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遠いところへ行った友達に

2008/04/20 19:57
画像土曜日は昨冬に早世した青中の同級生を偲ぶ会がありました。彼女は絵描きで、「型絵染め」や「刷り絵」と言われる手法を使って季節によりそう草花を美しい作品にしていましたが、病に斃れたのです。

青山台のモダンなUR(公団)の一室でとても日本的な絵を描いていたのですが、自然を身近に感じる感性はニュータウンが育てたものだったでしょうか。

青中の同級生が20人あまり、首都圏など遠くからも集まりました。卒業から33年…当時と住所が変わっていないのは1割以下、ニュータウン内で転居している人を合わせても2〜3割、親がまだニュータウンに住んでいたり、自分もニュータウン周辺に住んでいるなど何らかの「縁」が残っている人を入れて半分、残り半分は、今はニュータウンと縁が切れている…といった比率でしょうか。33年でそれだけの移動は多いと見るか、少ないと見るか…。

僕らの世代は千里ニュータウンの中で一番多かった子供世代より少し上になりますから、同級生の動向を見ていると、ニュータウン第二世代のボリュームゾーンがこれからどう動いていくかをある程度察することができます。

明るい会にしようとしばし話に花を咲かせたのですが、故人の話や昔の思い出はもちろん、団地建替、親の介護・看取り、遠近両用コンタクト、子供の受験、孫ができた同級生…そんなことが話題になりました(一方で孫ができる話をしている時に、独身ってのはなんだか座りが悪かったりします…)。気がつくと、これから建替が進む団地のどの棟にも、誰か同級生が住んでいたような気がします。ベランダからは隣の棟の家が全部見えて、誰の家では晩ご飯は何時ごろか、そんなことも皆お互いに知っている関係でした。

先生も来られました。先生は今で言う「団塊の世代」ズバリで、同僚の先生はとにかく同世代ばっかりだったと。なんでも皆でやって、わけもなく熱くて、カタチができていない新設校でも面白かったと。1970年代前半の青山台中学校は、そういう学校でした。

「高齢化した親ともう一度同居してニュータウンに帰りたいけれど千里は物件が少ないし高いから…」という話も複数の同級生から出ました。こういう話を聞くと、団地建替が一刻も早く滞らずに進むことを願いたい気持ちになります。人が町に住み続けるためには、郷愁だけを語っているわけにはいきません。

全体の1割もいない、昔と同じ住所に住んでいる同級生の一人としては、千里ニュータウンの変化をしっかり見届けて、遠くへ行った友達が帰ってきたときや空の上から見たときにガッカリしないような町であるように、少しでも何かできることをやろうと。

絵描きの故人には足元にも及ばない「絵」ですが、公民館に咲く「花蘇芳」の画像を、この記事には添えることにします。花言葉は「豊かな生涯」。
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「EXPO CAFE」オープン!(天満橋)

2008/04/19 03:48
画像藤白台は、あのEXPO70−万博の隣町として名高いわけですが、(そうでもない?)EXPO70の雰囲気を2008年に再現したカフェが、大阪市内の天満橋にできました。その名も「EXPO CAFE」。

ニュータウンも好きだけれど万博も原風景である私は、開店初日に行ってきました。こちらのメニューは「EXPO天国」。太陽の塔をかたどったクッキーがのってます。

店内には1970年風のインテリアが再現され、音楽、メニュー、コスチューム、展示されている当時のグッズや資料など、オーナーのコダワリがいたるところに…。

オーナーは白井さんとおっしゃる、万博好きが高じてとうとうパビリオンの一部を買い取って自宅に移築し、会社も辞めて万博研究家になってしまった方で、池田の自宅は「万博ミュージアム」という個人博物館として開放しておられます(見学には予約が必要…HP参照)。

こちらの「EXPO CAFE」も地元藤白台にひとつ欲しいようなキュートなお店でした。天満橋交差点から南西に少し入り、北大江公園を西にちょっと行ったところ(大阪市中央区島町2-10)。11:00-23:00。電話は090-1221-1970。

「ニュータウンカフェ」ってのも、いいかも。
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生き延びた桜

2008/04/16 03:56
画像
友人の旧宅の庭に残された桜が、今年もすばらしい花をつけました。

前にも一度書いたのですが、友人は兄弟とも遠くで家庭を持ち、残っていたご両親もお年をとられて、昨年、千里を離れていったのでした。「40年暮らした家を手放すことは断腸の思いだ」と、友人は僕に書いてよこしました。

一戸建てで持ち主が変わると、多くの場合、古い上屋は取り壊されて、丹精された庭も更地に戻してしまうことがほとんどです。最近は売りやすくするため敷地分割されるケースも増えました。友人の家もそうなってしまうのだろうか…大きく育った庭の桜もこれまでか…でも売れないのも困るだろうな…とひそかに案じていたのです。

ところが入ってこられた新しい持ち主は、上屋も壊さず、庭も少し手を入れただけで、ほとんど友人の家族が使っていたままに引き継いでくださいました。立派な桜もそのまま残りました。友人のご両親が40年手をかけてきた愛着が伝わったのでしょうか。

新しく住まわれている方は存じあげませんが、道から桜を楽しませていただいて、「よかったなあ」と思ったのでした。ニュータウンにも刻まれていく歳月があります。
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最後の春

2008/04/15 02:40
画像解体準備工事が徐々に始まっている公社A棟第一期建替分のA19-A22棟

夏には姿を消す予定なので、桜との組み合わせは正真正銘、これが最後です。1965年度に建設されてから43回目の桜…ということになるでしょうか(桜はもう少しあとだったかな?)。何事にも終わりはあるわけですが、この景色の44回目はないのだということが、どうもいまひとつピンときません。

2010年には新棟が完成する予定です。ソメイヨシノの寿命は60年ぐらいだとネットに出ていましたが、そろそろ老木と言ってもいいのでしょうね。完成した時は永遠に思えた鉄筋コンクリートの建物を見送って、桜はまた来年も同じように咲き続けるのでしょう。
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贅沢な公衆電話

2008/04/11 02:31
画像携帯電話の普及ですっかり使うこともなくなってしまった公衆電話ですが(同じテレホンカードが何年定期入れに入っているだろう…)、こちらは藤白台一丁目バス停前、桜の下のなかなか素敵なロケーションに立っています。

僕が藤白台に来た1964年当時、藤白台には携帯電話はおろか、家庭用の固定電話さえまだどの家にも通っていませんでした。(シンジラレナイような話ですが本当です!)ですから…たぶんその頃からこの場所にあった公衆電話は大活躍だったと思います。

当時は北千里の駅もなく、新千里山駅前(現・南千里)から来たバスは藤白台の中までも入ってこず、この交差点と、今の北千里駅前交差点と、今医療ビルがある角と、古江台センターの角だけをぐるりと回って新千里山駅前に戻っていました。(循環は両回りではなくどちらか片側だけだったのですがどっち回りだったか忘れた!)つまり藤白台住民のほとんどは、この「藤白台一丁目」で降りてエッチラオッチラ坂を上って峠のわが家に帰っていたので、この場所に公衆電話があることがすごく意味があったのです。

このタイプのボックスが普及したのは万博前後からなので、当初に設置されたのは、いわゆる「丹頂型」の電話ボックスでした。中の電話機はカードタイプなどもちろん未登場でしたから(カード式は1983年から)、10円玉しか使えない赤電話か青電話でした。(って言っても若い人はわからないか…?)

公衆電話は災害時には優先的に回線確保されるので、いまや「非常用に残してある」という性格が強くなっていますが、忘れられたようなボックスを見ていたら、藤白台の開拓時代を思い出してしまいました。
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大学の部室みたいな町

2008/02/25 00:48
画像町の開発時に同じ世代ばかりをどっと入れてしまい、その後住み心地の良さに入れ替わらず揃って高齢化してしまった…これは多くのニュータウンで共通に見られる現象のようです。

千里の場合、住戸の6割を40u〜50u台の公的賃貸集合住宅が占めていたため、当初は、ライフステージが進めば住民は入れ替わっていくだろう…というのが開発者の目算でした。しかし実際はそうならなかったわけです。

家が多少狭くても、抜群の環境、広い公園と道路、交通も便利、おまけに万博で一躍有名になり、「外国みたい」と感嘆され、「陸の孤島」は10年足らずで「あこがれの千里」に変身してしまいました。

それと(これはきちんとした検証が必要ですが)1970年代の大阪は革新府政が続き、地価は著しく高騰したのに公的住宅の家賃は政策的に低く抑えられたことも、「おトク感」を増したと思われます。1980年前後に府営住宅と一部の公団住宅では増築が行われ、定住化を決定づけたとも言われています。

そして「同じ世代ばかり」の住民構成は固定化しました。1973年11月には、オイルショックを受け、「トイレットペーパー騒動」が千里ニュータウンから全国に波及しました。これは「新しい町で住民の絆が弱かったからパニックが起きた」のでは決してなく、むしろ逆だったと僕は考えています。「同じ世代ばかりだったから団結心が強く、情報の回りが速かったから」ではないか?(こちらにも私の経験談と考察を…)

千里の住民は高度成長期に全国から大阪へ出てきた人たちが多く、出身地は実に多彩でした。にもかかわらず住民がバラバラにならなかったのは「世代が同じ」という強い共通点があったからです。高度成長期・人口増加期のシステムでは、「世代が同じ人間はまとめる」やり方は効率的でスピードも上がりました。マーケティングでも「世代で切る」方法は長い間主流でした。

これって「大学の部室みたいな町」と考えると、わかりやすいんじゃないかと思います。

決定的な権威者がいなくて、近い年齢の人間ばかりが集まっているから、万事話が早い。盛り上がりやすくて、シガラミがなくて、すごく楽しい。だからよけいに引っ越したくない。だけど少し引いて見ると、異世代を受け入れる多様性に欠けているし、どこか内輪的…。良くも悪くも「千里ニュータウン人気質」を考えると、まったく万年大学生みたいだと、今さらながらに気がつきます。

さて楽しく暮らしてきた万年大学生たちも70歳前後になり、いくらなんでもこのままでは町の活力が減っていく…ということに気がつき始めました。子世代も多くは出て行きました。さあ、どーする?

ここで一つ前向きなことを言うと、都市部で同じ世代ばかりが多いという特徴は実に「プレ団塊」的であり、千里ニュータウンの第一世代(65-75歳前後)の暮らし方、生きがいの見つけ方を観察すれば、全国の団塊層に大きなヒントになるのではないか、ということです。

千里ニュータウンはいま、住民が思っている以上に全国から再び注目されています。それは単に「ニュータウン問題」の枠を超えて、社会を変える年齢集団の兆しを、ジャーナリストや研究者たちが嗅ぎ取っているからではないでしょうか。
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千里ニュータウン開発記録映画上映会!(2/24・きょう!)

2008/02/24 01:49
画像
前にもお知らせしましたが、全6本のうち後半の3本をきょう上映します。千里ニュータウンが開発期から成熟期に移り変わっていくころ…万博も出てきますし、千里ニュータウンと彩都の関係もわかります。不肖わたくしの解説も付きます。

●会場:北千里公民館(入場無料)

●2月24日(日)14:00−15:30
◎「千里ニュータウン 生きている人工都市」(1968年・20分)
◎「千里ニュータウン その都市構成」(1970年・27分)
◎「千里ニュータウンとその背景」(1982年・20分)

この機会を見逃すと、当分上映の予定はありません。上の画像は「千里ニュータウン その都市構成」(1970年)から、北千里専門店の一シーン。いま、ナツロー(ケーキ屋さん)とドコモショップが並んでるあたりです。買物をするお母さん方が皆若いのと、当時は冷房がまだ一般家庭に普及していませんから、夏服は「いかにも夏服」というノースリーブなのが目につきます。(「アッパッパー」って言うのこれ?)服装の変化を見ているだけでも面白いです。

※この画像の再利用はできません。
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北千里駅に「世界初」自動改札機の銘板が!

2008/02/16 03:32
画像阪急北千里駅は初めて自動改札機を導入した駅であることはNHKの「プロジェクトX」にもなりましたし、地元ではかなり知られた誇りある事実です。

昨年11月、この技術が世界でも権威ある「IEEEマイルストーン」に認定され(日本で7番目!)、その銘板が改札内に取り付けられました。これまで北千里駅には初の自動改札設置駅であることを示すものがどこにもなく、駅開業40年を記念して住民有志で何かできないか…という話も出たりしたのですが、晴れて立派な「証拠」が出来ました。なんと世界最初とさえ書いてあります。スゴイ!エライ!

地元住民にとってこれが誇らしいのは、自動改札機の実用化に向けては「実際使ってみてどうか?」という実証実験が欠かせない要素であり、いわば「世界初の実験」に利用客が協力したからこそ、このシステムは世の中に定着したからです。これは単に「鉄」の趣味的な話だけじゃなく(趣味的に考察してももちろんすごく面白いのですが…)、現在のICカード(「ピタパ」や「スイカ」)や、銀行ATM、クレジットカードや電子マネーなど、世界の現代生活に欠かせない広汎な技術に発展した、まさに「マイルストーン」(記念碑的技術)なんですね。

千里ニュータウン。今からもこれからも「世界初」をやってみる、それぐらいの町であってほしいです。それでこそ「ニュー」タウン!「ニュー」の精神を忘れたら、ただの「タウン」になってしまうんですから…。

「IEEEマイルストーン」、日本で他の6つは、八木・宇田アンテナ、富士山レーダー、東海道新幹線、セイコークオーツ、シャープの電卓、ビクターのVHSビデオと、この顔ぶれを見るだけで、いかに北千里駅の初代自動改札がエポックメーキングであったかがわかります。

※さきほど夜半過ぎにA17棟で火災があり、少なくとも1戸がほぼ全焼しました。消防車がたくさん来て小学校正門前あたりが一時期騒然となりました。救急車で運ばれた人もあったようです。みなさん「火の元」にはくれぐれもご注意ください。
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遠い町の親戚

2008/02/15 03:43
画像どうも最近、藤白台以外の話題が増えている「アラウンド・藤白台」ですが…(藤白台に限らないってつもりで「アラウンド」とつけたのですが…)。

こちらはJR紀勢本線の海南駅。また藤白台と全然関係ないじゃないかって思われるかもしれませんが、これが、あるのですぞ。

なんとここ海南市には「藤白」(ふじしろ)と呼ばれる地域があります。で、大阪・千里ニュータウンの藤白台は、地名の由来をたどると、どうもこの海南の藤白と関係があるっていう説があります。

千里ニュータウンの藤白台の名前は、ニュータウン開発前、この場所に「藤白」という小字名があったことから取っています。吹田市大字山田上字藤白。ただしこの呼び方は「ふじしろ」ではなく「とうじろ」でした。この「藤白」は現在の藤白台ほど大きくなく、二丁目から小学校あたりの一角の名前だったようです。

ではその「藤白」(とうじろ)はどこから来たのか?…なんですが、これはいまや世界遺産となっている紀伊・熊野那智大社の信仰と関係がある…という説があり、千里周辺でも「熊野町」という町名が豊中市にありますね。詳しい話はこちらこちらに出ています。

(昔の話だからあくまでも「説」でしかないですが…)この説にしたがえば、千里の藤白と海南の藤白は偶然名前が同じなのではなく、ルーツが繋がっていることになります。

で、海南の藤白ってどんなところか?と検索してみたら…出てくる出てくる、「藤白神社」「藤白峠」「藤白坂」「藤白山」「藤白王子」ってのもあるぞ!

藤白王子は氷川きよしとか斉藤君みたいな「人」ではなく、遠くまで有名な霊場にお参りに行く時の拠点施設…とでも言えばいいのでしょうか?

さすがに奥が深い海南の藤白。この写真を出すってことは、ブログのためにわざわざ取材に行ったのか?…と思われるかもしれませんが、熊野詣で(というか温泉旅行)の帰りに特急の窓から撮っただけでございます。でも一度行ってみたいですね。

遠くの町に同じ名前のルーツがあるっていう町名は、千里ニュータウンの中では藤白台だけだと思います。なんだか会ったことがない親戚が顔が似ているみたいな不思議な気分です。

ところで海南っていう地名は中国にもありますが…(って、もうええっちゅうねん)
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千里ニュータウン開発記録映画上映会!(2/11・祝)+(2/24・日)

2008/02/05 03:00
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縁卓会議も面白いけれど、こちらの映画会も見逃せません!まさにニュータウンの「三丁目の夕日」と言うべき、珍しくもなつかしいシーンがよみがえります。今回は北千里公民館での上映。不肖わたくしの解説も付きます。

●会場:北千里公民館(入場無料)

●2月11日(祝)14:00−15:30
◎「ひらけゆく千里丘陵−計画編」(1961年・23分)
◎「ひらけゆく千里丘陵−建設編」(1962年・15分)
◎「千里ニュータウン」(1964年・21分)

●2月24日(日)14:00−15:30
◎「千里ニュータウン 生きている人工都市」(1968年・20分)
◎「千里ニュータウン その都市構成」(1970年・27分)
◎「千里ニュータウンとその背景」(1982年・20分)

6本通して見ると「ニュータウン博士」になれることはうけあいです!上の画像は「千里ニュータウン」(1964年)の空撮シーンから。どこだかわかりますか…?古江台です。右上の何にもない空き地が、北千里駅の一角(ちょうど公民館が建っているあたり)です。

※この画像の再利用はできません。
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タイトル 日 時
あの朝も快晴だった
あの朝も快晴だった (彩都レポート中でしたが)数日間書いてきた震災関連の記事も、今回でおしまいにしましょう。 ...続きを見る

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2008/01/22 03:37
震災は生き方を変えたか。(曽祖母の記録より)
震災は生き方を変えたか。(曽祖母の記録より) 阪神大震災で倒壊した神戸の母の実家から出てきた写真の一枚です。「神奈川県立川崎託児所」という看板がかかっています。右後方の女性が私の曽祖母です。 ...続きを見る

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2008/01/21 03:26
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関東大震災の犠牲者に祈りを捧げる。(1923年9月) ブログの主題から少々外れてきていますが、震災経験者としては皆さんに「備え」をしていただきたいのと、防災とまちづくりはやはり繋がってきますので、あと少しおつきあいください。 ...続きを見る

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これが山津波だ。(1938年7月・神戸六甲) 前日の写真と同じ時に撮ったと思われる阪神大水害の記録です。山から土石流が押し寄せた、まさに「山津波」の様子がわかります。岩だらけですね。 ...続きを見る

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阪神大水害を知っていますか。(1938年7月・神戸六甲) 1月17日は阪神大震災の記事や報道がたくさんありましたが、阪神大水害はご存じでしょうか。 ...続きを見る

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町を守る心(1943年3月25日・神戸魚崎) 彩都の連載中ですがきょうは1月17日ですので…。 ...続きを見る

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2008/01/17 02:23
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囲まれた鎮守の森 昨年正月にもご紹介した小野原西の春日神社。そのときの写真と逆に、参道から神社の外を見たアングルです。鬱蒼とした鎮守の森のすぐ足元まで、住宅が迫ってきているのがわかります。 ...続きを見る

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2008/01/13 02:12
じゃあここはどこ?(木の又地蔵尊)
じゃあここはどこ?(木の又地蔵尊) 昨日に引き続き…こちらはお地蔵さん。れっきとした千里ニュータウンの中です。きちんとお供えがされていますね。「木の又地蔵尊」って変わった名前だなあ…。 ...続きを見る

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2008/01/08 03:22
隣町のプチ異界
隣町のプチ異界 まだ正月気分ということで… ...続きを見る

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2008/01/06 13:15
1/2・朝7:20- NHK総合「新日本紀行ふたたび」に千里NTが出ます!
1/2・朝7:20- NHK総合「新日本紀行ふたたび」に千里NTが出ます! 私が出るわけではないのですが… ...続きを見る

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2007/12/31 00:29
弘済院の残照
弘済院の残照 千里ニュータウンの真ん中にはぽっかりとニュータウンではない「除外地」=豊中市上新田があることはよく知られています。上新田は江戸時代から続く古い集落で、ニュータウン開発当時に200戸あまりの集落があったため、この集落部分を除外して開発が行われました。 ...続きを見る

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2007/12/29 16:53
こちらも負けじと…
こちらも負けじと… 北千里駅前のクリスマス・イルミネーションの中で貫禄を見せているのがこの立体オブジェ。作品名は「集(つどい)」というそうです。 ...続きを見る

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2007/12/26 10:43
新幹線とニュータウン
新幹線とニュータウン 埼玉県大宮に新しくできた鉄道博物館へ行ってきました。圧巻は、20数両におよぶ実物車両のオンパレード!(この写真は模型ですけど…) ...続きを見る

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2007/12/19 10:14
1983年2月12日・ここはどこでしょう?
1983年2月12日・ここはどこでしょう? 少し南千里方面の紅葉レポートが続きましたが、きょうから5回連続で、藤白台のある地点の歳月と季節による変化を追いかけます。 ...続きを見る

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2007/12/11 10:46
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「万博展」が終わりました。 吹田市立博物館で10/20から開催されてきた(僕も市民委員として企画実行に関わってた)特別企画「07EXPO70−わたしと万博」。15000名の来館者をお迎えし、12/2をもちまして無事終了しました! ...続きを見る

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2007/12/02 23:38
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ゾウスベと紅葉 公社団地の「ゾウのすべり台」。モダンアートにも見えてきます。ああ、公社建替で再生地に入ってもなんとかこのすべり台を残す方法はないものか…。自治会での議題には出てこないのですが…ブログをやっててわかってきたのは、子供時代から藤白台に来た人たちには、すごく愛着があるモノなんですよね…ところが親世代の話し合いでは、あまりこういう「すべり台」は出てこないわけです。「親世代」っていうのは、ニュータウン開発当時の親世代っていうことですが…。すべり台ひとつで、昔の子供の思い出はつながってたりするわけです。 ...続きを見る

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2007/11/29 04:09
「ステンレスの林」はどこへ…?
「ステンレスの林」はどこへ…? 先日、朝日新聞を見ていて驚いたのですが、千里中央にあったこの「動く彫刻」、覚えておられますか? ...続きを見る

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2007/11/23 14:14
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ソビエト館の見える風景(1969秋) ハズカシながら私が小学校4年生のときに藤白台診療所の前から描いた油絵です…市民ホールで習ってたんですよ。先生の手が相当入ってますが…。 ...続きを見る

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2007/10/03 01:11
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ソ連館を望む(推定・1970秋〜) ソ連館と藤白台が一枚に納まった写真を、青山台中学校1975年の卒業アルバムから見つけました。 ...続きを見る

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2007/09/30 19:47
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エキスポタワーとの日々 藤白台から見えていた万博の構築物で、一番よく、長い間見えていたのはエキスポタワーでした。 ...続きを見る

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2007/09/29 23:11
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町はメリー・ゴーラウンド きのう9/2は吹田市立博物館で千里ニュータウン記録映画の上映会を行い、不肖私が解説をさせていただきました。一日でいろいろな方とお会いしました。 ...続きを見る

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2007/09/03 00:05
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千里NT記録映画から4.(きょう上映!吹田市立博物館で) いよいよきょう13:30−16:30!吹田市立博物館で上映する映画から、最後のお知らせです。 ...続きを見る

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2007/09/02 01:43
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千里NT記録映画から3.(9/2・吹田市立博物館で上映!) いよいよ今度の日曜日です!吹田市立博物館で、9月2日(日)13:30−16:30に上映する映画から、またなつかしい藤白台のひとコマを…。 ...続きを見る

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2007/08/28 01:03
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新しく道路を作っています(ひろしま西風新都) 街路樹もある広い道がいきなり終点になり、右へ迂回の矢印と「新しく道路を作っています」の表示…。 ...続きを見る

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2007/08/26 00:53
吹田市立博物館の行き方(9/2・NT記録映画上映会)
拡大地図を表示(←「拡大地図を表示」し、左上の縮尺を操作してご覧ください。) ■千里ニュータウン記録映画上映会は9/2(日)13:30から!「博物館なんか行ったことない」とおっしゃる方が大勢おられるので、地図をご案内します。 ■藤白台からクルマでの行き方は… ↓千里2号線(千里けやき通り)を南千里まで行く。 ↓「佐竹台2丁目」信号を左折、千里1号線(千里ぎんなん通り)へ。 ↓ニュータウンを出てすぐ、「山田下」信号を右折。 (左手にローソン、右手にサーティーワンがある角です。) ↓右 ...続きを見る

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2007/08/25 01:59
千里NT記録映画から2.(9/2・吹田市立博物館で上映!)
千里NT記録映画から2.(9/2・吹田市立博物館で上映!) 広島探検の途中ですが、きょうは過去の藤白台へ…!吹田市立博物館で、9月2日(日)13:30−16:30に上映する映画から、藤白台のひとコマをご紹介します。 ...続きを見る

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2007/08/22 00:37
千里NT開発記録映画から(9/2・吹田市立博物館で上映!)
千里NT開発記録映画から(9/2・吹田市立博物館で上映!) これはどこだか、わかりますか…?1964年制作の記録映画「千里ニュータウン」(企画:大阪府企業局、製作:日映新社)からのひとコマです。 ...続きを見る

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2007/08/19 03:13
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いまだ みつめておけ(ブログ開設1年) 早いもので、気がついたらこの「アラウンド・藤白台」を開設してから満1年!(とは言っても実はすぐに三日坊主になって、ちゃんと更新し始めたのは11月でしたが…) ...続きを見る

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2007/08/13 00:22
8/12によせて
8/12によせて きょう8月12日は、22年前の1985年、日航ジャンボ機123便が墜落した日です。 ...続きを見る

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2007/08/12 01:06
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千里NTの記録映画、一挙上映!(9/2・吹田市立博物館) かなり先の話ですが、予定を入れる方もあるでしょうからお知らせします! ...続きを見る

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2007/07/24 00:53
「山田上」と「上山田」と「山田下」と「下山田」
「山田上」と「上山田」と「山田下」と「下山田」 きのうのブログへのコメント…「みっちゃん」さんの疑問「山田上・上山田のように山田下・下山田も同じことなんでしょうか?」にお答えします。 ...続きを見る

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2007/07/21 01:55
「水曜の朝、午前三時」
「水曜の朝、午前三時」 春なのに黄葉の画像!1月13日のブログでご紹介した南千里駅前、小説「水曜の朝、午前三時」の舞台になった女子寮(建替前)の写真です(左奥のペアになった2棟)。2003年撮影。 ...続きを見る

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2007/04/06 02:08
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千里ニュータウン最初の信号機 今から考えると信じられないような話ですが、開発当初、千里ニュータウンには一つも信号がありませんでした。 ...続きを見る

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2007/03/31 02:31
「アーカイブ北千里」はじまりました!
「アーカイブ北千里」はじまりました! 3/1のブログでも予告した写真展「アーカイブ北千里」が始まりました! ...続きを見る

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2007/03/26 12:14
1983年2月12日・北千里駅前2
1983年2月12日・北千里駅前2 違うアングルの駅前定点観測をお届けします(大阪大学吉村研究室からの写真提供です)。 ...続きを見る

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2007/03/13 04:26
1983年2月12日・北千里駅前
1983年2月12日・北千里駅前 大阪大学の吉村研究室から、24年前の北千里駅前の写真をご提供いただきました。 ...続きを見る

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2007/03/11 02:54
北千里駅40歳!
北千里駅40歳! きょうは特別なお祝いの日です。北千里駅開業40年!パチパチパチ!ということは…自動改札機も誕生して40年!イエ〜イ!(わがことのようにウレシイ!) ...続きを見る

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2007/03/01 03:24
再生まちびらき・佐竹台
再生まちびらき・佐竹台 アカデミー賞の授賞式と同じ頃、千里ニュータウンの佐竹台では45年ぶりの「再生まちびらき」と題するセレモニーが行われていました。1月26日のブログでもご紹介した佐竹台公社住宅の第一期建替が完成したからです。 ...続きを見る

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2007/02/27 01:05
1970年・北千里をゾウが歩いた!
1970年・北千里をゾウが歩いた! 新千里東町のAさんからとっておきの写真をご提供いただき、デジタル復元してみました。 ...続きを見る

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2007/02/20 13:03
なぜ「ピアノ池」なのか?
藤白台の真ん中にあるピアノ池。きょうは地図でのご紹介です(写真は前日2/17を参照)。 ...続きを見る

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2007/02/18 01:32
2007年・ゆらら藤白台
2月1日にお届けした1970年・藤白台近隣センターと同じ場所の現在を撮ってきました。 ...続きを見る

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2007/02/11 01:18
診療所が…!
ゆらら藤白台の南側にある診療所村。外科のあった区画が売りに出ていました。 ...続きを見る

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2007/02/09 02:04
藤白台の「G」とは?
団地の棟名など、千里ニュータウンには時折アルファベットの記号が使われますが、藤白台全体が「G」という記号で語られることがあります。三丁目公社のA1〜A18棟は「千里丘陵G団地」という名前だし、電柱にもご覧のとおり…。 ...続きを見る

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2007/02/07 02:01
1966-68年・ラジオを持って展望台へ
tsugioさんから、またなつかしい写真とコメントを送っていただきました。 ...続きを見る

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2007/02/05 02:18
この土の色だったんだよ!
千里中央の再開発現場。アスファルトをはがして千里の土の色が出てきました。この黄土色。上に重機が載ってたりした日にはもう…。 ...続きを見る

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2007/02/04 18:59
1970年・藤白台近隣センター
読者のtsugioさんから藤白台近隣センターの古い写真を送っていただきました!たぶん1970年の正月だろう、とのことです。お店は閉まっていて人影がありません。閉まったシャッターには正月の朝日らしい貼り紙も見えます。親戚が来て一緒にパチリ!の瞬間です。 ...続きを見る

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2007/02/01 03:45
阪急電車は走り続ける。
藤白台を望む古江公園。ここは阪急電車の線路が目の前を通り、高低差が少ないので電車観察にもってこいの場所です。昔から鉄道関係の雑誌には、この公園から撮られた写真が出ることがよくあり、「隠れた名撮影地」と言えるかも…? ...続きを見る

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2007/01/31 04:16
いきなりシモキタ
突然ですが私が東京にいたころ暮らしていた世田谷・下北沢の町です。駅のホームの端から踏切ごしに撮った写真でゴチャゴチャしてますが…本物の下北沢は、もっとゴチャゴチャしています! ...続きを見る

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2007/01/30 03:15
8ミリフィルムが語る光景
千里NTのドキュメンタリー映画を撮りたいという学生さんに乞われて、友人の父上が撮った1965-70年の千里ニュータウンの8ミリフィルムを特別に上映していただきました。(8ミリビデオじゃないよ!) ...続きを見る

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2007/01/29 01:47
佐竹台の挑戦
同じ千里ニュータウンの中、南千里の「佐竹台(さたけだい)」。ここで始まっていた公社賃貸住宅建替の第一陣が、ようやく全容を現しました。 ...続きを見る

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2007/01/26 03:47
目の前の人しか助けられない。
写真は震災前の1993年、芦屋ロックガーデン・風吹岩からの風景です。「被災地」と呼ばれることになる運命を、まだ誰も知りません。 ...続きを見る

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2007/01/19 02:13
なぜブロック塀は危ないのか?
震災の話題を続けます。 ...続きを見る

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2007/01/18 01:56
決して家具が倒れる場所に寝ないでください。
震災12年。大変おはずかしいのですが、芦屋で被災した私の部屋…震災当日午後1時半の状況をお目にかけます。だいぶん片付けたあとの写真です。 ...続きを見る

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2007/01/17 03:37
未来都市の入口
千里ニュータウンの入口に誇らしげに立っていた60年代テイスト満点の「ここから千里ニュータウン」を告げるコンクリートの標柱。五月が丘から高野台・佐竹台に入る千里一号線沿い北側の茂みの中に再発見しました。 ...続きを見る

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2007/01/07 00:54
徒歩10分の異界−小野原・春日神社
深山と見まがう鎮守の森…ここは藤白台・北公園からわずか徒歩10分の小野原・春日神社。境内の縁起によれば、なんと神護景雲2年(西暦768年)からここにおわしますとのことで、1239年もの歴史があることになりまする。ハハーッ。 ...続きを見る

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2007/01/04 23:04
アサーッ!
あけましておめでとうございます。 ...続きを見る

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2007/01/01 03:58
小野原街道
年末は渋めで… ...続きを見る

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2006/12/30 14:56
開拓者の群れ、再び
2日連続で新千里東町の光景です。新しいマンションが完成したのでしょうか、学校が冬休みに入ってクリスマスも終わったきのう、転入の荷物を積んだトラックがずらりと並んでいるのを目撃しました。2007年の正月は新居で!楽しみですね。 ...続きを見る

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2006/12/27 02:55
2000年・藤白台近隣センター
ほんの7年前の藤白台近隣センター。(わからない人に)今の「ゆらら藤白台」の建替え直前の姿です。 ...続きを見る

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2006/12/15 04:16
2001年・ふれあいの道
(また季節がメチャクチャですが…)三丁目のA棟・公社団地の中を抜けていく「ふれあいの道」の5月の光景です。 ...続きを見る

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2006/12/10 23:38
あなたの大好きな街が壊れてしまっても
千里ブログなのに、また神戸ネタですみません…12/8からルミナリエが始まりました。言うまでもなくこの祭典には、震災で亡くなった方への鎮魂と、再生への希望が込められています。「死」と「生」の意味を「闇」と「光」に見るとき、ルミナリエは深く心に迫ってきます。 ...続きを見る

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2006/12/09 03:40
あっ!気がついたらもう12月じゃないか!
…というわけで、本日の出し物は千里中央のサンタクロース。 ...続きを見る

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2006/12/01 09:47
1965年・藤白台小学校
きょうはタイムマシンで1965年にひとっとび! ...続きを見る

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2006/11/29 04:09
よみがえる大地の記憶
うわ〜すごくサボってしまった!…なんてものじゃないですね… ...続きを見る

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2006/10/08 12:31

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