚げたくなります。

そして、広い大地に都市計画を実現しようとする人々の「意志」を思うとき、(それが正しいことであったかどうかは別にして)「満州みたい…」という感想を、思わず持ってしまいました。現在の長春、満州国当時の新京は、ブラジリア、キャンベラと並ぶ20世紀の三大計画都市と言われていますが、僕はどれも行ったことがありません。つくばがそういった計画都市と比べてどれぐらいの規模なのか、たしかな数字を私は持っていませんが、大きな都市計画と国家(政治)の意志には密接な関係がある…ということはわかります。

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開発と土地の記憶(グレーターつくば)

2009/06/12 01:00
画像つくばエクスプレス研究学園の駅前で。

まるで新幹線の駅のように未来的で立派な駅舎と、駅前広場に立つケヤキ?の大木。この木は元からこの土地にあったものを残したか、あるいは多少は場所を動かして新しい駅前景観に取り込んだものでしょう。

ニュータウンを造る時、ほとんどマルハゲに近く造成しても、何かシンボルになるような木や森や池などをわずかに残すことは、よく行われることです。開発者も心が痛むのでしょうか。

この駅近くには新しいつくば市役所が来年には完成するので、この木は市民を迎える木になるはずです。つくばでは、1970年代の筑波研究学園都市開発前からの「地の人」を旧住民、筑波研究学園都市開発後に入ってきた人たちを新住民、2005年のつくばエクスプレス開通以降に住み始めた(東京志向の強い)人たちを新々住民と呼んでいるようですが、景色にも「旧」と「新」と「新々」があるのかもしれません。

千里ニュータウンも、団地建替で入ってきた人を新住民、それ以前からニュータウンに住んでいる人を旧住民なんて便宜的に呼び分けることがありますが、ニュータウンに住んでいる人は、40年前には新住民であったわけです。ほんとうの旧住民は地主さんだろうと思いますが、その村だって遡れば「新田」であったりします。

普通の町ならば住民の新陳代謝は徐々に行われるわけですが、この層がはっきり分かれてしまうところが、人工都市であるニュータウンの特徴といえるでしょう。

これを「新旧の対立」にせず、「新旧の調和」にしなくては…
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すべてはこれから(グレーターつくば)

2009/06/11 01:24
画像「つくば」からひと駅、「研究学園」駅前の、まだ何もない分譲地。

土が黒い。さすが関東!千里のこんな土の色とは大違いです。ここはもともとの筑波研究学園都市の域外なのに「研究学園」という駅名でややこしいったらありゃしないのですが、「グレーターつくば」の中心として開発しようとしているようです。つくば一帯はもともと行政区画が6町村にも分かれていて、4町村が22年前に合併してできたのが「つくば市」。さらに2町が合併し、284平方km…って大阪市(222平方km)よりもデカイのですが(吹田市が36平方kmだからなんと7.8倍!)、長い間、旧町村の庁舎をそのまま使っていて、用事がある部課によってあちこちに行かねばならず、市の誕生から23年にもなる来年、ようやく統合庁舎が造られるのです。(「つくば市」とは別に、隣に「つくばみらい市」もあるので、「つくば」っていう地名は本当に広い!)吹田市の7.8倍の広さの地域に人口が約21万人…ということは、人口密度は1/13以下しかなく、いかにひろびろとしているかがわかります。これだけ土地が広ければ、元の筑波研究学園都市の中に市役所を作らなくても、もっと広い土地で新しく都市計画をやろう…となるのも、なんとなくわかりますね。

初期のニュータウン育ちが普通の人と違うところは、こういう光景こういう風景こういう現場を見ると、殺風景だと思わないで、なんだか「なつかしい」と言うか、アドレナリンが出てくるところです。これが僕の原風景かよ〜ってのもありますけど。でもなんだか、これが「白いキャンバス」ならぬ「黒いキャンバス」に見えてくるんですよね。
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全員駅前居住の町(グレーターつくば)

2009/06/09 23:45
画像つくばエクスプレス(TX)に沿って開発された新しいグレーターつくばの平成風ニュータウンには、千里ニュータウンなど昭和のニュータウンとははっきり異なった特徴があります。

それは、千里などで主流だった中層の集合住宅の広がりがなく、駅前にドーンと大きな高層集合住宅を建て、あとは戸建…と、メリハリがはっきりしていること。まだ周囲には未利用の土地がいっぱいあるのですが、とにかく駅前のマンションがでかい。

このやり方だと人口の駅への平均到達時間を短くすることができ、駅前の土地を大勢の人に売ってからその収益を周辺開発に回せる…というメリットがあるようです。つくばエクスプレスは最高速度130km/hと、通勤電車では日本最速を誇っていますが、それでも都心(秋葉原)までは60kmあり、快速で45分かかるので(それは首都圏では悪くない条件ですが…)都心からは遠いけれど駅からはすぐ、というのは合理的な選択でもあるでしょう。

これは、コンパクト・シティの一種と言ってもいいのかな?
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ネックレス・ニュータウン

2009/06/07 23:38
画像筑波研究学園都市は40年あまり「鉄道がないニュータウン」であったわけですが、2005年、TX(つくばエクスプレス)の開通によって、沿線の駅前にはまるでネックレスのように新しいニュータウンが連なって企画開発されることになりました。

駅前に出ていた地図から。赤い線がTX(つくばエクスプレス)。黄色い線が高速道路。右上、えび茶色と茶色とオレンジの比較的地味な色に塗られているのが、元の筑波研究学園都市。千里ニュータウンとは全く異なり、とびとびで買収できるところに限って開発をやったことがわかります(オレンジ部分が中心部)。紫色が工業団地。このうちのひとつが万博会場の跡地です。

で、その左右を挟むように、駅の周辺ごとにピンク色に塗られているのが新しいニュータウン!(「新しいニュータウン」って、馬から落ちて落馬して…の感ですが、古いニュータウンがあるんだから仕方ない…)この地図に入っているのはつくば市内だけで、いわゆる「グレーターつくば」を越えて、この東京寄りにもっともっとネックレスは連なっています。

つくば・研究学園・万博記念公園・みどりの・みらい平…TXの路線図を見ていると、駅名も平成風ニュータウンな名前のオンパレード!つくば市の隣の市は、なんとつくばみらい市です。(合併でできた名前ですが、こういう名前を選ぶところが、現在のこの土地の状況を示していますね…)

(こんなにニュータウン造って大丈夫なんだろうか…?)と老朽化ニュータウン住まいの私としては少々心配になりますが、「首都圏って、たくましいなあ!」と同時に感心もしてしまいます。開業以来4年、TXの利用者数はめきめきと増えていて、予想を上回るスピードだそうです。
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バンパクとタロー(つくばと千里)

2009/06/05 01:41
画像こちらは「つくばの」万博記念公園駅前。まぎれもなく岡本太郎氏作の「未来を視る」という作品が設置されています。

この作品は、科学万博−EXPO'85のときに制作され、会場跡地にあったものを、2005年のつくばエクスプレス開業時に、駅前に移設したそうです。太陽の塔ほどベラボーな大きさではありませんが、まあなんというか、万博といえば岡本太郎でしょう…という文脈は、あきらかに千里からの引用ですね。

この万博記念公園駅がある場所は、つくば市内ではありますが、いわゆる「筑波研究学園都市」の計画区域内ではありません。つくばエクスプレスは都心から広大な関東平野の未開発地をつっきって筑波研究学園都市に到達しますが、まるでニュータウンのネックレスをあやとるように、途中駅の駅前に新たなニュータウンを開発しようとしています。それをつくばの人たちは「グレーターつくば」と呼んでいます。

そう、千里ニュータウン+EXPO'70の記念公園+周辺地=「グレーター千里」と呼んでいるのと全く同じ図式が、このつくばにもあるのです。

このように、万博の都市開発への取り込み方で、つくばは千里を雛形にした形跡があるのですが、逆に千里がつくばのコンセプトを引用したのではないか?と思われることもあります。それは「住宅都市からの脱皮」です。1970年に千里ニュータウンが完成し、1977年、国立民族学博物館が千里の万博記念公園に開館しました。これはたまたま持ってきたのではなく、岡本太郎氏の構想が深く関わっています。その初代館長になった梅棹忠夫さんは、千里一帯を単なるベッドタウン、住宅都市から、知的なシンクタンク機能を持った「新都市」に脱皮させようと構想を立て、「グレーター千里」「京阪神千」という概念を提唱しました。周辺に立地する大学をつなげ、千里ニュータウンの換地として確保されていた「彩都」の開発を成功させるために、バイオを中心とした研究所の立地を進めることを提案しました。

…っていう発想は1970年代からあったのですが、当時、大学と研究所をともなった新都市という考え方で実際にやっていたのは…筑波研究学園都市。つまり、千里とつくばは500kmを隔てつつ、合わせ鏡のようにビミョーに相互触発しながらそれぞれのコンセプトを拡大させていった…と言えるのではないでしょうか。
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勝手に姉妹駅、認定!(つくばと千里)

2009/06/03 00:04
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つくばと千里の共通点は、いわゆる「ニュータウン」と、万博記念公園が隣り合ってあることです。千里はEXPO'70、つくばはEXPO'85。15年の時差はありますが…。

よく誤解されることですが、千里ニュータウンは万博の跡地に出来たのではありません。両者は独立したプロジェクトであり、1962年に入居が始まったニュータウンのほうが、先です。しかし万博によってこそ千里ニュータウンは全国的に有名になったのであり、周辺インフラの整備が一気に進んだことはまぎれもない事実です。

この「モデル」が、後続のニュータウン計画に強い影響を与えたことは想像に難くありません。筑波研究学園都市は1960年ごろから計画が始まり、1972年に最初の住民と研究機関が入っていますが、計画に弾みをつけるため万博計画が持ち込まれたのです。千里とつくばの間に1981年の神戸ポートピア、つくばのずっとあと、1996年に東京臨海副都心で開かれるはずだった都市博を置くと、ニュータウン計画と万博計画の年表ができます。

…というリクツはさておき、つくばと千里には、全く同じ名前の「万博記念公園駅」が存在します。かたやTX(つくばエクスプレス)。かたや大阪モノレール。2005年にできたTXの万博記念公園駅前には、岡本太郎作のモニュメントまでが移設されています。つくばの万博記念公園は千里よりかなり小さく、駅も公園から離れていてハレ感はあまりないのですが、姉妹駅になったら面白いだろうなと思いました。

つくばの万博記念公園レポートは、以前に博物館ブログに書いているので、こちらこちらをどうぞ…
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アカマツ林に埋もれて(筑波研究学園都市)

2009/06/02 01:03
画像つくばへ行って帰ってきましたが、この写真は昨年8月の訪問時に撮ったもの。

使用廃止された公務員住宅。1F部分がベニヤで塞がれています。敷地は贅沢とも言えるほど成長したアカマツに埋もれて、住宅がなくなれば元の原生林に還っていきそうな印象…実際には土地が処分されて、経済的な価値に置き換えられてしまうのでしょうけれど。

つくばにはこのような公務員住宅がたくさんあります。もともとが完全なクルマ社会なので、駅からの距離は問題にならず、また研究学園都市の中は周囲に比べて人気があるようなので、買い手がつかないということはないのかもしれませんが…

公務員住宅は一種の「社宅」であり、住民の退去は「社命」ですから、千里のように「建て替える/建て替えない」で何年ももめることはないのでしょう。でも、もめなかったとしても、(せっかくいい環境の中で建てられているのに)ビルド&スクラップを繰り返していくことに違和感を感じてしまうことは止められません。

…これが仮に木造だったら、「40年も使えば十分じゃないか」と思えるのでしょうか?私たちは、何をやっているのでしょう?
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ここでも高層化(筑波研究学園都市)

2009/05/29 01:27
画像千里ニュータウンより全体的に低層で造られている筑波研究学園都市でも、公的機関の処分地でしょうか、新しく造られるマンションは高層化される傾向にあるようです。

数えると…14階建!周囲の土地がまだゆったりしているのでそれほど窮屈な感じはしませんが、景観の変化を憂う声はあるようです。

わが千里の藤白台公社建替地も、完成したらこの高さ(約45m)になるんだナーと、見入ることしばし…。

つくばでこういう住宅供給がなりたつのは、日本最速の通勤電車であるTX(つくばエクスプレス)が開通し、つくばに住んで東京に通うことがすごくラクになったという要素が大きいようですが、これまでつくばは(日本のニュータウンにしては珍しく)地元勤務の人が多くて地域の完結性が高かったのに、逆にベッドタウン化が進んでしまうことを懸念する声も…。

計画都市といえども「町は生き物」であるかぎり変わり続けるわけですが、住民が変化を前向きにとらえられるためには、どんな「変化」が望ましいのでしょうか?

ところできょう(5/29)から3日間、またつくばへ行ってきます!前にもご紹介した(→2回目・千里、→3回目・高蔵寺「ニュータウン人・縁卓会議」の4回目がつくばであり、千里ニュータウン代表として出席するからです。たぶん全国ニュースで…は流れないだろうけど、地元の新聞ぐらいには取り上げてもらえるカナー?いろんなニュータウンの人に会えるのが、楽しみです!
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ひっそりと2階建?(筑波研究学園都市)

2009/05/28 04:26
画像インフルエンザ騒動がもちあがって中断してしまいましたが、去年8月に行った「つくばレポート」に戻ります。

こちらは豊かな緑に埋もれた2階建…かな?3階建かな?いずれにしても低層の集合住宅。こういったスタイルの公務員住宅が、つくばにはたくさんあるようです。なにしろ、筑波は開発当初、国の研究機関を大量に移転させた「官の町」であったため、住民にしめる公務員率が非常に高く、その家族のための住宅が大量に必要とされたためです。(この写真の建物が公務員住宅かどうかは、確認できていません。)

それでも(全体的には千里ニュータウンより開発時期が新しいのに)このような低層で収まったのは、都心から遠く、土地が豊かに取得できたからに他なりません。

しかし今、つくばは大きな曲がり角に来ています。行政改革と、TX(つくばエクスプレス)の開通という要素によって、東京への通勤が飛躍的に便利になり、公務員住宅が処分され、民間マンションなどに取って代わられる現象が起きています。それは町並みの大きな変化をともなう…という意味で、筑波研究学園都市は、やはり団地の建替時期を迎えている千里ニュータウンと共通した「変化」の波をかぶっています。

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インフルエンザ休校の一週間に考えたこと

2009/05/26 02:58
画像5/25(月)から、藤白台ならびに千里ニュータウン周辺の学校などではほとんどが新型インフルエンザによる休校・休園措置が解け、町に若い声が戻ってきました。

それは突然訪れた、不思議な一週間でした。マスク不足だけが、人々が少し慌てた要素ではあったものの、1973年のトイレットペーパー買いだめほどの騒ぎになるでもなく、ほぼ冷静に千里の人たちは事態を受け止めたようです。町の機能が完全に止まったわけではないけれど息を潜めているような感じは、昭和天皇が倒れてから亡くなるまでの数ヵ月間を、僕は思い出してしまいました。

新型インフルエンザが消えたわけではなく、このまま日常に戻っていくのか少しわからないところはありますが、藤白台が静まり返っていた一週間に感じたこと…。

もしこの地域・沿線に、関大も阪大も金蘭もなかったとしたら…この町って、ただの行き止まりだな、と…。学生の影がない、静かな住宅地。そのほうがいいという人もいるでしょう。でもまるで活気がない。一週間ならともかく、それがずっと続いたら、ここには何の知的な刺激もない。田舎と同じことになってしまうのではないか。そんな町は若い住民の関心をつなぎとめることもできず、子供はやっぱり出て行き、ひたすら高齢化していくだけではないのか…。

町には、ずっとそこにいる人と、新しい風を持って来ては去っていく人の、両方が必要だと僕は思うのです。千里ニュータウンは「ベッドタウン」と言われながら、万博があり、大きな学校がいくつか立地したことで、凡百の郊外とは違う風が入り、日常性と創造性のバランスが取れた町になった。

千里ニュータウンの計画当初、当時は大阪市内にあった阪大も金蘭も千里進出の計画はなく、ニュータウンを追いかけるようにやってきた両校の位置づけに、町の設計者は苦労したそうです。最初から大学を町の大きな核として位置づけている後続のニュータウン計画に比べ、たしかに千里ニュータウンと阪大・金蘭の位置関係は十分に消化できていません。

でも、じゃあ、学生がこの町から一切消えたら…その貴重なシミュレーションが、この一週間でした。若い人をもっと積極的に受け入れる千里ニュータウンであってほしい。それとも、眠るように静かな、住宅だけの町のほうが、いいですか?
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定点観測つづき(公社建替工事)

2009/05/24 14:04
画像新棟が少しづつ下から立ち上がってきたので、ひさしぶりに公社A棟建替工事の定点観測(藤白橋から)のつづき行ってみましょう!この写真は2009/5/18撮影。

旧棟解体直前の2008/4/26がこちら。2008/5/4がこちら。2008/5/30がこちら。そして2008/6/27にはほとんど解体撤去が終わって、今まで見えなかった空が現れました。

それから約11ヵ月たっているので、更地にしてからの基礎工事(資材を運び込んで、穴を掘って、基礎を打って、土を運び出して、鉄筋を組み上げていって…)に、かなりの時間をかけていることがわかります。解体はあっというまだったんですが。

昨年の2008/6/28のブログで「最初の写真でじゃまっけだった中央の電柱が、場所同定の役に立つとは…。」と書いていて、今回も電柱を目安に場所を決めて撮ったのですが…あれ〜?去年の写真では電柱の脚が囲いの外に立っているのに、この写真では脚が囲いの中に立っているゾ〜?囲いをやり直したのか?電柱をビミョーに移動させたのか…?(デジカメも買い替えてレンズが広角になっているのですが、前の写真に合わせてトリミングしてあります。)トランスのつき方などからして、電柱そのものは同じもののようですが、そういえば補助脚の傾きがちょっと違うし、横断歩道の標識との距離も変わってますね。工事のために、電柱の位置を動かしてますね…。芸が細かいことやってるなあ!

…と目を凝らしていると、「藤白台オタク」のタネはつきまじ…これからどんどんブルーのシートでおおわれた新棟が高くなっていくはずです。このままのアングルでは14階建ての上までは写真に入らなくなるでしょう。完成は今年度中(来年3月まで)…ということのようですが、若干遅れているとも聞いています。

工事の安全を祈ります!
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雲を衝く。

2009/05/21 10:59
画像町が新型インフルエンザで騒がしく(いや…千里ではシーンと、かな?)なっているときも、藤白台公社A棟の建替工事は粛々と…(本当にこの言葉、ピッタリ!)進んでいるのでした。

現場は新棟の建設工事が本格化し、すごーく高いクレーンが立ちました。いやー、高い!新緑と青空に映えて、なかなかの絶景です。

青空一色とか、全面雲…っていう日より、空がこういうガラになっている日が一番高さを感じますね。
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ツバメは無関係

2009/05/20 01:29
画像
人間世界の北千里界隈は新型インフルエンザ騒ぎで学校が休みになったりイベントが中止になったりマスクが売り切れたり…

でもツバメは全然関係なく燕尾服をまとってスーイスイ!
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静まりかえった月曜日

2009/05/19 01:11
画像新型インフルエンザ対策で、学校は一週間休み!という連絡が回ってきたのは日曜日の朝。日曜日が静かなのは少子高齢化の藤白台ではいつでもそうなんですが(それに雨だったし…)、明けて月曜日の朝。

雨もやんで湿度も下がり、空はさわやかに晴れ上がった、まさに五月晴れ。英語ならBeautiful Dayと言うべき天気。しかし…子供の声がしない!うちは小学校に近いので、いつもだったら校庭にこだまする子供の声や校内放送が目覚ましがわりに聞こえてくるのですが…。土日でも野球の練習とかがあって、何も声が聞こえないってことはないのです。でもきょうは…

あまりのさわやかな天気と無音環境の組み合わせに、まるで天国みたいだな…と思ってしまいました。(行ったことないけど…)

阪大も金蘭も幼稚園も保育園も休みですから、人通りも少なく、町全体がまるで雪の朝のように静まりかえっていました。

駅のほうに下りていくと、こんな日でも公社A棟の建替工事は粛々と進められていました。それがまるで神聖な作業であるかのように…
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インフルエンザ注意の街角

2009/05/18 02:23
画像(つくば訪問記の途中ですが…)

日曜朝にメールが回ってきて、吹田市でも新型インフルエンザの患者が出たということで、市立の中学校・小学校・幼稚園・保育園などは5/23(土)まで一週間お休み…。

市民ホールも一週間休止、北千里の図書館は子供の入室禁止、公民館でも子供関係のイベントは中止、市立博物館も休みではないがイベントは中止と、にわかに緊張感が高まりました。(※これらの施策は週明けに追加更新される可能性があります。)

沿線の関西大学大阪大学千里金蘭大学などでも一週間休講の措置が取られました。

藤白台の街角は人影もなく…というのは歪曲報道で、雨風がけっこうきつい日曜日だったので、むしろそのせいでしょう。(しかし新緑が雨に洗われてキレイなこと!)北千里駅前は普通に人が出ていてお店もやっていましたが、店員さんや阪急の駅員・乗務員はマスクをつけていました。

新型インフルエンザは弱毒性ではあるものの変異によるリスクも否定できませんから、「うろたえず、油断せず」最新の情報に注意を払って適切に行動したいものです。かつて(1973/10/30〜)トイレットペーパー騒動を経験した千里住民としては、よく情報を吟味して、噂話に乗らず、各市のHPなどから確実な情報を入手しましょう。36年前よりは、はるかに情報環境はととのっています。

●吹田市HPの関連情報→こちら
●豊中市HPの関連情報→こちら
●箕面市HPの関連情報→こちら
●茨木市HPの関連情報→こちら

※このリンク先と別の記事がアップされることがありますので、最新情報については各市のHPトップからご確認ください。

「不要不急の外出は控えたいので会社休みます」ってわけにいかないのが、困ったな。
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タウンハウス平面図(筑波研究学園都市)

2009/05/17 03:57
画像
きのうご紹介した低層集合住宅街…タウンハウスの案内図。水滴がついてるのは雨が降っていたからです。

「集合住宅」と言っても、いわゆる「二戸一」か一戸一棟で、土地の利用効率は戸建とほとんど変わらないことがわかります。…ということは、土地の利用効率を上げるためにこういう形態をとっているのではなく、「まちづくり」の美学としてこういうスタイルにした…ということでしょう。(街区内の細街路は、ぎりぎりクルマが入れるように造ってあります。)

…これがもし公務員住宅(一種の社宅)だとすると、こういう、同じ戸建が並ぶ社宅街って、大阪や東京の都市部でも、マンションが一般化するまではけっこうあったのではないかという気がします。(僕が千里へ越してくる前の尼崎の近所がそんな戸建社宅街でした。)戦後〜列島改造論の頃まで、住宅は今以上に不足していましたが、都市部でも土地は安かった。だから余裕のある土地利用がなりたったわけですが、ここつくばでは、都心から離れているために、そういう土地の使い方が比較的遅くまで可能だった…と言えるのでしょうか。
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タウンハウス(筑波研究学園都市)

2009/05/16 01:54
画像つくばで数多く見かけたのは、このようなタウンハウス風の低層集合住宅群でした。

※ネットで調べると「タウンハウス」「テラスハウス」は共有庭があるかどうかで使い分けられている場合と、同じ意味で使われている場合があるようです。

この形態は千里ニュータウンでは佐竹台や古江台のごく一部で建設されましたが、今は建て替えられて姿を消してしまいました。(千里では建設当時の技術で中層住宅が建てにくかった地盤の土地だけに、この低層集合住宅が建てられたとか…。)その後、多摩ニュータウンや西神ニュータウンなどでは積極的に導入されましたが、いわば「団地」と「戸建」の中間のような形態で、中層住宅ほど土地を高度利用できず、戸建のように自由に増改築ができないことから、けっきょく中途半端で、日本ではあまり普及せず、一部の実験的な町へ行かないと見ることができません。つくばで多く見かけたのは、都心から距離があり、土地を高度利用しなくてもコストが引き合ったという事情によるのでしょうか。

筑波研究学園都市の集合住宅は公務員住宅が多いということですが、ここはどうなのでしょう。公務員住宅であれば賃貸ですから、同じ人が住み続けて改築の合意形成に苦労する…ということを考える必要がなく、タウンハウスが多く採用されたのかもしれません。

日曜の午前中ではありましたが、夏の雨に打たれ、子供の声も聞こえずひっそりと緑の中に静まり返っていました。
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ごく普通の団地(筑波研究学園都市)

2009/05/15 02:29
画像少し(大阪弁で)ケッタイな風景ばかり続けてご紹介したので、ちゃんとこういう何の変哲もない団地もありますよっていう写真。

調べたらここはURの賃貸住宅のようです。この日は天気が悪かったんだなあ…。筑波研究学園都市は建設時期が長期にわたるため、低層、中層、高層の集合住宅がいろいろ混ざっています。もちろん戸建住宅もあります。

ここは(雨の日に撮ったことを差し引いても)いささかお疲れの様子ですが、こちらによれば削減計画の対象になっているとか…「建替」じゃなくて「削減」。ここに、建設が始まってから40年を超える「つくば」の一つの顔があります。

都心から遠いということもありますが、敷地の取り方はすごくゆったりと取ってありますね。
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住宅街にロケット!(筑波研究学園都市)

2009/05/14 03:18
画像展望塔の上から町を眺めると…おおっ!センタービルの手前になんとロケットが!さすが科学万博(つくば'85)をやった町だけのことはあります。

ここは、つくば'85の第二会場になった「つくばエキスポセンター」

つくばは研究機関をたくさん集めた都市であるがゆえに、千里のように「住宅専用」に造ったニュータウンと比べると、施設のバラエティが富んでいるというか、町の発想に幅があることを感じました。

近くの母都市に通勤客が流出してしまう「ベッドタウン」とは異なり、大都市近郊では珍しい「職住近接」が実現した、自立性の高い町であること。つくばエクスプレス(TX)が開通してからは、東京への通勤者も増えているようですが…。

「これ、ほんとに使ったロケットですか?」と聞いたら、「ほんとに使ったロケットなら、飛んでいってここにはないのでは…?」とのお答え。たしかに…。町の緑がけっこう豊かなことも、おわかりいただけるでしょうか。
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ケータイの巨大アンテナ実験中!(筑波研究学園都市)

2009/05/13 01:06
画像研究所が集まった科学の町つくばでは、さまざまな実証実験が町の中で行われていますが、この巨大ケータイアンテナもその一つ…これを一つ立てれば100km四方に電波が飛ぶため、基地局設置のコストが大幅に削減できるという試みです。

…っていうのは大嘘!どう見ても電波アイコンにしか見えないですが、実は展望塔。高さ44m。電波塔としての機能はないそうです。未来的なフォルムですが、1976年建設っていうから、ケータイの普及より、かなり古い。(ケータイのアイコンを考えた人が、この展望塔にインスパイアされてたりして…)

人工都市をジオラマではなく、現物で上から見はるかすシンボル…ということで千里ニュータウンの中央公園にある展望台と一脈通じるものがありますが、こちらは入場料が必要です。

下のレストハウスは公園の池に突き出して、なかなかモダンな眺め。家の中に居ながら釣りができたら便利だろうな…という、池大雅の「十便図」の現代版にも見えます。

ところでこの展望塔も著名な建築家の設計によるものですが、この建築家が設計した有名な塔が、2003年初頭まで千里丘陵にもありました。さて、その塔は??(ヒントはこれまでの文中にあります。)
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ニュータウン模型・愛(筑波研究学園都市)

2009/05/12 01:02
画像つくばセンタービルの一角に、筑波研究学園都市の概要がはやわかりできるインフォメーションセンターがありました。そこに…

あったー!町のジオラマ!これこれ、計画都市にはこれがなくちゃあいけません。鳥の目になって…眺めているだけで町の全貌がわかるスグレモノ。…というか、これは神の視点かもしれないなあ…。わが千里ニュータウンの開発当時のジオラマは現在、吹田市立博物館にありますが、多摩ニュータウンでも…彩都でも…箕面森町でも…ニュータウンのインフォメーションセンターには、必ずと言っていいほど、この手のジオラマがあります。

それはまだ町ができないうちに見学に来る「将来の住民」やVIPに「この町は完成すると、こんなに素晴らしい町になるんです!(今の造成現場を見てゲンナリしないでね)」という約束をするためのもの。そして町が完成したあとも運良く生き残ったジオラマは、開発当初の意気込みを伝える語り部として、静かに生き続けるのです。
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つくば名物と言えば…

2009/05/11 03:12
画像
四六のガマっていう説もありますが、ニュータウンウォーカーとしてはやっぱり、つくばセンタービルでしょう…。

1983年完成。ホテル、商店、ホール、オフィスの複合ビル。ポストモダンの記念碑的建築として、wikipediaにも出てるぐらいの有名建築。設計:磯崎新。2006年に姿を消した千里中央地区センタービル(1970)は槇文彦の設計でしたが、新しい町のシンボルを気鋭の建築家にやらせるっていう点は、ここも同じ。ただ1970年から1983年の間に、時代はモダンからポストモダンへと大きく舵を切ったわけです。

…っていう予備知識を仕入れて行って、ここのホテルにも泊まったのですが、「ポストモダンの記念碑」っていうからさぞビックリするような意匠やシカケがあるかと思ったら、それほどでもありませんでした。…というのは、時代はすでに2008年まで進んでしまっていて、かつ、「何もかも新しい」広大な人工都市の真ん中では、これぐらいの冒険をもってきても違和感がないと言うか…。ちなみに磯崎新氏は、千里ではお祭り広場にいたロボット「デメ」と「デク」を手がけられたそうです。なんとなく似てる?ぺデストリアンデッキ(歩道橋)が車道をまたいで四方と歩車分離で結んでいる構造は、いかにもニュータウン的要素です。

筑波研究学園都市はこの「つくばセンタービル」が町の中心とされるわけですが、驚いてしまうのは、鉄道の駅がこの一角に引き込まれたのは、ようやく2005年になってからだということ。それまでつくばは、開発着手以来40年近くも!鉄道なしの都市だったわけです。大きなバスターミナルが、この一角には隣接しています。

1983年って、僕が社会に出た年なんで少し親しみを感じます。僕はポストモダンじゃないけど。
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こちら高野台でございます。(筑波研究学園都市)

2009/05/10 14:21
画像筑波研究学園都市の入口、CGの並木道の途中に…おおっと!千里ニュータウンと同じ地名発見!…でもよく見たらこちらは「こうやだい」。千里ニュータウンのは「たかのだい」。

ついでにWikipediaで引いてみたところ、日本に「高野台」(たかのだい、こうやだい)は6ヵ所もあるようです。千里とつくばのほかに、東京練馬、埼玉杉戸、千葉船橋、舞鶴…この「台」地名は1960年代に大流行したネーミングですが、いかにも郊外っぽい立地の場所が多いですね。

高度成長下の人口増加期に、水の便が悪く農地に使いにくい高台をつぎつぎと住宅地に転用していった…ということが「台」地名が郊外に多い時代背景ですが、住んでみると坂が多くてしんどい地形を、日あたりと眺めが良さそうなプラスイメージに転化する役割も「〜台」というネーミング法は担っていました。「〜が丘」も同じような発想のネーミングと言えるでしょう。一種のイメージ戦略です。(東京の南平台や自由が丘はもっと古いですが、そのあたりが始まりかも…?)

こちら、つくばの高野台(こうやだい)は、研究所や住宅があるようですが、見たところ地形は平坦なようでした。筑波研究学園都市の中の町名は、「台」がついているのはほんの一部で、「町」も「台」も「丘」もつかない町名が主流になっているようです。なんと言ってもここは広大な関東平野の一角です。
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ここは朱雀門なるぞ!(筑波研究学園都市)

2009/05/09 01:23
画像筑波研究学園都市は千里ニュータウンの2倍以上と広大な地域にまたがり、計画地域とそうでない地域はけっこう虫食い状に入り組んでいます。

それでも「ここからが研究学園都市ですよ!」ということをはっきり示すゲートが東西南北+2ヵ所の計6ヵ所に設けられ、千里ニュータウン入口の標柱(こちらこちら)と同じように、ここが計画都市であることを宣言しているかのようです。ここは南のゲート。赤い色をしているのは、風水の四神(北が玄武、東が青龍、西が白虎、南が朱雀)の思想にのっとっているからとか…デザインはモダンだけど、これは平安京にもあった朱雀門と同じ発想なのです。

そう、ニュータウンは計画都市であるという点で、平安京や平城京などとも通じているわけですね。現代のニュータウンは、碁盤の目ではまったくありませんが…。

四神になぞらえた標柱は、神戸三田国際公園都市(北摂ニュータウン)の公園でも小さなものを見たことがあります。まったく新しい都市を造るとき、人は伝統とか、何か大きな「基準」をよりどころにしたくなるのでしょうか。平安京や平城京を造った人たちも、そのよるべない新しい首都が、中国の都のように栄えることを願ったのかもしれません。
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CGのような並木道(筑波研究学園都市)

2009/05/08 03:15
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ニュータウン訪問記を続けます。つづいては去年8月に行った筑波研究学園都市(茨城県)。

出迎えるアプローチは三色彩道?かと思わせるフウ並木ですが、こちらはえんえん約10キロ!この並木が続きます。走っても走っても走っても走っても…まるでコンピューターグラフィックスでコピペを繰り返したようにこの並木道。(フウ並木は多摩ニュータウンにもありました…→こちら

この筑波研究学園都市はすこし特殊な「ニュータウン」で、東京の過密を緩和するために1968年から開発が始まり、国の研究機関を集めて移転が進められました。面積は千里ニュータウンの2倍以上。計画人口は22万人というスケール。いわば「国が企画した」「職住が近接した独立型の」「東京のバックアップ都市」とも言える特長があります。開発のスタート時期は、千里とそんなに変わりません。関西では「けいはんな丘陵」の関西文化学術研究都市(学研都市)が、類似のコンセプトを持っています。

東京教育大学を改組・移転させた筑波大学や、1985年に開かれた科学万博−つくば'85が、一般にはなじみがあるところ。万博記念公園が隣にあるという点では、千里ニュータウンと相似形です。5万分の一や2万5千分の一の地図でおなじみの国土地理院も、実はこのつくばにあります。(行政区域では「つくば市」で、ひらかな表記になります。)

さすが国がやることはスケールが違う…と圧倒されてしまう三色彩道…じゃなかった、この10kmの並木道。見どころ満載の「ニュータウン」を歩きました。
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父がいない連休

2009/05/06 23:49
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(ニュータウン訪問記の途中ですが…)

庭仕事に没頭していて、気がついたら6時だった。万博公園からとおく「蛍の光」が聞こえてきて、やけに早い閉園だなと思っていたのが5時だったのか。日が長くなった。春夏の庭仕事は、いくらやっても終わらない。去年まで五月の連休には沖縄へ行くことが通例だったが、今年はどこへも行かなかった。

父はいつも、時間さえあれば庭をいじっていた。あんなふうにはとてもできないな…と思っていたのは、ほんの数年前までのことだった。この家に引っ越してきた45年前、庭は一面の粘土の土地だった。土を入れ替え、いちおうの整備をしたあとも、今から見るとすごく庭はシンプルだった。木の種類も少なく、どの木も小さかった。それが歳月を重ねて種類は増え、どの木も複雑に成長し、主は年老いたのだ。

庭はおもに父の領域だったが、母も15年ほど前にイギリスへ旅行をしてから、突然庭のあちこちにいたずらのように花を植え始めた。イングリッシュガーデンのつもりだったのだろうか。その母が8年前に要介護になり、外出が難しくなった。庭は母の全世界になった。父は80を越えていた。いつのまにか僕が庭をやり始めたのは、石垣の上でよろよろと草引きをする父を見かねたからだが、手が回らなくなって庭が荒れていくのは淋しすぎた。4年前に母がなくなり、庭は見る人も減ったけれど、ますます僕は庭仕事に熱が入るようになった。

去年の秋の終わり、父がなくなった。わずかに父が最後までこなしていた仕事も、もう父はしない。自分で言うのもおかしな話だが、まるで父が乗り移ったように、僕は庭仕事を続けた。だれのために庭に花を植えるのか。両親が植えた花木を枯らしたくないだけなのか。この庭をどこまで維持できるのか。先週は冬の間玄関に入れていた鉢を表に出して、さっぱりした玄関に、父が行ってからまだ半年たっていないことを、あらためて感じた。去年の夏には、まだ父がいた。

父がしまいこんだ五月人形の箱をのぞいたら、規定量の三倍もの防虫剤に埋もれて人形が出てきた。几帳面に一個ずつ「H20.5」と書いてある。1年前、たしかに父は元気でクルマも運転していたけれど、判断力はどこまでたしかだったのだろうか。

今月、僕は50歳になる。
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塀の中は安全?(成田・公津の杜)

2009/05/05 16:00
画像駅前の大きくて新しいマンションの入口で。前の道路にはハンプ(クルマがスピードを出しにくくするためのゆるやかな突起)も設けられ、「安全・安心」のための配慮がなされています。

ただ最近のマンションで気になるのは、入口に集会所を含んだ管理棟を持ってきて、敷地全体を「囲い込んで」しまい、外来者が入りにくくしている設計が多くなっていること…一種の「ゲーテッド・コミュニティ」的な設計が増えていることです。

もともとのゲーテッド・コミュニティはアメリカなどで富裕層向けの高級住宅地セキュリティとして始まったようですが、これを一般化した形態が、日本の大規模集合住宅でも見られるようになってきました。オートロックの発想を、その区画全体に広げたと言ってもいいでしょうか。

しかしよく考えてほしいのは、「囲い込めば安全なのか?」ということです。塀で囲んだ空間は、いったん不審者が中に入ってしまうと、かえって外から中の様子がわかりません。富裕層向けの住宅ならば「人をたくさん雇う」ことでセキュリティを維持できるかもしれませんが、それにはコストがかかります。

それに…こういう設計がはやるのは「子供の安全」を思う親心が後押ししているのだと思いますが…子供は24時間365日、さらに言うなら一生を「塀の内側」で暮らしていくわけにはいかない。どこかで「外の世界」とわたりあう耐性を身につけないといけないわけです。

千里ニュータウンは町全体が「周辺緑地」で囲まれ、「外の世界」(乱開発)が入り込まないようにされていますが、そういう「別世界感」と、ニュータウン育ちの子供が成人すると出て行ってしまうことは…関係がないといえるのでしょうか…?(そのかわり千里ニュータウンでは、団地の中は通り抜けが可能なオープンな敷地構成が採用されていて、これはなんとか建替のときも引き継いでほしいものです…)

もうひとつエピソードを付け加えると、阪神間のオートロックのマンションで、大震災のとき停電になり、「閉じ込められた!」と慌てた住民が、ガラスを破って出口を確保した現場を僕は見たことがあります。(停電時のロック解除のスイッチは、どこかにあったはずだと思いますが。)

連想が飛んでしまいました。
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ニュータウンらしくない?(成田・公津の杜)

2009/05/03 23:40
画像民間によって開発されたニュータウンには、一つの傾向があるように思えます(あくまでも「傾向」ですが)。それは…「ニュータウンらしくない」ということ。(人によっては公的セクターによる開発だけを「ニュータウン」と考える人もいるようです。)

表通りや駅前などは「見せ場」を作っていても、一般住宅街に入ると、普通の町並みとあまり決定的な違いはないような…それは店舗と住宅のゾーン分けのゆるさであったり、区画割りであったり、道幅であったり、緑地の取り方であったりがそう感じさせるのだと思いますが…。

千里、高蔵寺、多摩などを「公的セクターによるニュータウンの典型」とすると、そういった町に見られる理想主義的な雰囲気が、あまり感じられません。いってみれば現実主義的

それはつまり、民間企業による開発は経営問題にかかわりますから絶対に失敗できないので…「無理をしない」ということなんじゃないか?と思います。土地利用の効率を考えると、普通の町に近くなってしまう。

逆に言うと「公的セクターによるニュータウン」は、経営的観点から言うと、かなりの無理をしている?高度成長期なら、そういった「理想を追いかけて無理をする」姿勢も経済成長と人口増加が吸収してもったのだと思いますが、人口減少期に入ると、その姿勢を保つことが難しくなってきている…ということが、今、千里や多摩につきつけられている課題ではないか?と、民間開発のニュータウンを歩いていると、逆に気がつかされます。
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ニュータウン的駅前(成田・公津の杜)

2009/05/03 01:06
画像こういう風景は特にニュータウンだから…というわけでもないし、格段に個性があるわけでもありませんが…広い道路、街路樹、整然と並ぶ街路灯、大型量販店がキーテナントとして入った駅前ビル、きびきびと走り回るファミリーカー…というパターンは、たとえば「三丁目の夕日」や「サザエさん」に出てくるような、個人商店が立ち並ぶ商店街、アーケード、雑踏、徒歩主体あるいは歩車ごちゃごちゃの町並み…という伝統的駅前空間とはハッキリ一線を画していて、ニュータウン標準仕様と言ってもいい景観であることに気がつかされます。

無個性という個性、とでも言うのでしょうか。典型的な郊外的景観…とも言えますが、この設計パターンを先導したのは、やはりニュータウンではないのでしょうか。

「三丁目の夕日」や「サザエさん」的商店街だって、「どこにでもあったような」と皆が思うってことは、ある種パターン化されてるわけで、そういう意味では「無個性」なわけですよね。
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美術館?…駅です!(成田・公津の杜)

2009/05/01 23:46
画像ニュータウンの駅はニュータウンらしくなくては…というわけか、京成電鉄もひときわがんばったのが公津の杜駅。美術館と駅が一体になったような…三角と球が一体になったような…オルセールーブルが一体になったような?

wikipediaによれば、「関東の駅百選」にも選ばれているそうです。見どころのホームまで入って見ている時間がありませんでしたが…外観からだけでも、古き良き1980-90年代初頭の残り香というか、ゆとりが伝わってくるようです(駅は半地下になっています)。
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こちら民間のニュータウン(成田・公津の杜)

2009/04/30 23:26
画像成田ニュータウンから1kmあまり…こちらは京成電鉄が1980年代後半から開発した民間のニュータウン「公津の杜(こうづのもり)」です。

1994年に開設された駅は半地下で、なにやらモダンでアーティスティックな雰囲気…改札前に置かれたオブジェも軽快な感じで、成田ニュータウンの気合入りまくりの記念碑とは対照的です(時代もこちらのほうが新しいですが…)。

日本では「ニュータウン」という言葉に絶対的な定義はなく、「計画的に」「大規模に」「比較的短期間で」開発された町…ということになると、いきおい公的なセクター(都道府県、政令指定都市、公団など)によるものが多くを占めます。それだけの大きな利害調整力や資金力を民間が持つことは難しいからです。

しかし社会にノウハウが蓄積されるにつれ、電鉄会社や商社など、民間でもニュータウン開発を手がける例が出てきました。最も有名でかつ大規模なのは、東急の田園都市線ぞいに20kmあまりもつらなる「多摩田園都市」(「多摩ニュータウンとは違います…)ですが、これはまあ別格。

こちら公津の杜は、小学校が1校、面積は千里の藤白台より小さいぐらい…といえば大きさの想像はつくでしょう。
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ニュータウンの記念碑(成田ニュータウン)

2009/04/28 23:20
画像ニュータウンは人工的に作られた都市であるゆえに、さまざまな形の「開発記念碑」が置かれることが特徴です。こんなのや(千里)、こんなのや(高蔵寺)、こんなのや(札幌あいの里)…トラディショナルな石碑タイプから現代アートタイプまで個性豊かですが、こちら、成田ニュータウンのは碑文タイプというのでしょうか…?素材はエッチング風でモダンですが、ニュータウンに捧げる文章が刻まれています。

緑と水と太陽のまち
成田ニュータウン


草萌える北総の大地は
永遠の心のふるさと
緑なす公津原にのこる古墳は
人びとの生きた証

水藻にゆれる印旛沼は
憩いのアオシス
ナウマン象を追った3万年の昔から
人びとの命は清冽な水

宇宙の女神は愛の陽光を
おしみなくニュータウンの大地に注ぐ
緑と水と太陽の
シンフォニーがいま始まる

(昭和62年7月吉日 明治大学教授文学博士 大塚初重 作)


…なかなか高らかで気宇壮大でありますが、新しい町を大きな歴史の文脈に位置づけようという気合が感じられる「詩」ですね。
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ニュータウン古墳マップ(成田ニュータウン)

2009/04/27 02:06
画像
少し間があいてしまいましたが、成田ニュータウン訪問記のつづき。

こちら、ニュータウンの場所に古墳があったんだよ…ということを示す珍しい地図。その場所が実際にどのようになっているかまでは確認しませんでした…。ここをマイホームと定めた人たちに、ここは昔からマイホーム向きの場所だった…ということを示して愛着を持ってもらおうとしているのでしょうか。

ところで千里ニュータウンは、昔からの都市に近いわりに、意外なほど遺跡が出てこない…のだそうです。高度成長期の乱暴さでグワーッと「なかったことにしてしまった」のでは?とも考えたのですが、どうやらそうでもないらしい…。これを「千里最大の謎」と呼ぶ人もいるのですが、水の利が悪かった…ということが原因ではないかと…その後時代が下がり、いつの時代か大量の「ため池」を造ることによって「使える場所」に改造し、ニュータウン開発直前の地図には大きいのや小さいの、月面のクレーターのごとくため池だらけだった様子が記されていますが、古代にはまた様子が違っていたようです。
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秘密の薬園

2009/04/23 02:48
画像藤白台に隣接する大阪大学吹田キャンパス。

医学部と歯学部の病院もあり、スカイレストランもあれば保育園もあり…探検の材料には事欠きませんが、こちらは薬学部付属の薬用植物園。薬になる植物がいろいろ育てられている、なんだか神秘的な一角です。行った日(日曜日)は門が閉まっていましたが、中に入れる日もあるようです。

ところでこの薬学部を含む吹田キャンパスの南半分、EXPO70開催当時は会場の一部だったことを知っている学生はどれぐらいいるのでしょうか?医学部南側から西門にいたるバス道路の南側が、駐車場や冷房プラントなどに使われていました。キャンパスマップを見ると、歯学部病院の西側のカーブが、万博会場の北西のはしっこだったなごりを感じさせます。

大阪大学が万博終了後に会場の一部を譲ってもらったのではなく、先にキャンパス用地を確保していた大阪大学が、(吹田へのキャンパス移転は1968年の工学部を皮切りに25年もかけて少しづつ進められましたから)万博期間中は会場への一時利用を融通した…ということのようです。
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たけのこの季節です。

2009/04/22 01:20
画像…というわけでこちらは藤白台から徒歩5分。大阪大学吹田キャンパスの中に…なんと保育園ができてます。

大学なのに保育園。保育園なのに大学。…ここは阪大の教職員・学生だけが利用できる場所。HPによれば、吹田キャンパスにはここともう1ヵ所、このような保育施設があるそうです。キャンパス広いですからねー。

しかしすくすくと伸びそうな名前ではあります。
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夢を持ちよる(EXPO CAFE一周年)

2009/04/21 02:38
画像こないだの土曜日(4/18)は、天満橋にある大阪の新名所?EXPO CAFEの開店一周年パーティーがありました。

このお店、万博にかけては記念機構の人よりも詳しい?オーナーの白井さんの「こだわり」のかずかず(メニュー、インテリア、グッズ類…)もさることながら、万博大好き!な人々が持ちよった珠玉の作品が、また空間の濃度を高めています。

写真は、ペーパークラフトで作ったエキスポランドの観覧車!(1970年当時のもので、今あるのとは違います。)すごーく小さいのに超精巧!日本の技術ここにきわまれり…という逸品。これ、紙なんですよ。エキスポランド全体と、パビリオン群全体も作られています。カラーなども当時のまま忠実に再現されています。

1970年のテイストを再現した店内で、こんなミニチュアやあんな映像や…に皆が目を輝かせているのがEXPO CAFE。EXPO70があんなに輝いていたのは、世界中の皆が夢を持ち寄ったからだ…ということを思い出させてくれる、1970年の精神をそのまま再現しているのが、このお店です。

天満橋交差点から南西に少し入り、北大江公園を西にちょっと行ったところ(大阪市中央区島町2-10)。11:00(土11:30)-22:30。日曜定休。電話は090-1221-1970。
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ここにも、アドプト・ロード。

2009/04/18 02:53
画像こちらは、千里さくら通り(千里中央線)の津雲台二丁目付近。

北千里高校前のと同じフォーマットの標識をまたまた発見!去年に制定されたのかー。

この制度、裏を返せば行政のコスト削減という事情があるようですが、「町の清掃は行政がやればいい」と投げてしまうより、ずっと健康なやり方だと思います。

制度は違うけれど、こちらの「吹田市のみどりの協定」も住民と行政のコラボレーションですね。
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アドプト・ロードって、知ってる?

2009/04/17 23:37
画像この言葉、どれぐらいの人が知っているのでしょうか?

北千里高校の校門前あたりから循環器病センターの前を通って、北千里まで来る千里けやき通り(千里2号線)の歩道で、こんな標識を見かけました。アドプト・ロードは、地元のグループが清掃や花を植えたりといった「手入れ」をまかされて、行政がそれを支援する…という道路管理の方法です。

吹田市の中でもいくつかの区間が指定されていますが、こんなに近くにあるとは知りませんでした。行政だけでは手が回らないきめ細かな美化ができ、地元の人間は任されることで愛着がますますわく…というアイデアですね。起源はアメリカ…「自分たちの町は自分たちでキレイにする」って、いかにもアメリカらしい決意です。

北千里高校の人たち、ありがとう!
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新しい命は赤い

2009/04/17 01:11
画像カイヅカイブキと並んで、千里ニュータウン近辺の生垣などにたくさん採用されているのがベニカナメ

こちらは水遠池の南側を回って阪大の歯学部や医学部などに上っていく「西門」の前ですが、芽吹いたばかりの新芽が春の陽射しを通して真っ赤に輝いて、春のクリスマスツリーかトウガラシか?というほどの鮮やかさです。木にも血が通っているのだろうか?と思ってしまいますね。(この写真は4/5撮影)
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新しい花壇

2009/04/15 23:37
画像こちら藤白台に戻ってきて、保育園南側のグラウンド。

いつのまにか、新しい花壇が造られていました。新しいフェンスも設置されています。(前はたしかただの斜面だったような…)細長いスペースですが、長年見慣れた場所がぐっとおしゃれになりました。
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